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7.一生の約束とお願いは寝台の上で

 遅い目覚め。

 窓から差しこむ太陽の光が、ぼんやりとした頭の中を白く照らす。


(生きてるのね、私)


 痣になった手首をさすりながら、その他の部位が無事だったことを一通り確認し、フレアージュは安堵の息をついた。

 スピネルはあれから一度も戻らなかったと思う。

 最後の記憶をたどって部屋のドアに視線を伸ばすと、外でリリーが声を張り上げていることに気づいた。


「殿下、そんなことは私にお任せ下さい!」

「いいから、これは僕が運ぶ」


 何事かと思って寝台から足だけを下ろすと、扉が開いてスピネルが部屋に入ってきた。

 手にはサンドイッチとジュース。

 どうやらメイドの仕事をとりあげ、自ら運んできたらしい。


「あ……」


 閉まるドアの隙間からリリーと目が合った。

 一瞬ではあったが五体満足な姿を確認し、2人は互いに愁眉を開く。

 扉がガチャリと合わさると、スピネルはフレアージュの横に座った。

 

「おはよう。よく眠れた?」

「はい……」


 おかげ様でと厭味の1つでも言おうかと思ったが、彼のまとう空気がずいぶん柔らかったから、続きを飲みこむ。


「これ、食べなよ。お腹すいてるでしょ」

「あ、でも……」

「君の侍女が作ったものだから安心して。夕食も口をつけてなかったよね。何の肉か分からなくて気味が悪かった?」

「いえ、そういう事では!」


 たんに昨日は食事が喉を通る状態ではなかっただけ。

 慌てて否定するものの、スピネルは憂いをおびた表情で自虐的に笑う。


「警戒するのも無理ないか。たしかに魔族が幾度となく人間を食してきたのは事実。僕が君を花嫁にと望んだところで、心を開けっていう方が難しい」


 昨日とは打って変わって優しいスピネルに、フレアージュはどうしたものかと思い迷う。

 無意識に両腕をさすりながら肩をすぼめていると、「寒い?」と彼は問い、たぶん温めてくれるつもりでこちらに手を伸ばした。

 でも背中に指先がかすった途端、フレアージュは昨夜の恐怖を思い出して、意志とは裏腹にビクッと身震いしてしまう。


「はっ。君はよほど、僕が恐ろしいみたいだね」


 スピネルは悲痛な顔をした。

 フレアージュは「しまった!」と思う。これでは事の繰り返しだ。


「申し訳ありません。私……」

「安心しなよ、喰ったりしないから。自分の妻を早々に胃袋に収める奴がどこにいるのさ」

「え?」

「僕はフレアージュを妃とするつもりで迎えたんだ。一生ね」

「一生……ですか?」

「そう。だから君が僕のそばを離れない限り、他の者にも傷つけさせないと誓おう」


 ぶっきらぼうな物言いではあるけれど、それは愛しい者への告白みたいに聞こえた。


「スピネル様……?」


 思いがけない言葉にきょとんとした目を向けると、彼はハッとした顔をして、誤魔化すように早口で続ける。


「その代わり不貞を働いた時には、まずあの侍女から食べてやるから。覚えておきなよ」

「だ、ダメです! 私そんなことしませんから! あの、ちなみに不貞とは?」

「そうだね……例えば。恋しく想っていた男――元婚約者に、会いにいく為に逃げるとか。そういうの」

「まさか、そんなこと!」


 ロイズ王子のことを言っているのだろうが、そんな甘い関係では到底ない。


「約束できる?」


 スピネルは尖った声で、でもどこか縋るような口調で左手の小指を差し出した。


「何ですか? これは」

「何って。ラスターでは契約書のない契りとして、お互いの小指を絡め合うんでしょ?」

「ああ、約束の……」


 今時、そんなポーズをする者もいないと口をつきそうになったけど、黙ってじっと待つ彼の姿が何だか可愛らしくて。

 フレアージュはくすりと笑んで小指を伸ばす。


「はい、もちろん約束します。私はもう、スピネル様の妻なのですから」


 食べられる覚悟はできないけれど、求婚を受けた時点で妻として添い遂げる決心はできている。


「では私からも、1つお願いをしてよろしいでしょうか?」

「何? 言ってみて」

「ラスターの『友好の証』ですが、私が妻である間は永久に求めないとお約束して頂けませんか?」

「はっ? ずいぶん大きく出たね。免除の契約は今年度分のみって事になってるはずだけど?」

「承知してます。そこを何とか。その代わり、私はあなたの本当の妻になります」


 フレアージュが強い眼差しを向けると、スピネルは眩しいものを見つめるように目を細めた。


「本当の、妻?」

「はい。王太子妃としてアゲートの発展に尽力し、スピネル様を公私共にお支え致します。病める時も健やかな時もあなたのそばにいて、もちろん夜のお役目も積極的に……」

「夜の、って……。はぁ、フレアージュ。それはお願いではなく、脅しって言うんだよ」


 スピネルは深いため息をつき、困ったような面白がるような何とも複雑な表情をしながら髪をサラリとかきあげた。


「魔王族の僕に交渉をもちかけるなんて、相変わらずすごい度胸」


 冷淡に呟くが、すぐさま笑みが濃くなって、


「分かったよ、約束しよう。君が僕の妻である限り、ラスターの国民をアゲートに派遣させるのは止めよう」


 そう、言明してくれる。


「本当ですか? ありがとうございます、スピネル様!」

「まったく。生贄同然に連れてこられたくせに他の人間の心配までして、尚且つちゃっかり僕と取引? 君って人は……」


 口調は厳しかったけれど不思議と怖い感じはなく、むしろ褒められている気さえした。

 もしかしたらこの人は真っすぐに自分の気持ちを伝えるのが、苦手なのかもしれないと思う。

 自分から歩み寄ってみたくなった。

 自分の人生は今後、彼と共にあるのだから。


「スピネル様、私はまず妃として何からすればよろしいですか? 貴族名簿を頂ければお仕事の手伝いもできますが」

「別に。そんなの後々でいいよ。今日はゆっくり寝てれば?」」

「そういうわけには」

「じゃあ、昨夜の続きでもする?」


 甘くせまるような口調で急に顔を近づけてきたかと思うと、スピネルはフレアージュの顎を指先でさらう。


「つ、続きですか?」

「そう一応、新婚初夜だったんだけど」


 確かにそうだと、フレアージュは顔を赤くした。

 自分は食べられまいと必死になっていたけれど、スピネルは言葉遊びを楽しんでいただけだと言っていた。

 夫婦の初夜。彼は最初からそういうつもりで、部屋に来たのだ。

 思い出すとベッドでのやりとりが恥ずかしい。


「ス、スピネル様がお望みなら、今からでも……!」


 動揺しながら寝衣の肩紐をずらし、自ら肌を露わにするフレアージュ。

 スピネルはぎょっとした顔をして、慌てて自分の上着を脱いでフレアージュの体を包んだ。


「冗談だよ! ったく、また煽るようなことを……」

「スピネル様?」

「好きにしていいよ。君が考えて、やりたいことをやればいい。僕の為って言うなら、後でゆっくりお茶でもしよう。昨日の口に放り込んできたアレ、美味しかったし」


 あれとはマカロンのことだろうか。


(お口に合ったのね。よし、それなら)



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