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 川島と連絡先を交換して一週間、テストが終わった抜け感もそこそこにもうすぐ体育祭が行われる。


 この時期の学校内部の雰囲気は独特で、まるで本番直前かの様に校内のボルテージが上がっているのが肌感覚で分かる。

 皆表立ってはしゃいでいるわけではない。そこの分別はある程度ついているだろう。

 しかし、やはり年に一回、人生の内、高校の体育祭は三回だけという事が貴重さと、彼らの青春に拍車をかける。

 しかし、もし、体育祭を三回やったらという寿命の人がいたら、僕は迷わずに休ませる努力をするだろう。

 そして、かくいう僕も、あまり運動は得意ではなく、できるなら休みたい人間だ。

 甘く見積もって、人並みにはできるはずだ。しかし、ただ純粋に走るだとか、綱を引くだとか、そういうので活躍できた記憶はほとんどない。

 かといって、他の種目で活躍できたことがあるかといわれると、特筆すべきことは何もないのだが。


「おい、悠壱君。サボってんじゃないよ、君も早く参加しなさい」


 謙太とて、青春に拍車がかかるのは例外ではない。

 謙太に引っ張られて、木陰から、大縄跳びの真ん中へと連れ出される。

 みんなの力んだ空気感と、初夏を思わせる気温がじりじりと僕を蝕んでいく。

 普段の謙太なら、もっとのらりくらりやっているはずだ。何なら途中で長澤に声を掛けに行って玉砕して僕が慰めるなんて事があってもおかしくないはずなのに。

 そういえば、この一週間、えにしや長澤と一切関わることがなかった。

 謙太が、勉強会を中止にしようと言い出してから、会う機会が全くなかった。

 そろそろ、現状の確認もかねて、一声くらいえにしに声を掛けておきたい。


 辺りを探してみるが、えにしのいるクラスが何かの練習をしているようには見えなかった。


 探している最中に足に鈍い痛みが走る。

 それと同時に、何やらため息交じりの吐息と、痛い視線を感じる。


 縄に引っ掛かったのだとすぐに分かった。


「ごめん、見てなかった」

「おいおい、悠壱、頼むぜー、しっかりやってくれよー」


 謙太の一言で皆の溜飲が少しは下がったのか、ドンマイ、ドンマイなんて優しい言葉をかけてもらってしまった。


 なんだかんだで、謙太のこういう所には助けられている。

 後でお礼を言わないとだ。

 それから、しばらく大繩の練習をした後、各々の競技の練習をすることになった。

 放課後にしかできないとはいえ、皆の熱の入り方には敬服するばかりだ。

 部活と兼任してやっている人達なんてもう神様なんじゃないかと思う。


 僕は、百メートル走なので、とりあえず一本だけ、何となく走ってから、再び木陰へと戻った。

 本当は、家に帰りたかったが、みんなを置いて先に帰ったら、後で何を言われるか分からない。

 正直、木陰にいても変わらないと思うが、とりあえず、いるというだけで、休んでる人というくくりに入れてもらえるだろう。

 気が向いたら、もう一回百メートル走って帰ってくればいい。


 ほんの少ししか動いていないのに、からからに乾いた口を、水を一口含んで潤す。

 木陰に置いていた鞄の中で、スマホが鳴った。

 誰からかは見なくても分かった。


『ご機嫌いかがですか、私は、今日ピアノのレッスンをして参ります。』


 この前は、書道と言っていた。一体何個習い事をしているんだろう。

 ここ毎日、定期的に何をしているかのメールがくる。

 友達と遊んだといった可愛らしいものもあれば、今回の様なお嬢様感の強い内容もよくある。


 一応、毎回それっぽく返事はしているが、返事の返事はきたことがない。

 これじゃあ、ただの報告か生存確認だ。

 女の子とやり取りをしている様な感覚には一切ならない。

 それでなくとも、川島は怪しさで溢れているというのに、仲良くなろうとは中々思えない。

 ただ、やはり寿命が見えなかったのは新鮮だった。

 あの風船の空気が抜けるような感覚は、彼女でしか味わえない感覚なのだろう。


「サボってるのー?」


 返信の内容に困っていると、声が聞こえた。

 振り返ると、えにしが笑いながら立っていたので、スマホを鞄に放り投げて、僕も立ち上がった。


「休んでた、今は」

「今、ちょうど動く気になったんだねー」


 含み笑いが、様々な言葉を鮮明に投げかけてくる。


「えにしさんは、何してたの?」

「私は、クラスの応援ボード作って、クラス全体の競技練習に出て、部活動対抗の競技の打ち合わせして、個人練習の休憩中、ちょうど日陰で休んでた矢代君が見えたから声掛けに来た」


 全知全能の神がここにいた。

 えにしがこんなにも複数の事を同時進行でこなせるなんて思わなかった。

 僕は、大縄跳びだけでもうお腹いっぱいだったのに、なんてバイタリティーだ。


「そんなにも……! すごいね」

「あぁ! 今そんなにシゴデキなの意外って思ったでしょ!」


 しまった。僕の会話の間も、心の内側を雄弁に語っていた。


「いや、そんな事ないよ」


 慌ててフォローするも、えにしは頬を膨らませてしまっている。


「ま、でもあながち間違いでもないけどね」


 えにしは、露骨に肩を落とす。


「クラスボードは色塗るとこ間違えちゃったし、部活動対抗競技の打ち合わせ、何言ってるかほとんど分からなかったし」

「そうなんだ」


 想像通りのえにしで少し安心した。

 それにしても、何言ってるか分からない打ち合わせは、えにしじゃなくて打ち合わせに問題がありそうな気がするが。


「私はちょっときゅーけい!」


 えにしはそっと木陰に腰を下ろした。

 僕もそろって腰を下ろす。


「行かなくていいの?」

「僕もまだ休憩」


 えにしは何を言うでもなく、小さく笑った。

 木陰は、風もあって比較的涼しかった。

 えにしの方をちらりと見る。

 外に長時間いたのか、額には汗がにじんでいた。

 ふぅ、なんて言いながら、僕の目も気にせずに、体操服の襟元をつまんで、パタパタと扇いでいる。

 とても陸上部とは思えない華奢な体の線に、ちらりと見える鎖骨がなんだかいけないものを見ている様な気になってくる。

 カラオケの時、川島の事をお人形さんみたいと目を輝かせていたが、えにしも負けず劣らずのお人形さんぶりだった。

 頭の上の数字が1しかないだなんて信じられないくらい健康的で、活溌溌地なえにしだが、こうして大人しく座っていると、おしとやかで繊細な様に見えてくる。

 実際そういう面があるのかわからないが、持っていてもおかしくないくらい、触れたら壊れてしまうのではないかと思わせる儚さが垣間見えた。

 だからこそ、僕は、えにしの頭の上を見て再び気を引き締めさせられた。

 何があってもおかしくないのだから、後悔のない様に彼女を救わなければならない。


「でも、えにしさん偉いよ。きっとみんな嬉しそうにしてくれたでしょ?」

「んーどうだろー。みんな優しいから迷惑だと思ってても口に出せないだけかも」

「そんな風に思っている人なんて誰もいないよ」


 これは、お世辞でもなんでもなく、本心から出た言葉だった。

 えにしの一生懸命に取り組む姿は、美しい。

 本人は気付いてないと思うが、勉強会の際、真剣に集中している時、えにしはとても楽しそうだった。

 陸上の時もそうだったが、きっとえにしは集中して何かをする事が好きなのだろう。

 そんな風に手伝ってもらえたら、手伝ってもらった側は嬉しいと思うだろう。

 たとえ、上手くいかなかったとしても、自分が関わっている事に真剣に手伝ってくれる人を邪険にするはずがない。


「そうだと嬉しいなー」


 えにしは、頬を緩めた。

 こういう素直な所も皆に慕われる所以だろう。


「じゃあ、矢代君のお手伝いもしてあげよっか?」


 いたずらな笑みを浮かべ、軽やかに立ち上がった。

 そう言われると、断れない。


「じゃあ、お願いしようかな」

「よろしい、ジュース一本ね」

「分かった、買ってくる」

「あー! 冗談だよー! こういうのは本気にしないで大丈夫だから!」


 こういうのは、冗談なのか、覚えておこう。

 今度は、その冗談をなんて返したらおさまりがいいのか考えなければ。

 それに、長澤みたいな人がこういう事を言ってきた場合は冗談なのかも悩ましい。

 人やタイミングによっては本気で要求されている場合もあるだろう。

 かといって、与えすぎていると、それに味を占められて延々と要求してくるモンスターが生まれてしまう可能性もあるんじゃないだろうか。


「難しい……」

「んー? まだ競技の練習してないけどどうしたのー?」


 えにしに尋ねられて、自分は今から競技の練習をするのだと思い出す。


「そういえば、個人競技は何に出るの?」

「百メートル走だよ」

「おお! いいね! 私の専門分野だ」


 スタート位置について、軽く柔軟体操を行う。

 えにしは、足を高く上げたり、アキレス腱伸ばしの足を大きく開く様なストレッチをしていて、いかにも陸上部といった佇まいだった。


「あれ、えにし! 走るのー? さっきまでクラスボード作ってなかった?」

「あー! うん! 今からちょっと走る! もうボードは手伝い終わった!」

「相変わらず元気だね!」


 頑張れと手を振る生徒達は、知らない顔だった。

 寿命も特段低いわけでもなく、そのせいで覚えてないのかもしれない。


「人気者だね」

「そんな事ないよ」


 えにしは、手と首を大げさに横に振った。

 えにしが言うと、謙遜とかではなく、本当にそう思っているのだろうなと思える。


「そういえば、少し前に謙太君に会ったよ、個人競技のコツを教えてほしいって。でも、他の陸上部の子とも話してる感じだったから、何もせずにこっち来ちゃった。謙太君、本当に顔でかいよねー!」

「……そうだね」


 顔が広いと、言いたいのだろうか、これも冗談なのだとしたら、訂正するのは野暮だろうか。

 こんな所で試されるとは思いもよらなかった。少し早すぎやしないだろうか。


 それにしても、謙太が他の人にも既に聞いている様な状況で、何故、えにしに声を掛けたのだろうか。

 そういう、人に失礼になるような態度はとるような奴ではないと思っていたが。


「それじゃあ、やろうか! とりあえず、フォームとか見たいから、試しに一本走ってみて!」


 言われるがままに、僕はスタートにつく。

 体育祭の練習の為に、スターティングブロックが何個か置いてあるが、誰もいない。

 控えめに一番隅のレーンに足をかけた。

 調整の仕方なんて分からないし、どちらが前がいいのかも分からないから、それは後からえにしに聞いてみよう。

 スタート位置についた後、ゴール付近で叫んでいると思われる、えにしの「位置について」という声が聞こえた。

 じっと集中し、声を聞き逃さない様に意識をレーンの先に向ける。

 まるで、世界が一本道であるかの様に感じられた。

 他の人は誰もいない、寿命や人との関係なんて全く無い自分だけの世界。

 この感覚は意外と気持ちがいい。

 そう思っていると、えにしのスタートの声が聞こえた。

 僕の体は、自分でもびっくりする程に素早く反応した。

 上体が起きた時、今度は、世界と邂逅した。

 グラウンドの真ん中で棒高跳びや大縄の練習をしている生徒や、部活棟の前でたむろし、サボっている生徒。

 僕の生きている世界は学校だった。

 吸い込む空気は熱気を帯び、僕のまっすぐ見据えた先にはえにしがいた。


 僕は今、真剣に走っている。


 グラウンドの真ん中にいる生徒達を次々と抜き去っていく。

 風を切り、重力から少しでも解き放たれようと懸命に地面を蹴る。

 今までにないくらいに景色が速く流れていく。


 走るという事はこんなにも心地が良いのか。


 今回は、かなり良いタイムが出る。

 そう確信しながら、僕はえにしの横を通り過ぎた。


「17.5秒!」


 おっそ。

 体感13秒くらいだったはずだが。

 そうでなくても15秒台はでていたと思ってたのに。


 ゴールを駆け抜けると、身体が一気に疲れを受け取った。

 息が荒くなり、自然と手が膝の上に乗った。


「お疲れ様! 良かったよ!」


 息が整うまで数分かかった。

 そこから、いつも通りの声が出せると思えるまでにまた数分かかった。

 えにしは、心配そうにしながらも、無言で僕の言葉を待っていてくれた。


「遅いね。もう少し早く走れてると思ってたけど。今回は一番良かった気がしたのに」

「うーん、ちょっと身体がバラバラしてるのが良くないかな? 少しグラーってしてるかも。でもねそういう事よりも」


 えにしは、やけに嬉しそうだ。

 なんだか、走りたくてうずうずしていそうな雰囲気が漂っている。


「楽しそうに走ってた! それが一番大事だよ!」

「……そうだね、確かに楽しかった」


 自然と僕の口角は上がっていた。


「でしょ! 走るのって気持ちいいでしょ!」


 確かに、風と一体になって、景色を置いてけぼりにしていくのは良かった。

 もっと速く走れたら、さぞ気持ち良いのだろう。


「うん。いつもえにしさんが楽しそうに走ってる気持ちが少し分かった気がするよ」


 えにしは、中でもトップクラスに速い上にいつまでも楽しそうに走っていた姿が印象的だった。

 一度、えにしの視点で色々な競技を観てみたいものだ。


「八代君、私の走ってるとこ、観てたの?」


 その一言を聞いて、僕は、血の気が引く感覚がした。

 しまった。廊下から覗いてたなんて言ったらかなり気持ち悪いんじゃ無いだろうか。


「うん、廊下からたまにね」

「そっか……」


 こんな事、馬鹿正直に言うべきじゃなかったか。

 えにしは、それだけ言うと、スタートの方へと歩き出した。

 慌てて僕も後ろをついて行く。

 今、横に並べる程の勇気は持ち合わせていない。


「じゃあ、次、私と走ろうか」

「分かった」


 体はもう無理だと言っていたが、コーチが隣で走ってくれているのに、休むわけにもいかない。

 コーチは先程からずっと、走りたくてうずうずしている。


 スタート位置にえにしと同時につく。

 えにしはどんな顔をしているだろうか。

 困った様な複雑な顔をしていないだろうか。


「じゃあ、行くよ!」


 声につられて、えにしの方を見た。

 えにしは、廊下で見た、練習をしていた時の顔をしていた。

 前を見て、今にもこぼれ落ちそうな程の、純粋無垢な恍惚とした瞳で、ゴールを見据えている。


 あぁ、そういえばまたスタートの事を聞き忘れた。


「よーい、ドン!」


 えにしの号令と共に、僕らは飛び出した。

 が、もう既に体が二個分ほど開いていた。

 近くで見るえにしのフォームはダイナミックで、地面を蹴った後のキックバックが凄まじい。

 あの華奢な体のどこにそんなパワーがあるのか不思議でならない。

 結局、大差で負けた。

 元々、勝負はしてないし、えにしも練習がてら隣で走ってくれたのだが、それにしても差が酷くて情けない。


 良いなと思えた百メートル走は、どうやら他者がいると楽しみが半減するらしい。


「はぁー! 気持ちよかった!」


 えにしは、スッキリしたような面持ちで伸びをしている。

 本当に、走る事が好きなのだろう。

 それが全身から伝わって来る。

 えにしは、とても分かりやすい。


「じゃあ、もう少し練習しよっか!」


 えにしは、それからつきっきりで僕の練習に付き合ってくれた。

 男女共に、羨望の眼差しを受けている様な気がしたが、幸い声をかけてくる者はいなかった。

 この状況で声をかけるのも勇気がいるのだろう。


「もっと足をガーっと開いて! そうそう! 次,、腕を一緒にブーンて振るの!」


 野球のミスターみたいな教え方はなんとかならないかとも思うが、何となくえにしの表情で今やっている事がいい事なのかが読み取る事が出来るので、そこまで苦労はしなかった。


「一旦休憩しようか!」


 三十分程指導を受けた後、再び木陰へと戻ってきた。

 先にえにしを座らせ、スポーツドリンクを買いに行った。

 えにしに渡すと、大袈裟に驚いた後、とても嬉しそうにしてくれていた。

 さっきは冗談と言われたが、えにしの指導のおかげで前よりもずっと走りやすくなった気がする。

 ジュース一本じゃ足りないくらいだ。


「やっぱり走るのは楽しいねぇ」


 えにしが、スポーツドリンクに口をつけた後、どこからともなく言った。


「えにしさんは、特に楽しそう」

「体が動かせるのってとってもありがたい事だよね」

「そうだね」

「だから、どれだけ動かしても毎回新鮮な気持ちで、ありがとーって思いながら動いてるの! そうするとね、一回一回が楽しくて仕方ないの!」

「健康でいられる事に感謝だね」


 えにしの動きが一瞬止まった様な気がした。


「うん! ほんとに! ありがとね!」


 ありがとう、とは、ジュースの事だろうか。


「どういたしまして」


 えにしは、いつも笑顔でいるなと、つくづく思う。


「あ、えにしちゃん! それに悠壱! こんなとこにいたのか!」

「やーやー、謙太君、元気かい?」

「陸上部の奴はもういいのか?」

「おうよ! バッチリ教えてもらったぜ! パンを食う時はだな、体をまっすぐに――」

「謙太君の個人競技、障害物競走だったかー」

「うそ、冗談!」


 今のは冗談。今のは冗談。


「それで、えにしちゃん、俺を差し置いて悠壱に教えてたのー?」

「言い方ー! 八代君が暇そうにしてたから引っ張ってったの」

「かなり、助かった」

「えにしちゃーん! 俺にも教えてよ!」


 くねくねと、気持ち悪い動きをしながら、えにしに懇願している。



「あ、でも八代君が……」

「そこをなんとか! 由香ちゃんにいいとこ見せたいんだよー!」

「僕は帰るから、謙太の所に行ってあげて」


 ちょうど、疲れも居残り加減もいい具合だ。

 そろそろ僕はもう帰りたい。

 帰りたそうな姿を察してくれたのか、えにしは分かったと言って立ち上がった。


「やった! 先、グラウンドで待ってるね!」

「はーい、すぐに行くよー」


 そのまま駆け出すのかと思いきや、えにしは僕の方を振り向いた。

 何やら緊張した面持ちでこちらを見ている。


「ねえ、矢代君」

「何?」

「私とも、連絡先交換してくれない?」


 一瞬、ポカンとしてしまった自分を恥じた。

 えにしの顔が一気に赤くなり、挙動が落ち着かなくなっている。

 連絡先を教えてくれなんて事を言ったのに、相手に黙られたら気まずくなるに決まっている。


「ほら、その! あれだよ! 八代君は、私の恋愛相談相手…‥だから、その――」

「いいよ」


 自分のいないところでも、えにしとコミュニケーションを取れるのならこちらとしては願ってもないところだ。


「ほんと! ありがとう! じゃあ、私のID教えとくね、登録してね! 絶対だよ!」


 そう言って、IDを耳打ちしてきた。


「うふふ、じゃあ、またね!」


 えにしは、IDを言い終えた後、足早に謙太の後を追って行った。

 耳打ちの距離の近さに緊張してしまい、忘れそうになったえにしのIDを忘れないうちにと、慌てて携帯を取り出す。


 開いた画面は、川島への返事をしていないチャット画面だった。


 なんて返そうか迷いながら、えにしのIDを打ち込む。

 可愛らしい小型犬の画像と、えにしの名前が表示される。


 僕は、そっと登録を押して、携帯を閉じた。

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