12
まだ、太陽が上にある時間の学校からの帰り道、今日は珍しく勉強会の四人で帰っている。
「さあー! 打ち上げだぁー! カラオケ行くぞー!」
「おー!」
テストが終わり、二人を悩ませるものはなくなった。
あれから、テストが終わるまで、みっちり勉強会をやった甲斐があって、各々それなりに手ごたえを感じている様だ。
苦手なものに果敢に挑み、結果はどうであれ、走り切った二人が、はしゃぎにはしゃいでいる。
「おい、お前達、あんまり道の真ん中で騒ぐな、迷惑になるだろ」
「はい! 由香ちゃんすみませんでした!」
「気を付けます!」
二人は、道の真ん中で、長澤に敬礼をしている。
それも、長澤が注意すると、背筋を伸ばして道の端っこを歩き始めた。
あの二人は相性がいいのか、いつも楽しそうだ。
「なんであんなにはしゃげるんだろうな」
ふっやれやれ、といった顔をしている長澤だが、自分もボウリングで異様に熱くなっていたのを僕は知っている。
三人の後ろについて、ゆっくりと街中を眺める。
いつもは、まっすぐ家に帰る様に努めていたから、こういった時間に街中に出るのは久しぶりだ。
平日の街中は、いつも見る光景とは、少し違っていた。
忙しい雰囲気と、なだらかな空気が混在している様なそんな感覚があった。
昼下がり、という単語があるが、まさに、昼間にみんなのやる気やらのんびりした気持ちやらを、ぶら下げている様な、空気だ。
それに、いつもなら勉強に励んでいる時間に外に出て遊びに行くというのは、妙な背徳感がある。
「いやー! 世間様は忙しく動いているのに、俺達は打ち上げだなんて、最高だなー!」
この感覚は、謙太の様に愉しむのが正解なのか。
「私達だって、頑張ったんだから、正当なご褒美だよ、謙太君!」
「それもそうかー!」
わざとらしい笑い声を高らかにあげている二人を見て、少し羨ましく思った。
それからほどなくして、カラオケ屋に着くと、僕達と同じ考えの高校生達が何組か待っていた。
他校の制服もちらほら見える。
しかし、謙太が予約をしていたらしく、フロントに行くと、すんなりと中に通してくれた。
「やっぱり、皆考えることは同じなのか」
「そうなのかもな」
同じことを思っていたのか、長澤が僕の独り言に相槌を打った。
「そう思って、二週間前から予約しておきました」
「早いな。まあ、それは置いといて、ありがとな、飯田」
「ありがとー!」
「ありがとう」
「由香ちゃん……! どういたしまして!!」
マイクやらなんやらが入った箱を持ちながら、謙太は、感動で打ち震えていた。
なかなか謙太が進まないので、部屋番号を確認してそそくさと先に行く。
予め、扉を開けておかないと長澤の数字が減ってしまう。
「矢代君、扉開けといてくれたの?」
優しい声で尋ねてきたのは、えにしだった。
「あぁ、まぁ」
歯切れの悪い返事しかできないでいると、えにしは、投げかける様に微笑んできた。
「ありがとね! 矢代君は紳士で優しいんだね!」
そういうと、えにしは駆け足ではしゃぎながら部屋へと入って行った。
「うおっ、お前、また扉開けたくなったのか?」
「あぁ」
「……ほどほどにしとけよ」
長澤は、奇怪なものを見るような目でこちらを見ているが、仕方ない。
実際、普通の人間とは違うものが見えているのだから。
変な奴扱いされようと、数字が減らないのならそれでいい。
「やばい、ごめん、なんか記憶飛んでた」
慌ててやってきた謙太が、申し訳なさそうに部屋に入った。
長澤のお礼にはそんな効果があるのか。もう、追いかけるのを止めさせるのを真剣に検討しなければならないかもしれない。
全員が部屋に入り扉を閉める。
部屋は、両サイドに長椅子があり、真ん中に机があるような間取りだった。
男女で長椅子が分かれ、部屋の奥側に謙太と長澤、手前に僕とえにしという配列だった。
「さっき行きそびれたけど、飲み物取ってくるよ、皆何がいい?」
「あ、なら私も手伝うよ」
長澤と謙太のオーダーを受けて、えにしと共に席を立った。
他の部屋も埋まっているらしく、時々音漏れが聞こえてくるくらいに廊下は騒がしかった。
「カラオケなんて、久しぶりだなー」
「そうなんだ、よく行ってるのかと勝手に思ってた」
「部活が忙しいからねーあんまりいけないや。好きなんだけどね。だから、今日は楽しみ!」
えにしは、会ってからどんな時でも楽しそうにしているが、今日を楽しみにしていたらしい事はひしひしと伝わってくる。
お互いグラスを持って、謙太と長澤に言われた飲み物を注ぐ。
ドリンクバーの近くは、不思議と静かだった。
「矢代君てさ、由香ちゃんと仲良いんだね」
「え?」
突然の質問に、答えが見つからなかった。
同じ事をショップ店員さんにも言われたが、はたから見るとそうなのだろうか。
「別に、普通じゃないかな? 仲良さそうに見える?」
「うん、なんか、二人の間に独特の雰囲気があるっていうか、さっきだって、『また』って――」
「また……?」
「ううん、何でもない!」
再び、会話がなくなり、飲み物を注ぐ音だけが響いていた。
そこでふと、思い立つ。
これは、えにしの好きな人、あるいはその人物との進捗状況を尋ねるチャンスじゃないか。
ドリンクを注ぎ終わり、一瞬の静寂が訪れた時、僕は、意を決してえにしに突撃を敢行した。
「えにしさんは、あれから好きな人とは、どうなったの?」
「んー、特に何もないかなー、勉強忙しかったし、あんまりこっち向いてくれそうにないかも」
ほう、僕にとってはこれは朗報だ。えにしほどの人物になびかないという事は、相手はもっと顔が広く、相当モテるという事だろうか。
「そうなんだ、なかなか、大変そうだね」
「うん、大変だよー……まあ、諦めないけどね!」
そういって、いつもの顔でにこやかに答えた。
そうだった、えにしは、こういう人物だった。
しかし、まだまだ、気を抜ける状況ではないという事が確認できただけでも良しとしよう。
部屋に戻ると、謙太と長澤が、珍しく話をしながら盛り上がっていた。
「よし、カラオケの採点で勝負だ!」
長澤の、その一言で、大体の流れを察した。
「よーし、負けないぞー!」
「えー! 楽しそう! 私も負けないぞー!」
「よし、ドベは、新作のフラッペおごりな」
「あー、あの甘いやつ! 由香ちゃん好きそうだもんね!」
「由香ちゃんに、由香ちゃんの好きなものをプレゼントできる権利……だと!?」
「飯田、手抜いたら、はったおすからな」
はったおされるべきは、勝負よりも思考の方じゃないのか。
怪しい発言をしていた謙太が、トップバッターを務める事になり勝負は始まった。
謙太は、僕達が子供の頃に流行っていたアニメのエンディングテーマをチョイスしていた。
「あー! これ知ってるー! 懐かしー!」
えにしが、謙太の歌に合わせて手を叩いている。
謙太は、見かけによらず滑らかに歌を歌うので、隣にいた長澤は驚いた様子で口が少し開いていた。
そして僕はというと、ここにきて気付かされてしまった。
カラオケというのは、自分だけが知っている歌を歌うのは、よくないのではないかと。
みんなが知っている曲をチョイスして、ようやくみんなが楽しめるのではないか。
しかし、僕には、流行りの曲など知らないし、そもそも、一曲フルで歌えるような曲すらも限られている。
昔、謙太に誘われて行ったカラオケはもっと気楽でお互い適当だったが、今回はそういうわけにもいかないだろう。
何を歌えばいいのか、悩んでいる内に、謙太の曲が終わった。
なかなかの高得点だった。
それを見て、えにしは惜しみない拍手を送り、長澤は、より大きく口を開けていた。
謙太は、大道芸人の様に大仰なお辞儀をした後、マイクを僕の方にすっと寄越した。
まずい、まだ何も決まってないのに。
「おー! 次は矢代君が歌うのね! がんばれー!」
「矢代―、せいぜい頑張れよー」
「由香ちゃん、俺には何かないの!」
「あー、すごかったなー」
「いぃよっしゃー! ヤッホーい!」
そうだ、皆が歌った事のあり、僕も歌える曲ならあるじゃないか。
僕は、迷わずその曲を送信した。
ポンと、画面に入れた曲が表示された時、一瞬変な空気が流れたのを僕は感じ取ってしまった。
「いい曲だよね、私この曲好き!」
「これ、卒業式で、歌うやつだろ? 何で今……?」
「悠壱、もしかして、俺達に気つかったんかー?」
「……歌います」
しんみりした曲調のイントロが流れ出した中、みんなの優しい視線が逆に痛い。
慣れてない人間が頑張って合わせてくれたから温かい視線で見守ろう、といった雰囲気が筒抜けだ。
やたらとイントロが長く感じる。
「あーおーげーばー」
歌いだしても、その空気が変わることはなく、そのまま何となく終わって行った。
採点なんて、恐らく見れたものじゃないだろう。
えにしの、満面の笑みから繰り出される拍手が、余計にいたたまれない。
あの、甘ったるいフラッペは、僕のおごりで決まりだ。
謙太に、長澤におごる権利を奪ったことを申し訳なく思いながら、マイクをえにしに渡す。
「良かったぞー! 悠壱ナイスー!」
「まぁまぁだな」
「いい歌だったー!」
「……ありがとう」
カラオケをして、励まされるのがこんなにいたたまれないなんて知らなかった。
「何歌おっかなー」
そう言いながら、えにしは、僕とは比べ物にならないスピードで選曲した。
選んだ曲は、女性シンガーソングライターが手掛ける応援ソングだった。
実にえにしらしい選曲だと思った。
歌も、溌溂としていて好感の持てる歌い方のうえ、音程がかなり正確で、耳触りがとても良い。
いつまでも聞いていたくなるような、本当に応援してもらっているかのような錯覚を覚えるほどに、えにしの歌は上手だった。
僕とは大違いだ。
謙太が、ノリノリでマラカスを振っていたので僕もタンバリンをシャンシャンしておいた。
えにしの歌はかなり良かったと個人的には感じたが、どうやら採点は謙太の方が高かったらしく、いつも笑顔のえにしが少し悔しそうにしている珍しいシーンが見れた。
長澤は、もう決まっているのか、機器とマイクを貰うと同時に曲を入れた。
それだけじゃなく、マイクと音響の調整までし始めた。
「やばい、由香様のライブだ!」
「由香ちゃんの曲久しぶりに聞けるー!」
もはや、長澤は歌手の様な扱いだった。
僕は、本当にここにいていいのだろうか。
卒業式の合唱曲が、良い選曲だと思った自分を叱ってやりたい。
長澤が選んだ曲は、みんなが知っている様な歌姫のバラードだった。
第一声目から、僕はえにしと謙太の反応が伊達じゃない事を思い知らされた。
レベルが違う。プロの歌声といわれても鵜呑みにして信じてしまうくらいに長澤の歌声やテクニックは完成されていた。
「神様……」
楽しそうにマラカスを振っていた謙太は涙を流し神様でも見ているかの様に胸の前で手を結んでいる。
神様はこんなとこにはいないが、謙太にはそう見えてもおかしくないのだろう。
えにしは、切なそうな表情をしながら、瞳がうるんでいるように見えた。
「すごい」
思わず声が漏れてしまうほどの歌いっぷりだった。
「どーよ、私が一番だろ」
歌い終わった後の第一声が、ちゃんと長澤で安心した。
「はい! 一番です! 世界一!」
「由香ちゃんうまーい!」
「そうだろ、そうだろー」
「うまかった。プロかと思った」
「ふふふー、そーだろそーだろ!」
長澤は完全に有頂天になっていた。
謙太やえにしが、長澤のアンコールライブが観たいと言い出し、長澤が二曲連続で歌う事になり、僕は少し飲み物を持ってくる為に席を立った。
あのままずっといつづけたらそのうち自分があの場にいてはいけないような感覚になりそうだった為、無理矢理飲み干して出てきた。
あぁしてすごいところを、まざまざと見せつけられた上で改めて考えると、すごい四人で過ごしているなと思ってしまう。
どうして、女性陣はこのメンバーをオッケーしてくれたのだろうか。
僕としては、えにしの動向を探るのに最適だし、謙太は長澤の事を好いている、目的は明確だ。
でも、女性陣が僕達と行動を共にするメリットが見当たらない。
やはり、その点においても何か考えなければいけないのかもしれない。
もしや、僕と謙太が思っている以上に魅力的で、二人は僕達といる事で楽しめている、なんて事はないだろうか。
もしそうなら、まさに奇跡とでも言うべきか。
しかし、さすがに、自分にそこまでの自信は持てなかったし、謙太がボロクソに言われている所を聞いてしまった手前、その線を追うのはメンタルヘルス的に大傷を負いかねない。
真っ先に頭から排除する。
今し方の氷がコップに入る音は、きっと頭の中を綺麗さっぱりにする時の効果音にぴったりだろう。
「カラン、コロンていいながら溶けていくんだろうな」
「何がです?」
体がびくりと反応した。
独り言を聞かれていた。人生の中で恐らくこれ程までに王道な恥ずかしいシーンは中々ないだろう。
しかも、聞いた事のない声だ。
慌てて向くと、他校の制服だった。
「……え?」
僕は、それを見て固まってしまった。
「うふふ、お久しぶりです、ごきげんよう」
黒のロングでストレートの髪をさらりと掻き分ける動作と、その挨拶がよく似合う。くりりとした丸くて大きい目がチラリとのぞく。
肌は白く、折れてしまいそうなくらい華奢な体つきに、細く長い足がスカートから膝下7センチ程見えている。
お嬢様学校なのだろうか、雰囲気がお淑やかだ。
それにしても、久しぶりと言われたが会った事はなかったはずだ。
こんな目立つ存在に会ったのに覚えていないなんて事はないはず。
それどころか、最初は案外どこにでもいる女子高生に一瞬見えたのだが、僕が硬直してしまった、この世の誰ともない大きな特徴が僕を大きく揺さぶった。
頭の上の文字と数字が無い。
穏やかに笑う少女は、手を腰の前で綺麗に折り畳んでいる。
僕には目の前で笑う少女が何故かとても恐ろしく思えたと同時に懐かしさも感じた。
あぁ、あの時の記憶はきちんと存在した記憶だったんだ。
僕は今、世間一般の人が見えている様に人が見えている。
そうか、人というのはこんなにもスッキリとしていて美しいんだな。
僕は、今パズルのピースが埋まっていく様な満ち足りた感覚があった。
「あなた、何か他の人と違いますか?」
「うふふ、そんな周りくどい言い方しなくてよろしいですよ。単刀直入に仰ってくださいな、いつもみたいに寿命が見えないと」
「……君にも見えてるの?」
「はい、見えます。それより、あの時の事覚えておいででしょうか?」
驚いた。まさか……。
やけに軽い言い回しだ。寿命が見える事が、あたかも視力検査の前半の大きめのランドルト環くらいの感覚で言ってくる。
「ああ、覚えているよ。一緒に神様にイタズラした時の子でしょ?」
「えぇ、昔の私達は、おてんばでしたね。会えて嬉しいです」
「元気だったんだね」
「はい、お久しゅうございます。八代悠壱様もお元気そうで何よりです!」
「なんで僕の名前を知って――」
「秘密でございます」
その笑顔は、先ほどの顔と全く同じだった。
名前を知っている事といい、ドリンクバーに来たのに手にグラスを持ってない事といい、この人は、僕に何か用があるから話しかけてきたんだ。
「あの、要件は何かな? 僕、そろそろみんなの元に戻らないといけないのだけど」
「分かりましたわ、ならば単刀直入に申し上げます」
顔がすっと真顔に戻る。表情の切り替わりがまるで訓練されたかの如く隙がない様に感じる。
「私とお付き合いしませんか?」




