2話:人生よさようなら
「そういうわけで、貴方は来世、貴族令嬢に生まれ変わります」
「はぁ」
眼鏡をかけた、一言で言うと女史風の美女が、無表情で俺にそう告げた。
そういうわけでと言われても、どういうわけなんだかさっぱりわからなかった。
でもまぁなんとなく、これは見知ったシチュエーション、ではありますね。
二次元的な意味で。
「ですが、貴方には死亡時刻、日本時間で二月二十九日二時二十九分を記念してチートがひとつ与えられます」
「はぁ……」
適当な相槌を打って、周りを見回す。
真っ暗というか真っ白というか……なんというか……何も無い空間で、地面に足が付いてる感覚が無くて、かといって浮いてるという感覚も無かった。
若干の虚脱感の中……ああ俺、死んだのか……と思う。
全身からは、辛さも倦怠感も、内臓が全部裏返ったかのような痛みも、病魔が育んだ絶望も諦観も、全部が全部、綺麗さっぱりと消えている。
何年ぶりだろうか? こんな身体と氣持ちの軽さは。
「貴方は好きなチートをひとつ選び、転生することが可能です」
「……へぇ」
いくつか確認しよう。
俺はつい先ほど、病院のベッドで短い生涯を終えた。
俺は、俺という一人称からわかる通り、だから生前は健全な男の子……ではなく、死病を患う成人男性だった。
若年性白血病。
フィクションで、薄倖の美少女となら、相性のいい病名……だったかもしれない。
だが俺は男だ。
そんな俺が、本当にフィクションだったら良かったのにって病名を、何の因果か若くして宣告され……なんやかんやで、闘病の果てに死んだわけだ。
そろそろ還暦も近い両親に、さんざ迷惑をかけ、苦しんだり、不平不満を撒き散らしたり、無様に泣いたり喚いたりして……つまりは無為に余命を消費して。
最後には多臓器不全を併発したとかであっけなく死亡した……のが(俺の体感的には)数分かそこら前の出来事である。
ただまぁ、それがまだ、夜にはなってない時刻のはずだったから……死亡時刻が午前二時二十九分だったというなら、俺が意識を手放してから死ぬまで、何時間かはかかったのだろう。
けど俺は、この意識を手放したらもう帰っては来れないと……そう悟って目を閉じたはずだ。その記憶はある。俺の右手を縋るように掴む、母親の手が温かかったのも覚えている……ごめんよ。
「反応が悪いですね」
目の前の女史?……が、はっきりしない俺の態度に、焦れたかのように言った。
「はぁ……」
それはまぁ。
そりゃまぁね?
直前まで普通の日常を過ごしていた人が、いきなりトラックとかトラクターに轢かれたとかの非日常に襲われ、唐突に死んだのなら……それはまぁ吃驚が仰天で、目が点の鳩が豆鉄砲なことだろう。
だけど俺は、ついさきほどまで死線を彷徨うという、とてもとても非日常な状況の中にいたわけで……まぁ……死んだってのも、だから当然のことであるからして……それに対する納得も、したくはないけどできなくもないわけで……つまりこれが末期の夢ってやつかなぁ……って、ある種の諦観と共に、思わなくもないのさ。
非日常から別の非日常に移っただけ。
俺の体感は、その程度のモノなのです。
「で、何? 貴族令嬢? チート?」
「はい、貴族の、令嬢で、何かしらのチートが選択可能です」
ましてやそれがこんな、とてもとてもありふれた非日常であるのならば、だ。
今時、ネット小説がこんな出だしで始まったら「またかよ」と、ブラウザバックされるレベルでありふれた冒頭じゃないだろうか。
というより異世界転生モノ、その流行の後期には、神様女神様との邂逅パートなんか、退屈である、さっさとストーリーを進めろよとばかりに、そもそも無いか省略されるのが常になっていたはずだ。
世の中、何かが流行るとそれのフォロワーが大量発生してきて、それにうんざりしたアンチが出ててきて、そんな土壌の中、流行を皮肉った何かが生まれてきたりして。
でも新しく生まれたその何かが流行ると、今度はまたそれに対するフォロワーとアンチも発生してきたりして。
そんなループがある程度続くと、最初の流行がまた「逆に新しい」「こういうのでいいんだよ」ともてはやされたりもして、まぁ流行ってのはそういうモノで。
だけれども。
でも、こういう異世界転生モノって、まだ「逆に新しい」となるには早いよなぁ。
少なくとも俺にとっては、十代の頃に親しんだ、とてもとてもありふれた非日常だもの。
これがオタクの末路、もとい末期ってモノなのかね。
我ながら業が深いわー。女神様が女史風なのはテンプレ外しだけど、普通に美人だし巨乳だしで可愛いしね。ぶっちゃけ割と好み。肉体が死んだせいか、ムラムラっとはこないみたいだけど。
「貴族令嬢にTS転生で、女史風の、女神っぽいのからチート授受ですか……俺が好きな作品にあったかなぁ……そういうの」
「女神っぽいの、ですか?」
俺も、つまりはそれなりにサブカルを嗜む人生を歩んできた。
元氣な内は……いや病床にあってもそれなりには……漫画やアニメ、ゲーム、またそれらに付随するサブカルの数々に親しみ、童貞のまま死ぬくらいには……オタな人生を歩んできた。
こういう非日常……異世界転生モノにも、それなりに触れてきた。
だけど、俺が読んできた異世界転生モノは、女神っぽい存在からチートを貰うというと、それはバトルでチートで無双で、ハーレムで俺何かやっちゃいましたかでざまぁで……まぁそんな方向性のモノばかりだった。いいんだよ、そういうので。
バトル……くっころは二重の意味でしたくないから、チートを貰えるというならそれはありがたいけれど、貴族令嬢っていうと、主に恋愛か内政か権力闘争か、そっち方向の話になるんじゃない?
そっちはアニメ化されたのとか、有名なのを片手で数えられるくらいしか読んでないから、よくわからないが……。
「もしかして、その貴族令嬢って、悪役令嬢になる予定とか、そんなん?」
「は?」
いやだって異世界転生で貴族令嬢でしょ?
俺自身は、そういうのはあまり読まなかったが、そういうのもまた、ひとつのお約束、ひとつの人氣ジャンルであることは知っている。バ●リナ様は男が見ても面白かったし。
もしかして俺、そういうのも、生きている間にもうちょっと読んでおきたかったなぁと……深層心理か何かで思っていたんですかね?
「あー……っていうか確認なんだけど、転生先って地球?」
貴族制が世界基準だった頃の、過去の地球に転生ってパターンも無くはないか?
ベル●イユのばら、母親が文庫版を全巻持っていたので、病床で何度か通読したなぁ。
フランス革命前後の時代設定だったら、マリーアントワネットには是非会って見たいモノですね。本当に美少女だったのなら言うことなし、しゃくれだったという説が本当なら……ま、それはそれで面白いか。あ、でもマリーアントワネットに転生はやめてね。波乱万丈には勇氣をもってノーと言いたい。激動の人生、いらない。ギロチン、怖い。菓子パンより惣菜パンが好き。チキンサンドよりトンの方のカツサンドが好き。
「いいえ、地球とよく似た惑星が貴方の……いえ貴女の転生先になります。時間軸は連続していますが、何万光年と離れているので、それに意味はありません」
「あー、一応同じ宇宙ではあるんですね」
変なところで現実に即した世界観だなぁ。
「物理法則を異にする程度には、異世界ですけどね」
「はい?」
「魔法がありますので」
「……」
ふぁっ、ファンタジーだー。
魔法かー。
ファンタジーだなー。
って……遥か彼方の銀河系で魔法って、それどっちかってーと超能力の分類じゃないの?
ネズミの国関連になってしまったので口にするだけで暗黒面へ触れてしまうかもしれないフ●ース的なアレじゃないの?
アレはSF? いやスペースオペラだっけ?
「モンスターもいますよ、ドラゴンとか、ゴブリンとか、アンデッドとか」
ふぁっ、ファンタジーだー。
モンスターかー。
ファンタジーですねー。
「エルフとかドワーフとか獣人もいます」
あー。
めっちゃ源流がトールキン先生っぽい、ファンタジーなテンプレ世界観ですね。
ホ●ットってまだ口にしてはいけないんだっけ? 鈴木さんが土下座案件?
「えっと、ちなみにその辺がどんな感じなのかは教えてもらっても?」
いくらテンプレとはいっても、世の中、っていうかフィクション界には、人間と商売するゴブリンとか、人間以上の知性を持つアンデッドとか、幼女化するドラゴンとか、色々いるわけで。
……ほらアレだ。
自分が末期に何を夢想するのか、しているのか。
オタな人生を歩んだモノとしては、氣になるじゃない?
異世界転生モノだって好きで読んでいたわけだし、俺は元々、そういうのにワクワクする人種の人間なのだ。
死病の苦しみは去った。
だけどまだ意識だけが少し残っている。
それは奇跡なのか、それとも死とはそういうものなのか。
俺の人生は終わった。
何も為せず、無為に過ごした意味のない人生。
ならせめて、自分がどういう人間だったのかを、この泡のような意識で見届けようじゃないか。
……そんな氣持ちがどこかにあった。
……そう。
俺はこの時、この瞬間までは、そう思っていたのだ。
これは末期の夢。
童貞オタクが、死ぬ前にとても「らしい」二次元的な夢を見ているのだと。
……だが。
……だけど。
そんな俺の、ある意味でとてもお氣楽な質問は、目の前の女史の、何か妙なスイッチを押してしまったらしい。
そして俺は、軽い後悔と共に、重い現実を受け止めることになる。
「魔法とは、マナに干渉可能な生命体が行使する、三次元的物理法則を歪め、一時的にその限界を超えた出力を得る、そうした技能の全てを総称し、呼称する言葉です」
「……はい?」
「ドラゴンは、魔法により通常以上に成長した爬虫類です。脳の大脳新皮質部位が発達し、それが肥大化した場合には、人間以上の知性を持つこともあります。ゴブリンは霊長類に寄生する細菌が、魔法を行使できた場合に発生する、寄生主の成れの果てです。大抵は、細菌の生存戦略に沿った形で、繁殖力特化の生命体になりますね。知性は細菌に制限されているので無きに等しいです。アンデッドは特殊な魔法によって発生しますが、どんな存在になるかは行使された魔法次第と言えます。ほぼほぼ普通の生命体と変わらない場合もあれば、腐敗した身体でぎこちなく動く、化け物としかいえない存在に成り果てる場合もあります」
ちょっ、この女史、喋りだすと長いよ!?
そして微妙に何を言ってるかわからねぇ!?
あとゴブリンがむしろ、バイオがハザードなアンデッドっぽい!
「いわゆるモンスターとは、このように、魔法により発生した、通常では発生しない生命体を総称し、呼称する言葉です」
「は、はぁ」
あー。
もしかしてコレ。
アレか、ソレか、ドレだ?
「ゴブリンは細菌寄生型なので、体液や粘膜の接触によって他の生命体へ細菌感染が引き起こります。雄型にも雌型にも生殖能力はありませんが、ヒト型の生命体が噛まれたり生殖行為を行使されたりすると感染し、ゴブリン化します。原因菌は緑膿菌由来である場合が多いので、肌が緑色になったりしますね。そうなると体表面に結界魔法を張りだすので、刃物が通らなくなります」
「ゴブリンえげつねぇな!?」
もしかしてコレって……俺が見てる末期の夢……なんかじゃないんじゃないの?
女史っぽい女神? の朗々たる長ゼリフに、そんな実感が強まっていく。
「魔法には姿を変える変身魔法というモノもあるので、モンスターであり魔法生物であるドラゴンが幼女に変身するのは不可能ではないでしょう。ですが、それを好んで行使する個体が存在する可能性は低いのではないかと思われます。竜にとって人間は害虫のようなものですからね。ゴキブリに変身したい人間がどれほどいるか、という話です。呪いによって幼女にされたドラゴン、というパターンの方がまだありえます」
「……呪いって?」
「普通の魔法は魔素であるマナを利用して行使しますが、呪いは対象者の生命力を魔素として行使する魔法です。人間だと簡単な呪い一回で寿命が十年は持っていかれますね」
「呪いもえげつねぇし!!」
あー、もー……これ確実じゃないか?
確実に、事実、現実なのではあるまいか?
俺オタクだけど、作り手じゃねぇもん。
こんな設定とか、それを語り聞かせてくれるキャラとか、俺の脳味噌じゃ作れないっての。
何もなせなかった消費豚をなめんな。ぶひぶひ。
「ちなみに魔法や呪いを行使できる生命体は、人間種であればおよそ一万人にひとり程度の確率で生まれてきます。エルフであればほぼ全個体が行使できますね。ただしエルフは人間種より華奢で、肉食を苦手とし、それゆえ休息や睡眠を人間種よりも多く必要とします。ドワーフは逆に、魔法を行使できる個体は一億分のいち程度ですが、人間種より頑健な身体を持ってます。獣人は過去にヒト型の生命体とモンスターが交雑して生まれた種族で、絶対数はさほど多くないのですが種類が多く、猫型、犬型、兎型、狼型など、その姿形は様々です。種族ごとに価値観も生活スタイルも、人間種との関わり方も、魔法を行使できる個体の発生率も、全く違います。人間種とエルフ、人間種とドワーフは交雑可能ですが、エルフとドワーフは交雑しても子供は生まれません。獣人の場合は種族によります。交雑可能な場合、親の両種族の特徴をそなえたハーフが生まれますが、ハーフがハーフと、もしくはハーフがハーフでない個体と交雑してもクォーターなどは生まれません。その場合、必ずどちらかの特徴へ偏った個体になります」
「トドメみたいな超絶長ゼリフ乙!」
もう、これ明らかに俺の脳味噌からは出てこない設定だよ!
これが小説だったら確実に目が滑った部分だよ! ちゅるんと!
「よくわからないけどわかった。わかったったですよハイ」
「他に、質問は?」
「あー」
いや待て、おい待て、ちょっと待て。
これが俺の末期の夢でないとしたら、これから俺ってTS転生をしちゃうわけ?
チート貰って女の子になっちゃうわけ?
そんでこんだけモンスター設定ぶちまけたからにはバトルとかしちゃうわけ?
くっころ展開は嫌なんですけど。緑膿菌由来のゴブリンとか勘弁して欲しい。病院に長期入院の後、死んだ俺に対する嫌がらせかなんかですか。
……まぁでも、バトル系ならまだいい。
チートを貰えるなら、バトル系はむしろどんと来いだ。
だけどやはりTS転生というところがひっかかる。
残念ながら俺はソッチにあまり興味が無いオタクだったのだ。
いや、ソッチにニッチな需要があることは知ってる。
アレってある意味シンデレラみたいな物語構造でしょ?
可愛くない子(男なら可愛くなくて普通ですね)が物語的奇跡という魔法で可愛くしてもらって、ひとときの俺KAWAEEE、KOREGA僕? 儂KAWAIIを楽しむっていう。
別にそれが悪いとか、全くの理解不能だとか、そんなことは言わない。
言わないけどさ……転生ってことは、だからつまり一生なわけじゃないですか。
十二時の鐘が鳴っても元には戻れないわけじゃないですか。
あー……ね?
ひとときの夢なら、まぁ俺も多分楽しめると思うのさ、具体的には一週間程度なら。
一ヶ月とかは絶対無理、生理とか味わいたくないし。お腹痛いはもう十分味わい尽くしたってばよ……まぁ末期には鎮痛薬とか神経ブロック多用したけどさ。
でも女性に転生するってことは、つまり揺り籠から老婆まで……まぁ長生きできればだけど……マジモンの女の一生をやれってことでしょ? それもプロットアーマーとか主人公補正とかが、在るか、無いかもわからない無慈悲な状況で。
それを、俺が? えー?
しかも貴族の令嬢ってアレでしょ? 貴族の義務っていうか、責務っていうか、より平たくいえば政略っていうか、結婚して子供産まなきゃなんでしょ?
子供産むためにはアレでしょ? 自分が畑側なら種側と発芽に至るエトセトラをしなければならないんでしょ? 童貞には視覚と聴覚のみで御馴染みのアレを。
想像しただけで氣が滅入る。俺は、男のケツばかり映すAVに殺意を覚えるタイプなのだ。いや別に男性性それ自体に恨みはないけどさ。むしろソロプレイ的にはお世話になりましたけどさ。
もっとこの状況を楽しむ主人公と変えてくれないかな。バ美肉を楽しめるVの皆様方とかに。いやあの辺の人がリアル女性になりたいのかどうかは知らないけど。まぁでも替われるものなら替わりたいって思った人がいたら是非、今ここへ来てはくれませぬか?
「チートで、転生先を貴族令嬢じゃなくすることは?」
「却下されます」
えー。
「その理由は?」
「単純に、私共にそれを変更する意義、理由がありません」
えええー。
「男性に変身できるチート……いや、成長すると男になるチートとかは?」
「そういう能力を持つ生物へと、直接的に変えるのは無理ですね。人体構造は地球のそれとほぼほぼ同じモノですから、男性ホルモンを投与すれば男性的にはなれます。が、薬品として人体に投与可能な男性ホルモンはまだ開発されていません。魔法的手段だと、特殊な魔法で一時的に男性になる手段なら存在します。変身魔法などがそうです。ただ、永続的な変身、変態は、どちらかといえば呪いの領分です。魔法は、他人の肉体に直接的影響を及ぼすことを不得手としていますからね。もっとも、転生先が、呪いを含め魔法に理解の無い封建国家の貴族社会であるため、魔法を行使できると知られると、ほぼ間違いなく排除されますね」
「……」
……んんん!?
なんか今、目が滑りそうな部分で凄く重要なことを、最後にサラッと言ったな!?
「ここでいう排除とは処分……つまり殺されるということです」
いやいやいや、直接的に言い直さなくてもわかりますけど!