37話:開戦
それでどうなったかというと。
「魔女め!」
槍を高速で振り回すナハト隊長が、アリスへと襲い掛かります。
その速さは、まさに目にもとまらぬモノです。
「無駄ァ!」
例の、高速の蒸発音のようなものが響いて、アリスの結界がその槍を停止させます。
物理法則を完全に無視した急停止。反動とかはどうなっているのでしょうか?
前世のテレビショッピングで、高機能マットレスに卵を落とす実験かなんかの映像を見た覚えがあります。
客観的に見ると、結界が、何かを阻止する瞬間の感じは、アレに近いです。
勢いが、結界に触れた瞬間にピタッと無くなる。そういう感じです。
「だからあたしは魔女なんかじゃ」
「何を言うか! その黒き禍々しきナニカは魔法使いの証! 問答は無用である!」
アリスの頭上数メートル上には、これも例の、黒い鳥篭のような魔法陣が浮かび、アリスの動きに合わせ回転したり、微妙に動いたりしています。
「あー! もー!?」
「いやぁあああぁぁぁ! やめて! やめて! ナハト様!」
それにしてもサスキア王女がうるさいです。
「ティナ様! 下がってください!」
サーリャは……いつの間にか胸に短剣を抱いています。
その短剣、どっから出したの? インベントリなスカートにあったの? ずっと? 今までずっと? だから君って戦闘メイドさんとかじゃないんだよ? なのにずっと武装してたの? そんなそぶりも全く見せずに?
そんなわけでただいま修羅場です。どうしてこうなった。
結果から言うと。
私の推論は、間違っていませんでした。
擺脱魔法と、ある特定の解毒魔法、これの合わせ技でゴブリン化の阻止は成りました。
まず第二王子の金隠し……ならぬお付きの女性、二人に試してみたところ、アリス曰く「『マナに触れられる手』が消えた」とのこと。やったぜ。
なおその時、アリスが感極まって泣いたのを、サーリャが後ろから抱きしめるという、美しい一幕があったことも加えてお伝えします。
アリスは、なんの抵抗もせずに、サーリャの胸の中で嗚咽を堪えていました。
『よかった……よかったぁ……』
『私はティナ様の従者ですが、今はこの胸で泣いてください』
『わ、わかってるわよ、ばかぁ』
……みたいなツンデレチックなワンシーンもあり、何か、そこでアリスの胸に痞えていたモノがひとつ、溶けたのだろうなと思わせました。
あの二人、ホント、私が寝ている間に何があったのでしょうね。
親友……という感じではありませんが、なんかこう……悪友感があります。
少し嫉妬しちゃいます。どちらにかは、わからないけど。
でもまぁ、仲良きことは佳きことかな……と思うので、
『で、でも、あたしはサーリャよりティナの方が大事だからね。サーリャとティナ、どちらかしか選べない状況になったら、あたし、サーリャを見捨てるからね?』
『はい。私もそうします。ティナ様とアリスなら、ティナ様を選びます。アリスのことは、そのついでに助けられたら、ですね』
『絶対よ?』『はい、アリスも』
とかなんとか、妙な団結をして、その場を〆るのはやめてほしかったです。はずかしい。
アリスが落ち着いて、そうして何度かゴブリン化の阻止を繰り返し。
要領を掴んで、第二王子のテント、第三王女のテント(の内外で寝ていた女性騎士六名)、薬は処方したけど一応ということで私達のテントの、男爵家の騎士三人と、テントみっつ分、人数にして十五人くらいの治療を終えて、慣れてきたところで、魔法の範囲化に挑戦することにしました。
アリスは範囲魔法が、あまり得意ではないとのことでしたが、私という魔法ブースターのおかげで……理屈はよくわかりませんが、力技なごり押しが容易だった、とのことです。
四つ目のテントでは、テントの中に入ることもなく、探索魔法で対象の位置を確認し、魔法を使って、それだけで中にいたらしき四人の消毒(?)が完了したとのことです。『マナに触れられる手』が消滅したから、間違いないそうです。
「ティナの生体魔法陣、便利すぎて怖い」
……とは、そこでアリスが、今更のように呟いた言葉です。
よくわからないけれど、あの女神様(?)も、とんでもないチートをオマケにくれたものです。自分ひとりではなんの役にも立たないというのが難点ですが。
ところで、この前線基地ですが、複雑に隆起する岩石の群れの中に設営されているという特性もあって、テントのひとつひとつが、そこそこの距離をとって張られています。
全体のテント数は把握してませんが、物資の収納庫を含めても五十はないでしょう。おそらく三十から四十の間だと思います。これが、一番端から端まで壱キロメートルほどの範囲に散らばっています。
例をひとつあげると、男爵家、私達のテントと、それに一番近い第三王女のテントで三十メートルほど離れています。なお、その辺りがもっとも平坦な大地で、他のテントへは結構な悪路を歩くことになります。ところによっては、大きな岩が、壁のように、柱のようにそびえていたりもします。
第二王子のテントは、第三王女のテントの数十メートルほど先、そのほんの少しだけ小高くなっている部分にあります。空から襲われることを想定すると、高い場所は危険な氣がしますが……これは第二王子自身が、バカと煙はの法則でも発動させたということなのでしょうか。
ナハト隊長のテントはかなり離れています。第三王女のテントから直線距離で三百メートルほどでしょうか。途中悪路もあり、男爵家のテントからそこへ向かった時は、十分近くかかりました。
話をアリスの範囲魔法に戻します。
アリスが、何度か試してみたところ、擺脱魔法、解毒魔法を双方、用に足る効果のまま範囲化できるのは、半径十メートル程度が限界……とのことでした。
テントとテントの間は、大抵、十メートル以上は離れてます。
テントには、ひとつにつき三人から五人が寝ていたようです。
そんなわけで、しばらくはテントひとつひとつを、外から範囲化した魔法で一度に三人から五人、擺脱魔法、解毒魔法と使い、ゴブリン化の解除を行っていました。
そうして三十人くらいは消毒……いえ、治療したかな、という時。
目の前に、見覚えのある、ナハト隊長のテントが見えてきました。
ふと辺りを見渡すと、ナハト隊長のテントの近くには、例外的にもうひとつ、大きなテント(たぶん、キルサさんら女性隊員のテントだったのでしょうね)がありました。その間の距離は、およそ十五メートル。
ナハト隊長のテントにはひとり……この時点では、ナハト隊長かなと思いました……もうひとつのテントには二人、人が寝ているとのことです。
距離的にも、手間的にも、ふたつのテントを同時に、範囲魔法でゴブリン化解除するべきとなるのは当然の流れです。
アリスがふたつのテントの丁度真ん中あたりに立ち、大きめの魔法陣を展開し、私の髪が銀色に光り、さあ範囲擺脱魔法の行使!……というその時。
「正体を現したな! 魔女め!」
小さな影が、大きな槍を持って、私達を襲撃してきたのでした。
『誤解です!』
……とは言えないのが辛いところです。
いえ本当に、一部はマジで誤解なのですが、それを言っても、殺氣ムンムンで襲ってくるナハト隊長の槍は下がらないでしょうね。ユミファさんとは別の理由で、まったく話が通じません。
魔法は迫害され、魔法使い、魔女は人間社会から排斥される世界。
そのクソゲー感が、とうとうここにきてその牙を剥きました。
「だー! だからこの状況を作り出したのはあたしじゃないっての!」
「虚言を吐くな! 魔女よ!」
「ひっ!?」
牙、それはもう比喩でもなんでもなくて、アリスに襲いかかる槍の鋭いこと、鋭いこと。あれってもう人間辞めてない? 超高速で移動しながら身長よりも長い槍を軽々と扱っているんですけど。
月と星、それと今も陣のあちこちに吊されているランプなどの光を受け、蒼くも黄色くも光る槍が、こちらで煌いたかと思えばあちらで閃き、残像が消えぬ間に、その筋が十にも二十にもなるといった具合です。めまぐるしい。
アリスは、魔法の範囲化が苦手です。
おまけに、私を氣遣ってか、私の髪を銀色にする行為……生体魔法陣、人間魔法ブースターの利用は控えているようです。まぁ、さきほどの様子を見られていたのなら、意味がない氣もするのですが……。
更に言えば現状、ユミファさんの封印で、アリスは複雑な魔法が使えない状態でもあります。
使えるのは、狙いを定めなければいけない単体効果魔法、なのに、相手は常に高速移動をして狙いを定めさせないナハト隊長。相性のいい相手ではないようです。
そういえば……竜殺しにはタワーシールドが必須と言われています。
ですが、今は相手がアリスだからでしょうか? そのようなものは装備していません。
普段はそれを装備していても動き回れるよう訓練している負荷を、今は外している……そのことも、あの運動性能、移動速度を生み出す素になっているのでしょう。
胸当てや肩当て、背を守る革の鎧こそ、かなりの厚みがあるものの、そんなモノはなんでもないかのように動き回っています。正直、十五メートル以上は離れ、それなりの遠くから見ていても、目では追いきれません。
身長だけなら、私ともさほど変わらないナハト隊長の身躯は、森のようにそこかしこへ林立する岩石を足場にし、時にそれへ隠れ、現れては消え、消えては現れ、魔法の照準を合わせようとするアリスを翻弄しています。
「あーもー! 話聞いてってば!」
ですがアリスも、さすがはめちゃんこ強い魔法使い。
四方八方から槍を突き出されるも、そこは結界魔法で難なく凌いでいます。
「だから元凶はそこのバカ女! 王女様だってば!」
「妄言を!」
そんなこんなで、さきほどからあまり状況は動いていません。
結界への槍の打ち込みは、既に百合を超えたでしょう。いえ百合ではなく。
「だめぇぇぇ! やめてぇぇぇ! ナハト様お願いぃぃぃ!!」
時々制止を試みるアリスと、それを跳ね除けるナハト隊長、サスキア王女の悲鳴だけが、延々とこの場に響いています。これはもうマジで心底どげなせんといかん状況なのですが、アリスがこちらへ注意を向けさせないよう頑張っているところへ、横槍を入れるのは躊躇われます。
いえ、それでも、横槍を入れようかと、多少は試みているのですが……。
「サーリャ……」
「ティナ様は絶対に前へ出ないで下さいね、ティナ様こそ驚異にして脅威……その真実に氣付かれてしまったら、私達に身を守るすべはないのですから」
それは、メイドさんに止められています。
「私こそ驚異で脅威って……」
「この半日で、ご自分が何を成されてきたのか……ご自覚は無いのですか?」
小声で告げる、その手に持つ、短剣の先が震えています。
こんなモノでは、あの槍を止めることなど到底無理と、自覚しているのでしょう。それでもこれを抜いたのは、私を……自分より先には死なせないという覚悟でしょうか?
「でもサーり」「口出しも無しです。あの男の注意をこちらに向けてはなりません」
「……」
その覚悟に、私の横槍は止められています。
ハッタリ、嘘、虚勢……私はそうしたモノで、ここまで人生を渡ってきました。
それ以外何もできない。
私には何もない。
チートはただ、人として健康で長生きできるように、それだけを願い、手に入れたもの。
今世。
私は、クソ兄貴という邪悪に屈した時、後悔しました。
どうして単純な暴力に対抗できる能力を願わなかったのだろうかと。
その後悔が、ここでまた、再燃してきます。
「ひっ!?」
「その壁、槍を通さぬ絶対の障壁か。面妖なり」
「ナハト様! 槍を下してください! お願いですからぁぁぁ!!」
「攻勢を緩めるは即ち死! 化け物と対するが戦場の鉄則である!!」
「だ、か、ら、あたしは化け物なんかじゃ……ひぇぇぇ!?」
横薙ぎの槍が、アリスの左の横っ腹、ギリギリで止まる。
「アリッ……もがっ!?」
「ダメですっ、ティナ様!」
後ろから身体をひしと抱きしめられ、その腕がそのまま私の口を塞ぎます。
そのまま少し、後ろに下がらせられ、戦闘が行われている場所から三十メートルは離れた位置まで来ると、サーリャは真剣な表情で、囁くように私へと語りかけました。
「先程、アリスと約束したばかりです。私はアリスを見捨てても、ティナ様を守ると」
見捨てる!?
「サーリャそれじゃ……んぐっ!?」
「お願いですから!」
心臓が跳ね、そこから転び出そうになった言葉を、小声でありながらも強い口調の声が遮ります。
「……お願いですから、ティナ様はご自身を大事にしてください。なんでもないことのように、軽易に、要らないものを投げ捨てるみたいに、ご自分を危険にさらさそうとしないで下さい。長生きが、したいのでしょう? しましょうよ。私も、そんなティナ様の人生に、何年でも、何十年でも……永遠でも……ずっとずっと付いていきたいです。私……は、ティナ様に万が一のことがあったら……後を追いますよ? あの世でもどこでも、またティナ様にお仕えするために、サーリャも後を追って世を儚みますからね? 嘘偽り無く、そうします。もし、ティナ様がその覚悟を疑われるのでしたら、その覚悟を見せればティナ様が生き延びようとしてくれるのであれば、今すぐにでもこの短剣で、喉でも心臓でも突いて、私の忠義の証としてしまいます」
「な、に、そ、れ……」
真剣に深刻に真摯に……シリアスに……サーリャは軽易に、要らないものみたいに、自分の命を私の方へと放り投げてくる。
私がそれを受け止め切れないのであれば、それが地に落ちて、潰れてしまってもいいとでもいうかのように。
……バカなこと、言わないで。
「行かないで……お願いですから、死地へ赴こうとしないで下さい。アリスを信じましょう。ティナ様はその発想力、物怖じの無さこそ脅威ですが、アリスのように身を守れるわけではないのです」
「……自分の身すら守れない人間の、何が脅威なの?」
「それがわからないから! そのことがまるでわかっていないお嬢様だから! あちらへ行かせるわけにはいかないのです! ティナ様……アナベルティナ様……サーリャは貴女を愛しています。仕えて二年、この時が永遠に続けばいいと願うほどに」
「サーリャ……」
私こそが脅威?……どこが?……どこがだよ……。
鍛えても筋肉の付かない細い身体、自由の少ない(下級)貴族令嬢という立場、転生者のクセに、現実的問題の解決に役立つチートは(直接的には)持たない。
……どうして私はこんな時、無力なのだろうか。
ただ長生きをしたいと。
あの夜に、長生が祈ったように。
ただ長生きがしたいと。
ただ満足できるまで生きたいと望んだのが、間違いだったのだろうか?
「ティナ様。あの方……ナハト隊長には、現状、私達を人質にとろうとする意思がないように思えます。それが武人としての誇りからくるものなのか、それともその必要を感じてないだけなのか……それはわかりませんが、今この時は、この状態がベストです。ティナ様が下手に横槍を入れて、人質にとられでもしたら……ティナ様」
「……え?」
「ティナ様は、わかっておいでですか? アリスは、ティナ様を人質にとられたら、そこで終わりです。おしまいなんです。ティナ様を助けたくば死ねと言われれば、アリスは即刻、自死を選択してしまうでしょう。アリスは、ティナ様を、それくらい大事と思っているのです。それが……わかっておいでですか?」
「そんなことは……」
「ティナ様……どうして……どうしてそこだけが、そのことだけがっ!……貴女にはわからないのですかっ!!……どうして……どうしてそんなにも自分を貶めるのですっ」
「あの男が、私達を人質にとらないのは……私達がアリスの人質にはならない、人質にとっても、交渉材料にはならないと思われているからじゃ……」
「ええ、そうかもしれませんね。それはそうかもしれません。ですが、真実は違います。アリスは、ティナ様の身柄を押さえられたら、そこで終わりです。どうしようもなくなります。私もです」
「だからそんなことは」
「ティナ様っ! 私を信じられませんか? 私はティナ様を愛しています。私は私の命よりティナ様の方が大事です。証明しろというなら、この短剣でいつでも証明できます!! したらいいですか!? しますよ!?」
「やめ……て……」
「何度でも言います。私はティナ様を愛しています。だからわかるんです。アリスもそうであると。アリスは、ティナ様のお命を守るためであれば、その命、いつでも投げ出してしまえるのです。そのことだけは、どうかアリスのその覚悟だけは信じて……信じてあげてくださいっ……」
抑えた声で。
震える声で。
サーリャは激情を吐露する。
「そんな……ことは……」
だけど響かない。
当惑するばかりの私に、その言葉は響かない。
勘違い、しないで……残念なメイドさん……。
心が弱々しく……それでも確かに……反駁を呟いている。
サーリャの命より、私の命が大事?
アリスの命より、私の命が大事?
そんなこと、あるものか。
だって私は、サーリャが死んだら、その後の私はもう、ぬけがらだもの。
だって私は、アリスが死んだら、その後の私はもう、からっぽだもの。
そうだよ。
ミアだけじゃない。
私という人間は、もう、ミアがサーリャがアリスが、生きていてくれなければ……成り立たないんだ。
私は、弱い。
サーリャが死んでも、アリスが死んでも、ミアが死んでも……私は死ぬ。
好きになった人達が、大好きな人達が、死んでも生きていけるほど、私は強くはないんだ。
大事な人の死を乗り越えて強くなれ?
無理だよ。
そんなシリアスには……まだ、耐えられない。
サーリャの想いが……私というちっぽけな器には入りきらない。
いつかは私も……例えばそう、親の死に目に立会い、見送るという……そういう試練を、乗り越えていかなければならないのだろう。
だけど私は、前世までをも含めても、そんな試練は乗り越えてこなかった。
むしろ私自身が……俺自身が、親の試練になってしまった。
父さんが、母さんが……俺の死を乗り越えてくれたか……それを、私は知らない。
乗り越えていてくれてたらいいと……思う。
だけど、本当に俺の死を乗り越え、今も楽しく暮らしているのだとしたら……それへ寂しさを覚える……子供じみた自分も、確かにいる。
仕方無いから。
人は死ぬから。
いつかは別れが来るものだから。
それに耐えることも、人生には必要なのだろう。
でも。
それは仕方無いだけで、耐えなければいけないだけで、望んでそうしたいわけじゃない。
望んでそうなってほしいわけじゃない。受け入れるに易いことではない。
『仕方無い』が壊せるなら、それはそうしたいんだ。
壊せるなら夜を花火で、打ち消せるなら闇を光で、私はそれをそうしたいんだ。
サーリャを失ったとしたら……もうアリスを失ってさえも……その命を背負って、強く生きていけるほどの器が、私にはない。まだ、無い。
それに応えられるだけの自分が、ここにいないんだ。
私は弱いから。
まだその『仕方無い』には、耐えられないんだよ。
そんな無駄死には、許したくないんだ。
サーリャ。
だから違うんだ。
ここにいる私は、大好きな人の死さえも糧に成長して、やがて世界を変革する英雄となる……そんな大層な人間なんかじゃないんだ。
私はただ幸せに長生きがしたいだけのちっぽけな人間なんだ。
だからサーリャもアリスも死んではいけない。いけないんだよ。
私は、私の命と同じだけ、本当に全くの同値、同数値、サーリャやアリスの命が大事なんだ。
だって……それがなければ生きていけないのだから、当然でしょう?
私達は、等号で繋がっているの。
「大丈夫です。アリスの結界は、竜の突撃すら止めたのですよ? それに、お嬢様、人間には体力の限界というものがあります」
まるで、彼女の所見を承諾したかのように黙り、心の中でだけ、子供じみたことを呟いていた私に、サーリャは、少し落ち着いた様子で「あんなに」と、超高速で動き回るナハト隊長を指差しました。
「あんなに、激しく動くことなど、もって数分でしょう。横槍を入れるならその後です」
珍しくまともな提案を、愛おしくも残念なメイドさんが……する。
確かに。
この世界の魔法は、いわゆるMP制ではなく、つまりは魔力切れという概念が無いように思える。
それと比べると、物理の武力には当然ながら体力、スタミナという限界がある。
あそこまでの運動量を、あれだけの瞬発力でこなし続けていれば、そりゃあスタミナの切れも早いでしょう……普通ならば。
それに。
『だーから言ったでしょ。自分にかけるなら、この手の魔法は凄く便利なんだって。なんならお腹ぶっ刺されても数十秒で治してみせるよ?』
アリスは、かなりの怪我でも、自分のものであればすぐに治してしまえると言っていました……ならば、一撃を喰らえば終わりという戦いでも、ないということです。
ですが。
だけれども。
『特に、ナハトという男にはユミファを制するだけの力があった。彼はね、あれで傑物だよ? 異能の類を何も持たず、単純な武力だけで魔法使いを圧倒できる人間というのは、少ない。おまけに何の因果か、魔法に対する抵抗力もめっぽう高くてね。安寧のムーンストーンが効果を発揮するか、多少不安だったぐらいだ』
あの男の言葉。
そして。
「……どうしてアイツは寝てないんだ」
アリスを追う前、キルサさんが目覚めた時、あの男は確かに眠っていた。
この状況下で、しかし何事もなかったかのように目覚め、あの動きができている。
それだけでも、あの男が化け物に思えてくる。
アイツは本当に、数分で体力が切れるのか?




