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「うぉーい、どういう了見だー? 何があったらあのタイミングで十個もあるパンを買いそびれるんだ? 何の為に、牛乳飲みまくったんだ? カルシウム不足か? おぉーん?」
弁当を食べている僕に対し、謙太が覗き込む様に僕の顔を睨みつけてくる。
カルシウムが足りて無いのは謙太の方だろう、なんて言ったら温厚な謙太でも拳が飛んできそうな勢いでガン飛ばして来ている。
「……ごめん。探してた子がいたからつい……」
小さくため息をつきながら、謙太は僕の買って来た焼きそばパンを乱雑に頬張った。
「いいなぁ、お前は目的の人と接触できて。俺なんか、接触する機会すら、だーれかさんに取り上げられたもんなー」
「ごめん……明日はちゃんと買ってくるから」
正直、パンに関しては渡さない方が好感度的には良かった様な気もするが、頼まれた事を達成できなかった事に関しては、僕の落ち度しかない。謙太には謝り倒しておかないと、彼女について調べてくれなくなってしまうかもしれない。
「ていうか、もう会えたんだろ? 後は自分で探せるだろ、声掛けたいんなら、もうここからはお前がやるべき事なんじゃないのかー?」
言ったそばから、もう打ち切りモードに入ってしまった。こういう所は、もしかしたらフリーのジャーナリストになるには向いているかもしれない。
「いや、もう少し頼むよ。謙太の方も、俺に出来る事があれば協力するからさ」
「そんなの当たり前だっ!」
突然の強い語気に体が小さく跳ねる。
もはや、協力するだけじゃ足りないという事か。
どうやら、もう謙太の協力は仰げないかもしれない。
仕方がない。自力で彼女の事を調べて、正攻法で向かっていくしかない。
今からでも、動き出した方が良いだろうと思い、弁当を口にかきこんでいると、謙太が、勢いよく焼きそばパンを丸っと口に放り込み、牛乳で一気に飲み込んだ。
「あー! そんなしょげた顔すんなよー! 手伝ってやるから。ほら、顔見たんだろ? どの子か教えてくれよ」
「謙太……!」
「あぁ、そんな親犬を見つめる子犬みたいな顔するなよー! いいか! 今度はちゃんと俺の計画にも協力してもらうからな! 絶対だぞー!」
何やかんや言いながらも、ちゃんと手伝ってくれる謙太の懐の深さに感銘を受けながら、足早に教室を出て行く謙太の後を追いかけた。
しかし、勢い良く出た教室とは裏腹に、廊下に出たら、一歩進んで動かなくなっていた。
後を追って勢い良く教室を出た僕は、なす術もなく謙太の背中に激突した。
「うおっ! どうした?」
「なぁ、悠壱、俺はどっちに向かえばいい?」
至極当たり前だった。
僕の話を何も聞かずに飛び出したのだから、こうなって然るべきだ。
親犬を探す憐れな子犬の様なうるうるとした目をする謙太に、やはりジャーナリストは向いていないのかもしれないと思ってしまった。
「話しながら歩こう、多分こっちでいいよ」
表情が一気に明るくなった謙太に、階段をジャンプで一気に降りて来た事や、あまりにも早いスタートダッシュの事、またそれらを鑑みて、恐らく、階段が近いクラスだろうという推測の元に、歩く方向を決めた。
階段の近くで、あれだけの速さで降りてこられるのは、恐らく階段横にある四組か五組のどちらかだろう。
一通り僕の考えを聞いて、目を輝かせていた謙太を他所に、僕は真っ直ぐ目的のクラスへと向かっていく。
「どっちから行く?」
「五組からだろ! 五組には由香ちゃんがいる――」
「よし、四組からな」
「何でだよ!」
という事で、まずは、四組からだ。
和気藹々と友達と食事をする他のクラスの同級生達を、扉からそっと覗き込む様にして確認する。
「なんか、やましい事してるみたいだな」
「実際、全くやましくないかと聞かれればそうでもないだろ」
特に親しい人がいる訳でもない上に、彼女の頭の上の文字と数字は確認しているので、彼女の顔が見えなかろうと、彼女かどうかくらいは判別がつく。
だから、わざわざ乗り込む必要はないのだ。
この様に、こそこそと影から少し覗いて視界に入れるだけで良い。
しかし、後ろでやたらとそわそわしている謙太の為にも、なるべく早く終わらせるに越した事はない。
教室の中にいる人物をさらさらと一瞥していく。
ちらほらと、こちらを見られている様な気配が気になるが、お目当ての彼女は、今このクラスにはいなかった。
「どうだ、いたか?」
「ダメだ、いない」
「そうか、なら早く行こう! よくよく考えたら俺、こんな風に覗いてたらダメだった! こういう事し過ぎて俺に目を付けてる子が色んな所にちらほらいるんだよ」
見られている様な感覚は、どうやら錯覚ではなかったらしい。
ばつが悪そうにすごすごと退散する謙太の背中を追う。
どうやら、謙太は中々に思い切った事を普段からやっている様だ。
あまり、敵を作るようなことをしない方が本人の為にもなると思うが、謙太は理解しているのだろうか、後でそれとなく諭してみようか。
そんなことを考えながら五組に移動していると、再び謙太が急停止した。
今回も例に漏れず、しっかりとぶつかった。
「いたっ、もう、急に止まるな、何だよ」
「いた!」
「謙太が急に止まるのが悪いんだろ」
「いや、そうじゃなくて!」
振り返る謙太の目の輝きを見て、心臓がピクリと跳ねるような感覚に襲われる。
「いたの?」
「うん! やったぜ!」
案外あっさり見つかった。
さて、とりあえず、探してみたはいいものの、接触するとなると少々難しい。
手紙を返すわけにはいかないし、突然、友達になりましょうと声を掛けるのも、下心の様なものが見えている様でいささか気が引ける。
謙太にでも相談してみるか。きっと木に一人で話していた方が真っ当な意見が出そうではあるが、そんな時間はあるはずもない。
この際、仕方がない。
「なぁ、謙太、どうやって話しかけたら自然かな?」
「んあ……!」
突然奇妙な声を上げて謙太が固まった。
「ん……? 謙太……?」
「そんな……!」
何事かと、謙太が呆然と見つめている先を覗く。
色素の薄い茶色の細く長い髪に、枝の様にすらりと伸びた脚。
頭の上には『ドアを200000回開ける』
ふむ、後ろ姿でも、絵になる辺りはさすがだ。
「なんだ、謙太のお気に入りか」
「何だって何だよー」
そこには、学年一といわれるほどの美少女とも名高い、謙太がご執心の長澤由香が、片手に小さな袋を持って廊下で誰かと話していた。
僕は、がっくりと肩を落とした。
と、同時に、あの子と今すぐ対峙しなくて済んだ事を、どこかほっとしている自分もいた。
僕の人生において、頭の上の数字がどれほど大きな存在か嫌でも思い知らされた気がした。
「由香ちゃんが持ってるあれ、桜餅パンと苺大福パンだよ。俺が、由香ちゃんにあげるはずだったのに……!」
ご執心の子が現れたのに、さっきから様子がおかしいのはそれだったのか。
僕としては、正直この結末の方が結果的には成功していると思うけれども、本人はそうは思わないのだろう、あり得ないくらい沈み込んでしまっている。
まぁ、僕は、お腹の壊し損だったわけだけれども。
「俺じゃない誰かが、由香ちゃんにアピールする為にあげたんだ! ライバルだ! ライバルがいるぞ! 探し出してやる!」
学年一と称されるレベルの美少女なんだから、探さずともわらわらと湧いてるだろうに。
にしても、あのパンを、あの先輩達の波からきっちりとゲットしてくるのはさすがという他ない。
僕でさえ、あんなに苦労して取れなかったというのに。
「そいつもきっと努力してパンを取ってきたんだろ、それくらい真剣なんだ――」
僕は、体が一瞬石膏の様なもので固められたかの様な錯覚に陥った。
心臓から順に血の気が引いていく様な冷たさが、全身に響く様に行き渡る。
パンをゲットした恐らく、唯一の人物を僕は知っているじゃないか。
「ありがとな! まじですごいわ! 今度なんか奢る!」
「ははー! なら、ドーナツが良い! ポンデね!」
「はいはい、好きだねーそれ」
そう言いながら、笑って手を振る長澤由香の奥に、その人は立っていた。
『好きな人に愛を告白する 1』
体が震え、手には汗が滲んでいるのが分かる。
「なぁ、謙太、俺は、何を話せば良いかな?」