22話:王家の権威は守らねば
アリスが鉄火場に赴いてしまった。
私とサーリャを置いてけぼりにして。
とはいえ、だからといって、間違いなく足手まといになるだろう戦いに、無理矢理参軍しに行くわけにもいきません。
確かにアリスは強い。摂氏百度を超える熱を一瞬で生み出すことができるし、自分の傷を一瞬で治したりすることもできるそうです。
パザスさんの実力はわかりませんが、まずは体格の話をすれば、黒竜とパザスさんのソレはほぼ一緒くらいでしょう。そうでなければ、この二体が同一なのではないかという疑惑も、生まれないでしょうから。
パザスさんの体長が、翼や尻尾などを除けば大体十メートルくらいだったでしょうか。翼を広げると、横幅はその三倍以上だと思います。そのサイズの竜が戦い合うのです……どういう戦いになるのか、何が勝負の決め手となるか、なにも想像つきません。前世の私は特撮系には疎いタイプのオタクだったのです。キングギ●ラって竜ですかねあれ。ヘルプ、エイジツ●ラヤ、ギレ●モ・デル・トロ、オアヒデアキア●ノ。
どちらにせよ、私はこれを追えません。
あの隊長さん辺りに、黒い竜とも話せるかもしれませんと嘘をつけば、討伐隊に同行すること自体は可能な氣がします。
ですがそれをした先の方策が見つかりません。話せたとして、何を話せばいいのでしょう。
黒竜……おそらくはエンケラウの愛竜ユミファに、どれほどの知性があるのかさえ、わからないのですから。
私のチートが、黒竜ユミファへのなんらかの対抗手段であるとして、私自身、それをどう使えばいいのかわかりません。知りません。
わからない、知らない、どうすればいいか不明。
不確か、不鮮明、不安定。
こんな状態で安易に、軽易に動くわけにはいかないでしょう。
あぁ……だからか。
だからあんな唐突に、速攻でいなくなってしまったんでしょうね、アリス。
私に、深く踏み込まれると厄介だから。
なにそれ。
なんだよそれ。
格好、つけないでほしい。
討伐隊は、たとえ竜に知性があり、これを穏便に説得できたとして、そうであっても竜の討伐をやめたりなどはしないでしょう。竜の素材が魅力的というのは勿論そうですし、王家が動いてるのです。誰の目にも明らかな戦果が必要です。なにがあっても黒竜を倒す……いえ殺そうとするでしょう。
つまり、私が黒い竜と話せたらなんだという話でもあります。
私が話し合い以外で、役に立てるかもしれない可能性は、アリスがその胸に抱いたままどこかへと行ってしまいました。
ダメです。やっぱり私にできることが無いです。
となれば、アリスとパザスさんが黒竜を打ち倒す、もしくはなんらかの和解をしてこの地より去る、というのを期待するしかありません。アリスとパザスさんがやられたら、その後討伐隊が黒竜を討ち取ったとしても、それは私にとってバッドエンドです。
ただ待つしかない?……それって、でも……辛い……。
……辛い?
……バッドエンド?
それを想像すると胸が苦しくなる?
アリスが心配?
どうして?
私は……アリスを失いたくない?
私が……アリスを積極的諦めで受け入れてたのは、いつか男性に戻るためのひとつの手段としてキープする……そんな打算があったから……じゃないのか?
気まぐれに懐いてきた猫の、その可愛さに、しょうがないなぁと受け入れてしまったような……そんなモノ……で……。
ならば、気まぐれに去ってしまっても、私はそれを受け入れるしかなくて……。
死を悟るといなくなるという、猫でも見送るかのように……。
いや……。
違う。
違うでしょ。
アリスは人間だ。ハーフエルフの人間だ。猫じゃない。
私はこの一ヶ月と少しで、アリスが、意外と寂しがり屋なんだなって気付いてしまっていたじゃないか。
ずっと一緒にはいられない、私達との時間を、でも今は愛おしいと思ってくれているんだろうなって、気付いてしまっていたじゃないか。
だからことあるごとに私達の輪に入ろうとし、悪ふざけにも積極的にノってきたんだよ。
そうだよ。
そういう時間が、欲しかったんだよ。
わかる。
その気持ちは、よくわかる。
若くして病院の囚人となり、「普通」でない人生を送らざるを得なかった、前世の俺を含めての「私」には……よく、わかるんだ。
それは恋人が欲しいとか、結婚したいとか、そういう話じゃない、それどころか親友や友人が欲しいとかでさえも、ない。
誰かと「普通」に笑えあえる、その「時」が欲しい。
それが「瞬間」でもあっても構わない。限られた時間で構わない。
今世の私ならば、ミアやサーリャとおしゃべりしたり、鍵盤楽器を弾いてあげたり、一緒に連弾したり、季節の花を一緒に愛でたり、それで詩なんか詠んでみたり、ちゃんとしてない時間につまみ食いしてみたり、ちゃんとした時間に一緒にご飯を食べたり、ミアの、サーリャの成長を確認しつつ裁縫チート様に活躍してもらったり、そういうの。
かつてはオタクだった前世の俺ならば、今期のアニメはあれが一番だねとか、俺が今ハマっているVは誰某だとか、あのゲームのここがクリアできなくてさー、とか、ガチャ爆死したー、とか、ネット小説界のレジェンドの中ではやっぱり無職●生が最高だよねとか、いやレジェンドの至高というならスライムだろ、エタっちゃったけど謙虚も良いよな、とか、いやいや、それらは確かにレジェンドだけど、今だとこういうニューカマーが熱いからさ~、とか、まぁ……そういうの。
それが、アリスにとっては、私達との悪ふざけだったというだけの話だ。
他愛ない話でいい、他愛のない言葉でいい。
見る人が違えば、「こいつら気持ち悪い話してんな」「こいつら気持ち悪いな」と切り捨てられてしまう、何の役にも立たない、どうでもいい話でいい、そういう言葉でいい。そういう「普通」を語り合って、言い合って、喋り倒して、ふざけあって……それがいい。そういう「普通」がもっと欲しい。
その希求、その祈りを、私はよく知っているじゃないか。
私は、ルカからアリスを守った時……その背中に何を見た?
あの細い背中は、いつか見た背中だ。
どうしようもなく「普通」がほしくて。でも得られなかった背中だ。
だから私は、他愛のない話にグイグイ入って来るアリスに、どこか懐かしさと共感を覚えていたんだ。
それはまるで、かつての自分自身を見るかのようで、どこかへ行ってほしいとも、邪魔とも思えなかった。
それは好きとか嫌いとかじゃなくて。
そんな感情に発展するには、まだ全然時間を重ねてなくて。
でも。
けど。
それでも。
いつか別れが来るのは仕方無いけれど。
普通の、今の時間は楽しくて。
普通な、今の時間が楽しくて。
それは。
アリスとの時間は。
……ああ、そうかクソ。
それは私も、今の段階でもう、私だって失いたくない、無くしたくないと思える何かではあったのだ。
……どうして不意打ちみたいなキスだけして行っちゃったんだよ。
ずるいよ。自分の気持ちだけ勝手に押し付けていかないで。
もう無事に帰ってきたらお返しするから。三倍返しだから。
だから……だからどうか無事に……お願い。
「ティナ様」
「……ん?」
アリスが発ってより半日が経過しての夜、机の周りを意味もなくぐるぐる回りながら物思いに耽ってると、サーリャが私を現実に引き戻しました。
半日の間に、聖女のお役目的な意味でしていたことは、省略してしまいます。
まぁ、第二王子に挨拶しに行ったり、その両脇に侍る目が死んでる感じの女性二人に、大変ですねと思ったり、私が見ている前でも彼女らの胸と尻に手を回し、這わし、サスサスモミモミしてる第二王子の姿を見て、うげ気持ち悪いと思ったり、こちらへも向いた舐めるような視線に怖気がしたり、鳥肌が立ったり、その直後「顔は良いが、気が強そうなのと、身体が物足りぬのが残念だな」と呟かれたりしたり……だからその両脇に侍る女性のような扱いは、どうやら求められないようだなと安堵したり……まぁ、そういうどーでもいいことしか起きていません。どーでもいいことにさせて。
サーリャ? テントの外に待機させましたよ。テントの中へは、代わりにサーリャのパパが同行してくれました。なんでも第二王子の色狂いはそこそこ有名な話なんだとか。地方の男爵家の騎士にまで話が降りてくるのですから、相当なモノでしょう。そしてサーリャのパパグッジョブ。
……第二王子も、次男で善かったですね。カナーベル王国の将来的に。
「ティナ様、なんだか様子がおかしいです」
「……え?」
そういえば……静か過ぎる?
王家が出張ってる正規軍、そもそもが実働隊は全て特殊部隊という事情もあり、この軍は相当に規律正しく運営されていたと思います。第二王子のテント内は除いて。
だから過剰に騒ぐ兵士がいないのは納得で、静かなのはおかしくないのですが……。
それでも……静か過ぎる?
「ティナ様! お父さんが!」
テントの外から、サーリャの叫び声。
「これは……」
テントを出ると、出たすぐそばに、男爵家の騎士、私の護衛としてテントの見張りをしていたはずの三人が倒れていました。当然そこにはサーリャのお父さんもいます。腹など出ていない、大柄のイケメンお父さんです。
その彼を含め、三人の偉丈夫が全くの無警戒に土……というか岩の地面に横たわっています。
「お父さん! 起きて! お父さん!」
三人とも目に見える外傷はなく、息も穏やかのように見えます。
ですが、サーリャが割と遠慮ない感じで父の頬を叩いても、一向に目覚める氣配がないのでした。綺麗なモミジが咲いています。いやあれは葉っぱだから咲くモンじゃないんだけどさ……私もまた若干混乱していますね。
「……これはいったい」
まず頭をよぎるのが、催眠ガスなり魔法なりの攻撃を受けたということです。
今生の十三年間では、こうした状況を経験したことはありませんが、前世の二次元の思い出まで含めると、そういう推論が出てきてしまいます。名推理シーンを前に、麻酔針で眠らされるのが日常のお父さんは、健康面で大丈夫なのでしょうか。まぁアレは針が一本しかなく、三人を同時に眠らせることは出来なかったと思います。この場面だと、三人同時に眠らされていることからも、これは範囲攻撃的な何かです。
ただ、ではなぜ私やサーリャは無事なのでしょうか?
……アリス?
アリスが、もしくはパザスさんが、黒竜と対峙する際に人間の干渉を避けるため、何かをした?
これだと、私とサーリャだけ無事なのもなんとなくわかります。
「サーリャ、お父さんのことも心配だけど、まずは確認していいかな? これが男爵家の人間だけ狙ったものなのかそうでないか」
「……はい……それはでも」
まぁ、この静けさです。
というか、見える位置にある第三王女様のテント、プラスその護衛が詰める三つのテントの……見張りらしき騎士が、遠くで何人か倒れています。討伐軍全体がやられているんでしょうね。
それじゃなかったらなんらかの罠です。討伐軍全体で男爵家をハメる類の。
まぁ明らかに戦力で劣る我々に、罠を仕掛ける必要があるとも思えないので、後者はまず無いと言っていいでしょう。というか現時点でもう男爵家の騎士を排除できているのですから、罠ならこの段階で何かしらのアクションが起きていいでしょう。私とサーリャは既にテントの外に出てしまっているのですから。
あ、いいえ……この時点でアクションがない罠なら、もうひとつありましたね。
第三王女と男爵家、これを共に葬り去るのが目的なら、私が第三王女を殺したことにすればいいのです。つまり私が第三王女のテントに入ると、王女が死んでいて、その下手人が私というシナリオです。
私は聖女から一転、王族を弑逆した重罪人に転落です。打ち首獄門ならまだしも、火あぶりとか凌遅刑は勘弁してほしいです。ギロチンは人道的な死刑として考案されたモノらしいよ。
なら……。
「サーリャ、ついてきて」
「え?」
でも……という感じで第三王女のテントの方を見るサーリャ。
第三王女のテントは、男爵家のテントから三十メートルほどの距離にあります。第二王子のテントはその更に向こうで、ここだと僅かに見える程度です。
うん、そっちでも多分正解。でも最適解ならこっち。
「ナハト隊長のテントへ」
「……これはどういう了見ですか!?」
と、近くにあったロープで雁字搦めに縛られた鎖帷子の女性が、凄い形相で聞いてきます。
私は答えます。
「ごめんね。色々不安要素があったから。不安が解消されたらすぐに解くから、答えてくれますか?」
「……貴女の所業は、貴族令嬢とはいえ不当です。私は、身分こそ平民ではありますが、王国軍に所属する正規兵です! これへ、不当な扱いをするのは、すなわち王の顔に泥を塗るようなもの。貴族ならばこそ許されざる行為と知りなさい!」
補佐官、キルサさんでしたっけ。
はい、キルサさんは女性です。今朝は兜を被っていましたからわかりませんでしたが、髪はオカッパを少しだけ伸ばしたような黒髪で、ツリ氣味で切れ長の目元が涼やかです。瞳はスカイブルー。身長は多分百七十以上はあります。長身ですね。これまた第三王女様とは別の意味で、姉キャラとして負けてしまっている氣がしないでもないです。別の言い方でいうと「お姉さま」的な意味で。
「私がただの貴族令嬢ならそうだけど、私は私で王より聖女の役回りを押しつ……拝命してここに来ているの。言ってる意味がわかる? 聖女が不当で許されざる行為をしたなんてこと、民に知られたら、その方が王の顔に泥を塗っちゃうんじゃない?」
「……この無礼を不問に付せと?」
「あのね、私は聖女でも本当に武力のない小娘に過ぎないの。そんな私が日々訓練で身体を鍛えてる兵士の皆様に、勝てるわけがないじゃない。それでも、どーしても情報を引き出す必要があるならこうするしかないもん。それに、そんな小娘にあっさり捕縛されたんだーって、凄く恥ずかしいことなんじゃないかな?」
「あ、あっさり捕縛などされてない! 眠ってさえいなければ!」
「ねー、そこだよね」
まぁ、つまりここは隊長さんのテントの中です。
隊長さんは今もぐーすか寝ていらっしゃいます。
覚醒時はとても威圧的な存在感を放っていらっしゃったのですが、さすがに睡眠時は可愛いらしい寝顔です。身長が低いこともあり、こうしてみると中学生の男子みたいですね……まぁ、やはりロープで雁字搦めにされていることを除けば。
……と第三者のように言うのもあれですね。
はい、ロープで雁字搦めにしたのは私達です。セリフでも言ってます通り、戦いになったら勝てないと思ったので、ロープで縛らせてもらいました。なぜだかとても上手く縛ることができたと思います。前世でもそういう趣味があったとは思えないのですが、これも裁縫チートの恩恵なのでしょうか。
このテントには、キルサさんと隊長さんしかいませんでした。
副隊長のゴドウィンさんは、他の兵士さんと一緒に隣のテントでぐーすか寝ていました。さすがにそちらまで拘束している時間はなかったので、放置してきましたが。
そうしてから、隊長さんを頑張って起こそうとしていたのですが、なぜだか先に補佐官のキルサさんの方が目覚めてしまいました。しょうがないので尋問先を彼女に変更です。
「なんでみんな眠っちゃってるの?」
「……は? 何を言っている?」
うーん、これはさすがに白ですかね。こんな胡乱げな表情を見せられたら、さすがにこの人が、今起きてる状況について、何か把握しているとも思えません。
「もうひとつ聞くね。討伐軍の皆様は、ここにドラゴン退治に来たんだよね」
「当たり前だろう! 他に、何をしにきたというんだ!」
「男爵家の人間に敵意は?」
「ただ今膨れ上がっているまっ最中だが!?」
あー、白っぽいです。
まぁ重要人物であるところの隊長様が眠りこけていた時点で、少なくともこの集団睡眠事件が、討伐軍主導によるものではないとだけは理解できました。
けど、まぁ一応、せっかくなので、念には念を入れて尋問してみました。
それにしても頑丈ですね、このロープ。空中戦に耐える軍用仕様かナニカなのでしょうか?……そう思って、目の前で暴れる軍関係者に聞いてみたところ、なんでもミスリルを糸にして織り込んだ特別製なんだそうです。フル装備の兵士三人分の重量くらいまでなら完全に耐えるのだとか。太さ一センチ程度のロープなのに凄いですね。縄チートの出番無し。
……そんなチートが出てくる作品あったっけ? 糸チートならいくつか思いつくけど。
「うんわかった。ごめんね、いまから縄を解くけど、殴るなら今から行動できなくなるような、例えば足を骨折とかそういうのはやめてほしいかな。捕縛も困る」
「……お前は、バカか?」
わー、なんかすげーシンプルに言われましたよ!
「んー。理解してほしいんだけど、これは必要な処置だったの。私は貴方達が敵かもしれないと疑っていた。うちの騎士達も皆眠ってしまっているんだからね? こんな異常な状況で、これはもしかしたら陰謀に巻き込まれたかも……って疑うのはおかしいことかな?」
「それは……」
「その場合の最悪は、この討伐隊全体が敵だってこと。陰謀だったら王子王女はその中心になるから迂闊に近づけない。縛りあげて尋問なんかしたら、それこそ無礼千万で成敗されちゃう。だからその代わりを貴方達にしてもらいました。私に、王家への敵意はありません。これが陰謀なら、それを阻止したいとも思っています」
「おい待て、そんな厄介そうな話を私に言われても困るぞ」
頭脳労働官ではないのでしょうね、キルサさんは、難しい話を嫌がるタイプの武人さんのようです。
「キルサさん?……が職務に忠実で、その職務に男爵家への攻撃が入っていないのであれば、拘束を解いた後で、私に協力してほしいです。拘束を解いたら私は弱者で貴女は強者。だけど身分だけでいえば、今だけは聖女であることを含めて私の方が上です。私は貴女に失礼を働きました、それはごめんなさい。だから貴女も、私を殴るなり蹴るなりして、失礼していいです。それでチャラにしてください。そしてチャラにした後は、この事態を解決するため、一緒に動いてほしいです。だから足を折るとかそういうのはやめて。顔や腹なら構わない。どうしても腹に据えかねているというのであれば、私の顔へ、酷い痕が残るような傷でも創ってください」
言った瞬間、キルサさんがギョッとした顔を私へ向けました。
「お前は……何を平然と顔に傷を創っていいなどと……正氣か? まともな結婚ができなくなるぞ?……というかそちらの侍女から……そんなことしたら殺すぞてめぇ……という類の殺氣が飛んできているのだが?」
「……サーリャ」
「……すみませんお嬢様」
「もう一度言うよ。人間には感情があるから、貴女が私へ怒りを向けるのは仕方ないです。だけど殴るのは私がこれから……聖女として行動するのに支障がない範囲にして。これを約束してくれないのなら、その縄は解けない」
お願い……と頭を下げる。角度的には多分三十度くらい。
「……はぁもういいや。わかった、縄が解けても何もしない。約束する。故郷の父と母の名に誓って約束する」
「殴らないの?」
「殴らねぇ。女を殴ったら拳が汚れる」
「……貴女も女性では?」
「私は女である前に竜殺しだ。竜を殺るための拳で女は殴らん」
なにそれかっこいい。生きていたらクソ兄貴にも聞かせてあげたかった。
拍子抜けするほど、あっさり説得完了できましたね。
この反応は……ふむ。聖女認定されておいてよかったってことでしょうか。
まぁお咎めなしっぽいので、特に焦らすこともせずに、キルサさんの縄をしゅしゅっと解いてしまいます。どう考えても前世の俺にこんな技能があったとは思えないので、これはチート由来の能力ですね。帯の結い方の知識はなかったのに、どうしてこんなモノはあるのでしょう。あの女史さん、私を緊縛師にでもしたかったんでしょうかね。
……緊縛師ってナニ?
「隊長!」
おっと。
自由になったら真っ先にするのが上司の救出ですか。部下の鑑ですね。
正直、解いた瞬間、まぁなんだかんだいって、一発くらいはもらうんだろうなぁと身構えていましたが、杞憂でした。
だけどね。
「隊長! 隊長! 隊長!?」
目覚めないんですよ。
「私達も頬を叩いてみたり、脇をくすぐってみたり、色々やってみたけど、どうしても起きない。あとはお姫様にキスでもしてもらうくらいしか思い付かない」
「……っ」
ん。
あ。
キルサさん、隊長さん……ナハトさんでしたっけ?……にキスしちゃってます。
最初はバードな方でしたが、すぐフレンチでディープな方に移行しました。サーリャが顔を両手で覆って……指の隙間から凝視しています。わかるよ、そういうのに興味深々なお年頃だよね。思春期だよね。
「私は男爵家令嬢で、お姫様ではないから遠慮したのですが……」
お、おう、あんなに激しく唇を吸ったり舐めたり……これは勉強になりますね。なんせ性知識は前世においてきてしまったので、まっさらな状態です。そっかー、ディープキッスってああいう風にするんだ~。
「……ぷはっ。私と隊長は恋人同士だ。既に身体の関係もある。幾度となく二人で夜を越え、共に朝を迎えた仲だ。キスくらいどうということもない」
「……然様ですか」
過激な告白をして、再びディープなキスに入ったキルサさんは、しばらくそのままお盛んにさせておきましょう。ラーニング終了。ディープのラーニング終了。
「隊長様の拘束も、解きますね」
まぁ、キルサさんが自由である以上、隊長さんだけ縛っておく意味も理由もありません。というか、縛った状態で起こされたら、そりゃ縛ったものへ敵意が向くって話でしょう。先程キルサさんによって実証された因果の結び付きです。私自身は若干M入ってますから縛られた状態で目覚めてもそこまで不快ではありませんけどね。嘘ですけどね。緊縛が得意ということでドSキャラにされてしまいそうと思ったので、少しバランスをとってみました。いえ敵意が生まれるかどうかはともかく、「なんじゃこりゃー!?」ってなると思いますよ、普通に。
まぁ、それは措いておいて、結婚をしたいわけではありませんが、顔に傷を創りたいわけでもないのです。Mではないので。キルサさんとの問答と同じことをして、ならば覚悟しろとなったら大変です。Mではないので。どうやら敵ではなさそうと判断できた以上、無駄な反感は買わない方がいいです。Mではないので。
「隊長……起きてください……んくっ」
どうでもいいけど……なげぇよ。いつまでディープキッスしやがってますか。
あと拘束を解くのに、貴女の身体が地味に邪魔なんですけど。
微妙に、私が隊長の身体に触れようとするのをガードしてきてる氣がするのですがね、とらねーから安心しろや。縄を解きたいだけだっての。
「どうして……どうして? 愛し合うもののキスじゃダメなの?」
「……ごめん、そろそろいいかな?」
どうにか縄を解き終わり、次のフェイズに移行したい私は、キルサさんに声をかけます。
「起きてください、隊ちょぉぉ……」
「あのー」
縄、っていうかロープはサーリャに預け、あとでどこかに捨ててもらうとします。サーリャのスカート、けっこうな収納スペースがあるんですよ。そういう風に造ってあります。縄二本、合わせて三、四十メートル分くらいなら余裕でしまえます。重さもそこは流石軽量で知られるミスリル編み込みなのか、それだけあっても壱キログラム前後くらいでした。証拠隠滅が捗る。
「きーるーさーさ~ん?」
「起きてくださいよぉ……んっ(ぶちゅぅ)」
なんかキルサさん、最終的には縄の解けた隊長さんの身体に馬乗りになって、いい感じで浸っていらっしゃってます。えっと……あのね? 今はそーゆーときじゃねーから。あとサーリャが顔真っ赤だから。
そんな感じで呼びかけてみますが、ラヴなゾーンに入っちゃったキルサさんは反応してくれません。どうしたものか。
「隊ちょおぅ……」
ただ、こうなった女性に、下手な横槍を入れるのは危険と私のチートが囁いています。
これ以上敵意を向けられるのも困ります。本当にどうしたもんでしょうか。
「し、しっかりしてください!」
と思い悩んでいたら、サーリャがいったぁあ!
さっすがサーリャ! 私にはできないことを平然とやってのける! 声は上ずってるけど!
「女である前に竜殺しであるというなら、今はその本分を果たしてください! これが黒竜の魔法である可能性もあるのですよ!」
おっとサーリャ選手! 男に馬乗りになってるキルサ選手のお尻にパーンいったぁ!
キルサ選手! なんだか「ひゃんっ」って感じの可愛い声で鳴いたー!
「今は一緒に来てください! 第二王子殿下と第三王女殿下の無事を確認しにいきますよ!」
「……そうだな、すまない」
キルサ選手、思ったより素直だー。すげー。
……でもこれってサーリャの、胸部装甲を含め、女としての攻撃力込みでの結果だよね。
私がお尻パーンなんてしようものなら、きっと逆ギレされてますよ。正論でも子供に言われたらムカつくってアレですね。見た目は子供、頭脳は大人の悩ましさです。キック力増強シューズであの死神……もとい名探偵を蹴飛ばしたい人、結構いるんじゃないでしょうか。やめたげて。
「ここもか……」
そんなあれやこれやがありまして、ここは第二王子のテント……の外です。
中ではお尻パーンでしょうきにもどったキルサさんが、実状を検分しながら実況見分しています。
私とサーリャは、その入り口で、中の様子に聞き耳を立てている状態ですね。
先程テントの中に入った時、チラッと見えた第二王子は……えーと。
ごめんなさい、ちょっとコンプライアンスにひっかかりそうなので言葉を濁しますね。
そこには第二王子と、覚醒時には死んだ目で第二王子の両脇に侍っていた二人の女性が、眠りこけていました。
二人の女性は、裸ではないものの、肌色成分の多い格好をしていました。
そんでもって二人とも、椅子に座る王子の股間の辺りで、お互い頭をつき合わせにして寝ていました。王子王子、お二人の頭が無かったら大事なところが丸見えでしたよ。テントの中とはいえ、ズボンはちゃんと履いた方がいいですよ。
さて、この三人はなにをしていたんでしょうね。
ヒントは、キルサさんがその状況を一目みるなり、持っていた短い槍を地面に刺し、私達をテントの外に追いやったことです。
お子様にはまだ早いのだとか。
わかりました、私は大人なので見なかったことにしましょう。自分がする側の性別であることを考えると、想像するのも嫌な行為が行われていたのでしょうね。なので想像もしません。したいことだけして生きていきたい。ミアと戯れることとか。そしてそれとは全く関係ありませんが、今ソーセージが目の前にあったら、歯で思いっきりガブリとやってしまいそうです。しっし、ぺっぺ。
「殿下、王子殿下、起きてください」
中では、さすがに愛しくもなんもない相手にキッスする氣にはなれないのか、身体を揺さぶったり、頬を平手で叩いたり……などをしているようです。
そうしてるうちに、「ええい! そこな二人! 邪魔だ! 起きろ!」という苛立ちの声が聞こえて、更にはなんだか人体が地面に崩れ落ちるみたいな音が二つ聞こえて、それから「うげぇ……」という生理的嫌悪を表明する声が聞こえて……それからまたしばらくしてから、キルサさんはテントの外に出てきました。なんだか視線を斜めに逸らしています。
「……」「……」「……ズボンはあげてきたぞ」
そうですね、王家の権威を守るというのは大事なことですよね。
職務に忠実なキルサさんには敬意の氣持ちしかありません。嫌な仕事をさせてしまってごめんなさい。
そんなわけで次は……第三王女のところです。




