【短編】チャンス
世界で一番、幸せだと感じたことがある。
朝起きると、コーヒーを待ってくれていたとき。帰りが少し遅くなると、駅まで迎えに来てくれていたとき。夜眠る前、なぜか静かに頭を撫でてくれたとき。
そんなとき、俺は世界で一番幸せだった。
きっと、世界で一番の幸せって、ありきたりじゃなければ得られないのだと思う。だって、驚いてしまえば、感動してしまえば、幸せはそのあとからやってきてしまうから。
凍えるような日々から救ってくれなくていい。特別な何かを与えてくれなくたっていい。ただ、ここが自分の居場所なんだと心から思えることが、世界で一番の幸せなんだと俺は知った。
……一体、どこで間違えたのかは分からない。
終わりが始まった実感や、綻びゆく経緯は思い当たる。しかし、彼女との人生で間違いだけが分からないのならば、きっと俺の生き方そのモノに間違いがあったのだろう。
なぜ、彼女と出会う前に、それを直すチャンスを天は俺へ与えなかったのだろう。そんなことを、郵便受けに届いていた苗字の違う彼女からの手紙で思った。
時々思い出していた、彼女のあどけない笑顔。それよりも少し大人びていると感じたことで、俺はようやく恋の終わりを実感したのだった。
確かに、あの頃の俺は世界で一番幸せだった。しかし、心から愛していた彼女が他の男と結婚することが、果たして世界で一番の不幸だと感じられるだろうか。
「……さよなら」
今の俺には、とてもそうは思えなかった。
彼は確かにチャンスを掴んでいた