23話:『第三王女サスキア』
<カナーベル王国第三王女サスキア視点>
『これで本当に、上手く行くのでしょうか?』
『■■■■■■、■■■、■■■■■』
『そうですか……それではもう少しで私は私でなくなってしまうのですね』
『■■■■■■■■?』
『いいえ、ナハト様と結ばれるためなら、私は全てを投げ打つと決めたのです。今更引き返せません』
『■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■』
『はい……もう決めたことです。私は……キルサさんと入れ替わります』
男性でありながら、どこかイントネーションが女性のような、そんな声が頭に、いいえ心へ直接話しかけてくるかのように、響きます。
『■■■■■■■■■■■■■』
『はい……ええ、わかっています』
王家に伝わるマジックアイテムのひとつ、念話のダイアモンド。
竜一匹をまるごと、超高温の魔法の炎で炭化させたモノなのだそうです。
聞くところによれば、人間でも動物でもモンスターでも、生物を一定の高温で燃焼し続けるとダイアモンドに変わってしまうのだとか。不思議なものですね。
念話のダイアモンドは、遠く離れた相手といつでも連絡の取れる便利なアイテムですが、残念ながらそれが可能となるのは、相手が魔法使いか、または同様のマジックアイテムを持っている場合に限られます。
ゆえに魔法使いを排斥し、マジックアイテムを秘匿する人間社会においては、なかなかの活躍の場が与えられない、残念な代物といえます。せめて王家に、もうひとつ同じアイテムが伝わっていればまだ違ったのでしょうが……残念ながら、これはこれひとつです。
第三王女である私が戦場へ持ち出しても誰も咎めない程、今の王家においてこれの扱いは軽いのです。
『■■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■』
『ええ、あの子も今頃眠っていることでしょう。安寧のムーンストーン。その効果、確かに』
占星術師ティア。
彼は何者なのでしょうか?
念話のダイアモンドの持ち出しを奨めたのは彼です。
自分もまた同様のマジックアイテムを所持している、だからこれを持っていけば、いつでも連絡が取れるからと……そう言われました。
そしてまた、安寧のムーンストーン、置換のキャッツアイという不可思議なマジックアイテムを与えてくれたのも彼です。
ですが彼は、筆頭占星術師という国の要人ではありますが、貴族ではありません。
侯爵以上の貴族の間にのみ伝わるマジックアイテムを、どうして貴族でもない彼が二つも三つも所持しているのでしょう?
『■■■■、■■■■■■■』
『はい……では後は全てが成った後で』
いいえ。ここまでくればもう薄々理解しています。
彼は魔法使い。人間の魔法使いなのでしょう。
エルフが変身魔法を使っているなんてことはありません。
これは公爵家の貴族でも知らないことですが、我が王家には、変身魔法を見破ることのできるマジックアイテムが伝わっています。
王宮に招かれる可能性がある全ての人間は、そのマジックアイテムの審査を通ってきているのです。
彼は人間、それは間違いありません。
だから彼はそう……人間社会に存在することが絶対に許されない……人間の魔法使いなのでしょう。
ですが。
今更、それがなんだというのでしょうか。
私は、第三王女の身分すらも捨てて、恋に生きると決めたのです。
全ては愛しいあのお方と結ばれるため。
私はキルサさんと入れ替わり、その身体であの方と愛し合うのです。
ああ……あの精悍なお顔、細身でありながらしっかりと鍛えられた身体、極上の弦楽器が響くような声……。愛しくて、恋しくてたまらない、あのお方。
置換のキャッツアイはたった一度しか使えないマジックアイテムで、効果を発揮した瞬間に砕け散ってしまうのだそうです。安寧のムーンストーンもそうでした。美しい輝きを放っていたあの宝石は、その効果を発揮した瞬間に砕け散ってしまいました。
機会は一度だけ。
ですがその機会をくれたのは、人の世では忌まれる存在、魔法使い。
だから、私だけは、そんな彼に感謝しなければいけません。
私の、人の道から外れた恋を、人の道から外れた存在が助けてくれた。これはそういうことなのでしょう。なんて素晴らしい。なんて詩的で、運命的なことでしょう。
そうです、これは運命だったのです。
私があの方に惹かれたことも、この想いの成就を援ける魔法使いが身近に存在していたのも、ええ、そうなるよう天が配置した運命だったのです。
私は、置換のキャッツアイを握り締め、愛しい彼と、その恋人……いいえ、私の新しい身体……が眠っているはずのテントへと足を踏み入れ……。
「!?」
慌ててその足を止めます。
テントの中に、誰かいます。
眠っていない、覚醒していない誰かが。
「隊長……起きてください……んくっ」
中から、いやらしい声と音が聞こえてきます。一瞬、視界が真っ黒に染まりました。
「どうして……どうして? 愛し合うもののキスじゃダメなの?」
その声に……私の中で何かが燃え上がります。
黒い炎が、メラリ、メラリ、揺らめいています。
どうして。
どうして。
どうして。
どうしてその場所にいるのが私じゃないの?
どうして。
どうして。
どうして。
貴女が彼に愛されるなんてことが、許されるというの?
この私でなく、生まれの卑しい、品の無い、知性の足らない、豚のようなあの者が。
「……ごめん、そろそろいいかな?」
「隊ちょおぅ……」
情けない声、情けない姿。
貴女に彼は相応しくありません。
そんなの間違っています。
頭の中が今度は真っ白に、いいえ、真っ赤に染まっていきます。
「し、しっかりしてください!」
「女である前に竜殺しであるというなら、今はその本分を果たしてください! これが黒竜の魔法である可能性もあるのですよ!」
「今は一緒に来てください! 第二王子殿下、第三王女殿下の無事を確認しにいきますよ!」
「……そうだな、すまない」
……いけない。
中の三人が、出てきてしまいます。
どうして彼女達が起きているのでしょう。
どうして彼女達が、安寧のムーンストーンの効力から逃れられているのでしょう。
疑問が、疑惑が、膨れ上がっていきますが、今はそれどころではありません。
慌てて、テントの入り口とは反対側の陰に隠れます。
そのまま息を潜め、彼女達が去っていくのを待ちました。
……どうやらやり過ごせたようです。
ですが、キルサさんがなぜか起きていました。
恨めしいそのうしろ姿に、手頃な石を拾って投げたくなりました。でも我慢します。
置換のキャッツアイは、相手の意識が無い時でなければその効力を発揮しません。そう固く注意されています。
そのための、安寧のムーンストーンでした。
そしてそのための、この戦場への随行です。
王宮で安寧のムーンストーンを使おうものならば、必ず大騒ぎになります。効果範囲の問題ではなく、人の密集具合の問題で。集団睡眠の範囲から漏れた方々による大騒ぎが始まってしまいます。だからといって、王女が一兵卒とその補佐官を、周囲に誰もいない場所へなど呼び出せないでしょう。
それに……入れ替わった後にすることを思えば……場所は戦場である方が都合がいいのです。戦場は誰が死んでいても不思議ではない場所です。それがたとえ、国の第三王女、その肉体を持った誰かであっても……。
安寧のムーンストーンは、もはやこの手にありません。
であるなら、その効果時間……一夜が暮れて明ける程度の時間と聞いていますが……の間に、もう一度キルサさんの意識を奪う必要があります。
……どうすればいいのでしょうか?
『……ティア様、緊急事態です。応答できますか?』
『はい……ええ、そうです。聖女とその侍女が一緒でした』
『まさか。本当に?』
『はい……はい……えっ!? そ、そのようなものが?』
『人をゴブリンに変える薬……恐ろしい』
『証拠を全て隠滅……つまり……』
『いいえ、私はこの愛のためなら何でもすると決めたのです』
『解毒薬?……え? はい……ここに多くのゴブリンに対処できるほどの酒類は……違う? 確実にゴブリン化を防ぐ薬?……用意周到ですね……後始末のため……そうですね……はい、それもあの者から受け取れば……はい……ええ……わかりました……その時に』
『ゴブリンへの変異は……真夜中になりますね。ムーンストーンの効果……はい……この地は夜明けと共にゴブリンの地獄に……いいえ、やります』
『わかっています。私はもう引き返せません』
『引き返せないのであれば、最後までやりきるだけです』
『……どうして私は王女などという身分に生まれてしまったのでしょう』
『そのようなものより、好いた男性に好かれる身分こそ、必要なものだというのに』
『王族なんてつまらない。贅沢な食事? 食事なんて三食とほんの少しのデザートがあればそれで十分でしょう。華美なドレス? 毎日の氣分に合わせて着替えられるだけで十分でしょう。王宮? リビングが十程度、応接室と使用人の部屋、自分と旦那様のための部屋が四、五個あれば十分でしょう』
『は? そんなわけがないでしょう。それとも貴方は、この国が豊かではないとおっしゃりたいの?』
『ええ、わかればいいのです。いつかあなたの恩には報いますよ。私の魔法使い様』
『全ては愛のために』
『全ては恋のために』




