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旧鼠の星  作者: 来星馬玲
3/6

捜索隊

 焼きつけるような日の光が降り注ぎ、荒れ狂う熱砂が渇いた大地を舞う。動く生き物が周囲に見当たらない過酷な環境の中であっても、刻一刻と変化する時間の流れというものは万物に対して無情であり、同時に平等であったとも言えた。


 トンガーソンは生き別れになったユスチィスの無事を祈ってはいたが、内心、諦めに近い感情を抱いてもいた。


 大蛇(おろち)に襲われた際、トンガーソンは必死になってユスチィスと共に逃げたが、結局なすすべもなく追いつかれてしまった。もう二度と生きて故郷の土を踏むことはあるまい――トンガーソンは、観念した。


 そして、大蛇(おろち)の振るった尾の一撃で全身を打ちつけられ、気を失ったトンガーソン。


 しばらくして、次にトンガーソンが目を開いた時、最初に視界に映ったのは天空に屹然と輝く太陽であった。


 トンガーソンは微かな呻き声をもらしながら、上体を起こす。眩暈を覚えながらもこれまでの出来事を思い起こそうとするも、どうやって助かったのか、まるで記憶にない。


 それでも、徐々に明瞭となっていった、生きているという実感。トンガーソンはどういうわけか生き延び、新しい朝を迎えることができたのである。


 自分は死なずに済んだのだという事実だけははっきりと理解し終えると、すぐに念頭に表れたのは愛弟子ユスチィスの安否だ。


 ユスチィスの姿は見当たらず、手がかりも見つけられなかった。


 思い起こしてみると、ユスチィスは大蛇(おろち)から逃げている途中で砂の中に呑み込まれた。助かっているとは考え難いが、大蛇(おろち)に追い詰められたトンガーソンの命運とて似たようなものであったはずである。


 トンガーソンは、ユスチィスの死を認めたくなかった。遺跡の調査を放棄し、近くの仲間たちが屯している村に帰還した時になっても、それは変わらなかった。


 かくして、トンガーソンは自分と同じ考古学を志す探検家を集め、捜索隊を結成した。


 表向きは、トンガーソンが発見した先史文明の遺跡の調査隊である。だが、トンガーソンは自分と同様にユスチィスが助かっているのではという一抹の希望を捨てきれず、途中ではぐれた仲間の捜索も同僚たちに懇願していた。


 ユスチィスが砂の落とし穴に呑まれたという件について、トンガーソンは誰にも話していない。ただ、大蛇(おろち)から逃げている途中に生き別れたという事実のみを皆に伝えていた。


 あるいは、あの奇妙な砂上の仕掛けも大蛇(おろち)に襲われ平常心を失ったことによる記憶違いだったかもしれない――トンガーソンは敢えてそう思い込もうとしていた。


 トンガーソンが同僚についた嘘はそれだけに止まらず、大蛇(おろち)と遭遇したのも砂丘の道中で、遺跡に逃げ延びたことで難を逃れたのだと、皆に説明していた。


 もし、遺跡が大蛇(おろち)のねぐらであったと話したならば、誰一人として共に来るものはいなかったであろう。トンガーソンはそう考えていた。


 同僚を危険にさらす危険性についてはトンガーソンも承知していたが、ユスチィスの消息を辿ろうとする強い願望が、トンガーソンの思考を支配しつつあった。


 そして、トンガーソンを含めて十二名からなる捜索隊が列をなし、また遺跡に戻ってきたのである。


「ジェント砂丘の遺跡は、これまでも多くの先人たちが古文書の記録を頼りに探してきた。それが我々の代になって突然見つかるとはね……いやはや、驚いたよ」


 トンガーソンとおおよそ同年代の旧鼠(きゅうそ)、タンムルが感嘆の声をもらした。タンムルはトンガーソンの話を聞いた当初はにわかには信じられないと訝しんでいたが、いざ実物を目の当たりにすると、隊の中で最も強い好奇心を露わにし、興奮を抑えきれずにいた。


「ジェント砂丘は日に日にその全貌を変え続けている、移動砂丘だ。遺跡が実在するならもっと早く見つかってもおかしくはなかったのだが」


 骨ばった顔が特徴的な中年の旧鼠(きゅうそ)、デイモルが砂の中から露出している碑文の文字を調べながら言った。


 タンムルは頷き、地上にさらされている遺跡の全体をゴーグル越しにざっと見渡しながら、暫しの間、黙していた。


 やがて、タンムルは思案気な表情のまま足を数歩前に踏み出すと、その場でしゃがみ込み、一欠けらの岩塊を拾い上げた。


赤鉄鉱(せきてっこう)が混ざっているなあ。おそらく、ジュノーから運ばれてきた物だと思うのだが……」


 タンムルはデイモルに向かって、岩塊を差し出す。デイモルはそれを取り上げると、手のひらで回しながら全体を観察した。


 タンムルは岩塊をデイモルに任せ、傍に屹立している、所々が破損している金属製の柱の一つに近づいた。そして、獣毛で作った軍手を身につけた手で触れる。付着している砂を払いのけ、そこに描かれている紋様を見据えた。


「これは以前、ハサード砂漠で見たものと似ているな」


「ああ、それはおれも思った。建造された年代も近いのかもしれないな……」


 デイモルは手にしていた岩塊を、崩れた建造物の断面の凸凹に引っ掛けるようにしてそっと置くと、タンムルが触れている柱を観察し始めた。


「今まで見たやつよりも、大分状態が良さそうだ。これと同じ先史文明の遺跡は、発見されている位置こそまばらだが、何れも砂上に建てられている……何か手がかりが掴めるかもしれないな。大変興味深い」


 二人のやり取りを聞いていたトンガーソンが、終始むっとした表情で両者を睨んでいたが、二人に相手にされることは無かった。


 小さく悪態をつくトンガーソン。それを聞きつけた一人の旧鼠(きゅうそ)が、心配そうにトンガーソンの顔を覗き込んだ。


「どうしたのですか、トンガーソンさん」


 その旧鼠(きゅうそ)の名前は、キサリナ。キサリナは体調がすぐれないことを理由に参加できなかったというアルマガナ女博士の助手を務めている若い考古学者の卵であり、アルマガナの代わりに捜索隊に加入していた、現在の隊における紅一点でもあった。


 トンガーソンは憮然とした態度のまま、キサリナに答える。


「あの二人も、わたしの助手ユスチィスの捜索に協力してくれると言ってついて来てくれた。ところが、だ。今ではこの遺跡しか目に入らないときている。こうしている今も、ユスチィスは我々の助けを待っているのかもしれないというのに……」


「遺跡を探索していれば、もしかしたら、ユスチィスの手がかりも見つかるんじゃないかしら。遺跡の調査はこのままあの人たちに任せて、わたしたちでユスチィスを探しましょうよ」


「ああ……まあ、そうするしかないだろうな」


 トンガーソンはそう言いながら、連日の疲れが露わになっていた目を隠すように細め、まだ少女と呼べる年齢のキサリナの顔を見つめていた。


 キサリナは幼少期に大蛇(おろち)に襲われて家族を失い、途方に暮れていたところをアルマガナに拾われ、女手一つで育てられた。キサリナとアルマガナの関係は、実の母娘に等しく、彼女たちのことをよく知らない者からは本当の親子と思われていたくらいだ。


 そういった経緯があり、キサリナは自分と同様に大蛇(おろち)によって家族を失い、トンガーソンの実質的な養子と言っても差し支えの無い立場になっているユスチィスに対して、親近感に似た感情を抱いていた。


 キサリナとしても、ユスチィスの安否が心配でたまらなかったが、今は目の前で弱々しくうなだれている、ユスチィスのことで気が気でなくなっているトンガーソンを宥めなければならなかった。


 ユスチィスは自分と同様に、過去に大蛇(おろち)に襲われていながら、家族の喪失という代償によって生き延びた。そのユスチィスがここに来て大蛇(おろち)の餌食になったというのではやり切れないし、信じたくない――キサリナは、トンガーソンがユスチィスとはぐれた際のことで何かを隠していると感づいてはいたが、それが何であるにせよ、ユスチィスが生きていることを願ってやまなかった。


「ユスチィスとはぐれたのはこの近辺だったのよね、トンガーソンさん」


「あ……ああ」


 真っ直ぐ自分を見つめたまま言うキサナリを前にして、口ごもってしまうトンガーソン。


 トンガーソンは、すぐに落ち着きを取り繕って返答する。


「砂丘のあの中腹辺り……だったかな。何しろ相当慌てていたからな。砂の中から大蛇(おろち)が現れて……わたしも、ユスチィスも逃げに逃げた。それでこの辺一帯に広がる遺跡に逃げ込んだのだが……」


 キサリナが一瞬目を細め、要領を得ない様子のトンガーソンを訝しんだが、説明するのに気を取られているトンガーソンは気づかなかった。


「おーい、こっちに来てくれないか、トンガーソンさん、キサリナさん」


 ある者による呼び声を聞いて振り返る、トンガーソンとキサリナ。周囲に朽ちた柱と壁の残骸が乱立している中で手を振っている、隊の仲間。


 それはユスチィスと同じくらい若い旧鼠(きゅうそ)の青年、ケルエヴィンであった。


 手招きをするケルエヴィンに向かって駆け寄る、トンガーソンとキサリナ。ケルエヴィンは二人が傍に来るのを見計らってから、自分の足元にあるゴーグルを拾い上げて見せた。ゴーグルはフレームがひしゃげて折れ曲がり、既にまともに使える状態では無かった。


「これ、もしかして、ユスチィスの身に着けていたやつじゃないのかい。……なあ、トンガーソンさん」


 トンガーソンはケルエヴィンの手にしているゴーグルをじっと見据えた。


 トンガーソンの脳裏で、ユスチィスに譲った一つのゴーグルが思い起こされ、目の前の壊れたゴーグルとダブって映った。


 鮮やかな青いフレームのゴーグル。トンガーソンは、若いユスチィスにこそ受け取って欲しいと思い、それを選んだ。これを受け取った時のユスチィスは、遂に自分も認められたのだと喜んだものである。


 そう、ユスチィスが……自分の遺跡探検家としての生業に従事していくうちに失望していったよりもずっと前のこと――心も若かった、あの頃のユスチィス。


 紛れもない、それはユスチィスのゴーグルであった。


「ああ、そうだ。間違いない」


 トンガーソンは深く頷いた。


「ここに落ちていたんだ。ユスチィスの居場所を知る、手がかりになるかもしれない……」


 キサリナもユスチィスがそれを使っていたことは熟知しており、一抹の望みを抱いていた。


「しかし、こんなになってしまうとは、余程のことがあったらしいな。……本当に無事ていてくれたらいいが」


 ケルエヴィンの言葉に、暗い面持ちとなるトンガーソン。隣のキサリナが顔をしかめたが、ケルエヴィンを咎める言葉も見つからずに、逡巡していた。


「すまない、心無いことを言ってしまった」


 二人の心情を察したケルエヴィンが詫びる。


「いや……気にしないでくれ。これで、ユスチィスがここに来たことがはっきりしたんだ。見つけてくれて、感謝しているよ」


 トンガーソンはユスチィスと離れ離れになった時の記憶を頭の中で反芻していた。ここで、二人は一緒に大蛇(おろち)から逃げていた。そして、自分が囮になってユスチィスを逃がそうとしたが、大蛇(おろち)は執拗になってユスチィスを狙ったのだ。


 ようやく見つけた手がかりを頼りに、ユスチィスの捜索を進めていく三人。タンムルやデイモル、それからその二人に追従している者たちには敢えて声をかけなかった。より広く散らばって広範囲を捜索した方が良いことはトンガーソンにとって明白であったためでもある。


「おい……これ」


 ケルエヴィンの声。彼は新たに発見したもう一つのゴーグルを、手で掴み上げた。


 それを見たトンガーソンははっとなる。トンガーソンはあの時、硬質レンズがひび割れて要を成さなくなったゴーグルを投げ捨てていた。トンガーソンはユスチィスの安否に気を取られていて、自分のゴーグルもここで手放していたことを完全に失念していたのだ。


「トンガーソンさん、あんた、ここに来ていたんだな。それに、ユスチィスの居なくなった傍で……」


 問い詰めるケルエヴィン。キサリナもまた、懸念していたものが浮き彫りになりつつあると理解し、不安げな眼差しで、トンガーソンの苦渋に満ちた横顔を見やった。


「……その通りだよ。わたしは、ここまでユスチィスと一緒に大蛇(おろち)から逃げていた。大蛇(おろち)はまるでユスチィスを狙っていたようだ。そしてユスチィスは……」


 トンガーソンは一瞬口ごもった。


「その先で、砂中に呑まれた」


 トンガーソンの指さした先に視線を送るケルエヴィンとキサリナ。そこには何の変哲もない砂が広がっていたが、トンガーソンの発言説明を聞いた後となっては、何か得体の知れない不気味なものが沸き起こってくるような気配が感じられるようだ。


「その……騙していて、すまなかった。本当は、ユスチィスが生きている望みは……」


「その先は言わないでくれ、トンガーソンさん」


 ケルエヴィンに遮られ、押し黙るトンガーソン。ケルエヴィンが話を続ける。


「でもさ、トンガーソンさん。あんたも大蛇(おろち)に襲われていたんだろう。それがどういうわけか助かった……」


「……ああ。わたしは大蛇(おろち)にやられて気を失っていたんだ。どうして命までは取られなかったのか……自分でもわからないよ」


 大蛇(おろち)旧鼠(きゅうそ)を追い詰めていながら、見逃した。それは常日頃から大蛇(おろち)を天敵として恐れて暮らしている旧鼠(きゅうそ)たちにとって、理解し難い話だった。


「じゃあ、ユスチィスが大蛇(おろち)にやられたのかも、わからないってことですよね」


 キサリナの声には、僅かながら希望を見出した者の明るさがあった。


「トンガーソンさんだって、ユスチィスとはぐれてすぐに気を失ってしまったのでしょ。ユスチィスがその……大蛇(おろち)に掴まるところだって見ていないわけだし」


「……だが、あの状況で助かる見込みなんて」


「それは、あんたも同じだよ。トンガーソンさん」


 ケルエヴィンの目には強い意志が宿っていた。トンガーソンはその目に気圧される。


「あんたのついていた嘘も、あんたが真実だと思っている話も、どちらにしても非常に曖昧だ。思うに、大蛇(おろち)から必死になって逃げていた時の記憶が錯綜している」


 ケルエヴィンの話に耳を傾けていたトンガーソンであったが、ユスチィスの全身が砂に呑み込まれていく様子は、脳裡に焼きついている。しかし、その光景が事実であれば、完全に得物を追い詰めた大蛇(おろち)の行動が猶更解せない。やはり、自分の記憶違いなのだろうかと己を疑ってしまう。


 だが、ケルエヴィンの言っている内容は、自分がつい先ほどまで己の心に言い聞かせて、明瞭な記憶から目を背けるための理屈にしていた事柄と酷似している。トンガーソンにとっては、どうしても、それ以上楽観視することができなかった。


「……とにかく。今できるだけのことをしよう。一緒にユスチィスを探そう、なあ、トンガーソンさん」


 それでも、あくまで前向きなケルエヴィンに、トンガーソンは多少なりとも勇気づけられた。


「ああ、そうだ……そうだな」


 キサリナもまた、内心ケルエヴィンを見直していた。皆を騙していた罪悪感に押しつぶされそうになっていたトンガーソンをすぐにたち直らせたケルエヴィンが、とても頼もしい存在に思えてくる。


「こっち方面に逃げた……その記憶はあるんだな、トンガーソンさん」


「そうだ。……だが、気をつけてくれよ。ユスチィスを呑み込んだ落とし穴の仕掛けがあるかもしれない」


「ああ、心得ているよ」


 トンガーソン、ケルエヴィン、キサリナの三人は、行方不明のユスチィスの捜索を本格的に開始した。


 他方では遺跡の調査に乗り出しているタンムルやデイモル、それに残り七名の調査隊の面々もいたが、皆がユスチィスの件も念頭には入れていた。タンムルとデイモルに関しては、生存の望みの薄いユスチィスの安否よりも、遺跡の調査で頭がいっぱいになりつつあったが。


 砂塵をまき散らす強風は随分前に止んでおり、調査隊にとってはより好ましい状態になっている。これで大蛇(おろち)が現れなければ、目立った障害は何も無かった。

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