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「本日は、来ていただき、ありがとうございます。お日柄も良く、とても良いお出かけ日和ですね」
「あぁ……そうだね」
僕は今、淑女と街中にある自然公園を歩いている。
透き通るような肌によく映える白のワンピースに白い帽子。まるで、おとぎ話か何かから出てきたような出で立ちは、見る者の目をひいた。
初夏の陽射しは、自然の中を我が物顔で跋扈しており、半袖でも少し暑いと感じる程だった。
森の中にせせらぎが歌う川沿いを二人で散歩、側からみたらデート以外の何ものでもないのだが、僕の心は違う意味でそわそわしていた。
「そんなに緊張なさらなくてもよくって」
くすくすと、手で口元を抑えて川島は笑った。
そんな事を言われても、無理なものは無理だ。
川島がお淑やかな美人だから、という意味ではない。
僕を事前に知っていた事、出会い頭に告白された事、前回の別れ方が不穏だった事が、僕を強く緊張させる要因になっていた。
同類、というのは初めて見た。
なんとなく、いるのかなとか、いたらいいな、なんて事は考えた事はあるが、まさか、本当に目の前に現れて横を歩かれると、違和感がすごい。
当たり前の様に見えていたものが、見えなくなる事がこんなにも不思議な感覚になるなんて知らなかった。
それと同時に、普通の人達が少し羨ましく感じた。
「今日は、少しばかり暑いですわね」
「そうだね」
やってもやらなくても変わらないくらい、お上品に手で顔を扇いでいる。
まさか、体育祭の時に来たメールの内容が、デートの誘いだとは、思わずとても驚いた。
いつも業務連絡の様なメールばかりしてくるものだから、何もないとばかり思っていた。
しかし、川島から見た僕は、一応にも想いを伝えた相手であるわけで、こうして誘ってくるのも特別おかしい事ではなかった。
断る事も出来たが、生徒会長がえにしに勇気を持って告白する姿を見て、何も知らないままむげにするのも失礼だと思いここに来た。
実際、100%川島の為に来たかといわれればそうでもない。
見えている者同士として、いい交流が出来ればそれに越した事はない。
そして、出来ればカラオケの時に川島から感じた言葉にし難い恐怖を、今ここで払拭しておきたい。
僕は、川島の事を信じてみたいからここに来た。
今日の予定は、川島に一任しているが、一体どの様な流れで動くのだろうか。
昼に差し掛かろうという時間でも、まだ広大な自然公園をうろうろと、特に会話もなく歩いている。
「そろそろ見えてくると思うのですが……」
川島は、独り言の様に呟くと、茂みの奥にある大きな湖の様なスペースを、身を乗り出して何とか確認しようとしている。
「何が見たいの」
「今からスワンボートに乗りましょう! と言いたかったのですが、ボートが見当たりませんわね……」
「さっきボート乗り場の看板はちょうどこの湖の反対側だって書いてあったけど」
「え……! そんな、私とした事が、申し訳ありませんわ!」
川島は、手をバタバタさせて慌てふためいた様子を見せていた。
それは、さながら溺れたカエルの様だった。
「歩こうか。ボートまで」
川島の顔がスッと明るくなった。
「はい!」
その間に、何か川島から聞き出せるといいなと思いつつ、行こうか、なんて言ってエスコートしてみる。
さっきまで溺れたカエルをしていた川島は、打って変わって汐らしく僕の後を着いてきた。
てこてこと、着いてくる川島は、小動物感の強い雰囲気だった。
「ねぇ、いくつか聞きたい事があるんだけど聞いてもいい?」
「はい、何でございましょう?」
「どうして、僕の名前知ってたの?」
「秘密でございます」
これに関しては、何故か教えてくれないみたいだ。
「どうして、僕に告白をしてきたの?」
「私達は、世間の人達とは違うものを持った者同士、分かり合えると思ったんです」
「それだけ?」
「……悠壱さんは、とても素敵です。お顔も、雰囲気も。私は、お慕い申しております。こんな直接言わせないでくださいませ」
「あぁ、ごめん。ありがとう」
何だか、ここまで素直に言われると照れ臭い。
道沿いには、楽しそうにクチナシの花が揺れている。
「私、今日をとても楽しみにしておりましたの!」
「そうなんだ」
「えぇ! おかげで昨日の夜はあまり寝れませんでしたわ!」
そういう割には、メールの文面はかなり簡素で無感情だったようにも思う。
まあ、普段から業務連絡の様なメールで感情もへったくれもないのだが。
川島の目元を見ると、確かに少しクマがあるように見える。
「そういえば、あの日なんでカラオケ屋にいたの?」
「歌いに行っていたからですわ。私、お歌はあんまり得意ではありませんの」
そういう、話を聞いているんじゃないと思いながら、これは、はぐらかされたんだと気付く。
「あっ! ありましたわ! スワンボート!」
ワンピースを揺らしながら、足早に駆け出した。
普段の所作は大人っぽいのに、こういう所は子供っぽい。
「チケット二枚下さいな!」
瞬く間にチケットを買い終えて、僕を急かす様にスワンボートの元に駆け寄っていく。
「はい、じゃあどうぞー!」
白鳥の首根っこを鷲掴みにしている、『手を振る 278868』という、寿命を持った係員の人に元気よく誘導されたが、川島は乗り込む様子がない。
足元をしきりに気にしている様だ。
「お先に」
僕がスワンボートに飛び乗った後、川島に手を差し出した。
川島は驚いた表情を見せ、頬がみるみる内に赤らんでいった。
こういう事は、あまりやりなれていないが、川島に対しては、なんだかやらなければいけない様な気がしてくる。
「……ありがとうございます」
川島は、そっと手を取りながら、ゆっくりとボートに乗り込んだ。
「はーい、カップルさーん、素敵なボートの旅を!」
「……! はーい!」
川島は、体を乗り出して、係員さんに返事をしていた。
僕は、その間、必死にボートを漕いでいた。
川島に漕がせるわけにはいかないので、ひとりで真剣に漕ぐが、意外と進まない。
川島は、お上品に足を閉じて座っている。その少し奥を、僕が漕いだ分だけペダルが虚しく回っていた。
水は綺麗で、たまに遊びに来る生き物達を眺めては、川島が嬉しそうに声をあげるのを聞いていた。
「あぁ、そういえば、チケット代、出すよ」
「いいえ、ここは奢らせてくださいまし! 今日は、私がお呼びしたので、私が出しますわ! こう見えて、お小遣いはきちんと貯めておりますの!」
一生懸命に胸を張っている姿を見て、ここはとりあえず出してもらうことにした。
「また、お返しさせて」
「……それは、次のデートを誘ってくださる、という事ですか?」
そうなってしまうな、と言ってから思いついた。
もじもじしながら、こちらを上目遣いで見てくる川島に、何も言えなくなってしまった。
「……じゃあ、また今度、機会があれば」
「機会、作ります! あっ! でも私が作ったら、誘われた事にならないのではなくって? あっ! その時はまた私が奢らせて頂けばいい話ですね!」
「……僕から誘います」
何だか、川島といると調子が狂う様な気がする。
ひとしきり、湖をぐるぐると回った後、特にもう一周する様な雰囲気でもなかったので、そのまま係員の人の元へスワンボートを漕いだ。
「はーい、お疲れ様でしたー!」
『手を振る 278867』という寿命を持ったさっきの係員さんが、再び白鳥の首根っこをがっしりと掴んで、僕と川島を丁寧に引き上げてくれた。
スワンボートを一人で漕ぐには、少しばかり広く、そして暑かった。
川島のスカートが、適度に揺れるくらいの風はあるが、僕の体は、それを凌ぐ程、火照っていた。
「そろそろ、お昼にしましょうか」
「そうだね、ご飯にしよう」
「私、ずっと行ってみたかった場所があるんです! そちらに行ってもよろしいかしら?」
僕の姿を見て、一休み入れようと思ってくれたのだろうか。
ありがたく、その誘いにのせてもらう。
川島がずっと行きたかった場所とは、一体どんな場所なのだろうか。
おしゃれなカフェで、何段もスイーツが並べてある様なものを置いて、ウフフとか言いながら、お紅茶を飲むのだろうか。
自然公園を出て、駅の近くまで歩く。
この辺りはよく利用するが、近くにおしゃれなカフェなんてあっただろうか。
ファストフード店や、牛丼屋みたいな、川島とは縁遠いお店が並んでいた気がしたが。
「ここですわ! ここのお店にお友達と行くのが夢でしたの!」
そこは、牛丼屋だった。
まさに、お家柄が良さそうなお嬢様高校に通っている川島が縁遠い様なお店の内の一つだった。
「ここ、もしかしてはじめてくるの?」
「はい! 今日は、悠壱さんとですので、お付き合い頂けるかと思いまして!」
付き合いはするが、正直本当に入ってしまっていいものなのだろうか。
デートで行く場所としては、僕でもわかるくらいに向いてない店だと思うが。
「川島さんが良ければ」
「夏織とお呼びくださいまし。それでは行きましょう!」
意気揚々と牛丼屋の扉を開けると、元気の良い店員さんの挨拶が飛び込んできた。
牛丼を頼む事が決まっているので、すぐに店員さんを呼ぶ。
『縄跳びをする 500』という、寿命を持った店員さんが素早くこちらに対応してくれた。
「牛丼並盛りのお味噌汁セットを一つ、汁だく、紅生姜大盛りで!」
「はい、牛丼並盛り汁だく味噌汁セット一つですね! 紅生姜はそこに置いてあるところからセルフになっておりまーす」
「あ……はい……」
「……牛丼大盛りで」
「はい、牛丼大盛りで!」
どこかで予習してきたのだろうか。
紅生姜を大盛りにするのは自分で、というのはその学んだ教材には書いてなかったらしい。
「牛丼屋ってこんな雰囲気になっていますのね!」
忙しなく食べている人や、家族連れがいるが、川島の様な煌びやかな服を着た女性は見当たらなかった。
そんな事を気にする様子もなく、キョロキョロと店内を興味深そうに見回している。
「お待たせしました!」
牛丼が運ばれてくると、川島はあまりの速さに目を丸くしていた。
「もう作り終えたのですか!? 牛丼というものは、こんなに速く作れるものなのですね!」
「いや、速く提供できる様にお店の人が頑張ってるんだよ」
「まぁ、何と素晴らしい企業努力でしょう!」
そう言いながら、紅生姜を自身の丼に盛り盛りに乗せていた。
「では、いただきます!」
「いただきます」
川島は、食べはじめてから、美味しいしか言わなかった。
盛り盛りの紅生姜はみるみる内に減っていき、汁だくの牛丼もペロリと平らげていた。
僕の方が食べるのが遅く、僕を待っている間、川島はひたすら店員さんの動きを目で追っていた。
「夏織さん、その、汁だく紅生姜大盛りはどこで学んだの?」
「お友達のお兄様が、これをすると美味しいと言っていたと、そのお友達から聞きましたわ! 言っていた通り、これはとても美味しいですわね! リピートしたくなりますわ!」
まさか、川島はこれから一人でも牛丼屋に来れる様になってしまったのか。
川島の適応能力に舌を巻きながら、食べ終わった僕を見て、川島はすぐに行きましょうかと言うので、僕らは牛丼屋を後にした。
ここでも川島が会計を出すと譲らなかったのでお言葉に甘えた。
会計時のお値打ちさに川島は再び目を輝かせていた。
牛丼屋は、川島との初めての邂逅で大成功を収めたみたいだ。
「また行こう……」
どうやら、本当に気に入ったらしい。
牛丼業界に貴重な若手ホープが誕生した。
川島は、お店を出て、本当に小さく伸びをした。
「悠壱さん! 私、次に行きたいところがあるんですけど、良いですか!?」
そういう彼女には、ノーと言われる事をまるで考えていない様な顔だった。




