27
夕暮れでも、まだまだ暑かった。
日が傾いてはいるが、太陽の熱はまだ僕らの元から離れてはくれない。
Tシャツの襟をつまんでパタパタと仰ぎながら、携帯を覗いていると、カラカラと乾いた音と共に、聞いたことのある声が響いた。
携帯をポケットにしまい、川島を出迎える。
「お待たせしてしまいましたか?」
「ううん、待ってないよ」
黒の下駄に、白地の浴衣で、川島は来た。
白い和風の小物入れがふわふわと手の中で揺れている。
浴衣には、花があしらわれており、白の浴衣によく映えていた。
すらりと伸びた白い浴衣姿は、まるで川島そのものが花の様だった。
「浴衣、似合ってるよ」
「あ……ありがとうございます!」
白い浴衣に相反して、頬は赤く染まっている。
「その花は……パンジーかな?」
「えぇ、そうですわ! さすが悠壱さん、よくご存じですわ!」
川島は、にこやかに微笑むと僕の隣にぴたりと磁石の様に引っ付いてきた。
川島が隣を歩いているだけで、その可憐さにあてられて、きちんとエスコートできている様な気になってくる。
「さぁ、行きましょう! 私、今日をすごく楽しみにしていたんですの!」
「うん」
瞳を輝かせながら、僕を上目遣いで見つめてくる。
あんな風に僕を呼びつけておいて、何故こんなにも純粋に楽しそうな顔をするのだろうか。
今日は、きっちりと言わなければならない。
これまで、この子がしてきた事、きっちりと糾弾しなければならない。
僕は、ただ脅しに屈して来たわけじゃない。
そっと、ポケットにしまった携帯をなぞる様に触った。
「私、実は、お祭り初めてでして……今回、チョコバナナが食べてみたいのです!」
「チョコバナナね、あれ美味しいよ」
「えぇ! 絶対に美味しいですわ! チョコとバナナで外れるはずがありませんもの!」
神社の境内まで行くと、たくさんの出店が出ていた。
食べ物屋から遊ぶ屋台まで、パッと見ただけでも全て揃っている様に見えたが、人が多く、たくさんの寿命が奥に並ぶ様にずらりと見える。
奥にも、まだまだたくさん屋台がある様だ。
「さぁ! 行きましょう!」
川島は、歴戦のアマゾネスの様にごった返す人の波に躊躇なく飛び込んでいく。
寿命が見えないので、一度攫われてしまうと二度と見つけられない気がした。
「待って」
僕は、川島の手を掴んだ。
「は……はい……」
川島は、妙にクネクネしながら、僕の手をそっと握り返した。
強く握ったら折れそうな、か細く白い手が一生懸命に僕の手を離さない様に掴まえている。
よくみたら、爪にもパンジーの花が咲いていた。
「私、はしたない真似をしてしまいました。あまりにも楽しみだったもので……」
「大丈夫、行こうか」
「はい」
屋台には、主に食べ物を中心に見て回った。
焼きそばにたこ焼き、りんご飴に待望のチョコバナナ。
チョコバナナ以外は、何を食べるにしても川島は一人分だけ買って、僕とシェアをした。
お金を払うと言っても聞き入れずに、そっと割り箸を手渡すだけだった。
そして、いつも何かを食べた後には、僕に向かって美味しいですねと目を見て微笑んできた。
「お祭りで食べる食べ物は、特別に美味しく感じますわね!」
「そうだね」
そう言いながら、すこし歩き疲れたので、僕達は境内の外れた所で、休憩がてらにチョコバナナをじっくり堪能していた。
「んー!やっぱりチョコバナナは出店の中でも美味しいですわ! 思った通り! 加えてお外でお食事などはあまりしないので、ワクワクしますわ! それに……」
川島は、小さく口を開けて、チョコバナナをかじった。
「悠壱さんがいてくれるから、もっと美味しく感じるのかもしれませんわね」
にこやかな笑みを浮かべながら、川島程の気立ての良い子が僕に対して甘い言葉を囁いてくる。
普通の男女なら、喜ばしい事なのだろうが、僕は今、そういう言葉をかけられて嬉しい気分では全くなかった。
寧ろ、この空気を今すぐにでも壊してしまいたい。
そんな衝動に駆られた。
今までの経験が、無惨に捨てられて来た人々の寿命が、僕の肩にどしりと、のしかかっている様な感覚があった。
「ねぇ、川島さん。あのさ――」
「さっ! 悠壱さん! そろそろお腹を満たしたので、花火が始まるまで、射的等で遊びましょうか!」
川島は、片手にチョコバナナを持ちながら、すたすたと境内に向かって歩いていった。
僕は、食べ終わったチョコバナナの棒をゴミ箱に入れ、川島の後を追った。
川島は、さっきとは打って変わって子供の様にはしゃいで遊んでいた。
射的にヨーヨー釣り、型抜きに金魚すくい。
金魚は上手く取れなかったが、店のおじさんが一匹サービスで持たせてくれた。
ヨーヨーと金魚をさげ、ありとあらゆる遊びに手を出して、その都度大袈裟に、はしゃいでいた。
きっと、本当に楽しかったに違いは無いだろう。
けれども、どこか心はここに無い様な、そんな雰囲気を感じていた。
楽しいけど、楽しいふりをさせられている、といった感覚。
「川島さん、そろそろ僕の話を――」
「あっちの方、何かありそうですわ!」
やはり、明らかに僕を避けている。
お祭りに集中しようとしているふりをしている。
そう思うと、僕は川島が急に言い逃れをしている様な気になって来た。
罪を断罪されない様に誤魔化して、楽しい時間だけを享受しようとしているのだと。
そんな事は許されない。
沸々と、小さく怒りの様なものが、気泡の様に僕の腹底から浮かんでくるのを感じる。
謙太の寿命や、その他の人の寿命を何の躊躇いもなく使って、自分は楽しいじゃ筋が通らない。
僕が、言わなきゃいけないんだ。
「待って、川島さん」
気がつけば、僕は川島の腕を掴んでいた。
ぐいと引っ張ると、引っ張っただけ、川島はこちらに吸い寄せられる様に動いた。
「痛い!」
その声で、僕はふと我に帰った。
か細い腕を、がっしりと掴んでいる僕の腕は、かなり力が入っている事に気が付いた。
何があっても人を傷つけていい事にはならない。
僕は、慌てて手を離した。
「あっ、ごめん。でも、僕は君に話したい事が――」
「やめてっ!」
川島が、急に大声をあげた。
周囲の人が何事だと、こちらを覗き込んでいる。
小さく震えている川島に対し、僕はおろおろと辺りを見回す事しか出来なかった。
あまりにも僕が不審者過ぎるので、ひとまず周囲の人にペコペコと頭を下げながら、人気の無い場所へ移動を促した。
あまりにも、僕が弱そうに見えたのか、川島が素直に従ってくれていたからなのか、大きな問題にならずに、人目の付かない場所に移動する事が出来た。
「ごめんね、川島さん。痛い思いとか、怖い思いをさせるつもりはなくて、ただ、君と話を――」
「お………が…い」
「……え?」
「お願いだから……何も言わないで……」
川島の声が震えていた。
僕が、何を言い出すのか、分かっている様だった。
分かっているからこその今までだったのだろう。
しかし、何も言わないわけにはいかなかった。
「ただ……側にいて欲しかっただけなの」
川島は、弱々しく呟いた。
川島は全部理解していた。その上で、それでも僕の側にいたいと、懇願せざるを得なかったのだ。
川島の気持ちがはじめて理解できた。
僕は、はじめて川島が気の毒に感じた。
彼女は、不器用なだけだったのだ。
どうしていいのかやり方が分からない、ただそれだけだったのだ。
「運命だと思ったの」
「運命……」
荘厳な言葉が川島の口をついて出て来たが、僕もあながちその表現は間違いじゃないと感じた。
川島は、今までに見た事のない鬼気迫る顔をしていた。
「私は、ただ――寿命が見えない貴方と一緒にいたかっただけなの! 何で私だけ寿命が見えてしまうの! 生まれる前のイタズラなんて知らないわ! みんな私とは違う! どうして!? 誰も私の悩みなんて理解できないのよ! 話そうとすら思えない! どうして!? 分かり合える気がしない! どうして、人の寿命を気にしてこんなに窮屈に行きていかなければいけないの! どうして、人の寿命が減る事をこんなに悲しまなければいけないの……?」
「川島さん……」
これが川島の本心の叫びなのだろう。
川島も、寿命が見える事に強く苦しんだのだろう。
そんな思いを誰にも話せずに、心の奥底にしまいこんで、本当に分かり合える人なんていないと、心を閉ざしてしまった。
「もう……疲れたのよ」
その気持ちは痛い程、よく分かる。
本当は見えなくていいものの為に、自分自身の在り方が決められてしまう。
アイデンティティーそのものが、寿命というものに縛られていってしまう。
だからこそ――見えない振りをすればいい。
同じ寿命が見える人といれば、そんな事考えなくてもいい。
自分らしく、自分の人生を生きていく為には、それしかない。
その為に何だってする。
川島はきっと、そんな強い覚悟があって僕に接触して来たのだろう。
「この子達は、寿命が分からなくて可愛い……」
手にさげた金魚達を大事そうに抱える仕草を見せた。
「悠壱さんだってそうでしょう? たくさん悩んで、辛い事がいっぱいあって、寿命を減らさない様にって、動いて変人扱いされたりしたでしょう?」
確かに、思い返せばキリがない。
祖母の数字が消えた事は、今でも悪夢の様に思い出すし、長澤にドアを開けさせない様にと動けばおかしな奴だと言われた。
こんな事は、見えなければしなかったし、罪悪感など湧きもしなかっただろう。
「でも、私といればそんな事は起きないんですよ! 悠壱さんも、私も、お互いが側にいれば普通の人でいられるんです! 他人の寿命を見ない振りしていれば、私達は、やっと人並みの幸せを得られるんです! それに……どうせ、あの子だって、いずれ……」
それ以上は、言わせないつもりだった。
が、川島は、すんでの所で踏み止まった。
僕は、大きく深呼吸をした。
「川島さん」
「……?」
「確かに、見える事で辛い事もたくさんあったし、変人扱いもされた。見えない人達がどれだけ気楽か、なんて考えたりもした。見えなければ良かったと思う事もたくさんあった」
「じゃあ! じゃあ、私と一緒に――」
「それでも――僕は、他人の寿命を見て見ぬふりをする事はしないし、まして、人の寿命を使って悪巧みしようなんて一切考えない。これからも、寿命が無くなりそうな人を見たら心を痛めるし、僕の手が届く範囲ならどれだけ変人扱いされても数字が減るのを止めにいく」
川島は、拳を強く握り込み、奥歯をぐっと噛み締めていた。
「何で! どうして! そんな辛い事しなくたっていいじゃない! 私達は、私達なりに慎ましく生きていけばいいじゃない! 自然の摂理に従って、逆らわない様に大人しくしていればいいじゃない!」
「それは出来ない」
「何でよ!」
「それが、僕の……運命だと思うから」
「……はぁ!?」
川島は、理解できないと言った様子で、髪の毛を乱暴に掻き回した。
額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「僕はね、これは、僕にしか出来ない事だとポジティヴに捉えているんだ。僕が動けば救われる。それをやって感謝されなくても、馬鹿にされても、僕のやった事は必ずその人の為になる。そう信じてる。それは確かに、自分勝手な事かもしれないし、やったからといって、僕にとって必ずプラスに働くわけじゃない。けれど、全てひっくるめて僕の糧になってくれるんだ。生きてさえいれば、僕が見えているからこそ受けた痛みも、後悔も、助けになれたという自分本位な安堵感も、全て僕の人生そのものなんだ。何一つとして、僕を形成するにあたって要らないものは無いし、捨てようとも思わない。だから、君の誘いにはのれない」
川島は、だんだんと感情が抑えられなくなってきたのか、あぁー! と叫びながら顔を覆う様な仕草をした。
「それは、あなたが強いからそんな事が言えるのよ! 私はそんなに強くないし、馬鹿真面目じゃない! 私は、辛いのは嫌だし、後悔だってしたくない! もう、振り回されたくないの!」
「うん……そうだね。辛い事の方が多いよね。それはすごく分かるよ」
またしても、僕は川島の感情を逆撫でしてしまったのか、敵意をむき出しにして、今にも掴みかかってきそうな雰囲気で、奥歯をぐっと噛み締めている。
「分かってるのに、何であなたは……!」
「僕は、君に人を助けろなんて言わないよ」
「……!」
「真正面から向き合って、一人一人の寿命に心を傾けろなんて言うつもりもない。辛いなら辛いと僕に言ってくれればいい。苦しいなら苦しいって泣き喚いたって構わない。ただ、僕達三人の運命を受け入れて、みんなで手を取り合って前に進んで行こうって言ってるんだ」
川島の表情がふっと緩やかになった。
「……三……人……?」
川島の瞳がぐっと見開くのがみてとれた。
「……まさか……!」
「……出て来てもらえるかな?」
木陰の奥から、一人の人物がこちらへ向かって歩いてきた。
その姿を見て、川島の瞳が湿り気を帯びてきているのが分かった。
「……あなたは!」
本当にすごいと思った。
事前に話には聞いていたが、僕も会うまでその人なのか全く知らなかった。
謙太には頭が上がらない。
全体像がぼんやりと浮かんでくる。おかっぱの真っ黒で艶やかな髪をした中性的な顔立ちの背が低く細身な人物。
頭の上には、何も見えていなかった。
「どうも……柚月玲乃葉です」
その姿をじっくりと見て、川島は、膝から崩れ落ち、声を上げて泣いた。
川島のそんな姿を見た僕は駆け寄ったが、柚月の方がいち速く川島の手をとっていた。
「どうして……ずっと出て来てくれなかったの! 私は、悠壱さんと共に、あなたの事も探していたのに!」
「それは……ごめんなさい。あなた方の前に出られる決心がつかなくて……」
「ずっと僕たちの事を認知はしていたんだけれど、出て来れなかったんだって」
「なんで……なんでよぉー!」
謙太から、隣町の学校の一つ下の学年で、川島や悠壱と同じ様な癖のある人物を見つけたと言われた時は、正直全てを疑った。
しかし、実際に携帯で連絡を取ってみると、まさに神様の元にいた三人目その人だったのだから、本当に驚いた。
「僕……数字しか見えなくて……お二人の悩みを全て受け止めきれないと思って、がっかりさせちゃうといけないなって……」
「そんな事……あるわけないじゃないのよぉー! ずっと会いたかったよぉー!」
「……はい。すいません」
川島は、柚月の胸の中で大声を上げて泣いた。
いくら境内の隅といえど、僕らの側を通っていた人達には聞こえていた様で、ちらほら、何あれー? と言う声が聞こえてきた。
それでも、お構いなしに泣き続ける川島を、柚月はそのまま受け止めていた。
柚月の顔は晴れやかで、嬉しそうだった。
寿命が見える人物が三人いたのは、みんなで支え合って、難局を乗り越えて行くように、と言う運命の――いや、神様の思し召しだったのかもしれない。
二人の姿を見てしみじみと思った。
これからは、辛い事があっても相談できる相手がいる。
これは、僕にとっても嬉しい事だった。
それと同時に、僕の頭の中に、相談してこいと言ってくれていた人物がいた事を思い出す。
今回の功労者は、今どこかで人生の大きな岐路に立たされているはずだ。
「川島さん、告白の件は、正式にお断りします!」
「えぇ! 今このタイミングで!?」
驚きを隠しきれていない柚月に、後の事は任せると言うと、再び『えぇ! このタイミングで!?』と驚いていたが、それでも柚月は嬉しそうに頷いた。
「また、三人でお話ししよう!」
泣いている川島と、慰めながらこちらに手を振ってくれている柚月に手を振りながら、僕は、二人の元から駆け出した。




