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ファミレスの勉強会からの帰り道、僕はえにしと二人で、歩いていた。
なるべく、足並みを揃えるように、最近えにしの方が背が小さい分、歩くのがしんどそうに見える事に気づいたので、意識的にゆっくり歩く様に心がけている。
「二人でこうして帰るのは久しぶりだねー」
「うん、そうだね」
「今回も、打ち上げカラオケに行くのかなー! たのしみだなー!」
そういえば僕が滑り散らかして、川島と出会ったのがあの打ち上げの時のカラオケ屋だったか。
今振り返れば散々な一日だった。
「まずは、テストを無事に終わらせないとね」
「あー! 正論パンチが真正面から飛んでくるー!」
「避けたらだめだよ、正面で受け切って」
「先生、逃げるのはありですか!」
「逃げても、補習、追試、居残りという名の地獄の番犬が受かるまで、追ってきます」
「ひぃー! 期末の番犬ケルベロスー!」
ううっ、と言いながら、転がるフリをするえにしは、恐れは十二分に感じたものの、大根役者もびっくりの演技力のなさだった。
それにしても、カラオケの時は、偶然川島と出会ったとばかり考えていたが、今考えると、謙太を使っていい様に操っていたなんて許せない。
しかも謙太に、僕の為だからなんて嘘までついてそんな事をしていたなんて。
どこまで狡猾な事をすれば気が済むんだ。
しかし、夏祭りで会う約束ができたのは逆に好都合だと捉える事も出来る。
夏祭りで、きちんとケリをつけなければ。
彼女の全てを理解できる気はしないし、したくもないが、彼女なりの何か理由もあるはずだ。
きちんと聞き出さないといけない。
「どうしたの? 何か考え事?」
僕が浮かない顔をしていたのか、えにしが心配そうにこちらを覗き込んでくる。
つぶらな瞳から飛び出したまつ毛が、上下にぱちぱちと揺れる。
「あー……ちょっとね」
えにしのキラキラした瞳にじっと見つめられるとついつい、どもってしまう。
「悩みなら、聞くよ? もしかして……恋の悩みですか?」
「うーんと、今回のは違うかな。またいつか相談したい事があったら真っ先に相談するね」
「そっか、分かった」
にこやかに微笑むえにしには、少し僕を心配そうにしている気配が見受けられたが、僕の事をちゃんと理解してくれているのか、信用しているのか、これ以上深追いしてこないのは、とてもありがたい。
こういう引き際の上手さと、いつでも言ってもいいという置き土産が、これまで色んな人達の気持ちを軽くしていたんだなと、身をもって知る。
「それで、私から相談なんだけどさ」
「うん、僕に答えられる事ならなんでもいいよ」
「私、夏休みに入ったら、またラブレターを書こうと思うんだ」
「つまり誰かに渡すって事?」
誰かではない。決まっている。あの病院で聞いた憧れの人だ。
「うん、まだ、いつ渡すかは決めてないんだけど、夏休み中のどこかで渡せたらなって」
その言葉を聞いた時、胸の奥で魚の骨がつっかえる様な息苦しさが僕を襲う。耳の中からポコポコと振動する様な音が、僕を囃し立ててきている。
えにしの寿命が終わってしまう。
「元々、始業式の時に渡そうと思ってたのに、かなり時間が経っちゃった。けど、心が決まったの。きちんと言いたい。例え、失敗したとしても、私の口からきちんと好意を伝えたいの」
「……それは、しない方がいいんじゃないかな?」
僕は、その一言を発してから五秒と経たない内に、体の至る所から冷や汗が吹き出した。
「え……なんで?」
僕の口から心底、予期せぬ言葉が出てきたのだろう。お腹の中央部から顔まで、だらりと垂れ下がった様な、えにしらしからぬ、力の無い状態になっていた。
茫然自失、何を言われたのか、頭の処理が追いつかない。そう言った虚無に近い表情だ。
普段の僕の違いから、反応が著しく不安定になる事はなんとなく分かっていた。
僕は、常にえにしのやる事に尊敬の念を持ち、常に前へ前へ進んでいく姿が見ていて好きだった。
恐らくそれは、えにしにも伝わるところだっただろう。
そして、今回もしっかり背中を押してくれるとばかり思っていたのだろう。僕でさえそう思っていたのだから、えにしがそう思うのも無理はない。
寿命を減らそうが、きっとえにしは関係なくやりたい事をやってのける女の子だ。
きっとそれが死へと繋がっているとしても。例え、死に繋がっている事を認知していたとしても、後悔のない様にそのその瞬間の全力をもって臨むだろう。
しかし、いざそれを、僕が目の前にすると、その事実に僕が耐えうる事ができなかった。
もっと根本的な対処法を考えていたつもりなのに、結局まともに出てこないまま、えにしを不審がらせる最悪の一手が出てきてしまった。
最悪手だと分かっていたのに、手が――口がそう言ったのだ。
えにしにとって死をも恐れずに、後悔しない選択を貫く様に、僕の体は、えにしの死を不細工に拒みたがったのだ。
「それは……今じゃないっていうか、もし、失敗したら取り返しがつかないっていうか」
こんな事言っても墓穴を掘るだけなのは分かっている。
が、どうしても止めないといけなかった。
止める為の良い理由づけが思い浮かばなかったのに、必死で止めたがった。
僕は、一種のパニックになっているのかもしれない。
どうしてここまで、下手な言い訳をして、いわゆるパッションで立ち向かっているのか、自分の気持ちが全く理解できなかった。
「そっか」
えにしは、そう呟いた。
その声には、冷気の様なものが混ざっていたんだと思う。
僕の心臓から、血を巡って冷たい何かが入り込み、体を瞬時に駆け巡り、全ての汗腺から、汗が滲み出てくるのを嫌な感触と共に感じていた。
僕は、やらかしたんだ。
気づいた時には遅かった。
「八代君なら、背中押してくれると思ってた。私の事、応援してくれているって。私の事、たくさん知ってくれているつもりだったけど、そうじゃなかったのかな?」
「……背中を押すだけが応援じゃないよ。僕はえにしさんの事をちゃんと応援してるよ」
「……そっか、ありがとう」
その言い方は、怒気を帯びていた様にも思う。
よくない事をした。その気持ちは確かにあったが、心のどこかでホッとしている自分がいた。
これで、えにしがラブレターを渡さなくなってくれたら良い。そうすれば、彼女は助かる。
これは、彼女の命の問題だ。
僕は、心の中で言い聞かせた。
えにしとは、別れるまで何も話さなかった。
それどころか、その後のテスト勉強の期間も話す事は一切無かった。
ファミレスにも、途中から来なくなった。
そうなった時、当然長澤からは強く詰められた。
誰もいない教室に二人、長澤の顔は百人が見たら百人が怒っていると言う顔をしていた。
「お前、何かしたんだろ?」
「……」
「なんとか言え」
「ラブレターを、夏休みに好きな人に渡そうと思ってると相談されて、やめた方がいいと答えた」
「お前……なんでそんな事言った」
殴られるのかと思ったら、手が出るわけでもなく、声色は意外と冷静だった。
まずは、僕の話を聞いてくれるらしい。
「それは、えにしの為を思って言った事なんだよな?」
「……もちろん」
「なんだ今の間は?」
僕も、何故即答出来なかったのか、分からなかった。
えにしの為を思ってやったのに、何故か今の問いに自信を持って答える事が出来なかった。
「……分からない」
「分からないだ? そんなんが通用すると思ってんのか!? 私の友達に適当な事したら許さねぇって言ったよな!?」
「うん、分かってる」
「分かってねぇだろ!」
パチン、という音と共に、左の頬に痛みが走った。
それでも僕は、反射的にドアの方に走った。
僕がドアに手をかけると、「こんな時までふざけてんじゃねぇーよ!」と言われ、再び同じ所に痛みが走った。
完全に終わってしまった。
謙太が作ってくれた関係性も、友達としての二人も完全に僕は失った。
僕は、結局何がしたかったんだろうか。
この半年で、僕はえにしに何をしただろうか。
結局傷つけてしまっただけじゃないだろうか。
もし、このまま告白をやめてくれたとして、告白をしない方がいいと言った事が心の傷になってしまったら、それはえにしの人生を歪曲させてしまった事と同じじゃないだろうか。
それは、僕が人に寿命をバラした事とほぼ同義なのではないだろうか。
頬がじんわりと熱くなっていく。
それ以上に頭がカチ割れそうな程に痛かった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
後残り4話となりました。
完結まで見守って頂けますと幸いです。




