17歳のオペレーター
午後11時47分。
窓の外では国道沿いのファミレスの看板が点滅していた。赤と黄色が交互に、規則的に、まるでAHT(平均処理時間)のグラフみたいに。上がって、下がって、また上がる。
俺の名前は城ヶ崎タマキ。17歳。高校二年生。
そして、このコールセンター——株式会社テレコア・サービス、通称「テレコア」——のオペレーター歴、もうすぐ9ヶ月になる。
「お電話ありがとうございます、テレコアサービスセンターでございます」
ヘッドセットに向かって、俺は言う。声のトーンはF#。2ヶ月かけて習得したやつだ。人間の耳が一番「誠実」と感じる音域があって、それがだいたいF#からG#の間だと、先輩オペレーターの葉月さんに教わった。
「あのさあ!」
受話器の向こうで男の声が弾けた。怒りのビッグバン。俺は脊椎に電流が走るのを感じながら、腹式呼吸で声を落ち着ける。これもトレーニング。
「はい、どのようなご用件でしょうか」
「どのようなって! うちの回線が3日間も繋がってないんだよ! 3日だよ? 分かる? 俺、テレワークで仕事してんだけど、もう損害賠償もんだからね!」
俺はフォームを開く。顧客番号を確認する。回線障害ログを確認する。
エリア障害——復旧済み(昨日18:02)。しかし端末側の設定リセットが必要なケース。
「大変ご不便をおかけいたしました。状況を確認させていただきますね」
ここからが本番だ。
俺は脱線しそうになる会話を、見えない手綱で引き戻しながら、必要な情報を聞き出す。機器の型番。電源ランプの色。ルーターの再起動有無。相手はまだ怒っている。でも俺は気づいている——この人の怒りの9割は「誰も自分の話を聞いてくれない」という孤独だ。
残り1割が本当のクレームだ。
「おそらくルーターの設定が自動リセットされている状態かと思われます。今から一緒に操作していただけますか?」
「……一緒に?」
「はい。私が画面越しにご案内します。4分ほどで終わります」
沈黙。そして——
「……4分で終わるの?」
語気が、少しだけ柔らかくなった。
俺は内心でガッツポーズする。これが「ターン」だ。葉月さんが言っていた。クレームには必ず1回、ターンのポイントがある。そこを逃したら長期戦になる。そこを掴んだら、早ければ5分で解決できる。
通話が終わったのは午前0時を過ぎていた。
解決時間:8分42秒。
俺はヘッドセットを外して、モニターの数字を見る。今日の受電数は22件。AHTは7分11秒。センター目標は6分30秒。まだ届いていない。
「タマ、今日も粘ってんじゃん」
隣のブースから声がした。黒瀬レン、18歳。ここで唯一の俺より年上の同世代オペレーター。顔が良すぎて電話口で「あなた絶対イケメンですよね?」と言われたことがある。実際イケメンだ。腹立つほど。
レンはもう帰り支度をしていた。AHTは6分を切っている。いつも。
「黒瀬はなんで早いんだよ」
「俺? 早く終わらせないと人生もったいないじゃん」
「それ仕事舐めてね?」
「舐めてるんじゃなくて、合理的なの」
レンはコードをぐるぐると巻き取りながら言った。「お前さ、電話一本に魂込めすぎ。オペレーターはシステムの歯車でいいんだよ。感情入れるから消耗する」
俺は答えない。
でも納得もしない。
歯車になれる人間と、なれない人間がいる。俺は明らかに後者だ。それは欠点かもしれない。でも俺は、電話の向こうで怒鳴っていた男の人が、最後に「ありがとう、助かった」と言った瞬間の——あの感覚を、合理性で割り切れない。
センターのフロアは深夜0時を過ぎると、人口密度が半分になる。
テレコアのセンターは24時間稼働で、シフトが3つに分かれている。俺は学校が終わってから入る「B班」——夕方4時から深夜1時まで。
「城ヶ崎くん、ちょっといい?」
声をかけてきたのは音無ミオさん。24歳。このセンターのSVで、俺の直属の上司にあたる人だ。
身長は153センチで、ショートカットで、声が少し低い。いつもバインダーを抱えていて、それが彼女の武器みたいに見える。
「今月のAHT、もう少し意識してくれると助かる」
俺は素直にうなずく。
「分かってます。まだ目標に届いてなくて」
「達成できてないわけじゃないの。ただ、うちのセンター全体のKPIがちょっと厳しくて」
音無さんの目が、少しだけ遠くを見る。
「本社からの数字が……ね」
その先を言わなかった。でも俺は察した。
コールセンターには、常に「閉鎖」の影がある。本社がKPIを見て、費用対効果が合わないと判断したら——センターごと消える。そうなったら俺たちは全員、他のセンターに移動か、契約終了だ。
「頑張ります」
俺は言った。17歳の語彙で、できる最大の答えを出した。
帰り道は自転車で20分。
深夜の国道を走りながら、俺は今日の電話を反芻する。
怒鳴ってきた男性。泣き声で話していたお婆さん。解約を迫ってきた企業担当者。回線の話より孫の自慢をしたがっていたおじさん。
22件。22の物語。
俺はその全部を、1時間後には忘れなきゃいけない。忘れないと、次の電話に集中できない。これも仕事のルールだ。
でもたまに——
たまに、忘れられない声がある。
翌朝、俺は制服を着て高校に行く。
錦城第三高校。偏差値は県内で中くらい。友達は、いないわけじゃない。でも「深夜まで働いてる」という事実が、微妙な距離を作る。
「城ヶ崎、また目ェ赤いじゃん」
クラスメイトの藤野が言う。善意で言ってるのは分かってる。
「ちょっと寝不足」
「バイトのしすぎじゃん。辞めればいいじゃん」
辞める。
その言葉が、頭の中で一瞬浮かんで、消える。
俺がなぜここまで続けているのか、藤野には説明できない。金だけじゃない。経験だけでもない。
センターのフロアには、俺が学校では絶対に出会えない人たちがいる。20代で3人の子供を育てながら夜勤をこなしてる渡辺さん。元教師で、退職後の収入としてここに来た田中さん。夢を諦めてここに「とりあえず」いる松本さん。
そして、音無ミオさん。
24歳で、このフロアの数字と人間を両方背負って、毎日バインダーを抱えている人。
放課後。
俺はロッカーで制服をしまいながら、スマホを確認する。
センターの内部チャットに、音無さんからメッセージが来ていた。
『今日、シフト前に少し来れる? 話したいことがある』
俺はスマホを閉じて、少し考える。
「話したいこと」。
この言葉には2種類ある。「良い話」か「悪い話」か。
音無さんのメッセージのトーンから判断するなら——
どちらでもない。
「重要な話」だ。
テレコアのセンターに着いたのは、夕方3時半だった。シフト開始の30分前。
音無さんは給湯室にいた。コーヒーを2つ入れていた。俺の分も。
「ありがとうございます」
「ちょっと座って」
狭いテーブルを挟んで、俺たちは向かい合う。
「単刀直入に言う。うちのセンター、来月から体制が変わるの」
俺はコーヒーカップを持ったまま、止まる。
「変わる、というと」
「本社から打診があって。このセンターのSVを1人増やす。で、候補として城ヶ崎くんの名前が上がってる」
沈黙。
俺は今、自分の17年間で一番意味不明な状況にいる自覚がある。
「俺……17ですよ」
「知ってる」
「高校生ですよ」
「知ってる」
「SVって……電話応対しながら他のオペレーターのフォローもして、KPI管理して、エスカレーション対応して……」
「うん、全部やってもらうことになる」
音無さんはコーヒーを一口飲んで、俺をまっすぐ見た。
「あなた、向いてると思う。数字の読み方が、最初から違った。クレームの収め方も、同期の3倍早い。何より——」
彼女は少し間を置いた。
「電話の向こうの人間が、あなたを信頼する。それは技術じゃない。才能だよ」
俺は黙っている。
窓の外で、またファミレスの看板が点滅している。
赤と黄色。上がって、下がって、また上がる。
「……考えていいですか」
「3日で返事ほしい」
音無さんは立ち上がって、バインダーを抱え直した。
「あと、1個だけ言っておく」
「はい」
「SVになっても、センターが閉まる可能性はある。数字が全てのビジネスだから。それは覚悟しといて」
そう言って、彼女はドアを開けた。
廊下に出る直前、振り返らずに言った。
「でも——続いたとしたら、あなたはきっと、もっと先まで行ける」
ドアが閉まる。
俺は給湯室で一人、コーヒーが冷めていくのを感じながら——
自分の高校卒業後のことを、初めてちゃんと考えた。
その夜、シフトに入る直前。
ヘッドセットを耳にかけながら、黒瀬レンが俺に言った。
「なんか今日、顔が違うな」
「そうか?」
「うん。なんか……」
レンは珍しく言葉を探すような顔をした。
「火がついたみたいな顔」
俺はモニターを起動する。
顧客管理システム。AHTダッシュボード。KPIトラッカー。
夜11時の国道。冷めかけたコーヒー。音無さんのまっすぐな目。
「城ヶ崎タマキ、ログイン完了」
俺はヘッドセットに向かって、F#の声で言う。
「お電話ありがとうございます、テレコアサービスセンターでございます」
続く




