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 花火が上がるまで後五分を切っていた。

 千切れそうな体をおして丘の頂上まで行くと、謙太の言っていた通り、木々の間にほんの少し開けた隙間があって、そこにぽつんとベンチが置かれていた。

 確かに、花火を見ようと思えば、これ以上ない程の穴場な良いスポットだ。

 そのベンチには、人が一人、座っていた。

 桜の柄を施した、薄い水色の着物を着た、えにしだった。


 荒れた息を整えて、ベンチに向かって歩く。

 心音は高鳴ったままだった。


「隣、良いかな?」


 えにしは、ぴくりと反応した後、僕の存在に気がつくと、特に何を言うでもなく、にこやかに微笑んで、ベンチをポンポンと手で叩いた。


「ありがとう」

「いーえ」


 えにしの横には、大量の焼きそばが鎮座していた。

 それに目を向けた事に気がついたのか、恥ずかしそうな顔をしながら、「これは、私一人の分じゃないから!」と、語気を強めて否定していた。


「浴衣、すごく似合ってるね」

「うふふ、ありがとー」

「……この前は、ごめんね」

「うん、大丈夫だよ。気にしてないから」


 いつもの様な元気が感じられない。

 やはり、無理をさせてしまっているのだろう。

 そうなるのも仕方がない。

 本人に告白していいか聞いて、ダメだと言われたらショックに決まっている。


「ねぇ、えにしさん」

「はぁい?」

「その……えにしさんの好きな人の事、詳しく教えてくれないかな。もっとちゃんと話を聞きたくて」


 どんな顔をしていたのかは分からない。

 僕は体にじっとりとかいた汗を強く感じていた。


「私、生死を分ける様な手術をした事があるって話、したでしょ?」


 しばらく間があった後、えにしは、ぽつりと言葉を吐いた。


「本当はね、怖くて怖くて仕方がなかったの。お母さんやお父さんが私の前で不安そうな顔を見せないのも、お医者さんが大丈夫って言ってくれるのも、何もかもが怖かったの。私の体は今危機的な状況なんだって、直感で分かっちゃったから」


 もしも、ある程度寿命の数字と肉体の耐久値が関係しているなら、どんなに難関な寿命だろうと、数字が少ないとそもそもの体もあまり強くないのかもしれない。

 そんな事は気にした事がなかった。


「だからね、みんなの前では笑顔で振る舞ったの。本当は手足がすごく震えてた。でも、みんなの言葉を聞いて、安心したふりをしていたの。心配をかけたくなかったから。

 私が怖い怖いって泣き叫んだら、両親も泣いちゃうし、お医者さんも困らせちゃうから」


 えにしは、本当は死の恐怖にずっと苛まれていたんだ。

 怖くて、怖くて、今にも叫んで暴れてしまいそうなくらい怖くて。

 それでも、えにしは、周りに気を遣って笑う道を選んだ。

 どれだけ震えていても、人に見せないでいられるなんて、僕ではとても想像がつかなかった。

 やはりえにしは昔からえにしだったのだ。

 僕は、少しえにしという人物が遠くにいる様に感じた。


「私、その状態のまま手術台に乗るまで耐えてたんだよ! すごいでしょー!」

「あぁ、本当にすごい」


 これほどまでに、心の底からすごいと思う事はあまりないだろう。


「えへへ、それほどでも」


 えにしは、小さく頭をかく仕草をした。


「それでね、ちょうどその子と、すれ違ったの! 多分、優しくしてくれたお婆ちゃんのお孫さんくらいの面識しか無かった子だったんだけれど、きっと何かを察してくれたんだろうね。あの時、わざわざ台に身を乗り出してその子が言ったの『君は死なない。絶対に!』って、すごく綺麗な目をして真っ直ぐ私を見て言うの。その言葉で、あ、私死なないんだって。うふふ、何の説得力もない同い年の子の言葉なのに不思議な話でしょ? その子の目があまりにも嘘ついてませんていう目だったから、体が勝手に信じたの! 死んじゃうのが……手術が怖くて震えてたのに、嘘みたいに震えが止まったの! 先生の温かい丁寧な説明でも、お父さんやお母さんの気遣いや愛情でもなく、たった一人の男の子が私を強く救ってくれたの。あれは本当に嬉しかった。まだ今さっきの事みたいに、思い出せる」


 えにしが、懐かしそうに目を細める。

 思い出した。

 ちょうど、僕の祖母が亡くなった週に病院にお礼を兼ねた挨拶をしに行った時に、ちょうど病室からその子が出ていく所が見えたんだ。

 それで、気丈に振る舞っているけど、小さく震えていたのを見て、寿命を確認したんだ。

 愛の告白なんて当時は読めないから、まだ1が残ってるって事は大丈夫、とかそんな大雑把な感じで言ったと思う。

 けれど、そうして僕の言葉で勇気付ける事が出来ていた事が何よりも嬉しい。

 それを、あのえにしに出来た事が余計に嬉しかった。


「お婆ちゃん、残念だった……すごく優しくしてくれたのに……」


 あぁ、そうだ……。


 そうだった。


 僕は、血の気が引いていく様な感覚に襲われた。


 そういえば、僕よりも、祖母の方が強い繋がりを持っていそうな言い方をしていた。

 つまり、孫の僕の事を聞いていてもおかしくないはずじゃないか。

 息をゆっくりと整えながら、出し方を忘れかけた声を再び取り戻して、えにしに問いかける。


「そのお婆ちゃんは、お孫さんに何か言ってた?」


 心臓の音がうるさくて、集中できない。

 それでも、僕は聞かなければならない。

 どれだけ罵倒されていたとしても、まだ生きたかったと言われても、それを受け止めなければいけない義務がある。

 汗がまとわりついて気持ち悪い。

 しかし、この汗さえも乗り越えなくてはいけない試練の一つな気がした。


「自慢の孫だって。お礼を言っても言い足りないくらいに、私に幸せをくれた大切な孫だって」

「……え……?」


 想像だにしていなかった言葉で、僕の肩の力はフッと抜けてしまった。

 もっと、何か罵られるのかもしれないと思っていた。

 本当はもっと生きていたいとか、そういう本音の様なものをこぼしているものだとばかり思っていた。

 明らかに、お礼を言ってもらいたいと構って構ってしていたもんだから、何か強く言われる事があっておかしくはないはずだ。

 なのにこんな……。


「ほかには……?」

「ほか?」

「例えば、もっと生きたかったとか、もっとこれがやりたかったとか!」


 何故僕はこんなに、執拗に尋ねているのだろうか。

 もしかすると、自分を罰して楽になりたいのかもしれない。

 そんな自分を俯瞰で見て吐きそうになった。


「んー、私は、あんなに可愛い孫と一緒にいられたから、今死んでも後悔はない! えにしちゃんも後悔のない様に生きるんだよ! って、言われた事しか覚えてないなぁ、でも……」

「でも……?」


 僕は、その次に紡がれる言葉に期待した。


「お婆ちゃんからそういう、弱音とか裏の言葉みたいなの、聞いた事無かったな。ずっと良い人で、ずっと楽しそうだった。それに、お孫さんの事を愛しているんだなってすごく伝わって来て、こっちが嬉しくなったくらい」

「……そっか」


 僕の期待とは、大きく異なった回答だった。

 しかし、僕の心は、少しだけ、ほんの少しだけだが、確実に軽くなっていた。


「後悔……なかったのかな……」


 お婆ちゃんは、この世に未練を残す事なく天国へと旅立つ事が出来たのかもしれない。


「あぁ、それとね――」


 えにしが、もったいつける様に続けた。


「孫が嬉しそうに走ってきて、家事を手伝ってくれてる姿を見るのが人生で一番幸せな瞬間だったって。それに対して、ありがとうって言った時の満面の笑みが私の宝物だって」

「あぁ……そんな……」


 僕の()()じゃなかったんだ。

 僕が、ありがとうって言わせていたから、お婆ちゃんが死んじゃったんだって、ずっとずっと後悔してた。

 でも、きっとそうじゃないんだ。

 お婆ちゃんは、心から満足して僕にお礼を言ってくれていたんだ。

 お婆ちゃんは、自分の意志の中で最期まで生きていたんだ。


「良かった……」


 もっと長生きできれば良かった事に変わりはない。

 でも、僕がお婆ちゃんにしていた事は無駄じゃ無かったんだ。

 視界が下の方からボヤけて、鼻の頭がツンとくる。

 僕は、慌てて目元を袖でぐしゃぐしゃと拭った。


「大丈夫?」


 えにしは、いたずらに小さく笑いながら、ティッシュを差し出した。

 ありがとうと、声にならない様な声で返事をして受け取った。


「いや、ちょっと……良かったなって思ってさ」

「うん、私があるのもその人のおかげだ! ありがたい!」


 えにしは、伸び上がる様にベンチから立ち、両腕を天に突き上げた。

 その手を誰かに挨拶する様に、真上に向かってゆっくりと振っていた。


 あぁ、そうか、そうなんだ。

 僕は、えにしのその姿を見て妙に納得した。

 えにしの生き方は、僕の知らない所でお婆ちゃんの遺志を継いでいたんだ。

 えにしの後悔に対する考え方はお婆ちゃんの考え方が根底にあるんだ。

 きっと、お婆ちゃんがえにしにたくさん手を貸してくれているんだ。

 えにしと僕は、どちらもお婆ちゃんに強い繋がりがあったんだ。


 お婆ちゃんは、今もまだ、ちゃんと僕達の中で生きているんだ。

 人は、この世からいなくなっても、ちゃんと生き続ける事が出来るんだ。

 それは、どんな後悔をしてまで必死に生きていく事を優先するよりも、美しいのではないか、そう思った。

 人生で初めて、寿命というものに、儚さと美しさの共存を見た様な気がした。


 人が人に紡いでいく物語の美しさを身をもって強く体感した。


「今の話を聞いた上で、僕から一ついいかな?」

「……うん」

「やっぱり、ラブレターはあげないでいいよ」

「……そっか」


 声のトーンは変わらなかった。

 えにしはどこまで気がついているのだろうか。

 しかし、そんな事はどうでも良かった。


 僕は、自分の気持ちに気がついてしまった。

 もうどうしようもなく抑えられないこの気持ちに。


 僕は、えにしに対して、いい思いばかりを抱えていたわけじゃなかった。

 寿命が残り少ないのに、それを尻目に、後悔のない様にと真っ直ぐ生き続けるえにしを見て、僕は、憧れてた……いや、嫉妬していたんだ。

 愚直と言える程に真っ直ぐで、今すぐ死んでも後悔はないと言い切れるくらいに常に真剣に生きていて。

 そんな目が眩むくらいの姿に僕は憧れ、嫉妬していた。


 あまりにも美しかったから。


 僕は、きっとどこかで、えにしや、お婆ちゃんの生き方は美しかったんだと、認めたかったのかもしれない。

 けれども、それを僕自身がただ、許してあげられなかった。

 僕を磔にして、お婆ちゃんはきっと後悔して旅立ってしまった、僕のせいだ。僕が悪い事をしてしまったと、僕の生き方を悪にする事で、ひたすら寿命を守る事を正しき事としようとした。

 そして、人の寿命を減らさない様にする事で贖罪の意味も多分に含まれている自己満足に浸っていたのだ。

 しかし、僕は、その自己満足では、恐らく何も得られていない事に今気づかされた。

 後悔のない様に、日々を生きていく事こそが、寿命を全うする事と同義なのだと。

 ただ寿命だけを延ばす事に意義はないのだと。


 もちろん0というわけでは無いだろう。

 生きていれば良い事の一つくらい湧いてくるはずだ。

 けれど、常に自身の身を削ってでも真剣に生きる事に人としての高潔さがあるのだと、えにしとお婆ちゃんが教えてくれた。


「花火……もうすぐだね」


 時計を確認した。

 定刻まで、後ニ分だった。


「えにしさん……」

「んー? なーに?」


 えにしはやけに優しかった。

 芯が通った透き通る声が、耳の奥深くで、優しく残響していく。

 僕は、大きく深呼吸をした。


「えにしさん……好きです。 付き合ってください」

「……え!」


 その一言を最後に、ぶつりとコードを引っこ抜いた様に、えにしの声がしなくなった。

 木々がざわつく音だけが響いていた。

 丘の下から吹き上げる様な生温かい風が吹いた。


「僕は、あなたの事が好きです。全て誰よりも真剣に取り組む所、優しい所、明るい所、一途な所……僕のお婆ちゃんと仲良くなって、その思いを紡いでくれた事……本当に、嬉しかった。僕は、あなたとずっと一緒にいたいです」


 僕は、えにしの前に立って深々と頭を下げた。


「僕と共に、歩んでくれませんか」


 手をぐっと前に差し伸べる。

 我ながら不器用で、笑ってしまう様な無様さだった。

 それでも、僕に出来るのはこれだけだった。


「……はい、よろしくお願いします……」


 照れくさそうな声が聞こえた。

 温かく、小さなえにしの手が、僕の手をそっと包み込むのが分かった。

 心の奥からじんわりと温かいものが溢れ出てくる気がした。


 やった。


 真っ先にそう思った。

 僕は、今一瞬だけ、えにしの頭の上の数字よりも、告白が成功した事の嬉しさが勝っていた。

 しかし、これで良かったはずだ。


「あ、いた! えにしちゃーん! 俺の彼女も一緒に来たよー!」

「謙太、調子に乗んな、バカ」


 僕がほっとしていると、謙太と長澤が追いついて来た。

 長澤は、今まで見た事ない様な真っ赤な顔で、控えめに謙太の肩を叩くと、謙太は前のめりに派手に転倒した。


「あ! 謙太くーん! 由香ちゃーん! 成功したんだね! 二人ともおめでとう!」

「えにし……ありがとよ」


 そう言いながら、長澤はえにしの肩もバシバシと叩いていた。

 えにしは起き上がり小法師の様に、叩かれては戻り、叩かれては戻りを笑顔で繰り返していた。


「あれ! 悠壱もいるじゃん! 来れなかったんじゃないのかよ! さては、全て終わらしてきたんだなー! ひゅー! やるー!」

「えへへー! その人は、私の彼氏だよ!」

「……えっ!?」

「えっ!!」


 しばらく沈黙した後、あまりにも信じられないと詰められまくった挙げ句、謙太と長澤のカップルに僕も手痛い歓迎をくらった。


 花火が上がるまで後少し。

 四人で座ってのんびりと空を見ていた。

 この瞬間がずっと続けばいいと素直に思った。


 今か今かと待ち侘びていたその時は、不意に訪れた。


 爆発音と共に、明々と灯る火が、盛大に空に打ち上がった。

 弾ける音と共に、色鮮やかな火が、空に大きな絵を描く。

 ふわりと空一面に咲いた花火は、残響を残して、するりとどこかへ消えていく。


「きれーだなー」


 なんの気なしに、謙太が呟いたその直後だった。

 ぴかりと目の前を特大の花火が横切る様に光を放った。

 強い光に、一瞬目が眩んだ直後、耳元に吐息がかかった。


「――大好きだよ、悠壱君、――ふふふ、これからよろしくね!」


 耳元で、えにしが囁いた。


 再び、大きな花火が上がった。

 そこから、空一面を覆い尽くす花火は、ひたすら上がっては消え、上がっては消えた。

 色も形も様々な光が、全てが宙を舞う様に咲き、一瞬で散って行った。


 僕は、そんな花火に目もくれず、耳に残る彼女の竪琴の様な美しい余韻に浸りながらも、慌ててえにしの頭の上を見た。

 花火の光が僕達を煌々と照らし続けている。


 僕は、空に上がった大きな花よりも、たった一つ、確かにそこにある、彼女の頭の1の数字に見惚れていた。


 ――完――


拙い文章ですが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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