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 僕は今、どんな顔をしているだろうか。

 体の強張りから伝染する様に、顔の筋肉がひきつっている様な感覚がする。

 手の汗が止まらない。

 じーっと品定めをする様に見てくる謙太の視線でさえも、やましい事はないはずなのに背中がぞわりとする。

 そんな姿を見てか、謙太の顔には、理解したというしたり顔が浮かび上がった。


「ほほーん! さては、見つけたんだな! どこだ! どの子だ!?」


 謙太は、廊下から、五組の教室まで、キョロキョロと探す素振りを見せる。

 しかし、すぐに戻ってきた。

 戻ってきた謙太はどこか様子がおかしく、鬼気迫る表情で僕の肩を、まるで林檎をつぶすかの様な勢いで握ってきた。


「まさか、由香ちゃんじゃないよな」


 僕は、呆れてものも言えずに首だけ横に動かすと、妙に納得した様にうんうんと頷きながら再び探しに出掛けていく。

 何を心配してるんだ、全く。

 謙太の性格についてあれやこれや考えていると、すぐさま答えに辿り着いたのか、何かを悟った様な顔をして帰ってきた。


「もしかして、あの子か?」


 指差した先に例のあの子が映る。

 僕は、静かに、謙太にしか分からない様に小さく小さく頷いた。

 僕の挙動を見て、謙太は難しい顔を浮かべた。


「ちょっと待て、今考える」


 そう言って謙太は動かなくなった。

 謙太は考え事をしている時、他の行動が疎かになる癖がある。

 だから、強く思考したい時は、意識的に全ての動きを止めて集中するのだとか。

 そして、謙太曰く、この時の謙太のIQは二百を超えるらしい。

 みんなが嫌いなあの茶色い虫かな、と思ったが、本人は至って真面目そうだったので何も言わないでおいた。

 小難しい顔が晴れたと同時に、謙太はスタスタと五組から離れる様に歩き出した。


「よし、ここは一旦出直そう」


 謙太のその一言に、僕は、心底安心した。

 謙太なら、ものは試しだとか言って僕とその子をぶつけて自分は長澤と楽しく会話するなんて事をしようとすると思っていたが、存外その辺りは真剣に僕の事を考えてくれているらしい。


 彼女の方を少しだけ振り返る。

 まだ、長澤と会話をしている様だった。時折見せる純真無垢な笑顔が印象的で、それが僕の目には強く儚げに映った。


 すると、突然彼女がこっちを見て来た。

 くりくりとした純真な瞳が、しっかりとこちらを捉えて離さない。

 目が合ってしまった。

 まさか、目が合うなんて微塵も思っていない僕はさっと目を背け、びくりと跳ねた心臓の鼓動を覆い隠す様に平静を装って、次からは気をつけよう、あまり意識しない様にしようと猛省し、後ろが気になりながらも、振り返らずに謙太の後に続いた。


 教室に戻ると、何故か謙太はやけに上機嫌だった。


「どうした? なんでそんなに嬉しそうなんだ?」


 まだ鳴り止まない心臓の音もそのままに、うわついたままの心持ちで尋ねる。


「いやねー、まさかお前の探し人があのえにしちゃんだとはなー」


 謙太の、お前もやるじゃないといいだけなニヤつき顔が腹立たしい。

 どうやら僕が探していた人の名前はえにしというらしい。

 この口ぶりだと、どうやら名が知れている様だが、僕には全く覚えがない。


「有名人なのか?」

「まあ由香ちゃん程ではないけどねー」


 謙太は、何故か自慢げにニヤリと笑い僕の肩をバシバシと叩く。


「手島えにし、三月十日生まれのA型、陸上部所属の三組の子だな。悠壱の予想は外れだ。見た目のかわいらしさと清純さ、それに加えて陸上部一運動神経が良く気立てもいい。一部に絶大な人気誇っているらしいぞ、噂じゃ小さなファンクラブもあるとかないとか」


 やけに詳しいのがなんだか嫌な気分にさせられるが、今はおいておこう。

 それにしても、そんなに人気な人だったのか、なら、僕が持っている彼女の手紙はファンからしてみたら垂涎の的なのだろうか、いまいちそういう感覚は分からない。

 しかし、ファンかどうかは別にして貰えるはずだった人には悪いが、僕のわがままでそれはお預けだ。

 手紙を貰った幸せの直後に不幸があっても、もらった側も嬉しくなくなるだろうからある意味ウィンウィンだろう。


「どうした? そんな難しい顔してー? もう怖気づいたのか?」

「怖気づく意味が分からないが、どうしたものかと考えているところ」


 そんなに人気なら相手なんかごまんといるだろうし、アタックされている内に好きになってその場で、なんて事だって無きにしも非ずだ。それだけじゃない、もう一度手紙を書いて持っていかれたら僕には止めようがない。


「ふふーん、そう心配しなさんな。言っただろ、いったん出直すって」


 僕の焦りが、顔に出ていたのか、謙太がなだめる様に肩を叩く。


「何かいい案でもあるのか?」

「まぁまぁ、そう急かしなさんな、俺に任せておきなさい。悪い様にはしないからさ」


 真剣な物言いとは裏腹に、常に上がり続けている口角が不安を煽るばかりだったが、例え泥舟だろうと謙太に船頭を頼んだ手前、僕だけ降りる訳にはいかない。


「分かった、ひとまずここは謙太に任せる」

「おう、そう来なくっちゃな」


 結局、自分で考えたところで何も浮かばないのだから、コンタクトを取る方は謙太に任せるしかない。

 今しなければいけないのは、どうやって彼女を守り続けていくかを考る事だ。

 ずっと付いて回るわけには当然いかないし、あなたは好きな人に思いを伝えたら死にます、なのでこの手紙は預からせて頂きます。なんて言うのは正気の沙汰じゃない。

 そもそも、行動の抑制を強いる事自体、難易度が高すぎる。ただ、行動を制限させたいだけならまだしも、気持ちの面でまで抑制させないといけないのが尚更だ。

 好き、という気持ちはまだ僕には理解できないが、謙太を見ればよく分かる。

 あいつに今すぐ長澤由香を追っかけるのを止めろと言って、素直に聞き入れるとは到底思えない。

 僕が謙太に言っても聞きそうにないのに、僕が手島えにしに言ったところで、白い目を向けられて国交を閉じられるのがオチだ。

 大使館さえ造る隙もないだろう。

 やはり、一番可能性があるのは、恋愛を自然と諦めてもらう様に工作するしかない。

 あまり、こういう事はしたくないが、そうもいっていられない。

 たとえ、僕が学校内で嫌な奴だという噂が広がったとしても、命に比べれば安いものだ。

 何があっても、僕は手島えにしに告白をさせないようにしなければいけない。


 僕は、スマホを開き、手の赴くままに告白という言葉を検索した。


「隠していた心の中を打ち明ける事……」


 これが本当なら、きっと謙太が長澤由香に思いを伝える時は告白とは呼ばないのだろう。


「今日の放課後、楽しみにしとけよ!」

「うわっ!」


 心の声が読まれたのかと思い、思わず声が出てしまった。


「ん? なんかやましい事でも、しとったんかー?」

「いいや、何も」

「ふーん……?」


 健太は、いぶかしげな顔をしながら、僕の顔を覗き込む。


「ま、なんかあるなら探るだけだし、お前の事だから、本当になんもないんだろーな。そんじゃ放課後、期待してなー、勝手に帰るなよー!」


 謙太は、ジャーナリスト志望なら何をしても良いと思ってないだろうか。いささか心配になってきたが、その辺は今に始まった事ではない。


 昼休みが終わりを告げる鐘が鳴り、僕らは再び授業に戻った。

 それにしても、放課後に一体何をすると言うのだろうか。

 謙太の事だから、何かズレた事を企画しているのかもしれない。

 もしかしたら、かえって僕の目的とは逆方向に進んでいってしまう可能性だって大いにある。

 もしそうなると、ただでは済まない。

 もう、手紙一つの話ではなくなっている。

 今回ばかりは人の命がかかっているのだ。

 何としてでも、あの人が生きる道へと進ませてあげたい。


 ひとまず、謙太から出される放課後の何かが出てから真剣に考えよう。

 謙太の方をちらりと見る。

 こちらの思いなど知る由もなく、春の暖かな日差しを受けながら、机に突っ伏して爆睡かましていた。


「頼むぞ…‥本当に」


 その後も、謙太は授業中に寝て、休み時間に何かをしに行くという事を繰り返していた。

 そして、放課後になり、謙太の言いつけ通り僕は静かに教室で待っていた。

 生徒達が一人また一人と教室から消えていき、それらは次第に吹奏楽の楽器の音と、運動部の掛け声に変わっていった。

 楽器の音は、同じパートを複数の楽器で合わせて練習しているのだろうか。あまり息が合っていない様に聞こえた。運動部はすぐ近くを走っているのか、圧が強く、気圧されそうになる。

 その、青春の只中の音を聞いているうちに、ふと陸上部が気になった。

 手島えにしが所属しているという陸上部だ。


 僕は、謙太に、教室から少し出るからとチャットを打ち、廊下からグラウンドを覗き込んだ。

 グラウンドのそこら中で、生徒達が真剣に、運動をしている。ただ教室から聞こえてくる掛け声だけでは、その熱量は伝わり切らない程一人一人が真剣に。

 頭の上の数字を携えて、皆真剣にボールを追いかけ、走り、ラケットを振っている。


「みんな、真剣に生きてるな」


 我ながら、こんな言葉しか出てこないのは数多の問題があると強く思う。


 そんな中、陸上の短距離コースに、見たことのある人物がスターティングブロックに丁寧に足をかけていた。


 何故か、彼女を見る度に手にじわりと汗をかき、心拍数が上がる。

 今すぐに死んでしまうわけではない事は頭では、分かっている。

 しかし、あの頭上に浮かんでいる数字が1なのだと思うと、彼女が、動いているのを見るのは、綱渡りをみている観客の様な、一人では生きられない子猫がふらふらと歩いているのを見ている様な気分にさせられる。


 短距離コース周辺にだけ訪れた小さな静寂の中、切り裂くような顧問の笛の音で一斉に羽ばたくようにブロックから飛び出した。


 そして、その中でも一際早く抜け出したのが手島えにしだった。

 まるで、飛んでいる様だった。

 風になり、スターティングブロックから飛び出た勢いのままに道を真っ直ぐ吹き抜ける。

 あれよあれよと言う間に他の走者を突き放し、気がつけば、一人で走っていた。

 そして、そんな走りよりも印象に残ったのが、遠目に見ても分かる程に、楽しそうに走っている事だった。

 誰も視界に入っていない。まるで一人の世界を堪能しているようだった。


「あれは、ファンクラブも納得だ」


 何かに真剣に取り組む姿は美しい。なんだか、かけがえのない尊いものを垣間見た気がした。


「だからこそ、守らなくちゃ」


 それもこれも、命があってこそ出来る事だ。

 こうして、人の努力に心を傾けるられのも、楽しそうに走れるのも全ては生きているからだ。

 もし、それらを止めないと死んでしまうのなら、僕は喜んでやめるし、やめさせる。


 命より大事なものなんてないのだから。


 いつの間にか、運動部のランニングの掛け声はいつしか止んでいて、不揃いな楽器の音だけが響いていた。


「相変わらずまじめやのー。本当に教室からちょっとだけ出てらっしゃる」


 振り返るまでもなく、声の主は謙太だった。

 やけに大人しい雰囲気だが、口元はいやに上がっていて、少々気味が悪い。


「教室に居なかったら、あれ?ってなるだろ」

「廊下は気付くわ! 馬鹿にしてんのかー?」


 謙太は、僕の肩に自身の肩をぐいと押し付けながら、隣で窓辺に肘をついた。


「何見てんのー……って聞くまでもないか」

「聞くまでもあるだろ、聞けよジャーナリスト志望」


 何を見てたかなんてエスパーでないと分かるものでもないだろう。


「はいはい、どうせ、えにしちゃんだろー? ちなみにジャーナリストは推察だって優れてないといけないんだぞ? ぶらぶらしているだけじゃスクープは取れないからな!」

「……何で分かった?」


 あの謙太に言い当てられるとは思わなかった。

 女の子を見ていた事を当てられるのはどこかこそばゆい。心なしか顔が熱くなる。


「……君、そういう所あるよね。俺は嫌いじゃないよ。でも人によっては癪に障る事もあるから気をつけようねー」

「そんな事はいいから、要件は! 要件!」


 謙太は、ふふーんと鼻をわざとらしく鳴らす。

「聞きたい?」

「聞きたいから早く」

「何だよー、面白くないなー」

「よく言われるよ。だからいいだろ」

「わーったって、ごめんて」


 にこにこしながら、サッカー部のシュート練習を指さして、今のすごくね、と無邪気にはしゃいでいる。

 そういえば、今は休憩だろうか、吹奏楽部の音がいつの間にか聞こえなくなっていた。


「実はね、俺、由香ちゃんと話してきたんだー」


 僕に会う前に逢瀬してたのか。それにしても、愛しの人と話したにしては、やけにテンションが低いのは何故だろうか。


「良かったじゃないか、それで?」

「それでなー、ダメもとで誘ってみたんよー。そしたら、オッケーもらえちゃった! さすが俺、パンなんかなくても俺からあふれる魅力は止められないみたいだなー!」


 謙太は、窓から小さく腕を掲げて、ガッツポーズをして見せた。


「ほう、何かは分からないがよかったじゃないか。それで、僕に何を伝えたいの?」

「勉強会、やることになった。俺と、由香ちゃんと悠壱と、えにしちゃんの四人で」

「えっ!」

「次のテストまで、週一回ぐらいのペースで定期的になー。だから、勉強おしえてなー」


 わははとわざとらしく笑いながら、謙太は鞄を取ってくると言って教室に戻って行った。

 僕は絶句した。

 乗り込んだのは、泥船だと思っていたが、実はノアの箱舟だったのかもしれない。

 僕にとって一番都合のいい形で、手島えにしに接触することが出来る。

 ありがとう、謙太。

 僕は、深く心に思いながら、教室に向かって合掌した。


「お待たせーって何してんの!? 俺まだ健在なんだが?」


 僕達は、お宝を手に入れた海賊の様に、誇らしげに廊下を後にした。


 気が付けば、再び楽器の音が鳴り響いていた。不揃いながらも、どこかいい音の様に聴こえた。

 下駄箱に行き靴に履き替える。

 さっきのとは、別の部活動だろうか。掛け声もなく、真剣に横を走り去っていく人達に、どこか勝手に親近感を覚えながら、頑張れと、心の中で呟いた。

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