2.魔王太子からのプロポーズ。断れない優遇条件
(これって……プロポーズ?)
手の甲にキスをされて初めて、望まれているのが自分なのだと気づいた。
周囲の令嬢たちからは羨望の黄色い声があがったが、フレアージュは困惑を隠せない。
「あなた様は……?」
そう問いかけてすぐ、彼の後方から家臣と思われる男たちが姿を見せる。
1人はシルバーの毛に覆われた身長3mはある、狼の獣人。
もう1人は美形ながらも尖った耳をもつ、金髪のエルフ。
彼らの登場に和やかな会場の空気は途端に乱れ、悲鳴のような声が端々から聞こえた。
「魔族よ!」
「何でこんなところに!」
フレアージュも無意識に身を強ばらせる。
それに気づいてか眼前の男は紳士の皮を途端に脱ぎ捨て、高圧的に口もとだけでニヤリと笑んだ。
「父の代わりに久々にこっちに来たんだけど、僕は運がいいね。『ラスターの花』と他国まで名高い令嬢を、こんな形で手に入れることができるなんて」
ラスターの王族と上位貴族相手に、堂々と傲慢な台詞を吐ける若い男。
そして一見、人と区別のつかない形姿の人魔族と呼ばれる存在なら、思い当たるのは1人しかいない。
「アゲート魔王国の若き太陽、スピネル王太子殿下にご挨拶申し上げます」
フレアージュが改めて深々と頭を下げると、彼は驚いてパチンと手の平を打った。
「ご名答、よく分かったね! 君は美しいだけじゃなく頭もイイんだ。さすが僕が選んだ未来の王妃」
(王妃って……。さっきの本気だったの?)
婚約者に拒絶されたあの状況で、手を差し伸べてくれた彼は確かに救いだった。
そして妖しいほどの美貌も甘く穏やかな声色も、わりと好み。
ときめかないと言えば嘘になるけど……。
(ありえない。相手は魔族よ)
人間の自分が嫁ぐなんて恐ろしすぎて、全くもって現実的じゃない。
「ほほっ。お会いして間もないのに、魔王族の方は冗談がお上手ですわ」
わざと演技じみた口調で、フレアージュはひきつった笑顔を返す。
ふと視線をずらすと、我が国の国王陛下と父である宰相が、ハラハラと落ちつかない様子でこちらを見守っている。
何か国同士の重要な話し合いが行われていただろうことは、容易に想像できた。
アゲート魔王国。
多種多様な魔族が住まうその国は、強靭な肉体と破壊力のある魔力を使って存在を誇示し、その勢力を伸ばしてきた。
軍事力を持たない小国ラスターにとって、アゲートは盾となってくれる重要な同盟国。
その次期国王となる人をぞんざいには扱えない。
「あの、王太子殿下――」
「スピネルだ。長いつき合いになるのだから、今後はそう呼ぶように」
「……ではスピネル様。慰めのお気持ちだけ受けとっておきますわ。アゲート魔国の王太子妃だなんて、私にそのような価値はございません」
「どうしてそう思うの? 公爵家の宰相の娘で、王子妃教育を受けてきた聡明な令嬢なんて、周辺国の連中だって隙あらばと狙ってるよ。君自身はもちろん、その存在に政治的価値も十分にあると思うけど?」
政略結婚に相応しい女。
嚙み砕くとそういう事かと、フレアージュは自分が選ばれたことに合点がいく。
「でも、先ほどお聞きになったでしょ? 私は面白みのない女のようですが」
「ああ、指1本のくだり?」
スピネルは喉の奥で押さえたような笑いを漏らした。
「僕としては光栄だけどね。だって新鮮なままってことでしょ? その瑞々しい肌も、ベリーの様な唇も。とっても美味しそうだし」
「なっ!?」
ペロリと唇の端をなめる仕草を見せたスピネルに、フレアージュは真意をはかりきれず動揺してしまう。
「無礼ですわ! 私はまだ、ラスター王国第2王子の正式な婚約者です。他国の王太子に嫁ぐなどけっして許されることでは――」
「今年度の『友好の証』を、免除すると言ったら?」
彼の声が一段高くなり、フロアーにこだました。
貴族達はいっせいに顔を見合わせ、今日一番のざわつきを見せる。
友好の証とは、ラスターからアゲート魔国に派遣される国民のことを指す。
両国の間には古より、交換契約が結ばれている。
豊かな小国ラスターを魔族が敵国の襲撃から守る代わりに、こちらからは芸術文化や技術を伝える人材を派遣する、という名目なのだが。
今だかつて、燃ゆる嶮山を越えてアゲートに入国した国民が、無事に帰ってきたという話は聞かない。
そんな『友好の証』を継続することで、我が国は穏やかな日々を約束されていた。
「今日は父の代わりに、その詳細を詰めにきたんだ。今年度はラスターから3000人って事で話がついてたんだけど」
スピネルは腕組みしながら体を屈め、フレアージュの顔をひょいと覗きこむ。
「君が僕の妻になると頷き、無事に婚姻の儀が済んだあかつきには。人員を催促しないと約束してもイイよ」
「!?」
耳を疑うしかなかった。
自分がプロポーズを受け入れるだけで、多くの国民の命が救える。
王家を守って来たリバルディ公爵家の令嬢として、それは絶対に拒否できない優遇条件だった。
「……本気ですか? 二言は許しませんわよ」
「もちろん! 君がその気になってくれるなら安いものだよ。ラスターの国王陛下も、それでいいですね?」
国王は目を泳がせながら「令嬢さえ良ければ」と口をもごつかせる。
周囲の貴族は安堵と期待の声を上げた。
隣にいた宰相の父だけが拳をわなわなと震わせて、今にも殴りかかりそうなほど怒りを滲ませていたが……。
(もう、逃げ場はありませんわね)
フレアージュはできる限り軽やかな笑みをのせて、丁寧なカーテシーをした。
「スピネル様。そのご提案、謹んでお受けいたします」