第1.1話 清水莉子と
最近、どうしても目が離せない子がいる。
清水莉子,二年一組の生徒。
派手な見た目じゃない。でも、成績は常に上位、礼儀正しく、先生たちからの信頼も厚い。生徒会にも所属していて、まさに優等生の鏡、って人。
けれど、その完璧さとは裏腹に、彼女を取り巻く人間関係はやや複雑だ。
噂話や陰口を叩く声もあれば、熱烈な支持者もいる。
知的でありながら、人間関係の問題を抱えてる人。
そんな清水さんなら、あの日記についても、きっと何か力になってくれる直感を持ってる。
もちろん、簡単なことじゃないのは分かってる。
でも、放っておけば状況はますます悪くなる。
だから、私は今日の昼休み、彼女に直接話しかけることを決めた。
注目を集めるのは避けられない。
だけど、今じゃなければ、最適な時点はいつか?
現在、授業は二時間目。
でも、先生の声は上の空で、頭の中はずっと同じことばかりをぐるぐると巡っている。
どう話せばいいのか、どこから説明すればいいのか。
何より、こんな奇妙な話を、どうすれば信じてもらえるのだろう。
そして、昼休みがやってきた。
雪乃ちゃんたちが昼食に誘ってくれたけど、「トイレに行く」と言って断った。
今は一秒たりとも無駄にできない。
教室を出て、私はまっすぐ二年一組の教室へと向かう。
蒸し暑さの残る廊下、行き交う生徒たちのざわめきが生む息苦しさ、胸の内で膨らむ不安と緊張が、汗となって掌を濡らしていく。
教室に着き、私は窓から中の様子をそっと観察して、清水さんの席を確認してる。
急いできたから、まだ教室を出ないはずだ。
「清水さん、清水さん…」
無意識にその名を呟きながら目を凝らす。
清水さんの席は窓際、三列目。
彼女はちょうどお弁当を机に広げているところだ。
その隣には、クラスメイトらしい二人の女の子が椅子を寄せて、談笑している。
この光景を前にして、私は言葉を飲み込む。
どう声をかければいい?
こんな状況で、彼女を外に呼び出すなんて、やっぱり無理だ。
それでも、逃げるわけにはいかない。
深く息を吸い込み、気持ちを整えると、教室のドアにいた別のクラスメイトに声をかける。
「すみません、えっと……清水さんを、なんというか……引いて....きてもらえますか?」
「え、引いてくるって……つまり、呼んでこいってこと?」
彼はちょっと困惑した顔で聞き返す。
「あ、うん。お願いします……呼んできてくれませんか?」
自分の言い回しが変なのは分かっていたけど、緊張と恥ずかしさが胸を締めつけて、もう細かいところなんて気にしていられないんだ。
彼は清水さんのほうへ声をかけて、手で合図をする。
遠くの角にいた清水さんもその合図に気づき、私の方へ歩み寄ってくる。
「誰かが、会いたがってるぞ〜」
「え〜?ほんと?誰?」
「俺も知らん、別の女の子」
清水さんは、ようやく私に気づいたようで、まっすぐこちらへ向き直ってる。
「呼びましたか?あなた?」
「……昼休みにごめんなさい。急に呼び出したりして」
「ううん、平気です」
彼女はふわりと微笑んで、空気を和らげるような優しい表情を見せた。社交スキル高いな……と、そんなことがふと頭をよぎる。
「いきなりですけど,早速本題に入ります。ちょっと、助けてほしいことがあるのです。復号っていうか……ううん、謎を分析するって言ったほうが近いかも....」
私は焦った息のまま、拙い言葉でなんとか伝えようとする。
「ちょ、ちょっと落ち着いて。ゆっくり話して?」
「ごめんなさい、緊張しちゃって……」
「大丈夫です。で、その……謎解き? みたいなことですか?」
「え? うーん、そういうわけでもなくて……なんていうか、解決したい“謎”みたいなものがあって。。」
「“みたいなもの”?」
「とにかく、すごく大事なことで……どうしても清水さんの力が必要です。放課後、少しだけでも時間をもらえませんか?」
「え、ちょっと待って。まだ決めてないし……放課後は生徒会の予定もあるし……」
彼女は戸惑いの表情を浮かべながら、少しだけ後ずさってる。
「お願いします。どうしても、清水の助けがほしいです」
今の私にとって、ここで退くという選択肢はない。どうしても、この人を説得しないといけない。
「そ、そこまで言うなら……時間を合わせます。じゃ、今日の夕方5時でいいんですか?ここで」
「うん、それで決まりです。ありがとうございます。……またあとで!」
放課後、私は約束どおりニ年一組の教室に残って、清水さんを待っている。
今日は部活もないから、ゆっくり時間が取れるのが幸いだった。
5時に来るって言ってたけど、清水さんはそれより10分も早く現れる。
「こんにちは。今日は生徒会の仕事が早く終わったから、ちょっと早く帰ってきました」
まるで仕事帰りの夫みたいなセリフに、なぜか私の顔が熱くなってしまう。
「あ、うん……来てくれてありがとうございます」
「ところで……名前って、何ですか? そういえば、ちゃんと自己紹介してなかったんですよね?」
「あっ、そうですね。私は高橋芽衣、ニ年二組です」
「私は清水莉子、ニ年一組です」
「うん、それは知っています」
「ということは、前から私のこと知ってたんですか?」
少し探るような目つきで聞かれて、どきりとする。
「うん、よく知られていますから。成績も優秀ですし」
当たり障りのない答えを返すしかなかった。
まさか、周囲の噂に惹かれて近づいたなんて言えない。
正直に言うと、私は人を見る力に少し自信がある。仕草や目線、ちょっとした言葉遣いから、その人の本質が見えてくる。
そして、清水さんを見たとき、どこか「この人なら信じられる」と思えた。
だから、この謎の日記のことも、話すべきだと感じた。
「それでは……本題に入ります。私、ある人の行方を探したいのです」
「え? 行方って……家族の人がいなくなったとか? それ、警察に言うべきじゃないですか?」
清水さんは予想通りの反応を見せる。心配そうな顔。
「落ち着いて、最後まで聞いて下さい」
それから私は、川口彩花という名前の少女について、自分が知っていることを全部話した。
夏休み後に見つけた不思議な日記のこと。
そして、自分の記憶には彼女に関するものがまったく残っていないこと。
「ふむ……つまり、その日記には夏休み中の彼女との記録が書いてあるんですか?」
「いえ、そういうわけではなくて、ただ、最初に出会った時のことだけが書かれていて……」
「なるほどですね」
清水さんはひとつため息をつく。
その音が、どこか私自身の無力さを映しているようで、胸がざわつく。
「その日記、今は持っていますか?」
「今は持っていません。でも、もし見たいなら……家まで来てくれますか?」
「うん、いいんですけど」
そう言って、私たちは学校をあとにし、私の家へ向かう。
道中、清水さんは黙ったまま、何かを考え込んでいる。私の話に疑念を抱いているのかもしれない。無理もない。だって私自身も、この話が現実なのかどうか、自信が持てないから。
謎は多すぎて、すべてが非現実的に見えてくる。
夕暮れの空が、深紅に染まりながら雲一つない広がりを見せる。
その空の広さは、まるで私と川口さんの間にある距離のよう。もしかして私は、実在しない誰かを夢見ているだけなのかもしれない。
でも、それでもいい。
ほんのかすかでも、“何か”で私と彼女がつながっている気がする。
その細い糸を手放さなければ、きっと辿り着ける。
ロマンチックな夕焼け、そして空から運んできた懐かしさ。
けれどなぜか、胸の中は不安でいっぱいで、息苦しさすら感じてしまう。