9話:疑問点をまとめよう
「アリスさん……でしたか? ちょっと耳を見せてもらっても?」
「ん?……よくわかんないけど……はい、これでいい?」
長い薔薇色の髪をかき分け、そこにあったのは……はい、先の尖ったエルフ耳。寒かったり暑かったりが酷かったせいでしょうか、かなり紅潮しています。
ただ……それはいわゆるエルフ耳というには若干短めですね。やーん、ハーフエルフっぽーい。
「どうしよう。なんかこれ詳しく聞いていったら、人類史の闇とか暴いちゃいそうな氣がしてならないんだけど……。エルフ迫害の歴史が、もしかしたら根本的に何かが間違ってましたって、そんなの暴露して誰が得をするっていうの……喜ぶっていうの……。異端審問……このままじゃ拷問磔火炙り釜茹でコース……あ、釜茹では思想犯じゃなくて窃盗犯?……」
「人類史の闇?」「エルフ迫害の歴史?」
やっべ、口に出してた。
「お待ちください! なにやら次から次へと新しい情報が入ってきて、全然整理できていません!」
ここで疑問点を一旦まとめましょうよ。
壱……赤い竜のパザスさんはどこからでてきた?
弐……ハーフエルフの少女アリスはどこからでてきた?
参……なんで私をさらってきたの?
肆……竜はエアコン機能を備えた生き物なのですか?
伍……てかなんで歴史上人物がドラゴンなわけ?
陸……人類史の闇深そうです?
漆……私ここから生きて帰れる? 帰れても拷問送りされない?
捌……サーリャの人間の尊厳は守られたかしらん?
玖……ミアは無事?
おーけーおーけー落ち着け餅搗け。
今生の目標は長生きすることだろうて。こんなところで諦めてはいけない。せめてミアが生きている間は生きていたいぜよ……って、だからまぁ最後の答え次第じゃ長生きしなくてももういいのかなー。ミア、きみはぼくのいきがいだ。
「とりあえず、まずは重ねて伺いますが、私はなぜここへ連れて来られたのでしょう?」
「先の場所では騒がしくなりそうだったのでな。リーンの類縁らしきそなたに話を聞きたかったのだが……」「ママ?」
おーけーおーけー、判った承った。これは疑問点・参への回答ですね。ではなにやら誤解があるようなのでまずはそこから。
「私は人間の貴族、スカーシュゴード男爵家の長女です。四百年前のエルフの女王様とは、関係が無いと思うのですが」
「外見だけなら然様とも頷けようが、その波動はのぅ……いや……うむ?……規模こそ比類できるものであるが……これはむしろ陽に偏っておるな……リーンの波動は虹……ならば……ううむ、四百年の時を思えば……因果が逆であるか?」
なんか竜さん、よくわからないことを言って考え込んじゃった。
とりあえず、そこはさすが智謀キャラとして伝えられてるパザスさん……なのでしょうか?……見た目ほど凶暴な性質ではないようです。
怒らせたらどうなるのかはまだわからないので、ビクビクは止められませんが。
「どういうこと? パザス」
「我々はその波動を浴びたからこそ封印を解くことができた。それはリーンに比肩する規模の波動の持ち主、その傍らに置かれたからであり、たまたまである。長い時の中では然様な偶然も起こり得よう。逆を言えば、リーンと同規模の波動の持ち主は、四百年という長き時の断絶がなければ現れなかったということになるのぉ。であるなら……リーンとそなたの間には何の関係も無い……こう考える方がしっくりくるかのぅ……ごぼっ」
言って、また咳をするパザスさん。いやほんと大丈夫ですかい?
「はぁ……早々と誤解が解けたようでなによりです。……波動ってなんです?」
「んぐぅ……ぐるっ……痰でも絡んだかのう?……波動は、その者からあふれ出て来る生命力、のようなものかの。オーラといってもよい。そなた、病気に強かったり怪我の治りが人より早かったりせんか?」
「……はい」
おぃぃぃ。なんか女史がオマケでくれたチートの副作用っぽいぞ!?
確かに私は健康だ。頑健で、風邪ひとつひいた覚えがない。
怪我をしたって治りは早いし、虫刺されの腫れもすぐ引く。
「我々はそれを、魔法的見地から見て、波動と呼んでおる。魔法とは、直接的な関係性はないのだが、間接的には非常に強く関係しておっての。よって魔法使いには素晴らしく有益なモノでのぅ……そなたも悪い魔法使いには氣をつけるのだぞ。下手をすればさらわれて、その糧とされてしまうからの」
「……はぁ」
いやそのあの、私、ただいま絶賛、悪い魔法使いにさらわれたポジションじゃ?
さっきからそこの、アリスさん?……がなんか私のことをねっとりとした目で見ている氣がするのは、思い過ごしかな? た、たべないでぇ。
「となるとすまんかったの。波動の件もあって、我にはそなたが重要人物に思えた。ゆえに落ち着いた場所でじっくりと話を聞きたかったのだ。あの場所では騒々しいことになりそうだったのでな」
よくわからないけど、勘違いで、ある種の人違いだったようだ。
なるほど。
疑問点・参についてはそういうことでしたか。
お弁当のように運ばれていた時には、うんぴになってシットエンドすら覚悟していましたが、もうどうやらその目はなさそうですね。なによりです。
となるとー。
問題は次の段階ですかね。疑問点でいうと漆関連。
「……誘拐されたとあっては、その方が後々騒がしいことになってしまうのですが」
えっとね、これもう、王国の中央に連絡必須の出来事よ? 中央ってか王家王族。
ドラゴンが貴族令嬢をさらったのよ?
放っておいたら、勇者を募って、見事救い出したものには娘との婚約を許す!……とかのクエストが発令されちゃわない?
……とりあえず、たとえイケメンに助け出されても、城へ帰るまでに昨夜はお楽しみでしたねされるのだけは断固として拒否したい。ヤラれそうになったら無限ループで「そんな、ひどい」って言ってやるわ。
「重ねて聞くが、娘よ」
「……なんでしょう」
「そなたは、リーンとは、関係が無いのだな?」
うぇ、なんか野太いドラゴンボイスが圧をかけてきやがったよ。
サーリャがいなくて良かったなぁ、これだけでもなんか出ちゃいそう……いや悲鳴とかがね?
こちらが次の段階に進もうという時に、そちらはまだその段階の話ですか。
まぁリーンがそちらの少女、アリスの母親であるというなら、二人(ひとりと一匹?)にとって最も重要なのは確かにそこでしょうからね。仕方無いと言えば、そうなのかもしれませんが……。
「……私個人は無いと思っています。ですが過去、当家の血縁者になんらかの関係者がいなかったとは言い切れません。それは確かめようがありません。なにせ四百年です。当事の人が誰も生きてないばかりか、スカーシュゴード男爵家も、カナーベル王国でさえ興るよりも前の時代のことです。何がどう繋がり、結び付いているのか、それは誰にも解らないことではないでしょうか? 間違いなく言えるのは、父と母の名に誓い言えるのは、私が何も知らないということです」
なんていったっけこういうの。バカの壁? 違うか。
まぁ知らんもんは知らんのだ。開き直るまでもなく、私にはどうすることもできません。
「……そうか。アリス?」「嘘はついてないよ」
「?」
「そうか、それはすまなかった」
なんだか心持ち、氣落ちしたように頭を下げたっぽい竜さん。そちらの少女は嘘発見器かなにかですか?
「はぁ……まぁいいですけど……」
まぁ、済んでしまったことはもういいとして……では、これからどうしましょうか?
「となると、少々まずいの」「まずいの?」
「状況的には、竜が貴人をかどわかしておるの」「おおっ。パザスごっく悪人~」
「……そうなるのぉ」「だからパザスは出ちゃダメだっていったのにー」
「すまん、衝動を抑えられなんだ」「やーいソーロー」
「待てアリス、その言葉をお前に教えたのは誰だ」「ん? アイア?」
「あんにゃろう……」「ソーロー! ソーロー! ソーロー!」
「やめよ! それは子供が口にしていい言葉ではない!……ごぼっ!」
「まった咳をした~。やーいソーロー! ソーロー! ソーロー!」
「……悲劇のヒロインごっこをする氣は無いけど、なんだかヨヨヨって言いながら倒れたくなってきた」
目の前と頭上の楽しそうな二人をクールダウンさせつつ聞き出したことには、今回の顛末は以下の通り。
二人は、いい人であるところのジレオード子爵が私へと贈ってくれた薔薇色の宝石に、四百年間封じこめられていたらしい。あー、あれね、あれだったのね、そういう伏線だったのね。仕込んでからリアルタイム二週間で爆発ですか。ワンクールアニメかな?
まぁ、ならば疑問点・壱と弐はこれで解決ですね。
そんな宝石を、どうして子爵が持っていたのかは不明。宝石の中で眠っていた二人に、四百年間の記憶は無いらしい。
どうも私には波動とかいう……神の加護のようなものがあって、その力が宝石の封印を解いたらしい……その加護って、神のっていうか、女史な感じの、ダメ投資家な感じの加護じゃないっすかね。顔は忘れてしまったけど。
まぁ二人の見立て曰く、別段神様が見守っているとかそういうのではなく、簡単に言うと、人間を樹木に喩えた時、私は、真界イデアにおいては、物凄く日当たりが良くて暖かな場所で健やかにすくすくと育っている樹……みたいなもんなんだそうな。簡単とはいったい。
で、その日当たりの良さと暖かさは、私の半径三メートルくらいには影響を及ぼしているらしく、私の傍にいると霊的か魔的か何かは知らないけど、とにかくなんかこう凄いエネルギーをもらえるんだとか。パザスさんがいうには「稀に見る陽の波動である」とかなんとか。私のチート、人間ガソスタ?
ついでにいうと疑問点・肆、このすっずすぃーエアコン機能はやっぱり魔法なのだとか。更についでにいえば、基本的にこの世界の魔法には、呪文の詠唱とかが無いらしい。する人もいるだろうとけど少数派なんだとか。無詠唱の方がデフォなんですね。無詠唱チートはチートでなかった。いやその前に私は魔法を使えないけれども。
「そもそも、お二人はどうして宝石に封じられていたのですか?」
「その話は長くなるぞ」「今日中には帰れなくなるよ」
「……じゃあいいです」
あ、でも帰してくれる氣はあるのね。それも本日中に。
少し安心した。
「少し前に、宝石の中のお二人の意識が回復したんですね? どれくらい前ですか?」
「……わからぬ」「さぁ?」
意識が回復したとは言っても、最初のうちは夢を見ているような、まどろんでいるような、それはぼんやりとしたものだったらしい。
氣が付けば蝋燭の炎が自分たちに近づいてきたり、遠ざかっていったり、周囲を周ってみたりしていて、その内、仲のいい姉妹がいちゃいちゃしてたり、メイドさんがそれを微笑ましく見ているような姿が見えていたという。
「後半は、どう考えても私とミアとサーリャですね」
「うむ、姉妹の大きい方はそなたであったな」「メイドさんはさっき失禁してた子ね」
それは言ってやんな。
「あ、あたしパザスの背中から少しの間見てたけど、あのメイドさん、あのすぐ後に部屋へ入ってきた誰かに保護されてたみたい。妹ちゃん? もすぐ後に入ってくるのが見えた」
お。
なら疑問点・捌、玖も解決ですね。
解決というか、部屋に入ってきた誰かの性別、人となりによって、捌の方に天と地ほどの差が生まれますが。
まぁミアの無事が分かっただけで、私には十分です。サーリャさんの尊厳がお嫁に行けないレベルまで落とされたというなら……それはもう運命と思ってもらって、私の嫁ぎ先についてくればいいよ。一生一緒にいてやんよ。いや居てください。
まぁそんでもって、そんな感じで、氣が付けば日があっという間に経っていたらしい。
で。
漸く今日、宝石の中の二人の意識がしっかり、ハッキリ、クッキリしてきて。
以下、ことが起こる直前の、二人の会話を、そのまま本人達が再現。
「パザスー。宝石の外に出れそう。背中貸してー」
「なにぃ? 我も一緒に出たいぞ」
「だめだめ、外は女の子の部屋だよ。パザスのソレは大きいから入らないよ」
「我の身体が外の部屋に入りきらぬのはそうであるだろうが、この機を逃したら二度と外には出れぬかもしれぬではないか。機を逃すは軍師最大の恥ぞ」
「あっ、こらダメー。出ちゃだめだってばー」
「そなたは背に捕まっておれ。ゆくぞ」
ドーン!
「……で、氣が付いたら私の部屋に、パザスさんの顔が埋まっていたと」
「然様」「あたしはずっとパザスの背中にいたよ」
「それで、私がアリスのお母さんの関係者っぽいし、周りがうるさくなりそうだから思わずさらってしまったと」
「然様」「意外とパザスは、思ったら即行動の人だよねー」
それでいいのか伝説の軍師様。
「……どうしてパザスさんは竜なんですか?」
疑問点・伍。
「生前よりだ。呪いを受けてしまってな」
呪い……対象者の生命力を魔素に変換して行使される魔法、でしたっけ。
「……誰に呪われたんですか?」
「にっくきは魔女ドゥームジュディかな」「だから人間の魔法使いって嫌なんだよね」
なにそのどっかのヴィランをTSさせたみたいなの。
人間の……魔女? 氣になるワードではあるが……流そう。つっ込んでいくと疑問点がまた増えてしまう氣がする。
「宝石の中に戻ることは可能ですか?」
「可能不可能の前に却下したいことではあるが、現状では物理的にというか距離的に不可能であるな。抜け殻となった宝石は、おそらくそなたの部屋のどこかに転がっておるぞ」
「……人間に戻ることは?」
「呪いであるから無理だな」「パザスはその方が格好いいから大丈夫だよ」
それ、元の姿があんまりイケてないって意味じゃ……。
「お二人は……ひとりと一匹?……は、これからどうするのですか?」
「む?」「ん?」
「いえその、大変申し上げにくいのですが、人、それも貴族令嬢をさらうドラゴンは、人間の討伐対象になると思うんです」
「……むう」「そうだよね」
これでも既に、密かに器量よしと喧伝されてしまっている貴族令嬢である。スタイル的な意味だと若干疑問が残る評判ではあるが、まぁそうなのである。そうなんだってば。
すごくこう……ドラゴンがクエストされて、竜というファンタジーがファイナルっちゃいそうな状況である。
「私個人としては、私を連れてお屋敷に戻っていただきたいのですが、多分おそらく、その……目立つお身体でお戻りになられますと、大騒ぎとか……攻撃とかを、されてしまうのではないかと」
「むう」
「攻撃されても大丈夫じゃない? ドラゴンだよ?」
「大丈夫なんです?」
「四百年も経てば人の武器も変わっているやもしれぬでな、我の知識ではなんともいえぬな」
「どうしてそこだけ慎重なのか……」「何か言ったか? 娘」
「いいえ、何も」
私の十三年間の知識として。
この世界の現在において、竜は恐れられているが、専用の装備を整えた専門の軍隊であれば、狩るのも不可能ではないという事実がある。そうでなければ市場に竜の鱗が出回ることも無いわけだし。
ただ、この専用の装備を整えた専門の軍隊、というところがミソだ。
聞いた話によると、竜狩り、ドラゴンキラーには、片方の手で身長よりも長い槍を自在に操れること、もう片方の手でドラゴンブレスを防げる大型の盾を自在に操れること……が求められるのだとか。竜はモンスター、つまり魔法生物だから、どのような魔法を使うかでも対処法が変わってくるらしいが、とにかく先述の二点は必須事項らしい。
装備も、熱に強く軽いミスリルで固めるのが定石らしく、鉄具の何十倍ものお値段がするそれを、何十、何百もの兵に持たせるのは、下級貴族には無理みたいです。
色々あって、私は家(スカーシュゴード男爵家)の武器庫へお邪魔したことも、あるっちゃあるんですが、ミスリル製の装備は、完全なモノは(壊れたモノも保管されていたので)二十もなかった氣がします。あれは隊長クラスにだけ配られるモノなんだろうな。
なので、残念ながら、何世代か前に地方豪族が現王家へ臣従しただけでしかない当男爵家には、そんな兵装の軍隊は存在しないのです。
というか、カナーベル王国は元々竜害の少ないお土地柄なので、対竜部隊など、有しているのは王家くらいではなかろうかね?
云十年に一度くるかこないかわからない竜に備えるくらいなら、流行り病のように……いや流行り病そのものでしたっけ?……定期的に発生するゴブリンのスタンピードへ備えた方が全然有益である……ということのようです。費用対効果ってヤツですね。世知辛い。
なお、ゴブリンには体表面に刃物が通らないという話がありましたが、それは確かです。私は出会ったことありません(あってたまるか)が、ゴブリンのスタンピードは先述の通り地球のインフルエンザが如く、ちょいちょーい発生してるモノなので、過去の事例から、どこの地域でも対応策の蓄積がなされています。
それによると、刃物は確かに通りにくいのだそうですが、濃度の高いアルコール……蒸留酒がその辺のチートも手遅れだったねって感じで既に存在していました……をかけると弱体化するそうです。汚物は消毒か?
他にも、関節技に弱かったり、少し抑え込むと肉体から無理な力を引き出そうとして筋組織断裂、骨折するなどして自滅もするそうです。
そんなわけで、ゴブリンはこの世界において厄介ではあるものの、それなりに力のある人間になら簡単に対処できるモンスターのようです。ええ私には無理ですが。
「ふむ。つまりこの時代においてもまだ……んぐん゛……竜は畏れられる存在であるのだな?」
「はい」
痰? 大丈夫なんだろうか。こっちにむかってカーッペしないでね?
「まぁ、そう考えると……今すぐに戻れば、攻撃はされても、すぐに討伐されることは無いのかもしれません」
王都がある国の中心地から、地方である当男爵家の領地までは、早馬を乗り継ぎ昼夜問わず走っても二日はかかる(と聞いている)。いわんや重装備の軍隊はや。
「然様か……ふむ」
「ねー、討伐隊って出るって思う?」
んー……。
「私が誘拐されたままだと確実に。私がお屋敷に帰れたら……五分五分でしょうか?」
「なんで? お嬢様を無事に送り届けても狙われるの?」
「竜は害獣であるとともに、討伐すればお金になる希少生物でもあるので……」
「……我は元人間なのだが」
「パザスさんほどのサイズですと、鱗一枚が安くても王国金貨十枚にはなると思います」
「それはどれほどの価値か?」
「ママが婚姻の際にパパから贈られたサファイアの指輪が、王国金貨二十枚くらいだったと聞いています。石の大きさは私の小指……いえ薬指の先ほどはあったでしょうか」
これは世俗に疎い箱入り娘(笑うな、私だ)の、曖昧な感覚だが、王国金貨は一枚十万円くらいの価値ではないだろうか? ママに見せてもらった指輪は、傷ひとつ無くて二か三カラット以上の石だったから、円だと百万は下らないと思う。
「我の鱗二枚で高級な宝石が買えるのか……」「パザス、後で十枚くらい剥いでいい?」
「牙や骨は貴族でも侯爵クラスから上でやっと手に入るものですから、それを貨幣に換算することはできません。あとはわかる範囲で言うと、爪の価値が確か一本で鱗十枚分くらいです」
「我の爪、宝石五個分……」「パザス、爪切りしよっか?」
「仮にパザスさんを討伐したとして、無傷の鱗が百枚、爪が五枚手に入ったとして、王国金貨、千と五十枚ですね」
日本円にして、最低でも一億五百万円なり。
まぁもっとも、竜の素材の本命は牙と骨で、そちらの価値は天井知らずだ。何故ならそれは……。
「我、お高い……」「パザス、それ全部脱いで」
と……なんか氣が付いたらアリスが凄い目で、竜の身体を舐めまわすように見ていました。かなり神秘的な薔薇色の髪とエルフ耳が、なんだか台無しな氣がしますね。衣装的には神社仏閣に鐘の寄進を求める軍服さんかな? バチあたんぞ。耐え難きを耐え忍び難きを忍びせなならんくなるで……あ、でも今が四百年間の忍び難きを忍んだ直後なのでしたっけ。
「えっと、そういうわけで、竜は危険を冒してでも討伐する価値のある生き物なのです。ちなみに私が誘拐されたままですと、王家は討伐隊を出すだけで独立性の高い地方男爵家に恩が売れるので、秤は間違いなく討伐に傾くでしょうね。私が誘拐されていなければ、その辺りのリスクとリターンを……中央がどう読むか……でしょうか」
ごめんなさい、それほど軍事や政治に詳しいわけではないので、それ以上は……というとパザスさんは鷹揚に(竜揚に?)「いや、いい」と頷いた。
ただ、軍事や政治の話をするなら、カナーベル王国は、現在富国強兵の国策を布いていたような氣がする。
私をいじめた、クソな方の兄が、それを御旗に「これからは武の時代だ! 強者こそが認められる時代だ!」とよくイキってました。女の子をいじめるのは強者の証なんかじゃないんですけどねぇ。アイツ、兵士基準で考えると武力的には多分中の下くらいだぞ。百を上限とするゲームなら多分武力五十五くらいのステータス。呂布張飛関羽(アイテム込み)の半分くらい。……私? 一応護身術も学んでいるので、二十五くらいかな。劉禅よりは少し強い。メイドさん? サーリャは四十くらい。適当。鑑定スキルは持っていないので適当。そもそもこの世界スキル制じゃないし。
それはともかく、そんな兄貴がイキリたくなる程、今のカナーベル王国には武力を尊ぶ氣運、風潮がありますね。これもエンドクサってヤツでしょうか。メンドクサ。
あー、でもでもでも。
となると、軍事的にも価値の高い竜の素材を手に入れられるチャンスは……逃さない?
どうなんだろう……でも~、これ言うべきじゃないよな~、私を返すメリットが減るし。
うーん。少し心は痛むが、まぁ嘘はついてないからいいか。
「じー」
……とかなんとか考えていたら、ハーフエルフさんが私のことをじっと見ていました。私は脱いでもお金にならないよ? あ、でもこの女の子、人の心が読めるかもしれない疑惑があるんでしたっけ。読んでます? 読まれちゃってます? パンツは何色? 私は白の紐パン。メイドさんと違ってチビってはいないからちゃんと白いと思います。
……反応がなかったので、心が読めてるわけではないようですね。
「で、あるなら我はそなたをすぐに元いた屋敷へと送り届けよう。ここはミスト地方より海を越えた南の地なのだな?……ぐる゛っ」
ミスト地方。四百年前にはエルフの国があって、エルフの女王と九星の騎士団が争いをくりひろげた地。パザスさん達もやはり故郷に帰りたいのかな? 私は帰りたいよ、故郷っていうかお家の日常に。
「はい。陸地を通るなら海岸沿いに行っても大回りになりますね。それもあって彼の地は、今は魔法生物のはびこる未開の地となっていると聞きますが」
「ならば好都合。筋書きはこうだ、我は元よりその地を目指す竜であった、しかし何らかの間違いでそなたをさらってしまった……ん゛ん゛ん゛っづぅ……若干、人間と意思疎通のできた赤竜は、そなたとの会話によって間違いに氣付いた、人と敵対する氣のなかった竜は、ゆえにそなたを返却することにした……我らはそなたを返した後、ミスト地方を目指すこととしよう」
「は、はい。助かります」
ふー。
よかったよかった。
なんだか私を返してくれる方向で話が決まりそう。
「アリスもそれでよいか?」「……ま、仕方ないっか」
アリスさんは、私の顔をじっと見たまま、なんだか不満そうではありますが……それでも方針はパザスさんのそれで決定したようです。
いやー、よかった。よかったです。
なんだかよくわからないまま誘拐されて、どうなることかと思いましたが、我が第二の人生はここまでではないようです。
よろこばしいことに ぼうけんのしょ は きえませんでした。冒険とか今生でした覚えもないけど。
まぁ……四百年前の生ける証人がそこにいるっぽいから、これからモンスター蔓延る地へと赴くようだから、今ここで望めば冒険にも関われるのかもしれませんけど……しませんよ。マヨネーズチートもカカオマスチートも蒸留酒チートも男爵芋チートもしませんし、冒険チートだってしないのです。
大切なのは命。長生き。
しゃべるドラゴンとか、ハーフエルフとか、それらの後ろに広がる歴史の真実とか、そういうのは要りません。そんなもんに関わっては、命がいくつあっても足りません。そういうのは英雄とか死に戻れる人とかに任せたい。疑問点の陸なんかはぽぽいのぽーいですよ。
それより私は、ミアとお庭でおしゃべりしたり、時には同じベッドで一緒に眠れることの方が大事です。ずっと大事です。
ミアの顔を思い出すだけで幸せな氣持ちになります。
抱きしめた時の感触、匂いを思い出すだけでどんなこともできる氣がしてきます。
これはもう、何にも代え難いのです。
だから……は~、よかったぁ~……。
「ごめんね、パザスがソーローしちゃって」
「そのネタまだ引っ張るのであるな……ぐる゛っ……ん゛ん゛お゛ん゛っ……では戻ろうか、そなたの家、あのお屋敷に」
「はい……よかったです……うれしい」
願いが叶ったことに、膝から崩れ落ちそうなほどの安堵と幸せが心を満たしていきます。
ホント死ぬかと思った。
もうダメかと思った。
でも帰れる。
生きて帰れる。
ミアの元に、パパとママの元に、サーリャの元に帰れる。
帰れる。
帰れるんだ。
やったー、帰れるんだ~。
うゎぁぁぁい!
待ってろミア~、待っててミア~、おねーちゃんもう腰砕けだからさ~、今日から三日は一緒のベッドで寝てもらうからな~。
なー……なー……な~……。
「ぐりゃっぐぢょん!!」「ふぎっ!?」
「んひ!?」
感激でなにやら多少危ない思考になっていた私へ、突然の重低音の暴力が襲いかかりました。
それはもう、鼓膜どころか、ふー……と息を吐くために開けてた口の奥、肺腑までもが裏返るような爆音の大噴火でした。
「ひ!?」「なにっ!?」
大氣と大地も揺れ、粉雪が舞い上がり、その直後、べちっ……という音が響きました。
「お、ご、ご……ぐるぅ……ん?」「なに!? いったいなんなの!?」
んと、んと、んと?
えと、えと、えと? 何が起きた??
「って、さ、寒い?」
肌を、ひんやりとした空氣が刺す。
視界が雪で白く染まっていて、目の前にいるはずの少女……アリスさえ見えない。
頭上からはバッサバサと、パザスさんの羽ばたきの音らしきものが聞こえ、そこから生じているだろう風が、肌寒さを、鳥肌を、更に扇ぎ立ててきて。
えーと……だからだから、ええと? つまり? これは?
パザスさんが……くしゃみ……をしたんだよな?
「もー、パザス、なんなのよ!」
まぁここは雪渓のど真ん中で、その翼でずっと冷氣をシャットアウトしてくれていたわけで、そりゃあクシャミのひとつくらい出るだろうって状況ではあったけれど……。
「ぐるぅ……」
あー、もう。
よりによって、さぁ帰ろうかって氣分が盛り上がった時に、そんなどでかいクシャミしなくてもいいだろうよ、って話だよ。
その重低音ボイス、荒げると凶器だね。寿命が減ったらどうしてくれるのさ。
それにべちっという音はなんだ。やっぱり痰でもカー……ッペしちゃった?
「ほんとにもー、パザスはソーローなんだから」
もー。ほんとにもーだよもー。
「……用法が違うであるぞ」
氣が付けば、アリスはパザスさんの方を向き、反った背中をこちらに向け、なにやら文句を言っていた。氣持ちはわかる。寒いと氣が立つよね~。
「ん? ソーローって、生理現象を我慢できないってことでしょ?」
はぁ……。
でも、私はもうなんでもいいから、お家へ帰りたいよ。帰りたいの。
飛んでた時間がどれくらいだったか、色々いっぱいいっぱいだったのでよくわかりませんが、なんとなく空もそろそろ夕暮れかな~って感じです。おうちへかえりたい。
「アイアのにゃろう……中途半端に余計なこと教えやがって……」
「本当はじゃあどういう意味なの?」
「うぐぐぐ」
今の私には、この無知シチュを楽しむ余裕すら無いのですよ。
まぁそもそも、ソーローの正確な意味とやらは、私も知らないんだけどさ。
別に知りたくも無いよ。女神だか女史だかに消されたっぽいから、貴族令嬢の記憶に残ってるとマズイ系単語でしょ。いらんいらん。だからそこのアリスさんも擦りすぎるなや。
どうでもいいからはよ、私をお家へと帰しておくれ。
「ねーねーねーソーローって何?」
「うぬぐぬぬぬぐぬ」
……そうこうしてる内に。
やがて……舞い上がった雪が落ち着き、視界が晴れてくる。
「……え?」
苦情を言うアリスを、まだ帰れないのかな~……と、ボーっと眺めていた私の目の前、数メートル先のド真ん前。
いまだ、パザスさんとソーロー談義をしているアリスの、その背中側、その地面に、何か……クラゲのような、融けた飴細工のような……なにか半透明の塊がある。
大きさは少し大きめのスイカくらい。完全な球形ではなく、横に長くひしゃげたような形をしている。
それは、ぷるぷるとふるふると、不氣味な律動でもって蠢いている。
え? 竜の痰って、律動すんの?
それは、おそらくパザスさんからは、アリスが邪魔になって見えない位置にある。
……何あれ?
竜、そしてハーフエルフと、ここまで元日本人がとても馴染みやすいファンタジーがお披露目された。
……いやマジ、あれ、何?
だけどそれは、日本人なファンタジー観には若干そぐわない、奇妙なグロテスクさを伴っていて……。
……なんかこう、色が半透明じゃなかったら、もう少し縦にひしゃげていたら、エイ●アン2に出てくるアレの卵みたいな動き方っていうか……いや、あれがパザスさんの口から出てきたモノなら、ピッ●ロ大魔王が産んだソレに近いっていうか。
そう……それは、半透明で、あまりにも非生物的でありながら、そういうものを連想してしまうほど……生き物であるかのように、その身をビクビクと震わせていた。
「……へ?」
そうして私は、自分の目を疑う。
「……は?」
うにゅんと。
その、スイカ大の何かは、チューイングガムでも伸ばすかのように、その身(?)から、鞭のような触手(?)を伸ばした。
そしてそれは、何かを探すかのようにうにょうにょと動き……。
少しして……見つけた……とでもいうかのように、アリスの後ろ姿を見て(?)止まった。
半透明の何かがぶるぶると震える。その震えの源泉が歓喜なのか恐怖なのか、それはわからないけれど、なんかこう……より、生物的に表現するのならば……それはまるで獲物を見つけた蛇が鎌をもたげたかのようでもあって……。
その先の……アリスの背中を見る。
いつか見た、小さな背中に似ていると思った。
「アリス!!」「ん?」
そう思った瞬間、私の身体は勝手に動いていた。
「危ない!!」
氣が付けば私は、半透明の何かの脇をすり抜け、アリスの背中に全身でダイブをしていた。