第九話 恋とか愛とか
もう如月を怖がらせて逃がそうとする気力も消えた俺は、ベッドで如月を抱きながら横になっていた。
生まれたままの姿となった如月が風邪をひかない様に毛布で包んだ。
俺の右手はしっかりと如月の胸を包んでいるが、感触が無いこの身体が憎い。
だが俺の手を自分の胸に置いたのは、如月自身だ。
「宮田君。私の昔話、聞いてくれる?」
「……ああ」
そう返事をすると如月は寝返りを打って、顔を俺の胸に埋めた。
もう皮膚も筋肉も無いそこは尖った肋骨が露出しているだけの場所だ。
そこに顔を埋めても痛いだけだろう、そう思ったが如月はさらに身体を押し付けて来た。
痛くないから、くっついていたい。
まるでそう言っている様で、俺も無理に引き離そうとはしない。
「私が旧華族の一族だって事は知ってるよね?」
「確か、江戸時代から続く名家だって噂があったな」
「うん。それで正解。どこから広まったんだろうね」
如月は自虐気味に言うが、俺の胸元に埋めた顔は笑っていないだろう。
「今でも大きな会社を経営しててね、やっぱり家はお金持ちだったよ。でもそれを知って集まって来る人も多かったんだ」
小、中、高と徐々に増えて行ったと如月は語る。
「最初にソレに気が付いたのは小学校の時だっけなあ。お会計の時に自分の時に分を出したら、「えっ?」って。ふふっ、笑っちゃうよね。御金目当てだって気付かないなんて」
笑えないよ。
その光景が容易に想像できる。
さっきまで楽し気だった空気が一変して、如月に向かう視線。
空気読めないよね、と聞こえる様に言う陰口。
「中学校でも、高校でも。御金目当てで告白して来る人が増えたし、中には部費に困ってるからお金を貸してって言う人達もいたっけな。家のお稽古を理由に全部断っていたよ」
如月が俺の背中に回した腕の力が強まった気がした。
「でも家に帰っても地獄は変わらなかった。夜まで続くお稽古の数々、両親は仕事で返って来ないからお手伝いさんが料理を作ってくれたけど、栄養士さんが考えてくれたレシピを機械的に一週間ローテーションしていたんだ。暖かいはずのご飯が冷たくて、いつもお腹を壊していたっけ」
俺もまた、如月の背中に回した手をぎゅっと強めた。
「パーティとかにも出席させられたけど、寄って来るのは肩書しか見ていない人ばかりだった。どこに行っても孤独感しか無くて、自殺を考えた時もあった」
より一層、俺の背中に回る手が強まり、震え出した。
俺は大丈夫だよと優しく、それでいて強く如月を抱き締めた。
「でもね、そんなある日、運命の出逢いをしたんだ」
如月は胸に埋めていた顔を上げ、俺に見える様に微笑んだ。
「宮田君が私と最初に会った時、何て言ったか覚えてる?」
「え、いや……」
「『誰?』だって」
昔の俺、そんな事を言ったのか……。忘れていた。
「ふふっ、笑っちゃうよね。学校中の人が私を色眼鏡で見てると思ってたんだから、そんな事言われると思わなくて面食らっちゃった」
ものすごく最悪な初対面だったと思うけど、と如月は嬉しそうに語っていた。
「私は最初は知らないふりしてるんじゃ?と思って会話してみたけど、本当に知らなかったんだね。だって、『ていうか彼氏とかいるんじゃないの? 俺なんかと話していて大丈夫?』だからね。ふふふっ、私が誰とも付き合ってないって知るとすぐにアタックして来る人ばかりだったから、新鮮で……。今思い出しても笑えるよ。ふふっ」
何が面白いんだろう。かなりツボに入っているらしく、如月は身体を震わせて笑っていた。
「私の事を知られてないって事が、あんなに素敵な事だとは思わなかったなあ」
それから少しして呼吸を落ち着かせると、まるで余韻に浸る様にゆっくりと告げた。
「それから宮田君と何回も話していると、旧華族だって事を知ったんだね。『そう言えば如月って旧華族なんだって? 凄いね』って。一言だけ。あとは、前と全然対応が変わらなかったなあ。元々、私から一線引いて話してたけど、ずっと同じ距離感だった」
そうだったかな。そんな気がする。
だけど俺は如月の事が、高嶺の花だと思っていた。
手の届かない存在だから、それならいっそ、手を伸ばさずに憧れを胸に秘めて眺めているのが一番良いんじゃないかって。そう思っていた。
「宮田君はね、私の事を『旧華族・大企業の娘』としてじゃなく、『如月雫』として接してくれた初めての人だったんだ」
「それは……、誰だって同じだったんじゃないか。この世界に来たらほとんどの人は如月の事を知らないんだし、色眼鏡でなんか見ないで……。誰でも同じだったんだよ」
「だとしても、私には宮田君だったんだよ」
ああ、無い心臓が高鳴る。
無いはずの眼が涙で潤う。
「宮田君が私の初めてだったの」
ぎゅっと、如月は俺の背中に回した手を力強く握り、抱き着いて来た。
それから顔を上げ、満面の笑みで言う。
「宮田君、大好き」
「~~~~ッ!」
一瞬で湧きあげて来たのは、愛おしいという想いと、抱き締めたいという感情だった。
とにかく抱きしめたい。
それはすぐに出来るので、精一杯の愛情を共にぎゅっと抱き締めた。
「わふっ、宮田君?」
「……如月、俺は……」
君が好きだーーーー。
喉まで出掛かった言葉を、必死に抑え込んだ。
「……俺はこれから人を沢山殺すよ」
如月の息を呑む音が聞こえた。
「沢山、沢山……。数えきれない人を殺す。平穏に生きている人も、女も子供も関係無く……、俺の両手は真っ赤に染まるんだ。……それでも」
それでも付いて来て欲しい。
そう言おうとした時、如月が指を当てて俺の口を塞いだ。
「私は何があっても宮田君について行くよ」
「っ、殺戮者でもか?」
「うん」
如月は一切迷わずに即答する。
「屍の山を踏み越える必要があっても、地獄でもどこへだってついて行くよ。宮田君と一緒なら」
その言葉に俺は震えた。
不安だった。怖かった。
この先俺はずっと一人で、沢山の犠牲を背負って生きていくんだって。
でも、如月が言ってくれた。
一緒にいてくれるって。
なら、俺も。
「君が……、雫が好きです」
「ふふっ。うん、私も好きだよ。琥珀君」
その日、俺は久しぶりにぐっすり眠った。
眠らなくていい骸骨の身体で眠ったのは久しぶりだったが、きっと如月がいてくれたから安眠出来たのだろう。
一人じゃない事が、こんなにも幸せだとは思わなかった。
温もりを感じないはずの身体だが、雫の温もりは確かに感じられた。
愛しい人はそこにいる。
俺は一人じゃないんだ。
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