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あまた返りセレマ  作者: ココカラ文乃
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何をもって特別とする

―思い出ー


今日はすごく綺麗な人を拾った。

とても大きいからハオランに運んでもらったんだけど、滅茶苦茶重かったみたいでハオランが潰れそうだった。

拾って帰ると、お父様がすごい怒った。

こんな怪しいのもを年ごろの娘が拾うもんじゃあない!ですって。

でも荷物から医師免許が見つかったら、お父様はコロッと態度を変えて喜んだ。

医者が落ちてることなんてそうそうないものね。

特に私たちみたいに旅をしていると、具合が悪い時すぐにお医者にはかかれない。


私はその日、その綺麗な人を一晩中見つめた。今まで出会った誰よりも、本当にとても綺麗。

私は綺麗なものは何だって大好き。宝石、お化粧、お洋服、金糸も銀糸も、女の子も男の子も。

翌日目を覚ましたところを見て、私はもっと気に入っちゃった。

「凄いわ!髪の毛だけじゃなくて、瞳もまるで琥珀ね!肌も陶磁器みたいでつるつる真っ白だし!本当に美しい!」

そうしたら、彼は私の頬に触れてこう言ったのよ。

「私を助けて下さったのは貴女?私より、貴女が美しいですよ」

私を美しいなんて言う人周りにはいないから、面白くてたまらない。私は笑っちゃった。

「あら、ありがとう。ねぇ、貴方は西国の方? お名前を教えてくださいな」

医師免許にあったから、名前は解っていたけどこの綺麗なお口から聞きたくて催促する。

「名乗る名など、とうに無くしてしまいました。私は死んだも同然の人間です。私をこうして生き返らせてくれたのは貴女です。貴女の呼びたい名で呼んで下さい」

まぁ残念。その口では教えてくれないのね。でも私が名前を付けていいなんて、ますます面白い人。

「じゃあ、貴方の髪と目の色だもの、そのままアーバン先生とお呼びさせて下さいな!」





冬になり、旅芸人一座の大梅ダァメイは大陸を南下してクオンという海の見える街に来ていた。

この辺りは冬でも気温が比較的高い。ただちょっと湿気が多い。

晴れた日には、パオの換気を総出で行う。

換気の間、子どもは邪魔だと言われ、小遣いを握らされて街に出された。大人たちの粋な計らいだ。

大梅ダァメイには16歳以下の子供が15人いる。

その中ではスイは年長組だ。自分より小さな子供を連れて、知らない街を歩く。

この街は食の都として昔から有名だそうで、街には美味しそうなものの屋台が溢れている。

12歳以上の年長組は6人いるので、それぞれ年少者1人~2人を連れて食べたいものを購入後に海の見える公園で待ち合わせをすることして別れた。


スイはいつも通り、弟子のヤンとヤヲを従えて屋台を見て歩いた。

寒いので、三人三様の柄のポンチョを被っている。

ヤンはスイのお古のくすんだ橙のうろこ分の柄。まだ丈が長く、膝下になってしまう。

ヤヲも一座の先輩のお古で、錆鼠色のアラベスク柄。こちらは膝丈でちょうどいい。

スイは最近売れっ子で、いい扱いを受けることが多い。座長や姉さん達がスイに合うものをとあれやこれやと騒ぎながら見立てくれた珊瑚色と桜色の七宝小紋のポンチョ。

ポンチョの中には紅藤色の毛織物を腰巻をとして巻いている。彼女たち曰く、女は年ごろになったら腰回りを冷やしてはいけないということらしい。

腰にはポーチも下げているから、暖かいけれど少しもたつく。髪の毛は肩口まで伸びた。

「スイねぇ、なに食べたい?ぼく迷っちゃうからスイねぇと同じものがいいなぁ」

ヤンがスイのポンチョの下から手を差し入れて、つなぎながら甘えた声で見上げてくる。

ヤンはこの前5歳になった。

最近はあざとさも身に着けて色男の片鱗を見せ始めている。大好きなスイの気を引こうとボディタッチもガンガン行う。

スイはそんなヤンを、チビッ子可愛い!天使!としか相変わらず思っておらず、なんの警戒心もない。

それを横目にヤヲはため息をつく。

ヤヲは7歳になったのを機に、スイと寝るのをやめて少年たちの部屋に移った。

その時「俺と一緒だからいいだろ!」と容赦なくヤンも一緒に連れ出した。

ヤンもスイも嫌がってむずがったが、ヤンのあざとさに気づいているヤヲは譲らなかった。

…コイツ、全部わかっててやってる。スイねぇは婚約者もいるんだぞ。いい加減にしろよ…

じろりとヤンを睨みつけてやると、ヤンはべッと舌を出して見せた。

「…チィッ」

舌打ちをして無視する。ムカつく弟分だ。


この一座の所有物階級の子どもは、当たり前だが座長が選んで買い付ける。

座長は美しさに目がない。そのため集まる子どもたちはどの子も愛らしい見た目をしている。

さらに座長のすごいところは、成長に伴ってより見目麗しくなる子供を間違いなく選ぶことだ。

子どもが可愛いのは当たり前で、多少の欠点は幼いことでカバーされるが、座長はそれには惑わされることはなし、可愛い子も成長と共に老け顔になることも無いとは言えないがそんな子供も選ばない。

ヤンは本当に見るからに可愛らしく、くりくりした目で女の子かと思うほどだ。

表情も豊かで、見る者を飽きさせない。

いつもツンケンしているヤヲだって綺麗な頭の形をしており、その頭骨に沿うように生える猫っ毛

が見るからに触り心地が良さそうだ。

ふてくされた様な媚びない表情もどこか涼し気で、最近舞台に上がるようになったばかりだが、若い女性客が見ほれるほどだ。そしてヤヲのファンは一座の中の年長女性にも何人かいる。


こんな美少女美少年が連れ立って歩けば目立つ。屋台ではスイたちだけでなく、その他の子どもたちも目立った。

「どこから来たの?」

「公演で、近くにパオを立てさせていただいています」

「あら、こんなかわいい子達、見に行きたいわー」

となるわけだ。これも立派に宣伝になる。


もちろん時には危ないこともある。

今まさに、スイとヤンとヤヲの前にそれが現れた。

最初にヤヲが肩を掴まれた。見るからにガラの悪そうな男が三人。

「旅一座の商品さんたち?可愛いねぇ。今よりもっと稼げるところがあるんだ。一緒においでよ?」

下卑た笑顔がムカつく。

次の瞬間、三人は一気に動いた。こういう輩には手加減するなと言われている。

まずスイの膝蹴りが中央の男の顔面にクリーンヒット。しかもスイの膝には木製の膝当てがついている。

ヤヲの肩をたたいた男は、気付くと自分の首にヤヲがぶら下がっており、力いっぱい首を後ろに引かれた。

「あ!ぐ!」「ガハッ…!」

男たちが苦しそうに後ろに倒れる。

もう一人は何かを考える間もなく意識を失って地面に倒れた。それをニコニコ見つめるヤンの手には、細い竹筒が握られている。力のないヤンにスイは吹き矢を持たせていた。それがうまくツボにヒットしたらしい。

「あぶないなぁ」

「ここ、意外と治安わりーな。こんな昼間っからこんなのいるのかよ」

「いいから、一回行くよ!」

スイは余裕そうなヤンとヤヲの手を引っ張って人混みに紛れた。


少し離れた屋台の陰に二人を突っ込んで、小さくなって隠れる。男たちは追ってこない。

しゃがみ込んだまま、スイは少し怖い顔を作って二人に言う。

「ヤンもヤヲも、少し強くなったからってあんな風に余裕を見せたらだめだよ。向こうに本気出されたら私たちなんてすぐやられちゃうんだから、一発入れてそっこー逃げる!」

幼い二人は顔を見合わせ、納得いかないような顔でとりあえず

「はぁい…」

と間延びした返事をする。

「もう。本当に連れ去られちゃったらどうするの?二人に会えなくなったら私は悲しい!」

スイが頬を膨らまして怒ってみせると、ヤンは喜び始める。

「スイねぇのおこったかお、ぜんぜん怖くない!かわいい!ふふ」

「キツイ顔の作りな割に、まぁ、威厳はねぇよな」

ヤヲも同意するから困ったもんだ。

「本当に困った子達。もういい、さっさとなんか食べる物買って行こう!みんな待ってるよ」

周りを伺ってから通りに出る。


目の前に饅頭の屋台がある。

「あ…」

スイはそれを見てつい声を出してしまっていた。

「ん?饅頭?スイねぇは饅頭食いたいのか?」

ヤヲが聞いてくる。

「いいね!おまんじゅう、ぼくも好きだよー」

ヤンがニコニコとスイの手を引く。

「そうだね、お饅頭、食べたいな」

「まぁ、付き合ってやってもいい。饅頭うまいし」

三人は、ヤヲの両手を合わせたくらいの大きな饅頭を買って、他の子どもたちと合流すべく公園を目指した。


スイたちが公園に着くと、まだ来ていない子供たちも数人いた。

冬の海風は冷たいが、内陸部を旅することが圧倒的に多い一座なので、先に到着した子供たちは海が珍しくはしゃいでいる。

「お、スイ、ヤヲ、ヤン、大丈夫だったか?変な奴に絡まれたりしなかったか?」

スイたちに気付いた一番年上の少年が声をかけてくる。秀英シュウインといい面倒見がいい兄貴分で、良くおどけて見せるお調子者だ。彼は両親が一座にいる。

「絡まれた。意外と治安が悪いの?この街」

うんざり、というようにスイが答えると秀英シュウインもやれやれといった風に肩をすくめた。

「どうやらそのようだな。俺みたいな不細工も絡まれたぞ!」

「それはビックリ」

スイも調子を合わせてふざけて見せる。

「おいおい、本気でそう思ってるなら傷つくぞ!…と、まぁ冗談はこれくらいにして、俺はマオがいたから絡まれたんだろう」

そう言って後ろを示す。

秀英シュウインのポンチョの背中に、8歳の少女マオがくっついて震えている。

西国の血が混じったお人形のような少女だ。

「怖かったね… 可哀そうに… でも秀英シュウインは強くてカッコ良かったでしょ?」

目線を合わせてマオに笑いかけると、恥ずかしそうに頬を赤く染めて秀英シュウインの後ろに隠れるマオ。

テラかわいいーっ!!!鼻血出そうーっ!!

スイは悶絶した。

「おい、キモイぞ」

ヤヲがツッコミを入れる。


先に到着した面々は、堤防の淵に並んで海を見ながら座ってまだ来ていない子供たちを待つ。

ヤンが楽しそうに話しかけてくる。

「ぼく、海みるのはじめてなんだ!二人はみたことあった?」

「ない。俺、首都で生まれたから、黄河なら見てたけど、海は初めてだ。波って不思議だな。行ったり来たりすんだな」

珍しさからか、ヤヲも素直に答え、じいっと海を見つめている。

「スイねぇは?スイねぇは?」

ヤンが興奮気味に聞いてくる。

「私は… 海の見える村で育ったから、懐かしい、かな」

スイはあまり自分の故郷のことを考えたくなかった。思い出すのが怖かった。

楽しかった日々を思い出すと、どうしても最後の日を思い出してしまう。

燃える家々や、逃げ惑う人々、刺し貫かれ倒れ込む近所のおじさん。

ブルリと震える。

「どうしたの?さむいの?」

ヤンが心配そうに顔をのぞき込んでくる。

「大丈夫だよ。ありがとうヤン、優しいね!」

これ以上心配されないように、意識して笑顔を作ってヤンをぎゅうぎゅう抱きしめる。

「海の見える村って、この辺なのか?」

ヤヲが珍しくスイの様子に気付かず聞いてくる。海に夢中なようだ。

答えないのもおかしいだろうと思い、スイはゆっくりと話し出す。

「ここよりずうっと北の方だよ。すごく寒いところで… 冬は雪もいっぱい降る… 山に囲まれてて…

 お母さんが、よくお饅頭作ってくれたんだ。だから、懐かしくて、つい屋台でお饅頭、選んじゃう。ふふ。子供みたいでしょ?」

「あー!それで今日もおまんじゅう、かったんだね!」

ヤンは相変わらず楽しそうだ。

ヤヲが、照れくさそうにボソリとつぶやく。

「俺も、かあちゃん、死ぬ前に良く作ってくれてた。饅頭。なんだよ、スイねぇも同じかよ」

「えー!?一緒?ヤヲと一緒なの?嬉しいなぁ」

大げさに喜んで、スイはヤヲもぎゅうぎゅう抱きしめる。

「や!やめろ!離れろばか!」

真っ赤になってヤヲは暴れ、ぼくもぼくも!とヤンがまとわりつく。

三人団子になってじゃれ合う。


「ちょっと!!聞いて!!」

「すごいの!すごいの!」

まだ来ていなかった少女たちが5人、興奮した様子でキャッキャッと公園に走り込んできた。

目はキラキラ輝いて、頬は上気している。

「おいおい、落ち着けよ、何だよ?こっちは寒い中待ってたんだぞ」

秀英シュウインが呆れたように諫めるが、彼女たちの興奮は収まらない。

5人のうち3人が所有物階級の少女たちで、同じような短い髪をしている。

その中でスイと同じ年のスーラが秀英シュウインの胸倉をつかんで力強く振りながら嬉しそうに報告する。

「すっごいイケメンに助けてもらったのよ!すっごいイケメンに!!天使様かと思うようなイケメンに!!」

「オイ!落ち着け!俺を振る必要はないだろう!!」

「だって興奮が収まらないんだもん!!すっごいイケメンに!肩を寄せられて!!『私の連れに、何か御用ですか?』って!!!私の肩をイケメンが抱き寄せたのよ!!」

「わかったから!俺よりそいつがイケメンなのわかったから!!」

そこでスーラは秀英(シュウインの胸倉から急に手を離した。勢いで秀英シュウインは後ろに倒れ、尻もちをつく。マオが心配そうにオロオロと近付く。

「今度はなんだ!?急に離すな!」

「アンタみたいな不細工と天使様を比較すんじゃねぇ」

さっきまでと違うドスのきいた声でスーラが言い放つ。

それの様子を見てスイは吹き出してしまう。

「スイまで、笑ってんじゃねーよ!助けろ!」

秀英シュウインが大げさに叫んでみせ、他の子どもたちも笑いだす。

「んなことより腹減ったー。もう饅頭食ってもいい?」

ヤヲが天を仰ぎ呆れ気味に声に出すと、そうだそうだと子供たちは並んで堤防に座り、各々が買ってきたものを食べ始める。

「どこから来たの?って聞かれたから、今街はずれにパオ張って公演してる大梅ダァメイ一座ですぅって宣伝してきた!」

スーラはまだイケメンの話に夢中だ。

「へーあーそうなのか。ふーん」

秀英シュウインがマオを膝にのせ、あからさまにどうでもいい返事をしている。

スーラは気にせず他の少女たちと盛り上がっている。


「スイねぇは、あーゆー話にあんまり混ざんねぇよな」

ボケっと海を見ながら饅頭をかじるスイにヤヲが声をかけてくる。

「おかしいかな?へん?」

「ヘンって言うか、女って、あーゆー話好きそうじゃん?」

全く興味なさそうにボーっとしているスイが変わっているとでも言いたいのだろう。

「だって、イケメン見たって、腹膨れるわけじゃないし…。人間顔じゃないし…」

「…まぁそうだよな。それには俺も同感だ。」

どこか腑に落ちない感じの顔をしているが、ヤヲはとりあえず同意をする。

「スイねぇは、イケメンなんかよりぼくが好きだよねぇ!?」

ヤンが満面の笑みで勢いよくスイに抱き着く。

「うん!!ヤンとヤヲが好き!!」

スイもヤンをひしっと抱きしめ返して、あふれる愛が目に見えるんじゃないかってくらいぎゅうぎゅうした。

「ハイハイ。もうわかったよ…」

ヤヲはこの話題をあきらめた。



パオに戻ると、換気作業も終わり各々が芸事の練習を始めていた。

最近踊り子のチームではリーダーが変わった。

減った人員を補填するために、スーラとあと二人の少女が踊り子として舞台に立ち始め、そしてマオも見習いとして踊り子たちと行動を共にし始めていた。

以前リーダーをしていたユーは、今はマオに踊りを教えながら自分は腹話術を練習していた。

ショウが抜けた分を埋めるためにと、座長から指示された。

「30も過ぎて新しいこと覚えるのってホントに大変!」

とボヤキながら、それでもかなり真面目に取り組んでいる。

売られていくのではないかと、本人も周囲も心配していたがこれでしばらくは安泰だ。


軽業師たちが集まる舞台の方へヤンとヤヲと三人で急いでいると、パオの陰からヌッと大きな人影が現れた。

「わ!びっくりした!」

ヤヲが先頭を走っていたのでびっくりして少し後ろに飛びのいた。

ソウさん!」

現れた見知った顔に、スイが声を上げる。

宋は無言で頷き、一番近くにいたヤヲの手に何かを握らせた。

「?」

ヤヲが手を開くと、そこにはチョコレートが乗っている。

「わ!チョコじゃん!もらっていいのか?!」

ヤンにも同じものを渡しながら、宋は頷く。

「わぁ!やったぁ、ありがとう!宋さん!」

ヤンも大喜びだ。

「さっきお饅頭食べたばっかりだから、今食べちゃダメだよ!あとでだよ!」

スイが釘をさす。

わかってるよーと二人はチョコを見ながら嬉しそうに返事をする。

「もう、本当にちゃんと解ってる?」

腰に手をあてて膨れるスイの前に宋が立つ。汗をダラダラかきながら、もじもじとして、なかなかそのまま動かない。

「…あの、何でしょうか…?」

宋はいい人だ。親切で真面目で優しい。しかし、このもじもじは頂けない。

スイは回りくどいやり取りや、会話がスムーズに進まないことは苦手なのだ。

促されて宋はやっと口をきく。

「あの、お前にはこれを…」

差し出されたのは銀と淡藤色の組紐に金のビーズが編み込まれた装飾が付いたピンだった。

「これを私にですか?」

スイはピンと宋を交互に見る。

「かっ髪が、伸びてきた。良ければ使ってくれ!」

うわずった声でそれだけ言って、宋はそそくさと来た方向へ戻っていった。

「いい人なんだけど、あの渡し方見てるとイケてないってい言われてる意味が分かるよな」

ぽかんとするスイの横で、ヤヲが呆れたようにぼやく。

「いいんじゃない?チョコくれたし!」

ヤンはチョコレートを手に、ピョンピョン飛び跳ねながら嬉しそうに言った。



「なるほどねェ、そうして宋さんがくれた、と」

公演前に舞台裏でスイの髪の毛を結わえながら、先輩軽業師の女性がヤヲから話を聞いている。

スイはずっと髪の毛が短かったので、自分で髪をうまく結わうことができない。

そもそも、もしずっと髪が長くても不器用なスイにはうまく出来なかったことだろう。

スイは二人が話しているのを黙って聞きながら、こうして噂は広がるんだろうな、とため息をつく。

「宋さん、俺たちにもチョコレートくれたんです。優しいです」

ヤヲは相変わらずスイ以外にはきちんと敬語で話す。

「そうね、優しい人ではあるわよね。それに素敵なピンじゃない!こんなものを選ぶセンスがあるとは意外ね!」

スイの両サイドの髪を編み込みし、それを後ろで一つにして宋からのピンで留めた。

「アンタの綺麗な黒髪に映える良い色ねぇ。でもこれ、ハダカで渡してきたの?」

「ハダカ!?服着てましたけど!」

驚いてスイカはうわずった声を上げた。

呆れた顔で先輩は言い直す。

「包み紙も箱もなく、このままで渡してきたのかって聞いたのよ」

「あ、そういうことですか。だとしたらハダカで渡されました」

ほっとした気持ちでスイは答える。

「スイねぇ、テンパりすぎ」

隣の床にあぐらをかいているヤヲが、いつもの呆れ顔でスイを観察している。

「うるさい!うるさぁい!私を見ないでーっ!」

両手で顔を覆って頭を振る。

「ちょっと!髪結えないでしょ!動かないでよ!!」

先輩はスイの頭をはたく。

「うぅ…ごめんなさい。」

顔を覆ったまま、動きを止める。

「はい、よろしい。いや、ほら、こんな素敵なピンなんだから、素敵な箱や包み紙で包装したあったらもう少しいい感じのプレゼントになって、雰囲気もでるだろうになーと思ったわけよ。私は」

先輩が残念ねぇ、とため息交じりに言う。

「あぁ、なるほど。そうすればイケてる感じになるんですね」

ヤヲが納得する。

「私はそういうの、良く解んないから… いただけただけで十分嬉しいです…」

ぼそぼそと返答するスイを見て、先輩とヤヲは顔を見合わせた。

「かーっ!青春ね!スイも宋さんも!!」

「なんか良く解んないけどムカつく」

「え!?なになに!?なんで!?」

騒ぎ出した三人に、他のチームのメンバーが叫ぶ。

「オイ!猿どもうっせーぞ!客が入ってきてんだからそろそろ静かにしろ!」

「はーい」

三人は口をつぐんで、真面目な顔を作り直して本番に備えた。






千歳チトセはこの半年、ずっと一人の少女を探していた。

シィアは決して狭い国ではない。たった一人の名も知らない少女を探すのは砂漠の砂粒の中から砂金を見つけるようなものだ。

しかし人を付けてもらうわけにはいかない。人を付けて“島の民”を探し出せば、そのまま少女はすぐさま殺されかねない。せっかく見つけた彼女を殺してしまいたくなかった。

それに多分この任務は左遷と見ている。寺院内の政情は最近不安定だ。自分は中央から排除された可能性がある。


色々考えた末に、自分が彼女と最後に会った5年前の北東部での人身売買記録を確認した。

彼女の名前も知らないし、正式な年齢も知らない。彼女がいたのは隠れ里だったから、出身地が何になっているかも解らない。それでも闇雲に探すよりは、人身売買記録が一番可能性がある。

親も家も無くなった子供の行先など、そんなにあるわけではない。

野垂れ死んでいなければ、だが。

あの日の正確な日時も覚えていない。大まかな季節しか記憶にないので、確認する記録はさらに膨大になった。

頭が痛くなりそうだったが、4か月かけて数人に絞り込んだ。

身体的な特徴や、年のころ、売られた時の状態などで気になる点があるもの、そしてあとはカンで選んだ。

カンには自信がある。

きっと探し出して見せる。

あの黒玉コクギョクの瞳を再び見つけるのだ。



僧侶であることは道を歩くと目立つ。行き違う者は皆必ず僧侶には礼をするし、自分くらい高位だと跪かれてしまうこともある。非常に活動しづらい。人探しなんてものは出来れば目立たずやりたい。

しかも彼女にとって、自分は出会いたくない相手だろう。話をする前に逃げられても困る。

その辺のどこにでもいそうな青年に見えるように、黒い綿のパンツに白い襟のないシャツ、その上に裾に雷紋の入った鈍色の羽織を羽織る。あとは街の誰もが来ているような亜麻色のマントを寒さ対策に着込む。念のため伊達メガネもかけた。自分の顔が整っており、注目を集めやすいことはよく理解している。

長い髪は高い位置に一本にまとめ、団子を作って紺の毛糸の帽子に入れる。

長い前髪はそのままにした。顔はあまり出したくない。自分の顔は目立つ自覚がある。


目を付けた数人の少女を探すのにいくつかの街を回る。

彼女が最初にいた北東から徐々に南下して行き、すでにこの2か月で三人の少女を見たがどれも違った。

やはりそう簡単にはいかないか…と、ため息が出る。

そんな時、海の見える街で、たまたま旅芸人一座と出会った。

目を付けた少女の中に、その一座に売られた者がいたはずだ。

旅芸人は移動しているので場所を特定するのは難しい。その一座を探すのは最後にしようと思っていたから、その偶然に心底驚いたし、これは可能性があると思った。

そういう共鳴が、彼女と自分にはあると思う。

まずは公演を見ようと思ったが、一座の公演がその日は休みだというので宿を取り適当に街をぶらぶら歩く。

この街は国境が比較的近い。

国境近くは人身売買や武器の密輸が増えることから、表向きは平和そうなこの街も裏ではマフィア、表はチンピラが活動している。

流石に美しい見た目といっても、長身の男の自分を白昼堂々拐かすようなバカはいない。

それでも女子供にはそんなバカがまとわりつくようだ。

たまたま怪しい男たちに声をかけられている少女たちを見かけた。

5人いるうちの3人が顎のラインで髪の毛を切り揃えている。

所有物階級の少女だ。一人はまだ幼いが、あとの二人は15歳前後くらいに見える。

もしやと思い、咄嗟に助けに入った。


「私の連れに、何か御用ですか?」

一人の少女の肩を抱き寄せ、男たちを睨みつける。

肩を抱かれた少女は驚いたようにこちらを見たが、残念なことに自分の探している少女ではないようだ。確かに可愛らしい顔をしているが、あの力のある目ではない。

残念だな。まぁ、さすがにそこまでの偶然を期待するのは間違いか…

「なんだぁオマエ!割り込んでくんなよ」

男の一人がガラ悪く絡んでくる。

「割り込むもなにも、この女性たちは私の連れなんですよ。ナンパなら諦めてもらってもいいですか?」

一度助けに入った以上、自分が求める少女と違うからと放り出すわけにもいかない。とりあえずこの場をやり過ごすことにした。

「おいおい、よく見りゃ、お前も綺麗な顔してんなぁ。いいぜぇ、お前も一緒にナンパしてやるよ」

下卑た笑みを浮かべ、別の男がこちらをジロジロ不躾に見てくる。

やれやれ、マジでバカだったか。面倒くせーな。

手っ取り早くカタを付けるために男たちの目を一人ずつゆっくりと見つめて催眠術で落とすことにする。

「しばらくそのまま止まっててね…」

すると男たちはあっという間に術にかかり、石のように動けなくなる。

不思議そうに瞳だけを動かしている。

まぁ、しばらくすれば勝手に術は解けるだろう。

「諦めていただけたようで良かったです。ではお嬢さんたち、こちらへ」

不思議そうにしている少女たちを伴い、その場から距離を取る。


「あ、あの!助けていただいてありがとうございます!」

少し歩いた先で、肩を抱いていた少女が頬を朱に染めて仰ぎ見てきた。

「あぁ。気にしないで。この辺はあまり治安が良くないみたいだね。気を付けてね」

ニッコリ微笑んで肩を離し開放してやると、他の少女たちもわっと集まってきた。

「助かりました!とっても怖かったんです!」

「お兄さん、とてもキレイなお顔をされていますね」

口々に騒ぎ立てる。嫌な気はしないが、女たちは子供も大人もみんな同じようなことばかり甘えるような声で言ってくる。個性ってものがまるで感じられない。

それを可愛いと思うこともあるけど、今はそんな気分じゃないから正直ちょっとうざったい。

「そんな、褒め過ぎだよ。たまたますぐ諦めてもらえただけだよ。ところで君たちはこの街の人?どこから来たの?送ろうか?」

それでも女には優しくしておいた方が後々面倒が少ない。

いつもの癖で、気遣うような声をかける。

きゃあ、とか、ほうっと息を吐き出すような声が口々に漏れ、最初に肩を抱いた一番年長そうな少女が悠々とお辞儀をして答える。

「申し遅れました。私はスーラ。この度この街で公演を行っております旅芸人一座の大梅ダァメイの踊り子でございます。よろしかったら、ぜひ明日にでも公演へもいらしてくださいませ。」

「あぁ、なるほど、公演で来ているんだね。それはぜひ拝見したい。君たちみたいに可愛い踊り子さんは他にもたくさんいるのかな?」

なんてラッキー。やっぱり俺はツイてる。とりあえず他にも少女がいるか確認する。

「踊り子は他に美しい姉さん達が数人いらっしゃいます。でも我が大梅ダァメイは美しい少年少女が多いことを売りにしておりますの。他の芸人たちも、芸でも、その見た目でも、ご満足していただけること間違いなしです!」

スーラは力強く自信ありげな様子だ。

この口調だと、他にも少女はいるということでいいのだろう。

「それは楽しみだ。では一座までお送りしますよ?」

このまま一座へついていけば、他の少女も見ることができそうだ。

しかし意外にもスーラは断ってきた。

「申し出は大変ありがたいのですが、仲間と待ち合わせをしておりますので私たちだけでも大丈夫です。ご親切、感謝いたします」

再び優雅に礼をすると、少女たちは風のような速さで消えた。

後をつけて仲間を見ようと思ったが、あっという間に撒かれてしまった。

これは侮れない。大梅ダァメイという一座は、暗殺者でも育成しているんじゃないか?

この俺をいとも簡単に撒くなんて、信じられない。



翌日、俺はお誘いの通り観客として大梅ダァメイ一座を訪ねた。

受付には昨日助けた少女たちもいる。

「まぁ!昨日のお美しいお兄さん!来ていただけましたのね!」

スーラが嬉しそうに声をかけてきた。他の踊り子たちも、ニコニコとこちらを見る。

「噂の蘭陵王?素敵じゃない!」

「本当に、話で聞いたよりも色男ね!」

やっぱり女はみんな一緒だ。千歳を見ると、ほめそやし、媚びを売るような声を出す。

「昨日は素敵な出会いをありがとうございました。今日は楽しませていただきます」

少女たちに負けないように、優雅に礼をする。

きゃあきゃあと声を上げる少女たち。

俺は早々にそこを通り過ぎ、できるだけ舞台に近い位置に席を取る。出演者の顔をしっかり見たい。




開演が近くなった頃に、受付にいた踊り子たちが裏手に戻ってきた。

そしてひそひそと他の出演者たち例のイケメンがやって来たことを楽しそうにささやく。

「昨日のイケメン、本当にきたのよ!」

スーラは今日も秀英シュウインの胸倉をつかみ、キャッキャッと報告する。

マオはユーとヤンと一緒に現役の踊り子たちがいなくなった後の受付に残っているから、今日秀英シュウインを心配してくれる優しい者はいない。

「そら良かったな!やる気も出るってもんだな!」

秀英シュウインは投げやりに答える。

「ホントに!!やる気出るわぁ。昨日送ろうか、って言うのに撒いたから嫌いになられちゃったかと心配してたのよーぉぅ」

ウフウフと気色悪く笑いながらスーラは嬉しそうだ。秀英(シュウインは苦しい。

「撒いたのか?つーかつけられたのか?それはいいけどいい加減腕放して」

「ちょっとついて来てた。でもほら、知らない人は基本後つけさせるなって座長がいつも言うから、頑張って撒いたのよ」

「誰が危ないやつかなんて、一見しただけじゃわかんねぇもんな。つーかついてくるとか怪しい奴じゃん。ソイツ」

「怪しくても、イケメンだから許すわ!」

「そんなもんですか… ねぇマジでいい加減手ぇ放してくんね?」


少し離れたところから聞き耳を立てていたヤヲは背伸びしてスイに耳打ちした。

「昨日の噂のイケメン、怪しいらしいぞ」

スイは周りの話など全く聞いていなかった。初めて結わえた髪と、それを止めているピンのことばかり気にして、髪ばかり触っていた。

「え?なに?イケメン?」

「…なんでもねぇよ。ミスすんじゃねぇぞ」

ヤヲはまた諦めた。イケメンなんて眼中に全くない様子。




公演が始まりしばらくして、千歳はスーラが言ったことは本当だと思った。

圧倒的に美少年や美少女が多い。特に所有物階級と思われる者たちはその傾向が顕著だった。

最初に出てきた座長は化粧の濃いだけのオバサンだったけど、彼女が子供を買ってきているなら買い付けの目利きがいい。

芸だけ見れば、まあ国内の他の芸人一座とさして変わらないだろうが、美しいということは、それだけで鑑賞に値する価値を生む。

自分のことも含めて千歳はそれをよく解っていた。


無人の舞台に銅鑼の音が響きだした。次の演目が始まるようだ。

銅鑼の音がどんどん早くなり、そして止んだ。

次の瞬間、着飾った数人の男女が入り乱れるように倒立飛びをして舞台に上がってきた。

その中の一人の男が膝立ちになると、その肩に勢いをつけた少女が手をつき飛び上がり、天井に渡してあったロープにぶら下がった。

ぶら下がった勢いで大車輪をして、不安定なロープ上に立ち上がる。

それだけでも十分大技だし目を奪われるが、ロープ上の彼女は腰のポシェットからボール出していくつか放った。

下にいる者がボールを受け、彼女に投げ返し、上と下とでボールのパッシングを始める。

パオの天井はさして高くはないから距離はそんなにないが、足場の不安定な状態でのジャグリングはすごい。

歓声と拍手が起こる。

千歳も釘付けだった。それはもちろん技が凄いからではなく、探し求めた少女が今そこにいるという感動で息も忘れるような状態だった。

それだけ身軽ならば、あの日自分の手から素早くすり抜けたことも納得いく。

訓練を受ける前から彼女はその素質があったのだろう。

ロープの上で片足立ちになり、皿を回し始めたその黒玉コクギョクの少女を、千歳は食い入るように見つめた。






公演が終わった後、一座の出演者総出で出入り口に立ち観客に観劇の礼をする習わしだ。

観客は出演者が並ぶ間を通り、時には握手を求め、時には贈り物を渡す。

スイは人気芸人だ。大人子供関係なくよく握手を求められる。

だから、その青年に握手を求められた時も特に何も思うことはなかった。

「素晴らしかったです。ありがとう」

両手を強く握られ、少し痛いとは思ったが、だからどうしたとは感じない。

「ご満足いただけたのであれば大変光栄です。ぜひまたいらして下さい」

スイはいつもと同じ営業スマイルで返す。

青年はスイをじっと見つめてくる。手も離さない。スイは不思議に思いながら黒く輝く瞳を見つめ返す。不思議な光だ。黒曜石の様にギラギラ光る。まるで射抜かれるような視線だ。

なぜこんなに見つめてくるのか、その目が何を訴えているのか、測りかねてその黒曜石の奥をまじまじと見つめ返すと、急に意識が遠くに飛ぶような気がした。

気付くと暗闇の中で底なしの沼の淵に立ち、底をのぞき込んでいる。沼は何も映していない。深さも解らず、スイ自身の姿も映っていない。引き込まれそうな恐ろしさに首を激しく横に振る。

その瞬間意識が現実に戻った。

永遠かと思われるほど長いような気がしたが、実際はほんの一瞬だった。

未だ掴まれた手は決して冷たくないのに、自分は芯から冷えるような気がする。

彼はスイの様子を見ていたが、何かを諦めたようにすっと手を離した。

スイはほっとした。正直気味の悪い青年だと思った。


「まぁたスイなのぉ!?男は皆スイを好きになる!ずるーい!!イケメンがスイの強く握って見つめてたぁ!」

全ての客を見送ると、すぐにスーラがスイにニヤニヤと絡みに来た。

「さっきの若い男の人?」

スイはスーラの言うイケメンはあれだろうか、とさっきの青年を思い出す。

「スーラねぇさん、スイねぇはそーゆーの疎いから。俺横から見てたけど、スイねぇはマニュアル通りのセリフしか言えないし、むしろイケメンにビビり気味に見えた」

ヤヲが隣から鋭い観察の結果を報告する。

「えぇっ!?もったいない!あんなに強く手を握られて、私なら舞い上がっちゃうのに!味気のない子ねぇ!」

「え…そんなもん?なんかごめん」

スーラは大げさに驚いて見せ、スイはとりあえず謝る。

「いやね。別に謝ってほしいわけじゃないわよ。つーかショウといい、あのイケメンといい、スイはちょっと厄介そうなヤツにモテるのかしら?」

スーラはおどけた様な口調でヤヲに同意を求めるような視線を送る。

「ヤンもだよ。アイツも曲者」

ヤヲはいっちょ前に腰に手を当て、まるで大人の様にため息をつきながらヤレヤレと首を振る。

「それじゃ、ヤヲはスイの護衛として大忙しね。これからも頑張って」

スーラはヤヲの頭を撫でるとスイに笑いかけて行ってしまった。

スイはスーラの言葉に引っ掛かりを感じ不安になる。

厄介なの… あの視線がまとわりつくようでなんとなく嫌だ。

「ヤヲ、今日はヤンも誘って久しぶりに三人で寝ようよ…」

スイがお願いしたが、ヤヲは間髪入れずに

「ヤダ。俺もヤンも男だから、もう女の部屋では寝ない」

バッサリ切るように答える。

「えぇ… ケチ」

「ケチなもんか。スイねぇには婚約者がいるんだから少しは自覚した行動しろよ」

本当にしっかりした子だな…ヤヲは…

スイはヤヲのしっかりしたところは誇らしいが、一緒に寝てもらえないなら憎らしい。



その後何度か公演はあったが、例の青年が来ることはなかった。

スイは心から安堵した。出来ればもう会いたくない。率直に言ってなんか気持ち悪い。

いつも通り、公演後の掃除をして掃除用具を片付ける。

外はそろそろ薄暗くなってきて、多くの者は食事の準備に行った。

スイは薄暗くなったのでランプを持ち、最後にもう一度忘れ物や掃除のし忘れがないか公演用のパオの確認をしに行った。

静かになったパオの中を見て歩く。

ふと、舞台の上にさっきまでなかった何かが乗っているのを見つけた。

何だろうと、ランプで照らしながら近づくと、それは小さな花束だった。

なんだか胸のあたりがざわざわする。

いや、でも、一座の誰かの忘れ物か、もしかしたら私宛の物をわざわざここに届けてくれた人がいるのかもしれない。何でもない、怪しい物じゃない。

スイは自分に言い聞かせながら近づき舞台の上に昇った。

舞台の真ん中に、見たことない花で作った花束がある。

手に取らずにそのままランプに照らして観察する。

見た感じ、店で作ってもらったというよりは、野草を自分で摘んできて作ったもののように見える。

紫と白い花が入っている。どちらも同じ花の様で、筒状の花弁が先端はふくらみを持ち丸みのある形をしている。ラベンダーとも似ているけど、それよりは少し大きい。

白い紙ナプキンに包まれ、藤色のリボンが結んである。メッセージカードなどはついていないようだ。

これじゃ誰宛のものかはっきりしない。

仕方がないので食事の時に一座の皆に聞いてみよう。

花束自体がとびかかってくることも無いだろうし、とスイはそれを拾い上げた。


ふと、その藤色のリボンに文字が書いてあることに気付いた。

『貴女の名前を教えてください』


「手ぶらじゃカッコ悪いだろうと思って、贈り物を持ってきた」

「ふへっ!?」

突然後ろから聞きなれない声で話しかけられてスイは飛び上がるように驚いた。

実際少し飛んだかも知れない。腰が抜けるかと思ったほどだ。ヘンな声も出た。

振り返るとそこには先日の青年が立っていた。嬉しそうに微笑んでいる。

ぎょっとしたが、スイは警戒心から少し後ずさりし、必死に気丈に振舞おうと相手を睨みつけた。

「どうやって、いつの間そこに入って来たんですか?今日はもう公演は終了しています」

スイが距離を取った分、青年も一歩一歩と近付いてくる。

「勝手に入ったに決まってるだろ。ちゃんと話をしたくてさ」

青年の表情は変わらない。相変わらず嬉しそうに微笑んでいる。

スイは相手が何を考えているのか全く読めず、睨みつけたまま黙って後ろに下がる。

「もしかして、怖い顔してるのか?だとしたら全然怖くないね。可愛く見えるくらいだ」

この前見つめられた時の気色悪さが忘れられない。青年は確かに整った顔をしているが、それが逆に威圧感を覚える。

叫んで助けを求めるべきかもしれないが、相手を刺激してしまう可能性もある。

スイが迷っている一瞬で、気が付くと青年に左の手首を掴まれていた。

身長が高い。スイより頭一つ以上は大きい。恐怖に顔が引きつった。嫌な汗が流れる。見上げるのが怖い。

「ねえ、名前おしえて?スイってのは、俗称だろう?」

今度は少し低い声で耳元でささやかれる。腕を掴まれ逃げることが出来ない。

スイは意を決して青年の顔を見る。相変わらずギラギラした黒曜石だ。顔が近い。

「所有物階級の者は、基本的に皆、俗称を名乗ります。スイと呼んでもらって構いません。」

どくどくと自分の心臓が脈打つ音がうるさく聞こえるような気がする。

「俺が聞いてるのは本当の名前だよ。スイには島の民としての名前があるだろ?」

「―!?」

スイはびっくりした顔を隠すことができなかった。

売られてから、この何年もの間、一度だって島の民だなんて言葉を聞かなかった。

自分がそうであるとは誰にも言ったことも無い。


島の民は今はもう伝説のようなものだ。

シィア国のどれくらいの人が存在を信じているかもわからないが、決して歓迎される民族ではない。島の民なんて言葉は、今では僧たちの経典でぐらいしか語られることも無い。

経典内では世界を滅ぼした悪魔が島の民の出だったとされ、それを理由に島の民は迫害に遭い徐々に姿を消したらしい。

でもそれが存在しない民族でないことをスイは知っている。

少なくともそう名乗る人々がいたことをスイは知っている。

それはスイが9歳まで育ったのが、その民族の隠れ里だったからだ。

両親も、近所のおじさんも、おばさんも、年寄りたちも、自分たちのことを島の民だと言っていたし、彼らはそれに誇りを持っていた。

本来は真面目で勤勉な民族であると子ども達にも言って聞かせ、そうあれと教育していた。

そして、そのことを里から出たら絶対に人に話してはいけないと。


「ん?黙っちゃてどうした? やっぱり島の民ってのはナイショな感じ?まぁそうだよなー言えないよなー」

ただでさえ得体が知れないこの青年に、なぜそんなことを知られているのか…

スイは恐怖や不安、焦りなど色んな感情が混ざり合ってどうしていいか解らず、目の前がちかちかするような気がした。状況がうまく判断できない。

「ち、と、せ。」

そんなスイを見つめ青年がゆっくり言い聞かせるよう何か言う。

「?」

何とか焦点を合わせて、青年の顔を見る。何を言われたのかよくわからない。

「キリシマ、チトセ。俺の名前。霧の島でキリシマ。千の歳でチトセ。俺も島の民なんだ。」

信じられないという顔で千歳を見る。

「噓でしょう?里で霧島なんて苗字聞いたことがない…」

「別にお前の里だけで島の民は暮らしている訳じゃない。今もあちこちにいる。少ないけど」

なんだ知らないのか、と今度は千歳は驚いた顔をする。

「俺はお前の里の隣の里で生まれたんだ。だから子供の頃のお前を見たことがあるんだ。同郷ってわけではないけど、似たようなもんだろ?さぁ、島の民同士なんだから名前を隠すことも無いだろ。」

スイには信じられない。ここで信じて素直に名を口にするの危険だと思った。

そもそも里から出たら口に出してはいけないと言われていた。

「知りません。私にはスイという名しかありません。」

得体の知れない恐怖は彼の名前を聞いた今もぬぐうことができない。

それでも、できる限り震えないようにはっきり口にする。ただ、今回は顔を見ることは出来なかった。

目が合ったら、嘘を見抜かれるんじゃないかという気がした。

「そうなの?でも君は島の民だ。舞台を一目見てすぐわかったよ。懐かしくて、嬉しくて、俺その場で舞台に駆け上がりそうだったんだぞ?せっかくこうして再会できて、一緒にいたいと思ったんだよ。ねぇ、俺がここから連れ出してあげるよ!」

ぎょっとした。つい咄嗟に見つめ返してしまう。

決してふざけているようにはみえないが、スイはムカついた。

なんでどいつもこいつも、大梅ダァメイから連れ出すのがスイの幸せみたいに思っているんだろう。

「結構です。私は今ここで幸せに暮らしているんです!」

少し大きな声が出た。

「ふーん、強情な子なんだ。だよね。昔会った時も一筋縄ではいかない感じだったし…」

大きな声で否定されて気を悪くしたかと思ったが、千歳はむしろ楽しそうに眼を細める。怪しげな雰囲気がぐっと上がった。そもそもスイは昔会ったことを全く覚えていない。

「俺のこと、覚えてないんでしょ?そんな顔してる。思い出してくれなくてもいいんだ。でも、一緒に来てほしい」

怪しい輝きの目に見つめられると、不思議と頷いてしまいそうでスイは勢いよく頭を振った。

「残念だな…。でも俺、諦めないよ?」


気が付くと、舞台の真ん中にスイは一人で立っていた。

千歳は突然消えてしまった。夢でも見たのか…

でも右手には小さな花束を持ったままだ。あの怪しい文字も最初見た時と同じようにリボンに書かれている。

夢ではなかったと思う。

きっとまた千歳は自分の前に現れる。そんな気がした。






「スイねぇ、さいきん元気ない?ぼくがいっしょにねてないから?」

移動のために始めた荷造りが進まずもたもたするスイに、ヤンは心配そうに声をかける。

「そんなことないよ。心配してくれてるの?ヤンは優しいなぁ」

いつもならここでぎゅうぎゅうとヤンを抱きしめるスイだが、今はそれをしない。

「やっぱり元気ない!!おなかすいてるの?!」

ヤンの方からスイの背中にしがみついてぎゅうぎゅうしてくる。

「わわわ、ヤン、私ころんじゃう!!」

バランスを崩して倒れる。バランス感覚の優れたスイにしては本当に珍しいことだ。

あれ以来千歳は現れていない。でもどこかからか見張られているんじゃないかと気が気じゃない。

そんな人間離れしたこともやってのけそうだから怖い。

そんなことを考えていると、何をしていても緊張してしまう。



同じころ、クオンの街の屋敷の一角に大梅ダァメイの座長はいた。

客人用の大きなクッションに、彼女にしては珍しく行儀よく座っている。

その横にソウが立ち、二人は神妙な顔をして差し出された金塊を見つめていた。

「これでは足りませんでしょうか?」

二人に向かい合って、一段高い上座に座りゴザの上にあぐらをかいて千歳は微笑んで見せた。

今日は煌びやかな刺繍の入った豪奢な着物を幾枚も重ねて、見るからに金持ちの恰好をしている。

座長は戸惑った様な表情を作ると、千歳に頭を下げてから発言する。

「このようなことをされましても困ります。いくらご準備頂いても、私はスイを手放すつもりはないのです。本当に恐れ多いことですけれど…」

宋は表情を変えず、黙って千歳を見ている。

「たしかに彼女は大梅ダァメイの人気芸人で手放したくない気持ちはとても分かります。しかし私は一目見て彼女を気にってしまいました。どうしても側に置きたいのです。どうかお願いします」

千歳は深々と頭を下げた。

「まぁ!やめてください」

クッションから腰を上げて慌ててそれを制止しようとする座長を見て、もう一押しで行けそうだ…と千歳は思う。今日は国内でも有名な商人の長男のふりをしている。大きな商家だ。人身売買も全く違和感なく行える。それにこんな大きな商売相手を無下には扱えまい。

「私の勝手でこんなことをお願いするのは本当に恥ずかしいことです。彼女を引き取った暁には、きちんと学問をさせまして、階級抜けもさせます。ただの商人の妾になどにしておいたりは致しません。どうか、お許しください」

できるだけ丁寧に語り掛ける。ここで口説き落とせばあっという間に解決だ。

その様子に、座長も少し表情を変える。迷った様な顔をしたあとで、咳ばらいを一つして

「それでは…」

と、目を細め千歳を睨み付けるように見た。

「正直に申し上げますね。私は今まで多くの子どもたちを買い集めてまいりました。人身売買です。その売買の中で判ったことがございます」

そこで一度言葉を切って

「どのようなことか、ご子息様はお判りになりますかしら?」

派手な唇が弧を描き、どこか不敵に微笑む。

「さて、どのようなことか、ぜひご教授いただきたいものです」

不穏な笑顔にこの商談が思ったより難航しそうだと千歳は考えを変え、内心舌打ちをする。

ふふ、と座長は派手な化粧に合わない可愛らしい笑いを漏らし、次に高慢な態度で言い放った。

「人身売買に携わる者に信用に足るような人物はいない、ということでございますよ、ご子息様。私自身も勿論そうですし、この金を積んでスイをよこせと仰る時点で貴方様も相当に。私はね、うちで買った子たちは最後まで面倒を見ようと思っているんです。再び私以外の胡散臭い連中の手にあの子達をゆだねるのは心配なんですもの。ですから私のポリシーの問題でスイを売ることはないとお考え下さい。お判りになるかしら?」

自分の方が高い位置に座っているのに、まるで見下ろすような目で見られ千歳は正直ムカついた。

このババァ、ずいぶん失礼だな。ぶっ殺してやろうか、ブス、あぁん?…とも思ったが、

イヤイヤ、一応俺僧侶じゃん。そんな無差別殺人鬼とかじゃないから我慢だ。と、なんとか我慢した。

「そうですか、言われてみればその通りです。私は信用に足る人物ではないですね。残念ですが諦めます」

そう言って、あっさり交渉を諦め、美しい所作で礼をしてみせた。

「わかっていただけたようで何よりですわ。それでは失礼いたします。行きましょう、宋」

座長もまた、優雅に礼をして座を辞した。

宋も最後まで表情を動かすことも無く後をついて退席した。


あの座長はなかなか手強そうだ。このまま交渉しても時間がかかるだけで大した成果を得られそうもない。

…さて、次の手を考えないと。彼女を諦めることはない。

大僧正である義母にも言われているし、何より自分も彼女を側に置きたい。

無意識に千歳は爪を噛んだ。




「いやぁねぇ。若いくせに腹黒そうな子だったわねぇ。イケメンなのに、もったいなぁい。晧然ハオランもそう思わない?ホントにおっかなーい。疲れちゃったわ」

クオンの街の大通りを座長は腕組みし悠然とど真ん中を歩いていく。その派手な出で立ちに、通り過ぎる者は振り向き、すれ違う者は道を空ける。

少し後ろを歩く宋もため息をつく。

「要件は大体想像がついていたから俺を連れてきたのだろう。本当ならば、もっと腕の立つ奴を護衛としてつけるはずだ」

「そうよぉ!スイの話じゃなければあんなおっかない所、アンタみたいな愚鈍なヤツと一緒に行かないわ」

「…申し訳ない」

本当に悪かったと思っている様子で下を見てしまった宋に、座長は振り返ってじろりと睨む。

「本気で言ってるんじゃないわよ、私の気分くらいいい加減にわかりなさいよ、ばか。何年付き合ってんのよ。スイは晧然ハオランの大切な子でしょ。私が友達のためにも頑張ってやってんのよ。あんな物騒な男に啖呵切るなんて我ながらあり得ないんだから!謝るんじゃなくて感謝しなさいよ。好きなんでしょ?このロリコン。きちんと守りなさいよ」

フン!と鼻息も荒く座長は一座のいる街はずれに向かって歩調を速めた。

宋はその後を小走りで追いかける。

「いつもすまない。芽衣ヤーイー

「だーかーらー。謝ってんじゃないわよ。ピッとしなさい!ロリコン!」

「あ、あぁ…」






大梅ダァメイ一座は移動を開始した。

この街を離れることで千歳から少しでも離れられるのではないかと期待する反面、

その程度ではあの不気味な男を撒くことは出来ないんじゃないかとも思う。

スイの中にはずっとどんよりとした不安が黒く渦巻いている。

そんなスイをヤンとヤヲは理由も解らず心配し、隣を歩きながら気にしている。

が、二人はスイの後ろにピッタリ張り付くように歩く宋の存在も気になって仕方なかった。

「なんか、宋さん、すげー近くねぇか?」

「ぼくもそう思ってた。なんか近すぎてコワい」

二人は時々後ろを振り返りながらひそひそを話し合う。

そしていくら悩んでいるからといっても、スイもこの宋の異常なまでの至近距離にさすがに気付いていた。

あまりにも近い。

威圧感さえ感じる。

かと言って話しかけてくるわけでもないし、こちらから話しかけても大した反応をするわけでもない。いつにも増して無表情で、その小さな目が放つ眼光も鋭く、今まで何人も殺めてきたプロの殺し屋の様にしか見えない。本人は蚊も殺さないような善人の癖に。

何度か天気や旅先の街や村の話題などを振っていたスイも、いよいよその威圧感に耐えられなくなり苛立ち単刀直入に問いただし始めた。

「あの、なにが気になって今日はそんなに近くを歩いているんですか?おまけにずいぶん不機嫌みたいですね。正直怖いです。」

あまりにハッキリ言うのでヤヲが焦って二人の顔を交互に見る。

スイはじっとりとした目でむくれていて、宋は、もぞもぞと言いよどむ。

「ぼくしってる!こーゆーの、カカァ殿下ってゆーんだよね」

「ヤン!やめろって!」

スイは二人の弟子もチラリと目線を向け、そのイライラした雰囲気を隠しもしない。圧倒され二人は黙った。

「違うのだっ!…その、心配で…」

口下手な宋はうまく伝えられないようだが、散々我慢していたスイは攻撃を緩めない。

「なにか心配をかけていましたか?どんなことでしょう?」

「…怪しい男に気に入られたと聞いた」

スイは不思議に思った。何処から出た情報なのだろう。スーラだろうか。でもスーラはイケメンと大騒ぎしていたけれど、特別怪しいなどとは言わなかった。

だいたいにして、噂に疎そうな宋がそんなことを言い出したのは何故なのだろう。

そもそも怪しい男とは千歳のことで合っているのか?

しかし、今はまかりなりにも宋は心配してこうもぴったりと張り付いて歩いているということが判った。

それについては悪気がないのだから、責め立てても仕方のないことだ。

「そうですか…。何のことかは解りませんが心配してくれているのは、素直に嬉しいです」

スイが礼を述べたので、宋はほっとしたように、肩に入っていた力を抜いた。

ヤヲもスイの口調が少し和らいだので安心した。

が、スイはそこで止まらない。

「でも、あまりに近いです。ちょっと離れてくれても大丈夫です。こんなに近いと、それはそれで気づまりです。近くにいるならせめてもう少しお話をしてください。返事も大してせずに怖い顔をされて、私もどうしていいかわかりません。」

ズバズバと、遠慮もなく文句を言う。

宋は面食らったし、ヤヲも面食らった。

ヤンだけは

「やっぱりカカァ殿下だね」

とキャッキャッと笑っている。

「ど…努力する。だから、ここにいても、いいか?」

「そんなにピリピリした雰囲気を出さないでもらえるなら、近くてもいいですよ」

しゅんとする宋を見て、ヤヲは少し気の毒な気持ちになった。

宋さんは、ホントにこんなスイねぇをお嫁さんにして大丈夫なのか?



宋はめげなかった。厳しい言い方をスイにされても、側を離れなかった。昼も、夜も、許す限りスイにくっついて歩く。

ヤンとヤヲならば気にならないが、こう大きな大人の男に寝るとき以外くっつかれていては他の仲間と軽口を叩くことも出来ない。まるで監視されているみたいだ。

スイは宋に悪気が無いのを理解しているが、どうにもイライラする。

アイツは来るかもしれないし、コイツはうざいし、なんなんだ、と内心の苛立ちをどこにぶつけていいか解らない。

こんなことにイライラして、宋さん好きになるとか出来るのかな…と、スイは自分が心配になる。

この前までは、ピン一つもらった事で、こそばゆいような気持になったのに今はそれを考えても落ち着けない自分が居る。

しかも何度話しかけても会話は弾まない。

こればかりは持って生まれた資質だから、どう言っても一長一短に改善されるものではないということをスイが理解したのは数日後だった。

人は変わっていける生き物だとスイは今まで信じていたが、どうもそうではないらしい。



40歳を過ぎて独身だった宋がスイに心惹かれた理由はいくつもある。

美しい顔立ちが好きだ。その利発さも好きだ。小さな子供の面倒をみる優しい顔がすきだ。

忍耐強く、努力家で、大人ぶるところが好きだ。はっきりした意志を感じる視線が好きだ。

ショウと悪戯をしては、自分だけ罪をかぶろうとする友人想いなところが好きだ。

理由はたくさんある。

本当は遠くから見守る一人のおじさんでいいと思っていた。それで納得していると少なくとも宋自身は思っていた。


「ずいぶん熱い視線を送るのね。長い付き合いだけど、そんな顔出来るとは知らなかったわ。」

ある日、芽衣ヤーイーに指摘された。

「俺はどんな顔をしているのだ?」

「は?物欲しそううな顔してるわよ。その小っさい目、開いてるの初めて分かったくらい目立つ熱視線よ?」

「傍からそう見えるのか?」

「私の観察眼を舐めないでよ。で、どうしたいの?」

「どうしたいも何もない。」

「ふーん。じゃあ、他の誰かにあげちゃってもいいの?」

意地悪い顔だ。昔からこのイタズラ顔に何度振り回されてきたか解らない。誰かにあげるも何も、大事なのはスイの気持ちだろう、と考えていたのに口をついて出たのは違う言葉だった。

「いや、やはりぜひ俺の嫁に迎えたい。」

その時の芽衣ヤーイーのしてやったりという顔が忘れられない。


しばらくして本当にスイが婚約者になった。

「贈り物の一つでもしなさいよ!!ホントにわかってない男ね!アンタなんて私なら絶対相手にしないんだから、スイに感謝することね! ほら、贈り物を選びに行くわよ!」

芽衣ヤーイーにせっつかれて、街で髪留めを選んだ。

ほとんど芽衣ヤーイーが選んだようなものだったが、髪留めを渡したときのスイのぽかんとした顔が可愛かった。

最近は心許してくれてきたようで、遠慮なく言いたいことを言ってくれる。少し辛辣なそれさえも、可愛く見えて仕方がない。

芽衣ヤーイーがいなければ、何一つ叶わなかったことなのだ。

スイはまだ幼いし、自分とは歳がずいぶん離れている。

芽衣ヤーイーにとっては将来有望な一座の花だ。しかも一人息子の思い人であったはずなのに、不細工で愚鈍な自分に肩入れしてくれた。感謝してもし足りない。

今回のことについてもそうだ。あれだけの金額を積まれれば、いくら人気芸人といっても手放しても何の不思議もない。しかし芽衣ヤーイーはスイを譲らなかった。

男癖が悪いことも、口が悪いことも、化粧が派手過ぎることも、悪戯好きで自分をしょっちゅうカモにすることも、全部知っているが、本当は優しい女なのだ。

本人の宣言通り、芽衣ヤーイーが一座を率いるようになってから所有物階級の人間を年齢のせいで使えないからなどと売り払うようなことはなくなった。

男に見境がなくなったのだってアンバー先生が死んでからだ。先生がいたときは一途な女だった。

芽衣ヤーイーが守ってくれた年下の可愛い婚約者を決して離してなるものか。

宋は固く誓った。






宋の誓いも、座長の気遣いも、スイは知らない。

だから、宋が心配してくれていることは理解しているものの、四六時中引っ付きまわられて正直うざったくて仕方がない。

まだ結婚したわけでもないのに、こんなにいつも側にいるなんて…

宋さんは心配性なあげく、もしかして独占欲とやらが強いタイプなのかもしれない。

結婚したらどうなるんだろう…

この様子を見るにさぞやべったりになることだろう…

千歳のことも気になるが、いい加減少し一人になりたかった。


星でも見て気持ちを落ち着けたい。スイは星空を見るのが好きだった。

スイの寝ているパオは同じ年頃の少女や少し年長の女性たち6人が一緒に使っている。今は皆ぐっすり眠っている。

大きなパオは建てるのに時間も手間もかかる。だから移動中も建てやすい小ぶりなパオを一座では寝泊まり用に使っていて、大きなものは公演時しか広げない。


ついにスイは皆が寝静まったあと、意を決して寝床を這い出した。

真夜中だ。流石に寒いだろうと、寝巻の上にいつも通り、紅藤色の毛織物を腰巻をとして巻いて珊瑚色と桜色の七宝小紋のポンチョをかぶる。流石の宋も眠っているだろうとパオを出る。案の定、そこには誰もいなかった。

スイは久しぶりの一人の時間を堪能しようと、深呼吸をする。

空気は澄んでいる。冬は星空が綺麗に見える。南の空にオリオン、その下にシリウス。狩人と猟犬。

昔、まだ里にいた頃隣のおじさんが飼っていた犬、可愛かった。そういえばあのおじさんも狩人だった。そんなことを思い出すのは久しぶりだ。

島の民とか、隠れ里とか、最近はそんなことばかり考える。千歳あんなこと言うからだ。

ずっと、考えないように、忘れようとしていたのに。


「こんな夜中に出かけるのか?」

なんとなくそんな気はしていた。一人になれば、来るんじゃないかとなんとなく警戒していた。だから前ほど驚きはしなかった。相変わらず不気味だとは思っているが。

音もなく隣に並んできた千歳は、不思議そうにスイのことを見てくる。

ため息をつき、その顔を見る。整った顔だ。これならスーラやそのほかの少女たちが喜ぶのも解る。

とりあえず、何かされたら逃げられるように、足をすぐ動かせるように意識する。

「今、星を見ていたの。邪魔しないで下さい」

気迫で負けまいと睨みつけてみるが、千歳は気にした様子もひるんだ様子もない。

「なかなか一人にならないから、声をかけようにもかけられなかったんだ。あんまりつれない返事をしないでくれよ」

「やっぱり尾行してたの?気持ち悪いから辞めて下さい」

「せっかく見つけたんだ。そうそう簡単に諦めるわけがない」

どう攻撃的な言葉を投げても千歳にはあまり効果がないようだ。気にする風はない。

だったら聞きたいことをさっさと聞いて、さっさとコイツとの会話を終わらせようとスイは遠慮なく口をきくことにした。

「私を連れて、どこへいくんですか?島の民の里?」

色々はっきりさせたい。知れば対策も考えられるかも知れなし、千歳を説得して諦めさせることも出来るかも知れない。

たじろぐ様子もなく、まっすぐに睨み付け尋ねてくるスイに、千歳は満足そうに微笑む。

「物怖じしないところも気に入った」

「私の聞いていることに答える気が無いんですか?」

ここ数日すっかり苛立っているスイは、いつも以上に回りくどいやり取りをする気は出ない。

ポンチョの中で腕組みをし、あからさまに不機嫌な顔をする。

それを見て千歳はクスクスと笑う。

「悪いな。答える気がないわけじゃないんだ。だけど、スイみたいに反応するヤツとあまり出会うことがなくて新鮮なんだよ」

「あっそ。そんなことどうでもいいです。さっさと答えて下さい」

スイは惑わされて、話をなあなあにされるのが嫌で答えを急かす。

千歳は楽しそうにまたクスクス笑う。

「いいねぇ。楽しい会話ができそうだ。」

イライラを通り越して、スイは怒りを覚えた。バカにされている。答えてくれないならもう無視しよう。何も言うもか。

このまま立ち去ってもいいが、真相を一つでもいいから知りたい気持ちがあるから少し迷う。

フンッと、音が出るほどの鼻息で千歳から目を離し、当初の様に星を見る。

「おいおい、短気なのか?さっきも言ったけど、こっちはずっとスイが一人になるのを待ってたんだぞ?」

そんなの知ったことじゃない。スイだって一人になりたかったのに、多分コイツのせいでずっと宋が側にいて身動きが取れなくて困っていたんだ。

「悪かったから話をしよう。お前をどこに連れていくか、だっけ?」

スイは無視する。この気色の悪い男と一緒にいることが本当に嫌だ。やっぱりパオに戻ろうと一歩足をだすと、千歳が飛びつくように後ろから抱きしめてきた。

「おい!行かないでくれよ!」「!?」

スイは驚いて体をひねり、咄嗟に肘を千歳の腹に叩き込んだ。

「っうっえ!」

千歳は変な声を上げスイから離れ、よろけたが、腹を抱えてすぐに声を上げ笑い出した。

腹に一発入れられて笑うなんてさらに気持ち悪い。スイは気色悪いものを見る目を隠しもせず、じりじりと下がる。

「あー可笑しい。ホントに俺の知ってる女と全然違って面白すぎ。腹にパンチとか…ひひひ…。こういうのってスイだけだよ。昔会った時もスイだけ違った。だから母上にも報告した。そしたら今更になってぜひ会いたいって、連れてこいって言うんだ。国中からスイひとり探すって言ったら何年かかるか解んないのに」

スイには何の話をしているのか半分も理解できなかった。とりあえず、この状況で笑っていることが気持ち悪いとしか解らない。

「順番に説明して下さい。意味が分からない。昔私と会ってるって言っても私は覚えてないです」

「会ってるよけど、やっぱり思い出さない?」

千歳は目を見開いてスイを見る。スイは眉を寄せて目を細めて千歳の顔をまじまじ見るが全く思い出せない。軽く首をかしげる。

その様子をみて、千歳は少し考えていたが、真面目な様子でゆっくりと言った。

「いいよ、いい思い出でもないし思い出さない方がいい。とにかく俺はスイを特別だと思っている。そして俺の母上は俺の特別であるお前に会いたがっている。だから首都に一緒に来てほしい。今は里じゃなく首都で暮らしてるんだ」

また首都…

ショウの時も首都に一緒に行こうと言われた。何の縁があって近頃そこに誘われるのだろうか。

スイは首を振った。

「残念だけど、私はここに婚約者も弟子も仲間もいるんです。首都だろうと、どこだろうと行く気はないんです」

千歳は視線を合わせるように少しかがんだ姿勢から、見上げるようにしてスイに問う。

「婚約者が好きなのか?」

この問いも、何度もされている。

「これから好きになるんです」

しばらく沈黙。星が一筋流れた。

沈黙を先に破ったのは千歳だった。

「まだ好きじゃないなら、いいじゃないか。好き奴がいるって言うなら諦めてもいいかと思ったけど、そうじゃないなら俺が諦めるの理由には出来ない」

相変わらずギラリと輝く黒曜石。真顔で告げられ、その威圧感にスイはこのまま攫われるんじゃないかと身構えた。

「でも今は連れていかない。この前ここの座長にスイを売ってもらおうとしたら断られた。ブスだけど筋の通ったオバサンだね。あのオバサンに免じて今はまだ、このまま様子を見るよ」

そう言うと、現れたときの様に音もなく唐突に千歳は闇に消えた。

…私を買おうとした?

そんな話は初耳だ。座長はそんな話はスイにしていなかった。

でももしかして、宋さんは知っている?だから必要以上に側にいた?

スイの中には、まだ情報が少なすぎて真実が見えないことばかりだ。






それからまた時が少し流れた。

春の気配が感じられ、夜はまだまだ寒いが日中は暖かさが増してきた。

スイはあの日以来、夜も一人になることはなかった。一人になれば千歳が来る。いつ気が変わって連れ去られるか分かったものではない。

誰かがいれば千歳が来ないようだということも解ってきたので以前ほど怯えている訳ではない。が、不安はある。

相変わらずぴったりと側についてくる宋を邪魔に感じないわけでもないし、苛立ちもあったが出来るだけ宋のことは気にしないようにした。

どうせあと1年半もあれば、否応なく一緒だ。夜さえも…

なかば諦めのような気持ちも浮かぶようになってきて、積極的に宋にも話しかけなくなった。

人と会話をするのがなんとなく億劫になって、他の人間ともあまり会話をしなくなった。

どうせ誰かと話しても、先は無口な宋の嫁さんだ。人と会話をするスキルさえ必要ないような気さえしていた。

それにぼんやりと考え事をしていることも多く、つい無口になってしまう。


最近は以前よりしょっちゅう昔のことを思い出す。ずっと考えないようにしてきた、自分が育った隠れ里。

そもそも“島の民”とは何だったのか良く解っていないことに気付いた。

島の民であることは決して外では知られてはいけないことだと教わった。島の民はシィア国の寺院にとっては悪魔そのもののようなものなのだから、と。

だから隠れ里が焼かれたのだと、今はなんとなくわかる。ならば里を襲ったのが僧侶であった可能性も高い。

でもスイが覚えている限り、それは集団ではなかった。銀の髪をした少女が、たった一人で里に来た。

顔は炎の逆光で見えなかった。声も聞いていない。でもあんな髪の色は見たことも無いから、あの色だけは目に焼き付いた。

それにしてもなぜ、島なのか。里は島にあったわけではない。海の側ではあったけれど大陸にあった。スイ自身は自分の里から出たことはなかったし他にも島の民がいたかなんて知らない。でも千歳は自分も島の民で、他にもまだいるという趣旨の話をしていた。しかも自分は隣の里だった、と。

今更島の民のことを知ったからと言って何かが変わるわけではないし、自分が一座で暮らしていくうえで知る必要もない。

しかしスイの好奇心が知りたいと、どこかで思う。


「知識は財産。知恵は魔法だ。多くを学び、生きる糧にし、創意工夫で乗り越えてこそ豊かな生になる」


まだ幼かったころ、師に何度も聞かされた言葉が響く。

これは知るべき知識なのかな…。知ること自体危険なことではないだろうか…。今は亡き師は何と言うだろう。



そんなことを考えていたスイは、重大なニュースに気付いていなかった。

ひそひそと、不安や心配が囁かれている。それは子供であるヤンとヤヲにまで聞こえていた。

皆はスイも勿論知っていて、むしろ一早くその情報を耳にしていたから口数が減っていると誤解していた。だからこそ、誰も積極的にスイにその話題を持ちかける者もいなかった。

ショウがいた頃のスイは何の情報も早く知っていた。

それはもちろんショウが出元で、座長の息子である彼は情報が早々に入ってくるポジションであったし、ショウは何でもスイにはすぐに話してしまっていた。

しかしショウがいなくなって以来、むしろ噂話に疎いスイはすっかり話題についていけなくなっていた。しかし一座の仲間はそれに気付いていなかったし、スイ自身も気付いていなかった。


「お前も心配だろ?ショウとは仲がよかったからさ…」

だからある日、公演前の柔軟中にチームの男に唐突に言われても、スイには全く意味が分からなかった。ポカンとする。

「なんのことですか?」

「え?ショウが巻き込まれてなきゃいいなって話だけど…安否不明だって言うから」

全く話が見えない。怪訝な顔で男を見る。

「首都の暴動の話だぞ?」

男も怪訝な顔でスイを見る。

「暴動…?安否不明?」

初耳だ。暴動なんてものがこの国がシィア国で起こったなんて聞いたことない。

遠い国の話か、歴史の中の話かと耳を疑う。

「お前、まさか知らないのか!?」

男がデカい声を出して驚いた。スイはその声にまず驚いたが、驚いたのは周りも同じだった。

「え…スイ、知らなかったの…?」

「スイはいつも情報早いから今回も知ってて考え込んでるんだとばかり…」

「どうして誰もコイツに話してないんだよ!?」

「だって、宋さんとかヤヲがもう話してるもんだとばかり…」

口々に言い、皆の方が呆然としている。

「話が見えないです。最初から説明してくれませんか?」

周囲のただならぬ様子にスイは不安になってきた。自分の心臓が脈打つのを感じる。嫌な予感だ。

「首都で、大僧正様が不浄の罪で投獄されたって…。でもそれは無実だって言ってる側近様方も何人かいて、それが市民や学生に波及して首都を二つに割る大騒ぎになってるって…」

聞いてもなかなかピンとこなかった。何か本でも読んでいるような、実感のないふわふわした話だった。

それでもショウの笑顔が思い出される。最後に会った時の何か言いたげな顔も、これでサヨナラだ、と告げた日の泣き顔も…

「座長のところに定期的に来ていたショウさんの手紙来なくなったって。座長からショウさんへの送金も、届かなくて送り返されてきたっていうから… もしかして…」

自体がなんとなく把握でき始めると、なんだか頭がぐらぐらしてきた。息がうまく吸えない。目の前がちかちかしてきて、考えがまとまらず、スイは焦る。焦るともっと息が吸えない。そのうち吸えないのか吐けないのかもわからず、その場にかがみ込む。視界が真っ白になるような感じがして、周りの音が遠くなっていく。

チームの皆が慌てたように何か言ってくるが聞き取れず、立ち上がることはおろか、頭を上げることも出来なかった。



そのまま仲間に抱えられ、パオに戻され寝かされた。間もなくヤンが付き添いとしてパオに入ってきて、そのまま手を握りずっと側にいてくれた。

やっと呼吸が落ち着いてきて、視界もハッキリとしてきたのは公演が始まってかなり経った頃だった。

最初にきちんと見えたのはいつも寝起きしているパオの天井。 

そして、横たわる自分を心配そうに見つめるヤンだった。

「だいじょうぶ?」

「ありがとう…。もう大丈夫そう。公演に出なくちゃ…」

半身を起こすがヤンの両腕で体を押し戻される。

「だめだよ!座長も、でなくていいって言ってたもん。ぼくもスイねぇにここにいてほしい!」

それはそうか…こんな調子では失敗するかもしれないし… でもまさか公演に穴を空けてしまうなんて…

迷惑をかけたと思い申し訳ない気持ちになる。こんな小さなヤンにまで心配をかけてしまった。

「ごめんね、ヤン…」

「スイねぇ、ずっと元気なくてヤヲもぼくも、しんぱいしてたんだよ…」

「ずっと?そんなに元気なさそうに見えた?」

ヤンは黙って頷いた。

言葉もない。たしかに考え事をしていることは多かったけど、人が見てわかるほどだったなんて…

何といえばいいか困ってしまうスイに、ヤンは手を強く握り頬を擦り付けてきた。

「さみしいいときは、おしえてね」

「ヤン…」

すると突然、何の前触れもなくヤンがぱたりとスイの寝ている布団に頭を付けた。

「ヤン?」

どうしたのかと声をかけるが返事がない。

「?」

不思議に思い少し揺らしてみると眠っているようで規則的な寝息をたてている。


「寝ているだけだよ。スイと話がしたくて、少し眠ってもらったんだ」

突然パオに、千歳が入ってきた。

「なっ!?」

今は完全に油断していたので驚いた。

「別に何もしない。ただ聞いてほしいだけなんだ」

真剣な顔で言われ、勢いでスイは黙ってうなずいてしまう。

千歳はヤンがいるすぐ隣にしゃがみ込み、スイと視線を合わせてくる。相変わらず真っ黒輝く瞳をしている。やっぱりこれは黒曜石によく似ている。

「やっぱり美しい目だ。最初に見た時も思った。優しい柔らかい黒だ。でも燃える時は激しく燃える。まるで黒玉だ」

不思議なことに、千歳も自分のことを石に例えて見ていた。同じようなことを考えていたという驚きにスイはつい思ったことを口にした。

「私は貴方の目、黒曜石みたいに見える…」

口にすると、千歳も驚いた顔をしてその後微笑んだ。

「黒玉は、昔西国の女王が夫の喪に服しているときに着けていたそうだ。気品ある黒だな。大して黒曜石は先史時代から石器として使われた鋭利な石だ、柔らかな黒玉を傷つけないように気を付けないとな」

「大英帝国のヴィクトリア女王?」

スイはその話を知っていた。子供の頃、里の師に聞かされたことがある。歴史の全てを覚えられるほど賢くはなかったが、女性の出てくる話には同じ女として興味を惹かれたので記憶していた。

「…?なんで知っているんだ? 近代史、特に西洋史は公になっている歴史じゃないぞ。」

千歳が訝しげに聞いてくる。

「子供の頃、里の先生に教えてもらったけど…」

公になっていない歴史とは何だろう…

スイはそちらの方が不思議な気がして首をかしげる。

シィアは宗教国家だ。女神が現れる前の歴史なんて都合のいいことばかりじゃない。女神降臨前の出来事はすべて神話として伝えてきた。お前の師は何者だ?」

その様子を見ても千歳は納得できないといった顔をしている。スイも良く解らない。

今まで歴史の話なんてショウとしか話したことがないから、それが普通ではないことを指摘されたことがなかった。ショウだって、おとぎ話かなにかだと思っていたに違いない。

「貴方は何で知っているんですか?私は子供だったから、ただ教えられたことをそのまま覚えているだけです」

納得できない様子の千歳に対して、納得できないのは自分の方だとスイは首をかしげる。

「マジか… 俺はこれでも今僧侶をしてる。歴史だってある程度知ってるんだよ」

僧侶?島の民だと名乗る人間に僧侶がいるだろうか。どこか違和感を感じる話だ。千歳は本当に島の民なのだろうか。名前なんて、どうとでも言える。

その違和感と同時にスイはじわじわと背筋を這い上がるような恐怖を感じた。

「じゃあ僧侶の貴方は、本当は島の民なんかじゃなくて私を捕まえに来たんですか?そして殺す気なんじゃないんですか…?」

咄嗟にスイは後ろに下がるが、すぐに壁にぶつかり逃げようもない。昔焼かれた自分の里を思い出して震える。

「そんなわけないだろ。殺すならもうやってる。前も言ったけど母上が会いたがってるんだ。俺だってスイは特別な存在なんだ、わかってくれよ。島の民とか、最悪そんなことは本当はどうだっていいんだ」

信用できない。

何度か話をして慣れてはきたが、それでもぬぐい切れない怪しさが千歳にはあるのだ。

スイ自身、自分はずっとそうだと信じていたけど、最初から島の民なんて存在するのか、自分が本当にそうなのか、疑わしくもなってくる。

「そもそも島の民って、なんなんですか?」

スイは恐る恐る尋ねる。

「知らないのか?悪魔を出した民族だ。悪魔を出した一族を寺院が放っておくわけないだろ。だから迫害されて数をさらに減らした」

「それはわかってます…。だから私も島の民として捕まえるんでしょう。でもそんな民族本当にいたの?見た目だって、言葉だって、同じなのになんで見分けてるの?」

これには千歳も言葉を詰まらせる。

「…それは…俺も良く解らない…。でも俺自身も親に言われて、島の民としての名ももらった」

なんとか絞り出したように言うが、先ほどまでと違い自身が感じられない。スイはそんな千歳に対して疑問が湧くままに口にし続ける。

「名前なんて、なんとでも言えます。島の民を迫害する僧侶に島の民がいるなんてことも納得できないです。一体貴方は誰?こうなると、私だって何者か疑わしい」

千歳は思いがけないスイの質問攻めに考え込んだ様子を見せる。

「何をもって島の民とするか、それは俺も知らない。でもお前なら知っているかもしれないけれど、歴史のかなでは見た目がほぼ同じでも収容所にぶち込まれて虐殺されまくった民族も実際いる」

「ユダヤ人のことですか?だとしたら彼らは商才があって、お金をたくさん持っていたからじゃないんですか?その財産を奪うことが目的だったのでは?でも島の民は持たざる者ですよ?財産も、政治的な権力も持っていない」

「島の民が財産も権力も持っていないのは今の話で、経典の成立した過去のことは解らないだろう?そもそもユダヤの民について考えるなら、当時の政党の正当性を優勢思想から証明する意味もあったんじゃないのか?それに彼らは宗教的にも孤立していた。島の民を迫害することだって、当時の寺院にとって何らかの意味はあったはずだ」

「貴方はそれについては知らないんですか?僧侶なんでしょう?」

「その歴史については寺院では都合が悪いことだろうからな、少なくとも俺には伝えられていないな。歴史にお詳しい聡明なお嬢さんがご存じないとは驚きだ」

「私が何も知らないことは話していて解ったでしょう。わざわざ嫌味を言ってなぁなぁにしないで下さい。何のために私の前に現れたんですか?」

スイはごまかされまいと必死に食らいつく。

「理由は言った通りだ。スイは俺にとって特別なんだよ、だから一緒にいたいんだ」

「何をもって、特別、だと?」

真実を掴みたい。スイは探求心も好奇心も本当は人一倍持ち合わせた少女だった。今までは意識的にそれを封じていた気がする。考えること、知ることは、閉鎖された世界で生きるには求められていないことをどこかで感じていたから。

でも今、あからさまに秘密を持っている外から来た青年に心を封じておく必要は一切ない。

持てる知識と言葉で、出来るだけ真実に近づくために千歳を逃がすまいと追い縋る。そこにはもう怯える様子はなく、力強い探究心に満ちた瞳だ。

そんなスイに、千歳はゴクリとつばを飲み込んでから、息を吐き出し頭を掻いた。

「年頃の女の子が特別な存在だって言われたら、もっと浮ついた感じにときめいてくれると思うんだけど、全然だな。…全く恐れ入る。スイは予想以上に会話を楽しませてくれる」

「誤魔化さないでくださいね。何をもって私を特別と?」

スイは同じ問を重ねる。

「運命、というのは信じられる?ビビッと感じたんだ。初めて会った時に」

「全く信じられません。感じるって何?単に私の容姿をお気に召したのでは?」

千歳が期待するような年頃の少女の反応をどうやら自分は持ち合わせていないようだと、スイは以前から薄々感じ始めていたが、今はっきり自覚した。運命も恋もときめきも、スイにとって現実味のないおとぎ話だ。


「…違うんだけどなぁ。わかってもらえないか…まぁいいや、今日は別れの挨拶に来たんだ」

呆れた様な視線をスイに投げかけながら、千歳は意外なことを言った。

「え?」

「何日か悩んでたんだけど、やっぱり一旦首都に戻ることにしたんだ。暴動の話を聞いただろ?」

スイは無言で頷いた。

「母上が捕らえられた。放っておけない。助けに行くことにした」

千歳の言葉には揺らがない決心が込められているのは解る。

「お母さんが捕まってるの?」

千歳が本当に島の民だというなら、捕らえられた母親も命の危険があるだろうと予想した。

「あぁ。だからひとまずそっちを何とかしてから、スイのことは落ち着いてから考えるよ。本当は今すぐに俺と来てくれると、手っ取り早くて助かるんだけど」

「行きません」

間髪入れず断る。しばらく来ないと聞けば安心できると思ったが、どこかさっぱりしない。

解けない謎をちらつかせ、答えも言わずにいなくなられる。

しっくりしない… そんな顔をしていたのだろう。千歳がふいにスイの頭を撫でた。

「元気でな。しばらくしたらまた来ると思うけど、その頃はお前、人妻か?できればそうなる前に来たいけど…とにかくその黒玉の柔らかな光が消えないことを祈ってるよ」

思いがけず優しい表情を向けられ、別れがたいと思ってしまった。

ずっと気味が悪いと思っていたのに、母親を心配する人間的な部分に少し気を許してしまったみたいだ。自分は思いのほか警戒心が薄いようだ。

「待って、最後に一つ教えて下さい」

これが別れかもしれないなら、聞きたいことはいくつもあるけれど、スイが咄嗟に口にしたのは何の深層に迫るものではなかった。

「お母さんが、大切なんですね?」

千歳はスイの真意を測りかねるような探る目をした。

「当たり前だ。慈しんで育ててくれた人だ」

答えながら、またスイの頭をなでた。

「さぁ、満足したか?そんなわけで俺はもう行く。また必ず見つけ出すからな。その時はまた、歴史談義でもしたい」

そう言い残して、静かにパオを出ていった。


スイには自分も解らなくなってきた。

もう会うことはないと腹をくくったつもりのショウの安否が心配だったり、

不気味だと思っていた千歳がなんとなく別れがたく、行く先が気になったり、

何も気にしなければ、今までと同じ平穏な毎日を過ごしていけるのに、わざわざ自分にはどうしようもない事に頭を悩ませるなんて、馬鹿げている。






千歳はスイと別れたあと、上がる口角を抑えられなかった。

なんて面白い子なんだろう。学問所で学問を収めている訳でもないのに高位の僧侶と対等に会話が出来るまだ14歳の少女。彼女の前では、ごまかしの言葉はほとんど意味がない。まっすぐに向かってくる。

途中、思いがけないその勢いに押されて言葉に詰まってしまった。

島の民が何をもって特別かを、千歳も知らない。残念ながらスイに答えてやることは出来ない。

スイが千歳にとってどう特別かは、解るが、それを言葉で説明してやるのもまた難しい。

スイは信じないが、それは確かに運命という感覚に一番近いのだから。


何はともあれ今は首都にいる育ての母、大僧正の身辺と安否が気になる。

地方では入ってくる情報が遅れているし、断片的だ。

12側近内の不穏な動きについては千歳も側近衆に入ったここ数年来ずっと感じていたことだ。

しかしここまで大々的な動きがあるとは思っておらず、うかつだったと悔やまれる。

千歳に島の民探しをさせ、中央から遠ざけるように仕向けたのも反大僧正派の差し金だと思う。

その真意も大僧正はある程度察していて、承知の上で千歳を引き離した可能性もある。首都や自分に危機が訪れたとき、巻き込まないために。

大僧正はかなり暢気そうに見えるが、しっかりとした判断力はある。だから今まで何も起こらず寺院はやり過ごしてきたし、多分反大僧正派が穏便かつ内密にクーデターを起こせなかったのは大僧正の力を削ぎきれなかったからだ。

きっと大僧正は千歳には来てほしくないはずだと理解している。そのためにわざわざスイ一人を探すように指示し、時間がかかるように仕向けたのだろう。

そこまで母の気持ちを理解しても、息子もまた、母を救いたいのだ。

千歳は近くに隠していた馬にまたがり走り出す。

一日でも早く、首都に行かねばならない。






―思い出―

我が子を奪われた彼女はどんなにか落胆していることだろう。

父親である自分だって、こんなに苦しいのだから、腹を痛めて生んだ母親である彼女は気も狂ってしまう勢いではないだろうか。

しかし自分もそんな彼女の側にいてやることも出来ない。

生きて再び出会うことも出来ないだろう。

自分は今、何もない荒野に放り出され干からびるのを待っている。

故郷からずいぶん遠い所に来たものだ。彼女に会うことも、故郷の地を再び踏むことももうない。

自分は何もできなかったという絶望感の中で目を閉じた。

暗闇に沈む意識の中で、無邪気に微笑む幼い日の彼女が見えた気がした。



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