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絵具に濡れて重くなった筆先を、スケッチブックにのせていく。
真っ白な画面が、どんどん色に染まっていく様を私はじっと見つめていた。
やっと、綺麗だと思えるものに出会えたから。
あの、色の抜けおちた瞬間から……やっと。
「おいあんた、呆ける前に箸を動かせ。遠い世界に意識を飛ばす前に、口の中の物を胃に落とし込め」
「……」
横から聞こえてきたぶっきらぼうな声に、私の意識が現実に引き戻される。
昨日、一面に散りばめた青は、綺麗に一纏めにされて部屋の隅に置かれていた。
そして今現在、世話焼きおかんよろしく監視しているななしくんの横で、私は座卓に並べられた朝食を口に運んでいる。
「……なんでこうなった?」
思わず口にしてみれば、隣からぎろりと睨みつけられる。
「それを言いたいのは、俺の方だよなぁ?」
「はいすみませんでした、ごめんなさい」
反射で応えて、箸で掴んだ漬物を勢いで口に放り込んだ。
昨日、来ないと思っていたななしくんが、昼寝から目覚めたら軒先に立っていた。
びっくりよりも、引き寄せられるななしくんの持つ色。
借りていたタオルの、その色。
呆けていた私の意識を戻したのは、中村先生の往診だった。
とりあえずで聞かれた朝ご飯と昼ご飯について答えたら。
なぜか巻き添えを食った形で縁側に待機していたななしくんと先生に、ダブルで怒られた。
ただ単に、「ご飯は大福」と、答えただけだというのに。
……ご飯が甘いもので、何が悪いのだろう?
おいしくてカロリー取れれば、いいんじゃない?
そう答えたら、なぜか中村先生に食事改善を言い渡されてしまったのだ。
しかもななしくんに、お目付け役の任務が下ってしまった。
断ればいいのに、世話焼きオカンなななしくんは了承して、三日間だけ朝と夕ご飯を一緒に食べることになってしまったのだ。
どう考えても、「どうしてこうなった?」て思うよねぇ。
私はそんな事よりも、色を描きたいのに……
「しゃくしゃくとした歯触りの白菜のお漬物は、お茶に合うよねぇ」
のほのほと思わず口にすれば、眉間に皺を寄せていたななしくんが同じように漬物を食べながらお茶を啜った。
「んだなぁ……」
ほわんと、声が返ってくる。
うん、ななしくんは単純だね。
お漬物とお茶に誤魔化された。
「とりあえず、それノルマな。中村先生に言われてるんだから、ちゃんと食え」
……誤魔化されてはくれなかったらしい。
箸を銜えたまま口を尖らせれば、眉間の皺がどどんと増えた。
「はーい」
よい子の返事。
そんな事を考えながら、口を動かす。
もぐもぐしゃくしゃくごくん、ほわ~
そんな音を繰り返していたら、ななしくんの手元の携帯がなにやら音を奏でだした。
「時間、か」
携帯を手に取って何か操作すると、それをズボンのポケットに突っこんでぎろりと私を見る。
「全部食べろよ?」
「無理」
「誰がお伺いを立てた。選択権あると思うんじゃねぇ、命令」
「俺様?」
「ななし様」
ぽんぽんと言葉を交わして、ななしくんが立ち上がった。
「俺、部活行くから。夕方来た時に、また外でボケてたらいつもより三割増し位で小突くからな?」
「なんでこうなった?」
もう一度、さっき口にした疑問を述べてみれば、がしりと頭を掴まれた。
「だから、それはあんたがいう事じゃない。俺がいう事だ」
「暴力反対!」
「躾だ、くそガキ」
「……私の方が年上」
ななしくんはそれには答えず、頭から手を離して傍らに置いてあったスポーツバッグを手に取った。
「んじゃあな。中村先生によろしく」
そう言って縁側から庭へ降りようとするななしくんに、片手をひらひらと振る。
「いってらっしゃい、あなた」
「……っ!」
見事に縁側から転がりました。
いったん見えなくなったななしくんが、海坊主よろしく縁側の向こうからがばっと起き上がる。
「なんであんたは、そんなに自由なんだよ!」
「えー?」
とぼけた様に首を傾げると、怒り狂ったままななしくんは自転車に乗って行ってしまった。
「元気だなぁ」
ぽつり、呟く。
そのまま箸を動かして、ご飯とお漬物・お味噌汁の簡単な朝食を私はお腹におさめていく。
無心にご飯を口に運ぶ私の視界の端には、ななしくんが置いていった青いタオルが映っていた。
綺麗な青のタオル。
綺麗、だったのに。
ななしくんがいなくなった途端、それはただの“青”に変わる。
だから……
ふっと、意識が切り替わる。
箸を机に転がして、スケッチブックを手に取った。
そのまま縁側に出ると、筆洗用のバケツに水を入れてパレットに数種類の絵具を出した。
「綺麗な、いろ……」
あの色を、とどめたい―
4日目・2の冒頭、少し加筆いたしました。
1の部分が前日の回想で2は現実というかリアルタイムな感じなのですが、変な所で切ってしまったので何やらうまく繋がってないなぁと思いまして^^;
お読み頂かなくても大丈夫だと思いますが、お時間のあるおねーさまおにーさま、ちょろりと目を通して頂けると嬉しいです。
本当にすみません。
篠宮 楓