8.幸せな景色。すべて未来の私の為に
「みなさ~ん、お疲れ様! どうぞこちらを召し上がって」
フレアージュの高く澄んだ声が城内に響き渡る。
すぐにできる事を考えた結果、フレアージュはリリーと一緒にスーツケースに持ち込んだお菓子を魔族に配ることにした。
エントランスを行きかうエルフの官僚、王城を衛る獣の騎士、猫耳のメイドに至るまで。
自分がアゲートの王太子妃となり、スピネルから自由を与えられた身である事をアピールしながら、できるだけ会話をして1人1人に手渡す。
「う、旨い!! マカロンなんて初めて口にしましたぞ。そしてこっちのキャンディーは真、人間の目玉のようで――」
昨日、フレアージュの存在に反発したトカゲの獣人達には、あえて直接口の中に放り込んでやった。
「でしょ? あなた方はこれから人間ではなく、スイーツを食べればいいのです。はい、これはサンプル。材料はラスターからだって取り寄せられるわ。腕のいい職人を育てて、1日も早く食文化を変えていきなさい」
フレアージュがにこりと笑むと2人の魔族は身を乗り出して話の続きを聞きたがったが、スピネルがムッとした顔で近づいてくるや否や、深々とお辞儀をし逃げるように去っていった。
「ねぇ、フレアージュ。好きにしろとは言ったけどさ。どうして僕だけじゃなく他の奴らにも?」
「だって、スピネル様だけが人間を食べないと約束して下さっても、私だけが守られてもダメなのです。根本を変えなくては」
本当の同盟国となる為には、アゲートを変えなければいけない。
ラスター王国から自分が嫁いできた意味は、きっとそこにあるのだと思った。
「そっか。やはり僕のことが心からは信じられないんだね」
「いえ、決してそういう事では!」
「来て。君に見せたいものがある」
スピネルは曇った表情で、くるりと踵を返した。
「メイド、お前も一緒に来い」
「は、はい!」
2人は不安に思いながら彼の後を追う。
馬車で連れて来られたのは、たぶん王都の一画。
ラスターの田舎にも似た、自然が美しくも活気ある町の入口だった。
「ここに結界が張ってあるから、ゆっくり跨いで」
スピネルにそう促されて慎重に足を踏み入れ、フレアージュはこれまでにないほど目を大きく見開く。
人間がいるのだ。
笑いながら田畑を耕し、小さな市場で買い物をし、穏やかに生活している夢のような光景が目の前に広がっている。
「まさか彼らは友好の証……? 連れて行かれたラスターの国民は、ずっとここで生活しているのですか?」
見慣れた建造物が、聞こえてくる音楽が、ワゴンに並べられた野菜が、文化交流によるものだと証明している。
自国の民は魔族の胃袋になど入っていなかったのだ。
「僕が王太子の命を受けた10年前に、法を整えたんだ。長く続いてきた風習と、閉鎖的な国家体制をどうにか変えたかった。君を将来、この国に迎え入れる為に」
「私のため……?」
言葉の意味が飲みこめなくて小さく問うが、それは斜め後ろにいたリリーの涙声によってかき消された。
「お父さん!! フレアージュ様、私の父がいます!!」
驚いて振り返るよりも早く、リリーは公園広場の片隅で剪定ばさみを握っていた中年の男に駆け寄る。
間違いない。歳は重ねているが公爵邸にいた庭師の男、リリーの父親だ。
男は娘をガッチリと抱き締め、少ししてこちらに視線を伸ばしゆっくりと近づいてきた。
「お嬢様、ご無沙汰しております。お元気そうで安心しました」
それはこっちの台詞だ。
あまりの驚きに言葉を失っていると、リリーの父親はスピネルに向かって深々と一礼した。
そしてニカッと白い歯を見せる。
「やりましたな、殿下!」
スピネルは赤らんだ頬を隠すように手で口元を抑え、「うるさい」と一蹴した。
2人を見れば一目瞭然。そこには魔族の支配も、怯える獲物の姿もない。
何が起きてるというの?
幸せな戸惑いにフレアージュは高揚し、スピネルの腕にしがみつく。
「説明して下さい、スピネル様。ちゃんと、最初から全部……」