閑話・掃除編
「おはようございまーす!」
牧場の朝は早い。
太陽が昇るか昇らないか瀬戸際の頃に、活動は始まる。
牧場の職員たちは厩舎へ向かい天馬たちに何かないか、異常や怪我がないかをチェックしに見回る。
そして、各々が、馬房の中に入りを連れ出していき、空いた馬房の掃除をし始める。
そのあわただしさの中で、ステファンは目を覚ます。
あの時の森の出来事から、一週間が経っているが戻ってみればいつもの生活に元通り。ああ、また我のあわただしいいつもの退屈な一日が始まるのだなとぼんやりと考えるやいなや…。
その日だけは違っていた。
「はい、おはようございます。元気そうですわね」
と最近知った人間顔を出す。
一週間ぶりに見た少女は、あの時の軽装の胸当て等の装備を付けておらず、どちらかといえば、動き安い汚れてもよい、牧場の作業服を身に着けていた。あの時の、長かった髪の毛は、肩らへんで切りそろえ、いかにも動きやすそうな形にしていた。
ステファンは、そちらへと意識を向けた。
(……え?)
「はい?」
(なんで、お前がいるんだ?)
「ええ、だって、今日から一年間、士官学校に行くための事前の訓練として、あなたと共に生活しますのよ。あなたのお世話をするのは、当たり前ですわ」
(ちょっとまて、聞いていないぞ)
「まあ、あなたの前で動物会話する方は、いらっしゃいませんもの。私から、じきじきにお話しするつもりでしたからね。それに、私が立派な天馬騎士になるのと同時に、あなたを立派な天馬にするためにも、本格的な乗馬訓練にも参加させなくてはいけませんわ」
(訓練というのは、それは、別にお前じゃなくてもよいだろう)
「天馬騎士は、代々自分の愛馬と共に成長するのは、立派な努め。それに、我がケンプコンスト家では、士官学校行く前に自分の愛馬と共に訓練するのが、掟ですのよ。それに、あの時、あなたは私を乗せてくれたのではありませんか」
(それは、だからって、あの事があったからとはいえお前を乗らすのを認めたわけではないぞ!)
「それは、この一年間で、認めさせて差し上げますわ! さあ、早く、立ち上がってくださいまし」
(何をする?!)
「なにって、掃除ですわよ。いつも牧場の方がやってくれているではありませんか」
(お……、おう)
ステファンは、ゆっくり立ち上がると同時に、ライヒも馬房の中に入る。
ライは優しく彼の顔をなでながら、慣れた手つきで無口(馬を誘導するための口につける道具)を彼に取り付けていく。そして、ステファンを誘導する。そして、目の前の柱の間に連れて行き、両柱に括り付けている縄で彼の無口をつなぎとめた。
ステファンも、見れば、同胞たちも同じように係留され、いろいろな人間たちが馬房の掃除を始めている。ライヒがいることを除けば、これもいつもの光景だ。
向こうから、今までステファンの世話をしていた牧場の初老の職員がこちらに近づいてくる。
「おお、お嬢様。62を係留しましたか。どうです、コイツに、機嫌悪くされませんでしたか?」
「ええ、機嫌を悪くされませんわ。向こうが一週間ぶりの再会の感動のあまり一瞬、時が止まってくれたおかげで無口を取り付けられましたもの」
と、笑顔で答える。
「はは、そりゃあいい。じゃあ、ライヒお嬢様。これから、よろしくお願いします」
と、初老の職員の指示により、テキパキと進めはじめる。
まず、馬房の状態をチェックしていく。これは、ボロ、いわゆる馬糞の状態をチェックし、特に異常ないかを調べていく。少しでも硬さ、量など異常があればそれは病気を症状を持っているということで、見つけるのが早ければ早いほど良い。
天馬も含め、馬はデリケートである。軽い腹痛でも、場合によっては命に関わることにもなりかねない。ライヒも、これからの相棒のため、初老の職員に学びながら、通常の状態という物を確認しているのだ。
十分に確認し、特に問題なしとなったところで、ボロをボロ取り用フォークで、すくって馬房の外に出す作業だ。初老の職員の見よう見まねで、ライヒはぼろをフォークで救い、ゆすることでおが粉(作者注:いわゆる木くずのこと)取り除き、ボロだけを取り出す。そして、馬房の外へ後で回収できるように外に集めておく。
その後、落ちている天馬の羽根は拾っていき別の袋に回収していき、尿で固まったおが粉を探し当て、それもまたフォークで掘り起こして、ボロの方へとほおり出していく。プレートになっていたり重量があるものがそうであるのだ。
天馬の羽根も、魔術道具の素材として、貴重なため集めておいて、管理しておかなくてはならない。
そして、そのほかのおが屑をならして空気を入れ替えていく。こうすることによって、少し踏み鳴らされたおが屑がふかふかになっていく。これでステファンも寝る時少し心地よくなるだろう。また、新しい空気を入れ替えられたことにより、病気のリスクを軽減されていることも分かっている。
そして、スコップを使い、ボロと尿で固まったおが粉を手押し車にのせていく。そして、初老の職員の馬房内のチェックがはいり、問題なしとなったためライヒは手押し車を押していき、しかるべき場所に捨てていく。そして、新しいおが粉が入っている手押し車をステファンの馬房の前へと移動させる。
そして、馬房の中へとおが屑を下ろしていく。そして、またフォークを使い慣らしていくのだ。
ステファンは、そのライヒが、作業している様を横目で見つつ、他の人間が話していることが聞こえてくる。
「なあ、王女様が、お忍びで地方のどこかで勉強しているらしいな」
「ああ、聞いた聞いた。どうやら、魔術に興味があるらしく、そのために遠くの魔術学院に通っているそうな」
「魔術なら、都でも学べるだろうに」
「いや、それが、魔術の大家がそこで教えているそうで、何度も都に来ることを依頼したのだが、今いる教え子たちを離れてまで教えることができないと拒否されてな。どうしてもということで王女様は、そちらに住み込みで通い出したらしいぞ。今年で、卒業と聞いたが」
「となると、そのまま士官学校へ入学かな?大変だなぁ。王族は、士官の勉強もしなくてはならないもんなぁ」
「それをいうなら、今日、うちにいらっしゃったケンプコンスト公のご息女、ライヒ様だって来年士官学校に通うのだろう」
「それも、ケンプコンスト公の伝統だったな。愛馬のため、一年、馬の世話と乗馬を学び、その後、愛馬と共に士官学校に通うのだったな」
「というと、王女様と同級になるわけか」
「ケンプコンスト家としても、願ったりかなったりじゃないか?お近づきさえできれば、大事なコネの一つになるわけだし」
「まあ、ケンプコンスト公は、コネのためにライヒ様と王女様を同級にするようなお人ではないだろう。たぶん、王女様がおらずとも、同じ時期に通わせていたはずさ」
「まあ、そうだろうな。しかし、政治云々抜きにして、仲良くしてほしいけれどなぁ」
「おてんばであるけれど、実直なライヒ様のお人柄だ。仲良くなれるさ」
(ふむ、娘も言っていたな、士官学校に行くと。学校というのは、人間が学ぶところか。それに、オウジョという人間も、学校に行くらしいな。まあご苦労なことだ)
と、どこか他人事(他馬事というべきか)な、ステファン。しかし、彼女の運命には、『彼』も必要。否、彼の運命は、彼女に見染められてから動き始めていたのだった。




