洋館に囚われて
俺は洋館の前にスーツ姿で立っていた。
白い外壁に黒い屋根をした横に長い二階建て。等間隔で並んでいる窓は上部が曲線になってふくらみがある特徴的なものだ。周囲は緑豊かな木々で囲まれており、どこかの美術館に飾られている絵画から抜き取ったような美しい外観をしている。
「またこの夢か」
洋館周辺以外の景色は白くぼやけており、先が見通せないことからすぐに夢を見ているのだと気づいた。
こういうのを明晰夢というのだろう。
それに気づいたからと言って何もできない。いつものように目が覚めるまでこの世界に閉じ込められるのだろう。とはいえ、もう慣れたものでこの空間が好きになっている自分もいる。
玄関前まで歩き大きな黒い両開きのドアを両手で開けると、ホテルのロビーのような開けた空間に赤い絨毯が敷かれた通路。正面奥には螺旋階段が見える。内壁はブラウンの落ち着いた色調だ。中は薄暗く、各所にある蝋燭の火が不気味に室内を照らしている。
そんな中で一人のメイド服を着た女性が俺が来るのを分かっていたかのように扉の前でお辞儀をしていた。
「お待ちしておりました。旦那様」
黒いワンピースに白いエプロン姿の見慣れたメイド服。黒髪の長髪に魂がないかのような虚ろな黒色の瞳の下には泣きぼくろがある。身長は160センチほどだろう。ちょうど俺の耳あたりまである。人形のように傷一つない綺麗で整った顔からはなんの感情も窺えない。
年齢は20代前半だろうか。
最近では会社で新人教育とか任されているから、その年代なら見た目ですぐ分かる。
「出迎えご苦労様。俺のことは気にせず好きにやっててくれ」
メイドの肩を叩くも微動だにしない。
いつも通りだな。
呼べば駆け付け、頼みごとをすればできる範囲で答えてくれるが、人間らしい反応を見せたことはない。まるで与えられた命令をこなすようにプログラムされたゲームのキャラクターのようだ。
「私に何か御用でしょうか」
メイドの横に無言で立っていると、表情を変えずに俺の方を向き直る。
メイド服の上からでも分かる大きな胸に自然に視線が吸い込まれた。
この夢を見るのもすでに3度目だ。最初はあまりにリアルな明晰夢に戸惑い、不安と恐怖感で気が気ではなかった。だが3度目ともなれば、心に余裕が出てくる。そして、己の内にある男の欲望も同様に湧き上がる。
この洋館の中では何をしようが誰にも咎められることはない。
目の前には若いメイド服姿の女性が一人。常に無表情だが、張りのある肌をした美人だ。
気づくと鼻息が荒くなり目が血走っていた。
もはや彼女からどう思われようが構わないとばかりに、メイドを凝視する。
そんな欲望にまみれた俺をやはり無表情で見つめてくる。普通なら変質者だと逃げられてもおかしくないが、無防備にもマナーよく両腕を丁寧に前で組んだまま動かない。
「?」
涎を垂らしたライオンが前にいるのに呑気にくつろいでいるウサギのようだ。
これは夢だ。そう、だから問題はないはず。
ゆっくりと柔らかそうな膨らみに手を伸ばし、触れるすんでのところで動きを止めた。
待て、俺は理性ある大人の男だ。
思考は現実になるという有名な言葉がある。夢とはいえ分別のない行動は現実にも反映されかねない。
性犯罪のニュースを見るたびに理性を失ったただの獣だと罵っていたのはほかでもない俺自身じゃないか。
「どうされました?」
そんな葛藤などつゆ知らず、不思議そうに首を傾げる彼女に我慢の緒が切れた。
抵抗さえしてくれれば、この欲望を引っ込めることができたかもしれないのに。
あと数センチで胸に触れる距離で手を止めている俺をそんな無垢な表情で見つめてくるメイドに魔が差した。
ぽよん、ぽよん。
そんな効果音が頭の中で聞こえるぐらい柔らかい感触が手に伝わる。
「んっ……旦那様っ……」
「あっ、ご、ごめん!思わず……」
「……いえ」
いつも無反応なメイドから反応が返ってきて我に返った。
俺は何をしているんだ。
いくら夢とはいえ、毎日一人で洋館を維持している女性に対してなんてひどいことを。
「ほんとにごめん。頭を冷やしにシャワー浴びてくるから着替えを持ってきてくれ」
「……はい、かしこまりました」
そう言って、小さくお辞儀をした。
無表情のメイドの顔がどこかとろけているような……。
いや、気のせいだろう。
蝋燭の火だけが光源の暗い廊下を歩く。
風呂場は洋館の裏側にあるのでそれなりに距離がある。
「それにしても、これが現実世界だったらとんだ豪邸だな」
無駄に広い廊下に一定間隔で窪みができており、そこに高そうな壺などの骨董品が飾られている。
まるで博物館のようで、長い廊下を飽きることなく目的地についた。
大理石が敷き詰められた脱衣所は屋敷の部屋一室ほどの広さがある。
服を脱いで、浴室に入ると大浴場かと思うほどに広々としていた。
風呂というより温泉だ。
「一体どこにこれほど広いスペースを収納しているっていうんだ」
いくら洋館が大きいといっても温泉街にあるような大浴場が存在するにしては外観が小さすぎる。
体を洗うためのシャワーが10席。
大の大人が余裕で泳げるほどのプールのような浴槽。
お湯はすでに張ってあり白い湯気がもくもくと出ていた。
とりあえず、先に体を洗うか。
適当に真ん中の椅子に座る。
「これが夢だってんだから恐ろしいな」
ガチャ。
浴室の扉が開く音がして振り向くと、先ほどのメイドが白タオル一枚だけの姿で立っていた。
「うわっ!びっくりした」
俺は慌てて手に持っていたタオルを腰に巻き大事な部分を隠した。
「驚かせて申し訳ありません。お背中をお流ししようかと」
メイド服姿からでは見えなかった綺麗な白い太ももにぴっちりとタオルが張り付いている。
少し上に視線を上げれば胸の形が分かるほどに大きく盛り上がっていた。
「う、嬉しいけど、急にどうしたの?」
「旦那様の御望みだと思いましたが、違いましたか?」
「いや、確かに綺麗な女性に背中を流してもらうのは男の夢だけども」
「それでは、失礼します」
体を丁寧にボディータオルで首から順番に泡立てていく。
こんな経験は生まれて初めてだ。
腕に背中、そして胸を洗おうとするとき背中にメイドの胸がタオル越しにぶつかる。
「あの、当たってるよ……」
「?」
気づいているのかいないのか、そのまま上下に揺すられ続けた。
「では、前の方も失礼します」
そういって、今度は俺の前に回り込み膝立ちをして太ももから洗い始めた。
ボディータオルを動かすたびに、体に巻いたタオルから谷間が強調され、生唾を飲み込む。
まるで王様にでもなったみたいだ。
両足の指先までマッサージをするように入念に磨き終わるとメイドの視線がタオルで隠している場所に移った。
「そ、そこはいいから!」
「そうですか。旦那様がそうおっしゃるなら」
どこか残念そうに眉を下げる。
もしかして何も言わなかったら洗ってくれたってことなのか?
俺はつい余計なことを言ってしまったのか!
今更やっぱりお願いなんて恥ずかしいことは言えない。
「熱くないですか?」
「ちょうどいいよ」
シャワーの温度を確認したのち、全身の泡を丁寧に洗い流された。
湯船に入ろうと立ち上がり歩くと、メイドは当たり前のように俺の後ろをついてきた。
「……あの?俺はこれから湯船につかろうと思っているのですが」
「私もお供します。嫌なら出ていきますけど」
そんなことを言われて出ていけなんて口が裂けても言えない。というか、むしろご褒美なんだが。
宣言通り俺の隣で湯船につかると、メイドがつけているタオルがお湯に浸かり張り付いて体の線が丸見えになった。タオルの下の部分が少し捲れており太ももの露出面積も増えている。
これは裸姿よりもえろいな。
もはや、俺は彼女の視線を気にせず堂々と凝視した。
「私の体を見るのはそんなに楽しいですか?」
「もちろん。いつまで見てても飽きないよ」
恥も外聞もなく欲望丸出しの本音をもらす。
そもそもここは夢の世界。
いくら現実と間違うぐらい明瞭だからといってそれは変わらない。
それにしても、不思議だ。
この洋館はすべてが俺好みになっている。蝋燭の火だけが灯る薄暗い室内に骨董品の数々に温泉まで。さらに綺麗で何でも言うことを聞くメイド付き。宝くじでも当たったらこんな屋敷に住みたいという願望がすべて詰まっている。
「このまま目が覚めず、ずっとこの世界で暮らせたらいいのにな」
「嬉しいです。旦那様」
肩に寄りかかりながら緩んだ顔を見せる彼女。
無表情なメイドが初めて見せる笑顔に思わずどきっとした。
そのまま彼女の肩に腕を伸ばして引き寄せる。
本当に、夢なら覚めないでくれ。
ここはまさに理想の世界だ。
「では、その願い叶えてあげます」
「え?」
どこか雰囲気が変わり、不気味な笑みを浮かべる。
「どういうこと?」
「ふふふ」
しかし、それ以降彼女は何も答えてはくれなかった。
屋敷の二階にある自室にメイドと一緒に戻ってきた。
お互いにタオルを巻いた姿のままだ。
風呂場から出て着替えようとしたところ、別にこのままでいいじゃないですかと言われたからだ。
結局これは俺の夢だ。
心の奥底に眠っていた欲望が彼女にそう言わせたのだろう。
「いいのか?一緒のベッドで」
「ええ、今日だけは旦那様と一夜を過ごしたいです」
恋人のように手をつなぎながら、二人ベッドに入る。ほぼ裸同然の男女が同じ布団に入ればやることは一つだろう。
ここまで親身を尽くしてくれる女性のことを好きにならないわけがない。
俺は夢の中の女性に本気で恋をした。
朝起きると、隣に彼女はいなかったが温もりがまだ残っている。
寝起きに抱きしめたかったが、これからはいつでもできるし我慢しなくてもいい。所詮は夢なのだから。
俺は裸姿を気にもせず部屋から出て、螺旋階段を降りると、メイドが玄関に立っていた。なにやら大きな荷物を横において。
「おはよう。そんな大荷物を持って旅行にでも行く気かい?」
「お待ちしておりました。旦那様」
「それならベッドの上で待っていればよかったのに」
「ふふふ。旦那様は私のことが好きですか?」
「もちろんだよ」
「それなら愛してますと言ってもらえますか?」
そういえば、まだ告白もしてなかったな。
女性は気持ちを言葉で伝えてほしいと何かの雑誌に載っていた。
無表情で無感情だったメイドからそんな言葉を投げかけられるなんてな。仕方ない、少し恥ずかしいが答えてあげよう。
「愛しているよ。愛しきメイドよ」
そう言うと、俺の胸の中から鍵の形をした眩しい光が飛び出す。
これはあれか、真実の愛が鍵の形をしているとかいう夢演出なのか。ん?そういえば、この夢いつもより長いな。大抵は屋敷のベッドに入ると目覚めるのは現実世界だったんだがな。
「ありがとうございます。では、これでお別れです。それでは」
「ちょっと、どういうことだよ!」
何か嫌な予感がして思わず叫んだ
しかし、彼女は黒い大きな両扉の鍵穴に眩しく光る鍵を挿して空しくも外へと出て行った。
慌てて追いかけるも、扉の向こうは相変わらず白くぼやけているだけで彼女の姿はどこにもなかった。
結局俺は夢から覚めることはなかった。
寝ても覚めてもこの洋館に閉じ込められている。
もはや自分の名前すら思い出せない。
だが、飽きはしなかった。なぜなら、俺は想像するだけで洋館の形を変幻自在に変えられることに気が付いたから。まるでゲームの世界のように、壁の色も材質もなにもかもが自由に変更できた。
そして、しばらくすると夢の中でとある女子高生の生活を俯瞰で見るようになった。その子はお城に住むことに憧れており、お姫様のような生活をするのが夢だそうだ。
だから俺は洋館を西洋のお城に様変わりさせた。
そして執事服に着替えて扉の前で待機する。
両扉がゆっくりと開くと女子高生が不思議そうな顔をしながら中へと入ってきたので、恭しく一礼をし、
「お待ちしておりました。お姫様」