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42話:ZM・私は生きる


<アナベルティナ視点>


「ぐっ……うっ……くぅ」


 サーリャのスカート(インベントリ)から拝借したロープを放り、ナハト隊長がそれで仮の止血……ただ足の付け根の大動脈をきつく縛るだけという乱暴なもの……を終えるのを確認して……私は煽るように言った。


 というか煽った。


「さぁてナハト隊長。十三の小娘に、一騎打ちで負けた氣分はどうですか?」


 めっちゃ煽った。


「ふむ……」


 人の肉を斬った感触が、まだ手に生々しく残っている。


 しかし斬れたのは両足のふくらはぎ、その筋肉、それだけだった。


 そこはさすがに、武を誇る一軍の大将とでも言うべきか。

 虚を突き、体勢を崩させても、首や胴などの急所には隙がなかった。

 体勢を崩した時、本人の制御下から離れたと思しき足、その裏側だけが、刃の届く唯一の部位だった。


「たかが両足、されど両足。右足の方は骨に当たった感触がありました。その足ではもう歩けないでしょうね。それに機動力を失えば、アリスの魔法の、いい的です」

「……これも因果か」

「は?」


 ナハト隊長は、虚無の表情で自分の足を……もう自由には動けなくなってしまったはずの、自分の足を眺めています。その顔は何かに納得したようでもあり、残念そうでもあり、ですがそれはもう、なんら荒ぶることのない、静かなものでした。


 思えば……。


 コイツはずっとこうだった。


 機械のように……というのとは何か違う氣もするが……人らしい情動に流されることがなく、アリスを痛めつけている時でさえ、何も感じていないようだった。


 残酷で残虐で残忍な行為をしているはずなのに、ただ飛ぶ虫を逃がさないよう、その羽根を引きちぎるかのような……無機質な、作業的な……時折仲間を害されたことへの苛立ちと怒りを見せながらも、残虐行為そのものは、淡々とした態度でそれをこなしていました。


 だからこそ彼は残虐で、残忍と……思いこみ……頭に血が昇り、私はアリスを助けるため、邪魔をするサーリャの頚動脈を締めて落とすという暴挙……もとい行動に出たわけですが。


 自分の身体がこうして痛めつけられてさえ無感動な、そんな様子に、ああ……この人はもう、今よりもずっと以前に、心の何かが決定的に壊れてしまっていた人なんだな……という納得が降りてきました。


 クソ兄貴ならこうはならない。

 口汚く(わめ)き、生き汚く逆転か逃走の一手を探るでしょう。

 その、どちらが善いとか悪いとかではなく、この人間は、あの兄とは違うのだと思いました。


 どうしてそんなことが判るのかって?


「因果、否、運命……か。ここより生まれ、ここに終わる。それがこの人生か」

「……」


 だってこの目、この態度……ぞっとするほど見覚えがあるのですから。


 終末医療の現場で何度も……何人も見てきた。ある時期は鏡の中にだって見た。


儘成(ままな)らぬモノだ」


 自分が終わったことに納得した人の、成れの果て。


 今世(こんせ)でも……ミアが生まれてきてくれるまでの数年間は……私はきっと、こんな表情を時々、浮かべていたのだろう。


「聖女よ」

「……なんですか?」

「負けを認めよう。介錯は頼めるか?」

「……死を、望みますか?」

「いいや。生きたい。だが……闘えなくなった俺は、闘えない俺を許せない。いずれ、果てるために戦場を求めるだろう。様々な者に迷惑をかけ、恥を晒してな。……だがここは戦場だ。ここが戦場であったと、俺が認める。なら、良し。ここで死ぬことに不満はない。俺は聖女殿の正体を知った。俺の生存は貴殿に不安しか与えぬ。ならばその手で、勝者の安寧を得るがいい」

「……なんだその、屁理屈」


 本当に、なんなんだコイツは。


 ふざけるなという、意味のわからない苛立ちが胸を焼く。


 コレは私とは、全く違う世界で生きている。それは断言できる。

 そうでありながら、自分の心の、どこか奥底が、この壊れた人間に共感している。


 コイツはコイツなりに、コイツの人生をまっすぐ生きてきて、そしてどこかの段階で壊れ、それでもなお生きてきた。


 壊れても戦い、闘って、その果てにここで死のうとしている。


 コイツには、私にとってのミアのような、サーリャのような存在が無かったのだろうか?


 ……あるいはもう既に失ったか、失ったから壊れたか。


「アリスをあんな風に痛めつけておいて、(いさぎよ)しが格好いいとでも思っているのか?」

「敗者の弁など、笑い飛ばせばいい。理解されようとも思わない。殺す前に憂さ晴らしがしたいというならすればいい。もはや俺には関係の無き事」

「……そうですか」


 この手で彼を殺すことに、嫌忌の氣持ちはない。

 しなければいけないことだとも……思っている。


 だけど、ひとつだけ問題がある。


 サスキア王女が見ている。


 ナハト隊長を愛したというあの王女様が……今は正氣を失っているとはいえ……愛する人が殺される瞬間を目撃して、何を思うのか?


 ナハト隊長を殺すことに、躊躇(ためら)いはない。

 するなら、アリスに頼むなどしてはいけない。

 この手を(よご)すべきだ。


 だがサスキア王女はどうする?


 サスキア王女「を」どうする?


 彼女も、殺すのか?


 結局のところ、サスキア王女は誰も殺してない。


 マジックアイテムで竜殺し部隊を眠らせ、ゴブリン化薬を撒き、その命を危険に晒した。

 でもそれは……あと数十分もあればアリスは傷を全快できそうだし……それはもう、事無きを得る寸前ところまできている。


 もうしばらくすれば、キルサさんが到着してしまうだろうけど、先んじてやってくるのは、まずは少数だけだろう。その程度なら、睡眠魔法でひとりひとり、寝かしてから処置すればいい。


 サスキア王女の企ては、全て失敗に終わる。


 彼女は結局、誰も、何も害せなかった。


 殺人未遂も罪は罪だ。


 だがそれが死に値するほどの罪か?


 ……違うな、法解釈などどうでもいい、言い換えよう。


 それが、私がサスキア王女を殺す、納得できる理由と成り得るのか?


 私はサスキア王女を殺して、その顔でミアに微笑むことができるのか?


 脳内で、言葉にならない想いが、独楽のようにきゅーんと回転して、結論がでる。


 ……無理だ。無理だわ。


 断言できる。


 ナハト隊長は軍人だ。


 アリスにゴアでトーチャメントな苦痛を与えた。


 彼なら殺せる。


 正しいことをしたとは言えなくても、間違ったことをしたとは思わないだろう。


 何かしらの後悔は発生するだろうが、それを受け入れる覚悟なら、今の私にもある。


 彼は殺せる。


 だけど結局のところ、人の世はすごく複雑で、心はもっと複雑で。


 クソ兄貴の死は、パパを落ち込ませた。


 だから、どんな外道にも、心を寄せる人はいたりするモノで。


 心は……自分自身でも掌握しきれる、制御しきれるモノではなくて。


 人を殺す。


 そのことが、()す寸前となって酷く恐ろしいことのように思える。


 前世のフィクションで。


 沢山の物語、沢山の主人公がこの壁を越えた。


 ある者はあっさり、ある者は苦悩の果てに……。


 全く人を殺さない、手を(よご)さない主人公の物語が量産されるその影で、人を殺す、手を(けが)す主人公の物語も沢山創られ、語られた。


 そのどちらも、そのように生きれなかった自分には眩しかったし、感情移入をしていた場合には「平和的に済んでよかった」とも「ざまぁwww」とも思った。そんなのはその物語次第だった。


 そのキャラ「らしい」結論を出してくれるなら、どちらでもいい。


 俺は、多分、そう思っていたんだと思う。

 あまり難しいことは考えなかったけれど、きっと。


 面白い物語は、どうしてもキャラへ感情移入してしまうモノだから……そのキャラが望むなら……慈悲も虐殺も、読者として共感し、望むことができたんだと思う。


 そんなのはそれだけのことだ。


 でも。


 なら……俺はどっちだ?


 今ここにいる私は、どちらだ?


 当事者となってしまった今、この場で私は、何を望む?


 なぁ、前世の俺……今の私に共感してくれるかい?


 この現実を、物語のように読んだのだとしたら。


 俺は何を望みますか?


 私はどちらを選べばいいと思いますか?


 ナハト隊長は、生かしておけば、私の人生の障害となる可能性が高い。


 ナハト隊長を殺すことには、納得できると思う。


 だが、彼を殺すなら、サスキア王女もまた殺さなければならない。


 既に、もう僅かしかない王女との和解の道が、それによって完全に閉ざされるからだ。


 キルサさんもいる。


 ナハト隊長を殺すことは、それ以上にもっと人を殺し続けなければいけないという……修羅の道へと続いている。


 その道に一歩でも進めば……ミアと無邪氣に笑い合える私は、いなくなる。


 真相の暴露に怯え、最悪サーリャですら信じられなくなる時がくるのかもしれない。


 生きたい。


 私は生きたいと願ってこの世界へ転生した。


 生きたい。


 何もなくていい。ただ家族と、大切と思える誰かと普通の人生を送りたかった。


 前世では親孝行すらできなかった。

 それができる人生を歩みたかった。


 生きたい。


 平和に、道を踏み外さず、課せられた運命に抗わず、ただ平凡に生きる。


 俺はそれを求めていた。

 私はそれを求めている。




 なら。




 私は生きたいよ。




「賭けろ……と言ったな」

「……なんと?」

「アリスとの戦いで、賭けろと」

「……ああ」


 これはもう策でもなんでもない。

 ただ、相手の個性、それに賭ける、博打。


「なら……私も賭ける……見て」

「む」「ん?」


 多くの傷を治し、(ようや)く、立ち上がったアリスを示す。


「……ティナさぁ、さっきからずっと、悩んでるでしょ、コイツを殺そうか、殺すまいか」


 甘いよ……とアリスは言う。


 そんなんじゃないよ。そんなんじゃない、アリス。

 私は自殺したくないだけ。ミアと笑い合えたこの人生の私を殺したくないだけ。

 サーリャに繋いでもらったこの命を、失いたくないだけ。


「いいよ別に、悩まなくて。もうだいぶ傷も治ってきたから、あたしが殺る。コイツにはいいようにされちゃったからね。あたしも怒っているんだから」


 ……アレだけ痛めつけられて、怒っているんだからで済ませるアリスも相当だね。

 感情的だし、社会常識的な良識はないけれど、根が善良なんだろうね。

 さんざんアリスの魔法を利用させてもらった私だけど、その心根だけは利用したくない……私は……そうも思うよ……アリス。


 うん、ありがとう、アリス。覚悟が決まった。


「アリス、邪魔しないで。アリスは負けたの。勝ったのは私。裁く権利は私にある」

「……なんかすっごいムカつく!?」


「魔女とは、()(がた)い……あれだけやって、もう立ち上がるか」

「だから誰が魔女よ!?」

「ほら見て? アリスはこの通り凄い魔法使い。貴方(あなた)のその傷も、完治できるかもしれないね?」

「はぁっ!?」「む……」


 回復魔法は他人には効果が薄い。

 でも。


「できるよね?」

「……できるけどさぁ」

「真か!」「わっ!?」


 アリスは説明します。


 ナハト隊長の傷の具合を見、回復魔法は他人には効きにくいということを説明した後、「完全に治癒するとなると何十日かはかかるから、その間に落ちる筋肉の保証まではできないけど、傷を完治させることなら……うん」と。


「この傷が……治る」

「けど、それは貴方が排除しようとし、殺そうと試みた魔法使いの力を借りればの話」

「あたしみたいな魔法使いは排除対象、なんでしょ? アンタが忠誠を誓う国の方針は」

「そんなことはどうでもいい。再び、戦える身体を得られるというなら、俺は鬼にも悪魔にでも魂を売ろう」

「……あたしは鬼でも悪魔でもないっての」

「アリス、鬼も悪魔も、私がなるから、大丈夫」

「どういう大丈夫よ!?」


 これからのシナリオを考えてみましょうか。私はそう言い、言葉を続けます。


「その傷は、アリスが付きっきりで治療しても、完治まで何十日かはかかるモノ」

「うん」「ああ」

「アリスは現在、男爵家に住んでいます。つまり、貴方は、その傷を治すには、男爵家に何十日か逗留しなければいけないということです」

「えー……」「そうなるな」

「ならば貴方は軍を辞める必要がある」

「当然だな」

「軍を退(しりぞ)いたら、貴方は私の忠実な家来(けらい)となる」「は?」「む」


 あれ、ここ、そんな驚くことですか?

 ここまで話したら、私が何を言いたいかわかるでしょ?


「ナハト隊長のその傷は、これからこの場に戻ってくるキルサさん……とその同僚? の何人か? に目撃されます」

「キルサが?」


 キルサさんがナハト隊長と同じように、なぜか睡眠魔法から目覚めたので、兵站ラインを下って後詰(ごづ)め部隊に報告に行った旨を、ここで伝えます。


「その傷です、もはや兵士としては再起不能……そう判断されるでしょう。貴方は傷が完治しても、完治したことを公にすることができません」

「成程、魔法でなければ治せない傷、か……」


 はい。その傷は、鬼と悪魔に魂を売るなら、治療できます。


「そうです。完治を魔法的手段に頼った貴方は、もうこの先、その名、その顔でこの国の表舞台に戻ることはできなくなるでしょう」

「事情を知る聖女殿のもと、以外では……か」

「はい」「ティナ……アンタ……」


 この国には、いずれまた戦争が起きる。


 貴族ならみんな知っている。

 裏では失地王とまで揶揄(やゆ)される王が、今はその失地回復の機を窺っていることを。


 遠方の、外様の男爵家まで伝わる富国強兵の号令、竜害の発生に、武威を示すため王族すら派遣する本氣度。


 王はいつかそう遠くない未来、過去の雪辱を果たすため、戦争を始める。


 なぁ……その体捌きを見ただけで、武に生涯を捧げてきたとわかる(ごう)の者よ。


 その時、また戦場にて活躍したいなら……私へ下れ。


「なに考えてんの!? コイツはあたしを殺そうとしたのよ!?」


 アリス、貴女(あなた)もユミファを殺せなかった。

 だから、自分を拷問した相手を癒やすなんていう、ある意味では酷なことをさせることになるのかもしれないけど……この提案が通るなら、そこは手を貸してもらうよ?


 それをできるのは、アリスだけなんだから。


 鬼で悪魔は私。だから私は無慈悲に、アリスにそうしてもらうよ?


「スカーシュゴード男爵家では、軍の練度向上のための教官となる人材が不足しています。つい先日までは、全く適正のない兄がそれをしていたくらいなので……深刻です。だから表向きは、足を悪くした貴方を、ならば好都合と私がそこへ勧誘した形になりますね。……その地位は、本当に用意できると思いますし、兵の指導と鍛錬は普通にお願いしたい仕事ですが」

「いずれ共に戦場へ出るのであれば、鍛えて損は無いか」

「いいえ、男爵家の兵士は、おそらく貴方と(くつわ)を並べる関係にはならないと思います」

「……それは如何(いか)なる?」

「私は、女です」「はぁっ!?」


 私はいずれ、生家とは違う領土、領域を治める貴族家に嫁ぐ。


 生活環境の一変するタイミングが、数年のうちにあるのだ。

 そのタイミングで、正体不明の兵士を一人、重要な地位に押し上げることぐらい、訳も無い。例えば嫁ぎ先の軍へ、私に幼き頃より長年奉公してくれた忠実な部下だから取り立ててほしいと紹介する。それだけでいい。……慣れない新天地で苦労する新参者の悲哀とかは知らない。間者(スパイ)じゃないかと疑われてとかも知らない。そこは勝手に頑張って。


「……成程」


 だがそこには、足を悪くし、軍の教官へと退いていた男を、再び表舞台に上げる機会、タイミングが、きっとある。


 名前などを変えてもらう必要はあるだろうが、そうしたことにこだわりが無いのであれば……この世界はまだ情報社会があまり発達していないから……これはさほど難しいことではない。偽名は……そうですね、リヒトとかどうですか? この世界の言葉では、ナハトから連想され易い名前というわけでもありませんし。


「ティナ……」


 ……って、アリスがなんでそこで泣きそうな顔になってるの?


「俺が足を悪くし、小娘の軍門へと下るか。魔法使いを友と呼ぶ、おかしな小娘の軍門に」


 なぜか消沈するアリスとは反対に、ナハト隊長はどこかくすぐったいような、笑いを堪えているような、そんな表情になっています。

 既に彼の虚無はその顔から去っていましたが……これはどちらなのでしょう? 興趣(きょうしゅ)をそそられた? わが身の行く末を自嘲した?


 ……これは賭け。


 策でもなんでもない。

 ただ相手の個性、それに賭けた、博打。


 勝算はある。


 勝算はあるが、それは私の直感、思い込みかもしれない、あやふやな感覚ひとつのモノだ。


 目の前の男に、慣れ親しんだ匂いを私は感じている。


 健やかなる世界から弾かれ、隔離されて、彼我(ひが)と自我の間に横たわる川へ、その幅の太さへ、絶望したことのある人間の……それは匂いだ。


 そうした隔絶を知るからこそ、「本来、自分がいるべき場所」への希求と望郷は呪いのように切実で、狂おしい。


 家に帰りたい、どうせ死ぬのならばせめて家で過ごしたい。ずっとそう言っていた白髪の隣人は、人生最後の願いを誰にも省みられることなく、病院のベッドで死んだ。他人である俺は泣かなかったし、看護師も医者も誰も泣かなかった。そのことがただ悲しかった。人の死とはこんなモノなのかと、ただただやるせなかった。


 家に帰りたい、でも家にもう僕の居場所は無いんだ。そう言ってずっと妹を羨み、ある意味では家族を憎んでいたかもしれない皮肉屋の少年は……彼もまた、父にも母にも、妹にも看取られること無く、「俺のせいで」孤独に死んだ。あんなに生きたいと……その反対の言葉で訴えていたのに。あんなにも家族を……裏腹の態度で(こいねが)っていたのに。


 果たせなかった約束、それを交わした時の笑顔が……今も心に痛い。


『闇に蔽われた空を、花火のような爆発物で壊せば、そこに朝が、そこに光が、あると信じたから……信じたかったから……だから暗闇を壊したかったんじゃないかな?』


 その願い、その(こいねが)いを俺は知っている。


『本当に壊せたら、良かったのにね』


 本来、自分がいるべき場所に戻りたい。


 弾かれたからこそ、失ったからこそ、求める。


 帰りたい。


 あの場所に戻りたい。


 その切実な声、狂おしいほどの祈りを、私は知っている。


 なあ……「アンタも知っている」んだろう?


 本来、自分がいるべき場所に帰りたいのだろう? 戻りたいのだろう?


 アンタのそれは、そういう祈りの匂いだ。


 それが勝算。理屈ではない、私の感覚。


 だからもうわからない。


 なにももうわからない。


 だが賽は振られた。あとはその結果、結末を見届けるのみ。




 ……応えは一言だった。


「愉快」


 莞爾(かんじ)と笑う、一言だった。


「……愉快、ですか?」

「嗚呼愉快、愉快(かな)。運命とは()く在るモノかと膝を打ちたくなるほどにな」

「……そうですか」


 知らず、ふぅとひとつ、息が漏れた。


 この人の運命は知らない。

 知って堪るか。私はもう自分の運命だけで手一杯だっての。


 だが……賭けに勝った感触はあった。


「だが良いのか? 聖女殿は俺を信じられるのか? 裏切るとは思わないのか?」

「……氣付いていないかな?」

「?」

「貴方はここまで一言も、負けた恨みを私にぶつけてない」

「……」

「こんなだまし討ちみたいな方法で負けたのに」


 裾をほんの少しだけめくり、緑色の脛を見せる。

 目の前の男は、一瞬痛ましいモノでも見るかのように眉を(ひそ)め、目を逸らした。


「……戦場では結果だけが全てだ。そこに、綺麗も汚いも無い」

「小娘が、もう一度やれば勝てる、覚えておけとも言っていない」

「両足をやられたのだ、もはや聖女殿にはともかく、そこな魔法使い殿には勝てぬだろうよ……そなた達は友、お互いを、命を賭け守る仲なのだろう?」

「うん」「え、ちょっ……そんな、ふぇ!?」


 ……唐突に、暗かった顔をぱっと赤らめてくねくねしないの、アリス。


「そして、そなた達の世話になり治したその両足で、捲土重来(けんどちょうらい)(はか)るほどには、俺は恩知らずではない。そのつもりだ」

「そういう人種だから、私はこの提案をした」

「成程。……嗚呼成程。流石は聖女殿。貴殿はその実、称号に相応しい乙女であったか。くくっ……くくくくく……さすがは竜を懐柔した口車よ、乗せられたわ。その舌で竜を征服し、俺をも征服するか、ふくくくく」

「え、何、いきなりちょっとキモイ」「……あたしも同感」


 すっと、何かを切り替えたように、ナハト隊長が真面目な顔になる。

 やべ、キモイは失言だった?


「ひとつ、問おう」

「ん?」

「そなた達に、カナーベル王国を害する意図はあるか?」

「んん?」

「俺はこの国に恩がある。否、正確にはこの国のために戦い、生きた先人に恩がある。ゆえに俺もまたその道を歩む。愛国、などと口にする氣はない。それを口にできるほど、俺は正しい人間ではない。俺のいる場所は平和の中には無く、ゆえに長年、平穏をかこつ日々の暮らしだ。俺は真っ当な人間ではない。俺は日陰者で、人殺しだ。だが俺は恩師より与えられたモノを返す。恩師の散った戦場にてそれを還す。そのために俺は生きている。生き恥を晒している。このようになっても願うはそれだけだ。これは国も法も勝者ですら奪えない、俺の生きる意味。俺が俺であるということの全て。そなた達がそれに反する存在であるというなら、俺はここで自害し果てよう」

「……言ってる意味は、半分もわかったとは言えないけど」「あたしは全部わかんない」

「そなた達はカナーベル王国にとっての敵国、またはそれに準ずる勢力へ組するモノか?」


 あー、はいはい。なんか偽悪的な理屈を色々並べてましたけど、つまりこういうことでしょう?

 貴方はいかにその表面が歪み、曇ろうとも、芯の部分ではカナーベル王国の忠実な国民、そういうことでしょ?


 大丈夫、それは私とも、アリスとも対立しない。


 私は世界を変革しない。


 だから母国とも争わない。


「期待通りの答えになるかどうかは判らないけど、正直な氣持ちを答えるよ? 私はパパもママも、妹も愛している。だから男爵領が幸せに発展してくれたらいいと思ってる」

「……」

「私はだから、生まれてからずっと、そのための(いしずえ)となれるのであれば……親の決めた通りの……男爵家に益の多い結婚をして……実家と嫁ぎ先に尽くそうと……そう思ってきました」

「ティナ……」


 まーた暗い顔をする、アリス。


 大丈夫だって、嫁ぎ先までついてこいとは言わないから。


 離れても私達は友人、いつかそうやって別れよう。そして時々は会って旧交を温め合おう。そういう未来を、私は夢見ているよ?


「そこに国への忠誠があるのか、ないのか、私には判りません。私の世界は狭くて、もう随分と昔からずっと狭くて……国なんて大きなモノより、目に見える小さな世界のことしか考えられなくて……でも」

「でも?」

「パパは現国王に忠誠を誓っています。それはもう心の底から。その元でその意に従おうとする私は、形式としては間違いなくカナーベル王国の忠実な国民でしょう。ですから……嫁ぎ先がそうでなかったら……おそらく嫁ぎ先はパパと同じ派閥の中から選ばれるとは思いますが……そこが、密かにカナーベル王国に反旗(はんき)(ひるがえ)さんとする家であったのなら……」

「あったのなら?」

「……脱出し、実家へ帰るため、武に長けた忠実な家臣が必要でしょうね?」


 言うと、ナハト隊長は一瞬、キョトンとした顔になりました。

 その顔は、前世に鏡で見た自分を、少しだけ思い出すモノでした。


「もしかしたら幼子を抱いて逃げることになるのかもしれません。その逃避行に、任務に忠実で屈強な家来は、是非ほしいです」


 そして。


「はは、ははははは!」


 ナハト隊長は……笑った。


 それは、今度こそ間違えようのない、心の底から愉快と笑う……そんな笑い声でした。


「俺が子を守り、逃げる。聖女殿はそんな未来を語るか」

「そうならないよう、願ってはいますけどね」

「愉快、ああ愉快だ。想像するだけで身震いがしてくる」


 ナハト隊長は、傷付いた身体で、それでも心底愉快といった様子で、三十秒かそこら、ひとしきり笑い、それがやむと動かない足をそのままに、右手を地面に、左手を胸に当て、騎士らしい体勢をなんとか整えて……そうして真剣な眼差しでこちらを見上げてきました。


「よかろう、(うけたまわ)る。家来でも家臣でも従僕でも下僕にでもなろう。これよりは我が忠誠、聖女殿……否、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴード様へ預ける」

「はい。よろしくお願いします」

「ちょっとティナ!? あたしまだ納得してないんだけど!?」

「……ですが、貴方はアリスに酷いことをしました。アリスがその憂さ晴らしをしたいと言うのであれば……それによってできた傷もアリス自身が治療するというのであれば、ですが……私はおそらく黙認しますよ?」

「え゛?」

「それでもよろしいですか?」

「最終的に治してくれるのであれば、三倍返しでも十倍返しでも受けよう。だがその前に、謝罪させていただこう。我が主の友、アリスよ、数々のご無礼を働いたこと、大変に申し訳なかった。平にお詫び申し上げる」

「……だって。アリス、お手柔らかにね」

「え゛え゛え゛!? なんでアンタもコイツもそんなやすやすと自分への虐待を受け入れられるわけ!? あたしさっきコイツに物凄い拷問されたよね!? 何? あたしがおかしいの!? 痛めつけられても何も無かったみたいに流す方が普通なの!?」

「普通ではないと思うけど……」「はっ。俺もこの聖女殿も普通ではない、ただそれだけのことだろう」

「って! なんで二人、息が合ってる風なのよー!?」

「……そう言われても」


 まぁある意味、心のどこか奥底に似たモノがあったからこの説得は効いた……そういうことなんじゃない?


 そうじゃなかったら交渉は決裂していただろうし、私は国を追われ、ミアやサーリャとも別れることになっていたと思う。アリスとどうなったかは……わからないけど、私はそんなことにならなくてよかったと、今、心の底から安堵しているよ。


「絶対納得いかない! そんな身体になってまであたしを助けてくれたティナが、どうしてあたしのこのムッカムカには無関心なのー!?」


 おぅ……なんて綺麗な地団駄(じたんだ)。傷も大分回復したようでなにより。


 まぁ……そういうことなので。


「後でね。アリス、後でね、ゆっくり、話そ?」


 ほらあれだ。


 男同士には、喧嘩したら仲間同士になれる展開があるのだよ。ここではそういう雑な理屈で収めておくれ。男同士?


「ムッキー!?」


 まぁ。


 ナハト隊長のことを、アリスに納得させるのは簡単ですからね。たぶん。


 ふふふ。


 念話のダイアモンド。これが今は私達の手にあるのですから。


 同様のアイテムを持った者か、または魔法使いである対象に向けて、強く念じればその心が伝わるマジックアイテム。


 サスキア王女が紛失したことにして、戴いてしまいましょう。


 だまし討ちも戦法のひとつと認めてくれるナハトさんです。


 構いませんよね? いいですよね?


 これを貴方に当て「アリスには、人の目を見ることによりその心を知る力があります。嘘偽りは通じません。貴方の素直な氣持ちを、アリスにぶつけてみてください」とかなんとか嘘八百を言って、その心情、アリスへ吐露(とろ)してもらっても?


 今は時間がないので後回しにしますが。


 だからもう私に、ナハト隊長に関する不安はありません。


 不安がないから、落ち着いていられます。


 ねぇだからアリス、これは簡単に言うと、こういうこと。


 私は賭けに勝った。


 それだけ。




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