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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あの木の下で待っている

作者: 深井陽介

この作品はフィクションです。実在の事件は一切題材にしておらず、実在の人物・団体等とも関係ありません。

また、自殺を推奨するものでもありません。深刻な悩みや絶望感を抱えている方は、本作を参考にせず、公的機関の窓口などに相談することを強く勧めます。


 桜の木の下には死体が埋まっている……そんな話は昔からよく聞く。あれほど桜が綺麗に咲き、人々の心を惹きつけるようなエネルギーを持っているのは、根元の死体から養分を吸っているからだという。

 もちろん土の中に人間の死体があるからって、桜の生育に影響があるってことはない。花びらの色が変わることもないし、量が増えたり減ったりすることもない。

 ……だから、今年の桜がやけに濃い色をしているのは、死体が埋まっているからじゃない。


「それってあれだよね、梶井なんとかって作家の、小説が元ネタじゃないっけ」


 前の席の机に腰かけて、両足をぶらぶらと揺らしながら、ロミは言った。

 桜の木の下には死体が埋まっているって言うよね、などとわたしが呟いたら、親切にもわたしの知らない豆知識を教えてくれたのだ。作家の下の名前がぼやけているせいで、豆にしても中途半端な豆知識だけど。


「そうなの?」

「読んだことはないけどねぇ。わたし、本はあらすじだけ読んで満足するタイプだから」

「あらゆる作家に対して失礼だよね、それ」


 感情のこもらない声でツッコミを入れると、ロミは「あはは、言えてる」と答えた。いつもと変わらない、屈託のない笑顔で。

 椋木(むくのき)ロミは、わたしの親友だ。小学四年のときに出会って、かれこれ八年近い付き合いになる。昔から友達のいなかったわたしにとって、手を引いていろんな所へ連れ出してくれる彼女は、特別な存在だった。

 感情がない、何考えているか分かりにくい、そんな事ばかり言われ続けたわたしに、ロミは何も言わず、何も変わらず接してくれる。コミュニケーションの拙いわたしでも、しっかりと話を聞いて、言いたいことを汲み取ってくれる。まあ、時々間違えるけど、それはどんな友達でもよくあることだ。

 彼女のおかげで、わたしはひとりにならずに済んでいる。かつてはひとりでも平気だったけど、今はもう、ロミがいないと心細くて、どうかしてしまいそうだ。


「いやあ、ネネにそう言われると、照れますなぁ」


 ニヤニヤと笑ってわたしを見るロミ。……声に出した覚えはないのだけど。


「心を読まないでくれる?」

「ふふふ。今のわたしは、ロミの気持ちが何でも分かる超能力の持ち主なのだ」

「はいはい、すごいすごい」

「それにしても、今日もあちこちでヒソヒソ話が聞こえますねぇ」


 冗談を受け流されたロミは、教室を見回して、世間話でもするように告げた。

 放課後になると教室も生徒が少なくなって、騒がしさが薄れるけど、それでも部活に行かず残っている生徒たちが、たわいもない会話に花を咲かせている。ぼっちをこじらせているわたしに、生産性のない会話は至難の業だ。よってあの輪の中に入ることはできない。

 とりあえず、話の相手になってくれる人ならいるし。

 他の生徒たちも、わたしと関わり合いになるのを避けているのか、心なしかわたしのいる窓際からは距離を取っている。はたから見ると、わたしとロミのことを遠巻きに見て、噂話をしているようにも見える。考えすぎだとは思うけどね。


「どんな話してるんだろうね」

「さあ……大方、行方不明のクラスメイトの話でもしてるんじゃないの」


 二週間前、新学期が始まる直前に、このクラスに入る予定だった女子生徒がひとり、両親とともに行方が分からなくなった。新学期が始まって、その生徒だけが登校しないことを不審に思った学校が、生徒の自宅に連絡したが、誰も電話に出なかったことで発覚したという。自宅はもぬけの殻で、警察が調べたところ、廊下と台所の床に、血を拭ったような跡が見つかったそうだ。

 事件の可能性もあるとして、現在、警察が捜査を進めている。小さい扱いだけどニュースにもなって、この学校の生徒の間にも話題が広がっている。


「自分の身近でこういう事件が起こると、普段は興味も示さないくせに、積極的に話題にしたがるよね」

「わけもなく他人事と思えなくなるんだろうねぇ。ネネはあんまり興味なさそうだね」

「……わたしは根っから、他人のことに関心ないから」

「うわあ、いかにも友達いないマンの常套句って感じ」


 ほっといてくれ。

 それと友達いない“マン”って何だ。わたし一応女の子なのに。


「いいのよ、別に。友達にはちゃんと関心持っているんだから」

「そっか、わたしにはちゃんと興味持ってくれてるんだ。安心したよ」


 ロミは机に腰かけたまま、閉じた膝に両手を突いて、わたしに向かって歯を見せて笑う。日没が近づいて、オレンジ色に染まった外の光が横から当たって、少し影が差したその笑顔が……どこか眩しく、寂しげにも見えて、ちょっと綺麗だと思った。

 ロミは決して目立つタイプじゃないけど、やる気次第で美人になれるポテンシャルを秘めている。と、わたしは思う。本人はメイクなども一切する気がないらしいから、もったいないことだ。

 すでに二年も見ているけれど、ロミはやっぱり制服が似合う。どうしても着せられている感じになってしまうわたしとは正反対だ。


「なぁに、ネネ? さっきからじっと見つめて。さてはわたしに見惚れているな?」

「違うけど、面倒だからそういうことにしておく」

「面倒くさがらないでくれよ、わが友よ」


 照れたりニヤニヤしたり、残念そうな顔をしたり、表情筋のせわしない奴だ。


「ねえ、そういえば」


 離れたところでおしゃべりをしていた女子生徒のひとりが、ふと思い出したようにこんな話を始めた。


「明日、生徒指導の先生たちが、持ち物検査するんだって」

「えー、マジ?」

「何なに? リップとかアクセとか、見つかったら没収されちゃうの?」

「よく分かんないけど、校庭の隅っこにある大きな桜の木……幹の所が刃物みたいなもので削られていたんだって」

「あぁ、それわたしも見た。でも削られたって言っても、このくらいでしょ」


 目撃したという女子生徒は、親指と人差し指をピンと広げて、幹の削られた部分の、大体の大きさを示した。十センチより少し大きいくらいに見える。


「ちょっと大げさじゃね?」

「でも先生たちの間じゃ、授業で使わない刃物を持ち込んで、悪戯する人がいるかもしれないって、問題になってるみたいだよ」

「それで急遽、持ち物検査? 勘弁してよ、ホントに」

「別に木の表面が少し削られたくらいで、そこまで大ごとにしなくていいのにね」

「ねー」


 持ち物検査なんて、去年は一度もやらなかった。そもそも今どき、そんな検査をする高校というのも少数派だろう。

 そのくらい、校内の桜の木を削られたことを、学校側が問題視しているということだ。女子たちが不満に思うのも分かる。確かに大げさだ。


「でも、桜切るバカ梅切らぬバカ、っていう言葉もあるよね」

「…………」

「悪かったって」


 余計な知識を披露したロミをじっと睨むと、ロミはバツが悪そうに謝った。


「それよりネネ、そろそろ帰らなくていいの?」

「んー、もう少しここにいる。せっかくだから、最終下校の時間になるまで、窓から校庭の桜でも眺めることにするよ」


 そう言ってわたしは、足元のカバンから文庫本を取り出した。『若きウェルテルの悩み』というタイトルだ。


「いやいや、桜を見るか本を見るかどっちかにしなよ」

「ぼうっと眺めているだけっていうのもね」

「花より団子ならぬ、花より文庫ってか……それ、図書室で借りたの?」

「ううん。中古で買ったやつ。ほら、ちゃんと名前シール貼っているでしょ」


 文庫本の表紙の右下に、『白樺(しらかば)ネネ』と書いたシールが貼られている。綺麗に剥がせるやつだから、手放したくなったら剥がせばいい。


「相変わらず自分のものには名前シールを貼りたがるのね……小学生の時から変わらない」

「習慣みたいなものだからね。自分のものはできるだけ大事にしたいし、あんまり手放したくないんだよ。自分の意思と関係なく、大事なものを失うのは、やっぱり悲しいから」

「…………」

「ロミはどうするの?」

「わたし? じゃあ、わたしもネネに付き合って、桜でも眺めてる」


 本当に、わたしに対しては付き合いのいい奴だ。ひとりになったら寂しがると思って、こうして一緒にいるのだろう。ロミはどうしても、わたしを放っておいてくれない。

 ありがたかった。どうせ家に帰っても、わたしはひとりぼっちだし。


「それにしても、今年も立派に咲いたねぇ。ああ、でも、もうすぐ散ってしまうのかぁ。分かってても寂しいなぁ」


 机から降りて窓辺に寄り、ガラス窓を開けて外を眺めるロミ。そよ風が吹き抜けてきて、彼女のセミロングの髪を撫でる。光の加減のせいなのか、その姿が少し薄らいで見えた。


「ねぇ、本当にあの桜の木の下に、死体が埋まっていたらどうする?」

「どうもしないでしょ。そのうち土に還るんだから」

「もう。ホラー話のつもりで振ってるんだから、少しは乗っておくれよ」


 不満そうに口を尖らせるロミ。なんで夏でもないのに、いきなりホラーの話をされなくちゃならんのだ。それにわたし、ホラーに興味ないし。

 ……まあでも、あの桜の花が、やけに濃い色をしていることには、興味があるけど。

 非科学的だと分かっていても、やっぱり空想してしまう。あの花びらのピンク色は、人の命を養分にして生まれたのではないか、と。

 だって、わたしは知っている。

 あの桜の木の下に、本当に死体が埋まっていることを。


  * * *


 ある日の夜のことだった。わたしがひとり暮らしをしているアパートの一室に、ロミがやってきた。すでに九時を回っていて、さてそろそろお風呂にでも入ろうかと思った矢先に呼び鈴が鳴るものだから、玄関に出たわたしは少し不機嫌だったかもしれない。

 ドアを開けると、制服姿のロミが、泣きそうな顔で立ち尽くしていた。


「ネネ……」

「ちょっ、どうしたの、こんな時間に」

「どうしよう、わたし、わたし……」


 ロミの涙腺は今にも決壊しそうだった。何があったのだろう……と思って、ふとロミの手元に目をやると、右手にべったりと血がついていた。

 ぞっとした。何かとんでもない事態が起きている、そう直感した。


「ちょっとロミ! あんたケガしてるの?」

「違うの。これは、わたしのじゃなくて……」

「と、とにかく中に入って。外はまだ寒いんだし。手を洗って、それから話を聞くから」


 わたしは大慌てでロミを部屋の中に招き入れた。この時間だと他の住人は外に出ないけど、手が血まみれの人を、いつまでもドアの前に立たせるわけにはいかなかった。

 ロミは台所の蛇口で手を洗ったが、それでも完全には落とせず、まだ少し赤黒くこびりついていた。それでも、洗ったことで落ち着きを取り戻したようで、わたしと並んでベッドに腰かけたロミに、取り乱す素振りはなかった。


「えっと、いったい何があったの……?」

「……お父さんを、殺しちゃった」

「…………は?」


 深く項垂れたロミが語ったのは、あまりに凄絶で悲惨な出来事だった。

 わたしも(かね)てから聞いていたが、ここ最近のロミの家庭環境はひどいものだった。父親が経営する小さな会社が、このところの深刻な不景気のあおりを受けて倒産し、多額の借金を背負ってしまったという。会社の資産は全て差し押さえられたが、自宅の資産にまで徴収が及ばなかったのは幸いだった。だがそれ以来、父親は人が変わったように、酒に溺れて無気力な生活を送るようになったそうだ。

 母親がパートを掛け持ちしていたおかげで、なんとかギリギリ生活は保っていたが、面目の潰れた父親は次第に荒れ始め、家庭内にヒビが入りだした。酔った勢いでロミや母親に暴力を振るうのも、その頻度は日に日に増していった。

 ロミはそんな環境に置かれていても、学校ではつとめて笑顔で過ごしていた。たまに父親からの暴力で怪我をしても、転んだせいだと言ってごまかしていた。決して、家庭のことで泣き言や愚痴を漏らすことはなかった。

 本当は、クラスのみんなもなんとなく気づいていた。ロミの家が今、大変なことになっているのではないかと。でも、よその家庭の問題で、しかも本人が誰も巻き込みたくないと思っている節があって、みんなは聞き出すこともできずにいた。

 わたしもその一人だったけど、ある時、明らかに顔を殴られたような傷があるのを見て、とうとう耐え切れずに問い詰めてしまった。ロミはようやく、ここ最近の荒れた家庭環境のことを打ち明けてくれた。

 ロミは苦しい胸の内を明かしてくれたが、現実的にわたしにできることはなかった。だからせめて、何があってもロミの味方になると、力強く言っておくことにした。気休めにしかならなくても、逃げ道があると思っておけば、それだけで力になれると思ったのだ。

 だけど、甘かった。事態はわたしの手に負えないほど、悪化の一途をたどっていた。


「今日ね……少し帰りが遅くなったでしょ。帰ったらお父さんが、制服姿を写真に撮らせてくれって言ってきたの」

「どういう風の吹き回し?」

「わたしもそう思って尋ねても、なんとなく、としか言われなくて……でも、後から帰ってきたお母さんが怪しんで、こっそりお父さんのスマホを覗いたの」


 いくら家族でも、他人のスマホを勝手に覗くのはいけないことだ。でも、普段の父親からは想像できない行動があって、それが娘に関わることであれば、致し方ないことなのかもしれない。


「そうしたら、わたしの制服姿の写真が、どこかに送信されていたの。その相手を調べたら、ヤバい感じの風俗店だった」

「それって、まさか……」

「会社が潰れて以来、お父さんはあちこちで遊び歩いて、個人的に借金を膨らませていたみたいなんだ。それで、女子高生専門の違法な風俗店にわたしを紹介して、商品になりそうだったらそのまま売って、返済に充てようとしたみたい……」

「ひどい……」

「でも、すぐにお父さんに見つかった……お父さんは勝手にスマホを覗かれたことに怒って、お母さんは娘を売り飛ばそうとしたことに怒って、激しい言い争いになったの。それで、お母さんが警察に連絡するって言ったら、お父さん、逆上して、それで……」


 震える口元から、その恐ろしい言葉は染み出した。

 父親はナイフを手に持ち、床に倒した母親を、メッタ刺しにして殺したのだ。


「わたしの、目の前で……」


 母親はかすれた声で、何度も叫んでいた。やめて、助けて、許して、ロミ、逃げて……救いを求める声には一切耳を貸さず、父親はなぶるようにナイフを突き立てた。

 ロミは、逃げなかった。母親を助けたい、その一心で、テーブルの上にあったガラスの花瓶を掴み、振り上げた。

 やめろ、と泣き叫びながら。


「…………」


 後頭部への一撃で倒れた父親を見て、しばらく途方に暮れていたロミだったが、やがて、自分がとんでもないことをしたと気づいた。父親の体を揺すってみても、ぴくりとも動かなかった。このとき、床に広がった血に触れたという。

 罪悪感と恐怖が一気に襲ってきて、ロミは取るものも取りあえず家を飛び出した。向かった先は、唯一の逃げ道である、わたしの元だった。


「どうしたらいいのかな、わたし……」


 ロミは目に涙を溜めていた。彼女にとっては、今日起きた事だけで頭がいっぱいで、とても気持ちの整理なんてできないだろう。

 父親が娘を違法風俗に売り渡そうとしたこと。それを咎めた母親を父親が殺したこと。その父親を止めようと娘が殴り殺したこと。危うさを孕みながらも、なんとかここまで保ってきた家庭は、一夜にして崩壊してしまったのだ。

 今からでもロミを逃がして、両親の遺体を始末して証拠を消し、この事件が表に出ないようにしてしまおうかと思った。でもそれでは、ロミは、今の罪悪感と恐怖を抱えたまま、ひとりで生きていくことになる。そんなの、ロミのためになるだろうか。

 ロミが大変な目に遭っているというのに、やけに冷静なわたしがいた。


「警察にすべて話すのが、最善だと思う」

「…………」

「悪いのは全部父親で、ロミもお母さんも被害者なんだから、情状酌量はしてもらえるよ。父親のスマホには、娘を風俗に売ろうとした痕跡があるんだし、お母さんを殺した凶器にも父親の指紋が付いている。警察がロミの話を疑うことはないよ」

「でも、警察に逮捕されるのは確実だよね……それに、こんなことが世の中に知れたら、心無い人たちに中傷されたりもするだろうし……」


 確かに、そういった二次被害はどこでも起こりうる。ネット上にはそういう、炎上目的で被害者を叩く人もいれば、そいつらが流す無責任な噂を真に受ける人もいる。正当防衛とはいえ、ロミは実際に人を殺しているのだから、中傷の標的になる可能性は極めて高い。

 でもそれは、警察に言っても言わなくても、いずれは起こりうることだ。ならば、公的に罪を償う機会のあった方が、ロミ自身にかかる負担は減らせる。それでもロミを誹謗する奴が現れた時は……。


「大丈夫。その時は、わたしがロミを守る」

「ネネ……」

「何があってもロミの味方になる、そう言ったでしょ」


 ロミと目を合わせて、わたしははっきりと告げた。

 これは、わたし自身への決意と、戒めでもあった。こんな最悪の事態を防げなかったことへの戒めと、二度とロミを苦しませないという決意だ。

 ロミはまだ涙目だったけど、かすかに煌めきが戻ってきて、肌の血色もよくなってきた。少しは救いになれたかな……。


「ありがと、ネネ……」

「いいんだよ、友達だもん。友達を苦しめる奴を許せないのは当たり前」

「そっか……でも、ちょっと残念かも」


 何が残念だというのだろう。ロミは窓の外に目を向けて、ぼそっと呟く。


「警察に行ったら、たぶんしばらくは拘束されるよね。そんなに長くはないと思うけど、解放された頃にはきっと、桜は散っちゃっているよね」

「桜?」

「ほら、一昨日くらいに開花宣言があったじゃない。たぶん一週間くらいで満開になるよね。うちの学校の隅っこにも、大きな桜の木があるでしょ。満開の桜を一緒に見れば、ずっと一緒にいられる、なんて噂があるんだって」

「…………」

「まあ、そういう噂を抜きにしても、ね。わたし……ネネと、制服デートして、満開の桜を二人で見たかったなぁ、って」


 呆然と聞いているわたしに向き直って、ロミは笑った。ずっとこらえていた涙が、ここに来て零れ落ちた。


「でも、もう無理だよね。二人で制服を着られる春は、もう来ないし」


 だってわたし達は、次の新学期を迎えたら、高校三年生になるから。

 この春を逃したら、もう同じ春はやってこないから。

 分かっているよ。分かっているけど、どうしようもないじゃないか。どんな権力者でも、時の流れは巻き戻せないのだから。


「せめてあと一週間だけ、警察に黙っておけたら、ワンチャンあるのかなぁ」

「…………」

「無理だろうなぁ。お父さん、わたしの写真をもう、お店に送ったみたいだし。連絡がなかったら、風俗店の人たちが家に来て、お父さんが死んでいることに気づかれたら、たぶん匿名で通報とかするよね。一週間もそうならないってことは、ないよね」

「ロミ……」

「どうして、こうなっちゃったのかなぁ。ネネが、何があっても味方でいるって言ってくれた時、本当に嬉しくて、何かお礼がしたかっただけなのに……」


 お礼なんていらなかった。ただ友達のために、力になりたかった。実際にできることはほとんどなかった。わたしだって、ただロミと一緒にいられたらよかった。

 ……それだけのことが、なぜか言えなかった。


「わたし、桜が好きなんだ。ネネも、好きなんだ。だから、一緒に見たかったんだ」


 好きな人と一緒に、好きなものを。

 それはわたしも同じだ。そうなったら、どれだけよかっただろう。

 だから、何も言えなかった。


「あははっ、ごめんね、湿っぽくなっちゃって」


 唐突にロミはいつもの彼女に戻って、おどけた様子で涙を拭った。


「あっ、そうだ。ネネ、今日は泊まっていっていい?」

「それはもちろん……あんなことがあった家に、戻りたくはないでしょ」

「いやあ、ありがたや~。そういえばネネ、お風呂に入るところだったんでしょ。わたしは後でいいから、先に入ってきなよ」

「いいの? 髪とか洗うつもりだったから、少し時間かかるかもよ」

「泊めてもらうんだから、贅沢は言わないよ。ゆっくり入っていてよ」

「そこまで言うなら……じゃあ、入ってくるね」


 わたしはベッドから立ち上がり、着替えを抱えてお風呂場に向かった。安いアパートに脱衣所なんて無いので、ロミの目の前で服を脱ぐことになる……。


「……見られると恥ずかしいんだけど」

「あはは、ネネは恥ずかしがり屋だなぁ。分かった、浴室に入るまで向こう見てる」

「うん、お願い」

「あのさ、ネネ」

「ん?」

「……待っているからね」


 どこか照れくさそうに、ロミはそう言って、くるりと体の向きを変えた。

 ……なんのこっちゃ。

 不思議に思いながらも、わたしは服を脱いでお風呂場に入った。シャワーで濡らした髪にシャンプーをつけ、くしゃくしゃと洗い始めた。

 その間にロミが何をしているのか、気づきもしないで。


  * * *


 最終下校のアナウンスが響いた。日没を迎えて、外は暗くなりかけている。電灯もつけていない教室の中は、わたしとロミ以外、誰もいなくなって、閑散としていた。


「……帰ろうか」

「そうだね」


 わたしは足元のカバンを机に乗せて、読んでいた文庫本を仕舞った。立ち上がって、椅子を机に仕舞って、薄暗い教室を出ていく。

 一緒に教室を出たロミは、なぜか手ぶらだった。

 しんとしている廊下を、二人で並んで歩く。不思議な気分だった。いつもの学校、いつもの廊下、いつも一緒にいる親友。それなのに最終下校ギリギリの時刻は、どこか非日常感があって落ちつかない。


「分かるなぁ。なんだかこう、別世界に迷い込んだ気になるよね」

「何も言ってないんだけど。心読むのやめてくれる?」

「いやあ、こんな超能力を持っちゃったら、使わなきゃもったいないじゃない」

「無用の長物……(ぼそっ)」

「ん? 何か言ったかな?」

「どうせ聞こえているんでしょ、超能力者」


 まあ、いつもとどこか違う気がするのは、たぶん気のせいじゃないけど。


「それにしてもネネ、今日はどうして、こんな遅くまで残ることにしたの? いつもは、何か用事がない限り、結構早く帰ってるのに」

「あー、うん……ロミと、二人きりになりたかったから」

「えぇ、何それ。わたしドキドキして照れるところ?」

「前に言ってたじゃない。わたしと制服デートして、満開の桜を見ようって。明日からは無理だろうから、今日やってしまおうと思って」

「やだもう、ますますネネが好きになっちゃう。でも、なんで明日からは無理なの? 満開じゃなくなるから?」


 それもある。だけど、それ以上に深刻な理由が、わたしにはあった。制服デートは、ある大事な約束を果たすために必要なのだ。

 だのに、明日は持ち物検査がある。たぶん、明日以降もやるかもしれない。

 だから今日しかないと思った。


「ふうん、よく分かんないや。あっ、分かんないっていえばもうひとつ」

「なに?」

「行方不明のクラスメイトの話。クラスのみんなが話しているのを聞いたんだけど、廊下と台所に、血を拭った跡があったんだよね」

「そう聞いてる」

「でも、お父さんがお母さんを刺したのも、わたしがお父さんを殴ったのも、どちらも台所で起きたことだよ。なんで、()()()()()()()()()()()んだろうね」


 ……まいったな。そんな些細なことに、疑問を持たれるなんて。

 そうだ。父親が衝動的にナイフで母親を刺したのなら、そこは普段からナイフが置かれている場所だ。そしてその場所には、ガラスの花瓶が置かれているテーブルもあった。両方に当てはまるのは、台所くらいのものだろう。

 そもそも、彼女は父親を殴り倒した後、そのまま家を飛び出している。痛ましい悲劇の起きた場所に、もう一度出向くとも思えない。では、血を拭ったのは誰なのか。


「……ネネ、あの後、どうしてわたしの家に行ったの?」

「…………」

「わたしの、ためだったの?」


 わたしは答えなかった。言う必要もないと思った。

 だって、あんなこと……大好きなロミのため以外で、やるはずがない。


  * * *


 お風呂から上がると、ロミは姿を消していた。


「……ちょっと、なんでよ!」


 訳が分からなくて、わたしはうろたえてしまう。体に巻いていたバスタオルがはだけ落ちて、素っ裸になっていることにも気づかないくらいに。

 どういうことだ。置き手紙も何も残されていない。ちょっと用を思い出して出かけた、ということではなさそうだ。そもそも、何も言わず出ていく素振りもなかった。

 ……本当に?

 ロミは、わたしと一緒にやりたいことができなくなることを、残念がっていた。わたしが味方でいると分かっても、警察が関わることを渋っていた。そして何より、拭いようのない罪悪感と恐怖を抱えていた。

 先にお風呂に入らせたのは、外に出たことに気づかせないためだろう。髪を洗うためにシャワーを使えば、ドアの開閉音も水音に紛れる。もしかして彼女は、最初から何も言わず出ていくつもりで……。

 嫌な予感がする。早くロミを見つけたいけど、どこに行ったか分からないのでは、後を追うこともできない。


「……待っているからね」


 ふいに、ロミが最後に言った言葉を思い出す。

 ロミはわたしを待っていると言った。自分から出ていきながら、わたしが彼女の元に来るのを待っているなんて、矛盾しているように思えるが……。この部屋じゃないなら、どこで待っているというのだろう。


「そんなの、あそこしかないじゃない」


 そうだ。ロミは言っていた。学校の校庭の隅っこにある大きな桜の木を、制服デートで一緒に見たい、と。彼女が待っているとしたら、その桜の木しかない。


「早く行かなきゃ……って、寒っ!」


 ただでさえここ最近は冷え込んでいるというのに、お風呂上がりでしかも全裸だ。寒くて当たり前だった。外に出る前に気づけてよかったよ……。

 服を着て、しっかりと戸締まりをして、わたしは肌寒い外へ出た。学校までそれほど距離はない。彼女もとっくに学校に着いているだろう。何をするか分からないから、とにかく急ぐしかない。

 十分もかけずに学校に到着した。時刻はもう十時になろうとしている。周りにある明かりは、月と街灯だけだ。

 当然だけど校門は閉まっている。でも絶対に入れないわけじゃない。わたしは校門をよじ登って越えて、学校の敷地内に入った。

 桜の木がある場所は知っている。わたしはとにかくその場所へ急いだ。

 あの子が待っているというから、必死で走った。

 そして、その場所で確かに、彼女は待っていた。


「ロミ!」


 遠目に見たら、桜の木のそばで立っているだけに見えた。でも、接近して、月明かりに照らされた彼女の姿を見て、そうじゃないと気づいた。そうでなければいいと、思っていたのに。

 ロミは桜の木にもたれて立ちながら、喉元に包丁を突き立てて、息絶えていた。


「あっ…………」


 唖然として、わたしはその場に立ち尽くした。

 包丁が首を貫通して、木の幹に刺さっているのだろう。ロミの体は崩れ落ちることなく、直立の姿勢で固まっていた。それでも頭部はがっくりと項垂れ、両手は力なく垂れ下がっている。手遅れなのは明らかだった。


「ロミ、なんで……」


 重い足を引きずりながら、ロミの元へ近づいていく。でも、もう力が出なかった。あと少しで手が届きそうという所で、わたしは膝から崩れ落ちた。

 どうして、諦めてしまったの? 制服デートも、満開の桜も、まだできたかもしれないのに。なんでこんな簡単に、生きることさえ諦めてしまったのだ。

 わたしはまだ、諦めたくなかったのに!


「ばか……ロミのばかぁっ!」


 吐き捨てるようにロミへの気持ちを叫ぶわたし。

 ふと見上げると、俯いているロミの死に顔が見えた。喉を刃物で突かれて、相当苦しんだはずなのに、その表情はどこか穏やかだった。


「なんで……わたしを置いて、先に死んで、ひとりぼっちにしておいて、なんでそんなに満足そうなんだよ……ふざけんな!」


 ほぼ衝動的に、わたしはロミの喉元に刺さっていた包丁を引っこ抜いた。

 息絶えて時間が経ったからだろう。抜いても血が噴き出すことはなかったが、支えを失ったロミの体は崩れ、わたしに覆いかぶさってきた。

 ……まだ少しだけ、温かかった。

 包丁には見覚えがあった。今日、夕飯を作るときに使っていた、わたしの包丁だ。何も持たずに家を出たから、仕方なくわたしの家の包丁を持ち出したのだろう。ここでひとりで死のうとしたのは、わたしを巻き込まないようにするためだ。

 でも、最後に二人で桜を見たかったから、まだ満開にもなっていないのに、ここを死に場所に選び、わたしが後から来てくれるのを待っていたのだ。

 本当に馬鹿だ……わたしは、生きて一緒に桜を見たかった。ロミが笑顔でいてくれさえすれば、それでよかったのに。


「ねえ、ロミ……あなたはまだ、わたしを待っていてくれる?」


 物言わぬ身となった彼女に、わたしは問いかけた。

 このまま警察に通報すれば、彼女は色々調べられた挙句に、荼毘(だび)に付される。恐らく、両親の遺体も発見されるだろう。親を殺したうえに、親友の家の包丁を使って自殺した。ネットとかで悪く書き込まれ、格好の餌食になることは見えていた。わたしも標的になるかもしれないが、そんなのは些細なことだ。

 彼女の死が、そんなふうに弄ばれるなんて耐えられない。だからわたしは、わたしの手で、全てを葬ることにした。


 まずわたしは、血の跡と包丁の刺さった跡のついた、桜の幹の表皮を削ることにした。手元には包丁があったから、それを使って削り取っていった。怪しまれるだろうが、血痕や刃の跡さえ見つからなければそれでいい。

 学校の用具室は校舎の外にあって、基本的に鍵はかけられない。わたしはそこからスコップを持ち出して、桜の木の根元を掘った。痕跡が見つけにくいように、校庭からは死角になる所を選んで……時間はかなりかかったが、なんとか人ひとりを埋められそうな穴を作ることはできた。

 わたしは慎重に、ロミの遺体を穴の中に横たえた。親友だから、乱暴に扱いたくなかったのだ。

 さて、土をかける前に、彼女の所有物も一緒に入れてしまおう。財布とか、スマホとか、思い出の品があれば、それも一緒に埋める。彼女が自分から姿を消した、ということにしておけば、警察も本気で探そうとはしないだろう。

 穴がある場所は、敷地を囲う生け垣のおかげで、学校の外からも見えない。しばらくはこのまま放置しても大丈夫だろう。わたしはその場を離れた。

 子どもの頃に何度か近くまで来たから、ロミの家の場所は分かっていた。着いてみると、玄関のドアは施錠されておらず、台所だけ明かりがついているようだった。ロミが話していたとおり、事件の後、彼女はそのまま家から出たらしい。


「お邪魔します……」


 わたしはドアを開けて家の中に入った。生きている人間はいないと分かっていても、あまり出入りしたことのない家に勝手に入るから、言わずにはいられなかった。

 しかし、家の中に入ったとき、なぜかするはずのない物音が聞こえた。


「えっ、誰かいる……?」


 玄関先で立ち止まって、真っ暗な廊下をじっと見ていた。

 廊下の奥から、誰かがかなりゆっくりと、こちらに近づいているのが分かった。床が軋んでぎしぎしと鳴る音が、次第に大きくなっていく。

 暗闇に慣れた視界に、その影が浮かんでくる。

 それは、わたしも何度か顔を合わせた事のある人物……ロミの父親だ。


「そんな、まさか……」


 父親は死んでいなかった。ロミに殴り倒された時点では気絶していただけで、ついさっき目を覚ましたのだ。


「誰だ、お前……」


 頭を殴られた影響か、呂律の回らない口調で父親はわたしに尋ねた。その声や目からは、計り知れないほどの怒りや憎しみが感じ取れた。

 ぞっとしたわたしは、一歩だけ後ずさりした。だが、予想外の恐怖に、それ以上足が動くことはなかった。


「ああ、そうか……お前、ロミの友達の……ネネっていったか……」

「ひっ……」

「おい教えろ……ロミはどこだ。知ってるんだろ、教えろ……」


 まずい。こいつはロミを見つけ出して、何かするつもりでいる。この状況じゃ、単なる仕返しで済むとは思えない。もちろんロミはもう死んでいるけれど、もしそれが知られたら、次にこいつの標的になるのは……。


「娘はいい金になるんだ……さっさと教えろ……俺の娘を……」


 こいつはまだ、返済に充てる金を調達しようとしている。この期に及んでも。

 ダメだ。こいつはダメだ。生かしておけば、ロミは死んでもなお、こいつに振り回されることになる。それだけは、それだけは絶対に……!


「やめろ……わたしのロミに手を出すな!」


 ほとんど衝動的に、足取りもおぼつかないこの父親を、わたしは突き飛ばした。父親はそのまま後ろ向きに倒れ、床に頭と背中を打ちつけた。

 そして、動かなくなった。一度殴られた後頭部を再び打ちつけて、致命傷を負ったようだ。


「あっ……あっ……ああっ……!」


 わたしは頭を抱えた。

 ロミは誰も殺していなかった。むしろ人を殺したのは、わたしの方だった。

 そこから先は、ほとんど夢中になっていた。この家の庭にも同じように穴を掘り、今度はそこに母親の遺体を埋めた。使っていないバスタオルに包んで、血液が他の場所につかないように気をつけながら。そして父親の遺体は、ブルーシートに重しと一緒に包んで、近くを流れている大きな川に投げ捨てた。何の罪もない母親と、同じ場所に埋めたくなかったのだ。川の流れは速いし、一晩で遠くに流されてくれるだろう。

 そして、家の中に残った血痕を必死に拭き取り、ロミの私物を抱えられるだけ抱えて、この家を後にした。


 途中でわたしの部屋があるアパートにも立ち寄りながら、急いで学校に戻った。幸い、桜の木のそばに掘った穴は、誰にも見つかっていなかった。

 ロミの亡骸のそばに、彼女の私物を丁寧に置いていく。墓標を残すことはできないから、これ以上丁重に弔うことは望めない。せめて埋める時くらいは、慎重にやっていこう。

 そして最後に、自分の部屋から取ってきた、『白樺ネネ』の名前が書かれたシールを、彼女の顔の近くに添えた。小学生の時から、自分のものには名前のシールを貼るのが、わたしの習慣になっていた。

 スマホ、財布、ぬいぐるみ、アルバム、ペンケース……彼女が大事にしていそうなものは全て入れた。名前のシールも入れた。もう充分だろう。

 わたしは少しずつ、彼女の遺体に土をかけてゆく。その姿が隠れていくごとに、わたしは自分の目から、涙が溢れてくるのが分かった。

 穴を塞ぎ終えると、わたしは祈るように手を合わせた。


「ごめんね、ロミ……でもわたし、そんなに待たせないからね」


 ひとつの誓いを告げてから、わたしはその場を離れた。

 後ろの方から、七分咲きにもなっていない桜の木が、風に揺れる音がした。ロミが声をかけてくれたように思えたけど、疲れ果てたわたしには、何も分からなかった。


  * * *


「そういえばネネ、知ってた? 桜の花の色が濃くなるのは、冷たい空気に触れるからなんだって」


 昇降口に辿り着くと、ロミは思い出したように豆知識を披露した。


「つまり気温が低いほど、桜の花の色は濃くなるってこと」

「ふうん……言われてみると、今年はずいぶんと冷え込んでいるかも」


 やっぱり、根元に埋められた遺体から養分を吸って色が濃くなる、というのはただの都市伝説だったか。いや、冷静に考えたら、他の桜の木だってピンク色が濃くなっているし、土に埋まっているものが原因のはずがないのだけど。

 今年の桜がやけに濃い色をしているから、埋まっているものに気づかれないかひやひやしていたけど、とりあえず無関係だと分かって安堵した。


「ロミは色んなことを知ってるね」

「わたしって意外と記憶力あるんだよ。あの日のことも、はっきりと覚えているし」


 わたしは上履きを下駄箱に仕舞おうとして、ロミのその言葉に手を止めた。


「あの日のこと、ね……」

「それでね、よくよく思い出してみたら、おかしなことに気づいたんだ」

「おかしなこと?」

「あの日、ネネがわたしと一緒に埋めなかったものだよ」


 埋めたもの、ではなく、埋めなかったもの。それが何を意味しているのか、わたしはすぐに思い当たった。


「色んなものを一緒に入れてくれたよね。スマホとか財布とか、アルバムとか。お気に入りのぬいぐるみまで一緒に入れたのは嬉しかったなぁ。ネネがわたしのお気に入りを、ちゃんと分かってくれていたから。名前シールはちょっと照れるかも……わたしはネネの大事なもの、なんだね」


 思い出させないでくれよ、恥ずかしい……自分でも、早く埋めないといけないのに、なんで自分の部屋に立ち寄ってまで、あのシールをロミに貼りたかったのか、よく分からないというのに。たぶん、ロミの父親に「わたしのロミに手を出すな」と言った時に、自分の独占欲めいたものに、気づいたからだろうなぁ。


「でも、一番肝心なものを入れてなかったよね」

「…………」

「わたしが自殺するときに使った、あの包丁」


 そう。ロミと一緒に埋めたものの中に、凶器の包丁はなかった。


「ネネは、わたしが自殺したこととか、両親が殺されたことを、必死に隠そうとしたよね。だからわたしを地面に埋めたし、幹についた血痕や刃物の跡も削り取っていた。だったら、凶器の包丁だって処分しないといけないよね。血の付いた包丁なんて、どこに捨てても足がつくんだし、一緒に埋めた方が確実に処分できるでしょ」

「…………」

「そうしなかったのは、その包丁をまだ使いたいからだよね。だから、あの日からずっと、そのカバンの中に包丁を隠し持っているんだ」


 やっぱり今のロミは超能力者みたいだ。わたしの考えが何でも分かっている。

 確かに凶器の包丁は、タオルに包んで、カバンの奥にずっと入れている。いつ覚悟が決まってもいいように、常に持ち歩いているのだ。


「今日遅くまで残ったのは、他の生徒が誰もいなくなって、校内に残っている先生とかに気づかれることなく、あの桜の木の近くに隠れるためだよね。要するに今日、決行する覚悟を決めたってこと。その直接の原因は、明日からやるっていう持ち物検査だよね。包丁が見つかって没収されたり、警察に通報されたりしたら、計画を実行できなくなるから」

「…………」

「どう? なかなか名推理じゃない?」

「……何なのよ、あんた」


 バタン、と大きな音を立てて、下駄箱の扉を閉める。さっきからロミに痛いところを突かれてばかりで、ちょっと苛立っている。


「……ネネ?」

「確かに、今日やろうと思ったのは、持ち物検査があるからっていうのもある。だけど、それ以上に……あんたのせいでもあるんだから」

「わたし?」

「だって、あの桜の木が散り始めたあたりから、だんだん、あんたの姿が薄らいでいるのよ」


 昨日から気づいていた。いつも一緒にいるロミの姿が、満開の桜が散り始めた頃から、徐々にぼやけていることに。それはまるで、散りゆく桜と同調しているように。

 わたしは、ロミの姿をした何かに向き直り、苛立ちをぶつけた。


「あんた、いったい何なのよ! ロミはとっくに死んでいる。あんたはわたしの心が生んだ、幻影みたいなものなんでしょ! あんたはわたしの心そのもの、だからわたしの考えていることが全部分かるんでしょ!」

「…………」

「それなのに、なんでわたしのした事をつつこうとするの! せっかく、ロミの後を追うって決意したのに、嫌なことばかり思い出して、決意が揺らいじゃうじゃない! あんたがわたしの心なら、邪魔しないでよ!」

「…………」

「なんで邪魔をするの……あんたは幻じゃないの? ロミの幽霊なの? どっちなのよ」

「さあ?」


 思いのほか早く返ってきた答えに、わたしは固まった。


「えっ? さあ、って……」

「そんなこと聞かれても、わたしが何者かなんて、深く考えた事なかったし。それに、邪魔をしているつもりなんてないよ。わたしが死んだ後に何があったか、わたし自身は何も知らないからね。だから、知りたかったの」


 ロミはいつもと変わらない、屈託のない笑顔で言った。

 そんなの納得できない……と言いたいところだけど、ただ知りたかったから聞いた、というのはいかにもロミらしい。小学生の時から、わたしへの興味は誰よりも強かったし。

 どうやらわたしは、難しく考えすぎていたらしい。何が覚悟を決めた、だ。まだ迷いがあるから、ロミのこうした行動に、裏があると邪推してしまうのだ。ロミがそんな意地の悪い奴だなんて、一ミリも思っていないくせに。


「自分で死んでおいて何を今さらだけど、わたしはやっぱり心残りがあったよ。ネネと一緒に制服デートできなかったことも、ネネに何も言わず死んでしまったことも……何よりもう少しだけ、ネネと一緒にいたかった」

「ロミ……それはわたしも同じだよ。もう一度ロミに会いたかった。だから、必死に後を追おうとしている」

「きっと、そういう気持ちがわたしになったんじゃないかな。わたしがネネに会いたい、ネネがわたしに会いたい……お互い同じ気持ちだから、わたしがここにいるんだよ」


 なんとまあ、楽観的な拡大解釈……でもそれがロミらしくて、ロミならそんな理由でわたしの前に現れそうで、妙に腑に落ちてしまうのが可笑しかった。


「わたしは、ネネが何をしようとしても止めないよ。ネネが決めた事なら、わたしはそれを尊重する。わたしだって、今度こそネネと制服デート、したいし」

「ふふっ、ろくでもないことを考えるよね。親友にそんなことを勧めるなんて」

「いやあ、待っているって言った手前、来ないでよ、なんて言うこともできなくて」


 まさにその言葉が、わたしを突き動かしている。

 ロミが待っている。だからわたしは行く。彼女がいる場所へ。


「でもね、包丁を使うのは考え直した方がいいよ。あれ、思ったよりすぐに死ねないから」

「顎を上げて喉元に刺せば、ちゃんと延髄に届いてすぐに死ねるよ。ロミが下手なだけ」

「……さすがにその豆知識はドン引きするわ」

「ほっといて」

「あと、もうひとつ言いたいことがあって……」


 意外と注文の多い奴だな、と思ったら、ロミは穏やかな表情でこう告げた。


「お母さんのこと、お父さんと引き離してくれて、ありがと。ようやくお母さんも、安心して眠れるよ」

「……そっか。よかった」


 わたしの苦労は、無駄じゃなかったようだ。荷車を使ったけど、大人の男の遺体を運ぶのって、かなり体力を使うんだよね。


「それにしても、ちゃんとロミの所に行けるかなぁ。ロミは誰も殺していないけど、わたしはひとり殺しているわけだし……」

「わたしだって自分を殺しているんだから、罪の重さは変わらないよ。一緒にいたいって気持ちさえあれば、大丈夫じゃない?」

「呑気だなぁ……まあ、ほんの少しの辛抱だと思って」

「うん。楽しみだなぁ。生きているうちに出来なかったから、ネネがそこまで考えていてくれたのは嬉しいよ」

「そりゃあ、わたしだってやりたかったから。ロミと制服デート」


 同じ気持ちだったんだよ。苦しさを分け合った時から、ずっと。

 外用の靴を履いて、ついに準備は整った。

 ロミは穏やかな顔で死んでいた。ならば、わたしもなるべく、晴れやかな気分で後を追うことにしよう。この世の未練は全て断ち切って、ただ大切な親友と会うためだけに、その境目を越えていこう。


「じゃあ、そろそろ行くね」

「うん。あの桜の木の下で、待っているからね」


 ロミは晴れ晴れとした笑顔で告げて、静かにその姿を消した。


 ……桜の木の下には、大切な人が埋まっている。

 その人は今も、そこでわたしを待っている。


ずいぶん長くこのサイトにお世話になっていますが、単発の短編を投稿するのはこれが初めてです。案の定、結構な長さになりました。

公式企画の内容を見ているうちに、こんな話が書いてみたい、という衝動に駆られ、一日で大体の筋書きを考えて、三日で書きました。……冷静に考えたら、結構ペースが遅いですね。書いている最中も思っていましたが、推理ものというには微妙なライン。でも単発で本格派の推理ものを、この短期間で書き上げるのは、僕の技量では困難だったので……。

折しもつい昨日、さる有名人の自殺(と思われる事件)が報道されて、これを投稿して大丈夫か、とも思ったのですが、割と時間をかけて書いたものを丸ごと捨てるのもどうかと思い、批判は覚悟で投稿しました。前書きにも書きましたが、この作品はあくまでフィクションで、自殺を推奨するものではありません。深刻な悩みを抱えている人は、公的機関の窓口などに相談することを強く勧めます。

ウェルテル効果に繋がらないことを祈って……。

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