14話:それぞれの幕引き
「あんなことで誤魔化されると思いますか?」
「う」
「お嬢様はメイドの仕事を理解されていますか?」
「うう」
「ティナ様のお部屋は私が毎日掃除しているんですよ!?」
「ううう」
「変な仕掛けなんかあったら氣付くに決まってるじゃないですか!」
「ごめんなさぁいぃぃぃ」
そういうわけで尋問されています。
時はあれより半日が過ぎまして夜。
幸いなことに、部屋にはミアとサーリャしかいません。あとキャット。
ベッドで寝ている私と、ベッドに腰掛ける二人。ぷんすか顔のサーリャと心配顔のミアです。枕元には猫のアリスが控えてました。
いやね、あの後どうなったのかは、私も知らないんですよ。
サーリャから伝え聞いたところによると、部屋を出たその足でパパとママに泣きついたクソ兄貴は、サーリャとミアからも事情が聞かれ、「お前が悪い」となり、討伐隊への合流を早められたらしい。日頃の行いって大事ですね。
……まぁ政略結婚で家のためになりそうな私の方が、クソ兄貴な次男よりかは大事だっただけのかもしれないけど、そこのところはあまり考えたくない。
今頃クソ兄貴は、駐屯先の砦に着いて、そこへ常駐してる軍医に火傷でも診てもらってるんじゃないかなぁ。知らないけど。
「パパとママにはなんて?」
「ティナお嬢様が癇癪を起こして、部屋にあった色んなものや、火のついたランプをあの方に投げつけたと。そうしたらお嬢様が興奮しすぎて貧血になったようです、と」
「……それでパパとママはなんて?」
「ご当主様は、さすが私の娘だ、と、ご母堂様は非常事態だったとはいえランプは行きすぎですね、申し訳ありません、と、いやいや、私があやつの教育を過ったせいだ。あやつの母の血を憎まないでやってほしい、と、私がそのようなこと、思うはずもありませんわ……とのことです」
「……口真似上手いね」
「恐縮です」
夫婦仲はよろしいようで、大変結構。
でもそうか……私はあの後貧血で倒れちゃったのか。
……そんな感じでもなかったけどなぁ。血、っていうか赤血球が足りなくて倒れたことなら前世でもあったけど、あの時の、痛みを伴うだるさとは根本的に何かが違った。
「で、結局、こたびのからくりは、どのようなものであったのですか?」
「……それは」
今は、私の背中にいる、アリスの感触を確かめる。それは特に逃げもせず、そこにいた。
艶やかで、触るとぬるんとする毛並みの感触。
これは幻覚らしいけど……でも、いる。
「私を信用できませんか?」
「……そんなことは無いけど」
だけどそれは、私だけの秘密ではない。私の一存でどうにかしていい問題ではない。
「おねえちゃん……」
「え?」
敬称(?)が『ちゃま』ではない、ミアの呼ぶ声にハッとなる。
「おねえちゃん、ごめんなさい」
「え?」
「なにもできなくてごべんなざいっ」
「わっ」
泣くな泣くな泣くな、もー。
ほらぁ。
「ミアは何も悪くない。悪いのはクソ兄貴。だからもー泣くな」
泣きじゃくるミアを、豊かとはけして言えない胸に抱き寄せる。こんな時でもいい匂い。
起きたての頭が、泣き声にすっきりと晴れていく。
なでなで。
「ぅー」
あーもー、この感じ、落ち着くなー。病院から実家へ帰ったかような安心感かも。玄関で消毒液のそれじゃない、もっと複雑な匂いがして、でもすぐにそれは感じなくなって、あー、帰ってきたなー……って思えるんだよね。入院は嫌いだけど、その一瞬は嫌いじゃなかった。
「ちぁ、ちがうの! ミぁは知ってたの! ミぁがおおきくなぁってからも、おねえちゃん、ボソにぃたまに時々ひぉいことされたぁって!」
「そりゃそーだろうね」
「!?……お、おねーちゃ?」
クソ兄貴は、ミアが物心付いた時にはもう、それなりに悪知恵が付いていた。
暴力は人のいないところで行われ、殴るのも蹴るのも、傷が服の下に隠れる場所ばかり。
だけど、それだって全部が全部、隠し通せるわけもない。
むしろ心がささくれ経った時ほど、ミアニウムが必要だったってもんだ。
傷が残っているのに、薄着でミアと同じベッドに寝たことがある。
背中には、もうけして消えることの無い傷もある。
それは昔の傷と言えたけど、生傷の方と合わせてみれば、何が現在進行形だったかは……一目瞭然だっただろう。ミアは発育が遅いように見えて、頭の中身は普通かそれ以上の出来なのだから。
でもミアが氣付くか氣付かないかは、どうでもよかった。
Kが付く方のサイレントナイトを氣取るつもりも無かった。
「ミアが言い出さないから、私も言わなかっただけだよ。でも言ってくれてありがとう。その謝罪はたった今、ちゃんと受け取った。だからもう氣にしないで」
「そんな! ミぁは!」
「罪悪感を感じるなら、私のお願いを聞いて。それはね、今からも、これからも、ずっと今までのように、おねえちゃんのこと、頼って、利用して。ミアは、ミアだけは、私のこと、どんな風に使ってくれても構わないんだよ」
「……おねえちゃん」
「相変わらず、貫きますね、騎士道を」
サーリャが呆れたように、でもなぜか誇らしげに言う。
「それならば、ティナ様は私のことを、もっと遠慮無く使ってください」
使ってるけどね、メイドとして。……性的な意味でじゃないぞ。
「サーリャのことは、信用してるとかしてないとかじゃなくて、感謝してるし、好きだよ」
「……それはどういう?」
「ミアも、私を助けて欲しいとか、いつか私の力になって欲しいとか、そんな風に思って仲良くしてたわけじゃない。血の繋がった妹だからでも……もしかしたらないのかもしれない。ただ好きだったから一緒にいただけだよ。ただ好きだから私が何かをしてあげたかった。それだけだよ」
「ふゅ……」「ティナ様……」
ふう。だからこの先を言うには勇氣がいるな。
多分、これは愚問。
きっと……絶対……二人は……私の望む答えをくれる。
だけど、もし……もしもだ、その答えが……私の期待していたものと違っていた場合……私は死んでしまうかもしれない。心が死んでしまうかもしれない。
三歳の、五歳の、あの時よりも、もっともっと酷く、粉々に。
これは一度ひび割れた私の心が、その上に十年近くかけて築いた最後の砦。
だけどそれが無くなれば……私はもう生きていけない。そんな砂上の楼閣。
心が軋む。
頭の中に最悪の未来がいくつも浮かんで、それが私という存在を昏く黒く、締めつけてくる。
だけど。
それでも私は。
もう縋るしかない。
赦しに。
慈悲に。
さぁ……裁きを待とうか。
「サーリャは、ミアは……私のことが嫌いになった?」
どくん。
クソ兄貴の威圧に押しつぶされていた時とは別の感覚で、心臓が跳ねる。
これを肯定されてしまったら私はもう生きていけない……そんな自覚がある。
せっかくの転生もここで終わり。夜の闇の中、私の心が花火みたいに砕け散って消え、あとのことはもう全部全部あとの祭り。
ああ……また息がおかしくなる。おかしくなっていく。
胸が苦しくて、苦しくて、一秒が一分くらいに感じられて、その感覚に心も身体も追いつかない。
心が、身体を異常動作させている。しだしている。
感情の暴走。それが身体の異常に繋がっているんだなって、息苦しい、乱れる思考の中でぼんやりと思う。
と。
……ぼふっ。
「ぐえっ」
……心臓のちょっと下辺りに、衝撃。
「おねぇぢゃんっ」
「(ぼふっ)ぐぇっ、(ぽふっ)うぇ、(ぼふっ)ぐぉ」
ちょっ、ちょっ、ちょっ!? ミア!?
「おねぇぢゃんのばかぁ!」
「(ぼふっ)ぬぇっ、(ぽふっ)あ左手はあんま痛くな、(ぼごっ)ぐげぇ」
ストップすとぉぉぉっぷミア! 右手みぞおち入ってる! みぞおち入っちゃってるから!
腹腔神経叢直撃だから! 横隔膜止まっちゃうから!
そんなことされたらおねぇちゃんイっちゃうから! 『逝』の字の方で!
「ミア様、失礼します」
「おねぇぢゃんのばかぁ! おねぇちゃんのばか……おねぇちゃんのばかぁ……ぐすん」
ほ、サーリャがミアを後ろから羽交い絞めにしてくれた。ハイムリック法じゃないよ、凄く、優しく宝物みたいに抱いて、一歩下がってくれたよ。サーリャ有能。たまに。
「ですがお嬢様も無神経です。そんなことを言われて、そんな風にお嬢様を不安にさせてしまったのかと、追い込んでしまったのかと、そんな風に傷付いてしまうミア様の氣持ちも考えてください」
「……ごめんなさい」
私もですよ……と口に出さず、視線で責めてくるサーリャに、私は素直に謝った。
……うん。
そうだよね。
ごめん、確かにお姉ちゃんがバカだった。私が悪かった。
わかっていたはずなんだ。
わかっていたはずなのに。
どうしても聞かずにはいられなかった。
どうしても、赦されたという実感を求めずには、いられなかった。
それを、ごめんなさい。
「ごめんね、ミア」
「ふゅ……」
「サーリャも」
「ふぅ……いいですよ、誤魔化したかったんでしょう? それにしては捨て身の覚悟を感じて怖くなりましたが……いいです、どうしても話したくないというなら、私は聞きません。ですが私は……私とミア様は、何があってもティナお嬢様の味方です。そのことは忘れないでください。……あと大好きですよ」
「ゎたしもだいだいだいだいだいだいだいすきっ」
う。
く。
ぐ。
な、泣かせるじゃねーか。感動なんてしないんだからね!
氣恥ずかしくなり、とっさに後ろを向いて涙を隠す。
……と。
「にゃぁ……」
あ……猫。
涙で濡れたままのマイアイズとにゃんこアイズ……視線がごっつんこしましたよ。
……猫、呆れ顔?
「みっ!」
あ、落涙を避けた。やっぱり猫だと水が怖いのかな?
と、次の瞬間。
「え?」
「なっ! 何事ですか!?」
唐突に、ベッドの上に……天蓋の上じゃなくてその下に……浮かぶ黒い鳥篭。魔法陣。
「ちょっ!?」
猫の身体が白い霧のようなものに覆われ、魔法陣が縦長に変形。
その中で猫の身体が伸び、人の形になっていく。モーフィング班! 仕事雑!
「あーもー!」
程無くして、アリスの声がした……人間の方の。
「ねこにゃん!?」
「貴女達! まだるっこしいのよ! 恥っずかしいわね! 全員が味方同士ならもういいでしょ!?」
「え? 猫が、女の子に? え? あ、でも可愛い」
「なんか色々台無しだー!?」
というわけで、魔法陣が消え失せると、そこには黒い軍服で薔薇色の髪の少女が、ベッドをぎしぎしいわせて立っていました。ちなみにスプリングらしきものは既に発明されています。サスペンションっぽいモノも。馬車の改善チートの余地もなし。
「はいはじめまして、猫のアリスことアリスはアリスですよー。さっきのクズを殺ったのは私。理解した?」
「……ボソ様は死んでいませんが」
「ちっ、汚物を処理し損ねたか」
なんだか本当に殺りたかった風のセリフと表情だけど、冗談だよね?
いえ、どうしても本当にお殺りなりたいのであれば……別に……私も……強く止めはしませんけど。
「……それでこれはどういうことなのでしょうか、お嬢様」
「ねこにゃんがアリスで、女の子がねこにゃん??」
「あー……」
「説明はティナに任せた」
「えー」
あーもー。はいはいはい、さっきまでのが茶番になりますけどちゃんと説明しますよー。も、全部、何から何まで説明してあげますよー。くっそー、巻き込みたくはなかったのになー。ちえー。
でももう仕方無い。
……私のことを好きって言った責任、取ってもらうんだからね。
えへ。
<クソ兄貴視点>
どうしてこんなことになった。
目の前で、長大な槍と、それぞれの身長程もあるタワーシールドを構えた、屈強な兵士が次々と死んでいく。
俺の目の前で死が暴れている。
黒い竜。
黒竜だ。
俺達が追っていたのは赤い竜。赤竜であったはずだ。
ならこれは目的の竜とは違うものだ。
であるなら、どうしてこのような事態になっているのか。
ははは、は、は、は……昨日まで偉そうに、貴殿は道案内だけしていればいいと言い放ちやがったクソどもが、まるでゴミのように死んでいくではないか。
高貴なるこの俺を格下のように扱った報いだ。
だがゴミの肉壁もそろそろもたなくなってきている。
これはただの調査隊。方々に分けられた分隊のひとつでしかなく、俺を含めても隊員は十一人しかいなかった。
確かに、一旦帰還し報告すべきと主張する隊長を、ここぞとばかりに臆病者と煽ったのは俺だ。さすがの俺様でも慄きを隠せないほどの猛者が十人もいたのだ。ここでその猛者を利用し、竜を倒せば俺の名声も上がる。
何が「そうだな……通常竜は逃げるものを追わない。使用魔法を知る必要もある。二名は伝令に走れ、我々は少々槍を交えてから撤退する。小手調べだ」だ!
間違っていたのは、あのゴミの小隊長の判断だ。
十人全員で当たっていれば、こんなことにはならなかったのだ。
優秀なこの俺の判断を聞いてれば死ぬことも無かったのだ。これだからゴミどもは救いようがない。
俺は蹂躙される側の人間ではない。する側の人間だ。
何を考えているんだかわからない長男のボンクラなどよりも、よほど立派に敵を蹂躙し、略奪し、家に富を持ち帰ることができたはずなのだ。
戦争はいい。己の才覚とその暴虐さだけが活躍の原資となる。
ならば俺は、戦場でこそ輝ける人間だったはずだ。
平和な世界が憎い。俺のように強く優れた息子より、良縁を期待できる娘の方が価値があるなどと、親に判断させる平和な世界が憎い。
弱く生まれるというのは罪だ。女は総じて弱い、ゆえに女という生き物は弱いという罪を背負ってくるのだ。ならば女に生まれたというだけであのクソどもは俺に服従し、かしずいて許しを請い、贖罪の悲鳴をあげ続けるべきなのだ。それが女というクソどもの義務だろう。
下の妹などは本当に見るのもおぞましい。半分とはいえ、あのようなものに自分と同じ血が流れていると思うだけで、全身を汚されたような氣分になる。
弱く生まれたものは潔く死ぬべきだ。
やつらは所詮国にたかる寄生虫。優れたものだけが血を残し、家を継ぎ、国を発展させていくべきなのだ。
戦争は世界をそういう、当たり前の形に戻してくれる。
この十年近くは平和だった。
平和な世界が憎い。俺という強者を活かそうとしないこの世界が憎い。
平和な世界では、平時の因習と法によってあのボンクラが男爵家当主となり家を継いでしまう。
あの愛国心の欠片も無い長男がだ!
そんなことは俺が許しても神が許さないはずだ。
だから俺も許してはならない。こんなにも強く健康に、高貴な血をもって生まれたのだ、俺は神に選ばれた人間なのだ。ならば俺は神の代行者として振舞わなければならない。クソどもはそれに平伏し従わなければならない。
だがこの場はもうもたない。
神は俺が死ぬことを許されないだろう。
兵士が……俺には両手でも持ち上げられない槍を振り回し、盾を自在に扱ってみせた兵士が……また一人、死んだ。
ここまでだ。
俺は逃げる。
背を見せ、走り出した俺に、分隊長が横目から冷たい視線を浴びせてきた。
いくらでも嘲るがいい。貴様はそこで死ね。
俺は生きる。生きよと神が命じている。
そうだ。こんなところで死んでしまったら俺は国に何の貢献もできない。
あのクソどもとは違うのだ。あいつらはここから俺が逃げるためにその命を使うべき下賎の輩、その程度のクソどもだ。
俺は生きて戦場で名誉を勝ち取らなければいけない。ここに名誉は存在しない。だから逃げる。当然だろう?
逃げる。逃げる。走る。
「ぎっ!?」
だが唐突に、後ろから襲ってきた白い光が、俺の全身を包み込み、焼いた。
「ば、か、な……」
全身が燃える。痛い。
全身が燃える。熱い。
全身が燃える。ありえない。
「うぎゃああ! いぎゃあああぁぁぁ! 死ぬ! じぬ! だでがだずげっ」
第二射がくる。
だがそれは、先程の白い光とは正反対の、真っ黒な焔の曲線だった。
それが俺の身体を包み込むと……。
「ぎやぁぁぁぁぁぁ!」
今度は声をあげることもできず、その場に崩れ落ちる。
竜は逃げるものを追わない? 嘘をいえ! やっぱりあの分隊長はゴミだった!
あんなやつのせいで、俺の命が。いてぇ、いてぇ、いてぇ。
あんなゴミのせいで、俺の人生が。あちぃ、あちぃ、あちぃ。
俺を助けろクソども! 俺のような優れた人間に愛された国よ! 俺を助けろ! 俺にはその価値がある! 愛してやってるんだ! ならば俺の愛に正当な対価を寄越せ!
誰でもいいから俺を助けろ! 俺を愛していたはずの神よ! 俺を助けろ! 俺にはその価値があるだろう!?
チクショウ、チクショウ、チクショウ。
なんだこれは……黒い焔の塊が……俺を……。
朽ちていく己の肉体を見ながら、俺の意識は痛みと熱さで塗り潰されていった。
<スカーシュゴード男爵家当主・エーベル視点>
「なんだと!? 我が領内に二体目の竜が現れただと!?」
「は、すでに先遣隊が三つ、我ら伝令を残し壊滅! エーベル卿のご子息様であらせられるボソルカン殿もまた焼死されたとのこと!」
「焼死!? 壊滅!?……なにゆえ、そのようなことに……この地に竜が現れるなど、歴史を紐解いても百年は無かったはずだ!」
「現れたるは赤き竜ではなく黒き竜! 私自身! しかとこの目で確かめました!」
「なんと!?」
「ふむ……伝令、ご苦労。確かに竜の出現は、王国全体でも三十年前、別の地にて現れたのが最後であったかと。我が師は、これを撃退したことが自慢で、その時の話は繰り返し語り聞かせてもらったものです」
「……さすがは対竜特別隊の隊長殿。猛者の家系であるか」
「否。師は当方の家系に連なる者ではない。当方が、この世でもっとも尊敬する戦士であり恩師だ……む、失礼」
息子の死の衝撃によって、膝から崩れ落ちそうになるこの私を、細いが鍛えられた男の腕が支える。太い紐を何重にも巻かれたような筋肉が走るその腕は、そのものが戦士であることを明確に物語っていた。
「いや、忝い……もう大丈夫だ。感謝する」
「恐れ入る」
さほど平均身長の高くない竜討伐部隊の中にあって、この討伐隊隊長はそれよりも更に矮躯である。
我が娘、アナベルティナよりも、やや大きい程度といったところであろうか。
だがその身丈より発せられる、凄まじい闘氣、殺氣は、こうして穏やかに言葉を交わしていても伝わってくる。
「……そうか、ボソルカンは死んだか」
「ご遺体の一部は炭化するまで焼かれ! 変色していましたが! 我々とは装備が違うのと、比較的原形を留めていた頭に火傷の痕があったことから、間違いないだろうとのことです!」
「申し訳ない、ご子息を守れずに」
「いや、頭を上げられよ。力及ばずはこちらも同じ。にっくきは竜である」
目を閉じて息子の冥福を祈る。
どうしようもない息子ではあったが、まだこれからがある若さで死んでしまったのは悔やまれる。少なくとも向上心はあった。
その情熱を、いい方向に向かわせられるのであれば……と思っていたのだが。
「此度の件、不可解なことが多すぎる」
「……とは?」
「先の竜、赤竜はエーベル卿のご息女をさらったという。であるが、竜が人をさらうなど、現実にはまずない話でもある。その上さらわれた人間が無事に帰ってくるなど……少なくともこの四百年の間には無かったことであろうよ」
「四百年?」
「伝承のエルフ大戦。あの時代には、亜人に飼われた竜が、その意を汲み暴れていた時代があったという。その頃には、今では考えられないようなことがいくつも起きていたとされている」
「……申し訳ない、不勉強でしてな」
「否。かの時代を記した書は多くが焚書の憂き目にあい、正しきことは失伝して正確には伝わってないとのこと。耳を疑うような伝説は、話半分に聞いておいた方が良いだろう」
「ふむ……」
ではこの者はどこでそのような知識を?
「そこにきて、此度は別の黒竜が現れたという。しかもこの竜、常にあらず好戦的で、人を見ては殺さずにおれぬような氣性ときている」
「それは……妙ですな」
「竜は、所詮魔法が使えて、図体がでかいだけのトカゲに過ぎぬ。人になにかしらの執着を持つことなど、あまり先例無きことではある。だが、完全に無きことでは無いゆえに、これだけでは不可解、とまでは言い切れぬな」
「だが偶然も二つ重なると、それは偶然ではない……と?」
「然り」
人をさらい、無事に返した赤竜。
人を襲い、確たる殺意で蹂躙する黒竜。
我が領地で……いやこの国で、何が起きているのだろうか?
<カナーベル王国国王、ベオルードIV世視点>
「星の巡りが悪い?」
「俗に言えばそのようになるでしょう、ね」
国政と占星術は切って離せない。
少なくともこの時代、この国においては、それは人心を動かし、国政をも動かす無形有為な存在である。
それを信じるか、信じぬか、そんなことは問題ではない。
占星術の結果如何によって国策の方向性が決まり、予算は消費され、民は労働し、国が動くのだ。
「十三年前、四百年に一度の蕭年の訪れによって、天体は大きく乱れました」
「……それが今回の件に関わっていると?」
戦争を始めるなら、きゃつらに勝利を約束させねば軍の士氣が上がらぬ。
士氣が低いまま戦えば勝てる戦いも勝てなくなる。
つまりはそういうことなのだ。
信じる、信じぬではない、意味が在るか無いかである。
「蕭年は凶兆の先触れとされおります。厄はそれより数十年と、天を靉靆とし蔽うものであるとも、ね。モンスターの活発化はこの予兆に過ぎぬのやもしれませぬ。先の戦おいて、浅薄な占星術師の卦が悉く外れたのは、これを知らず、盤の調整を誤ったためともいえましょう、ね」
「ほう。また仰々しい理屈をつけたものだな」
占星術師は不遜にも国政に横槍を入れてくる。
鬱陶しい、忌々しい存在だ。
だが無視してばかりでは、人心が寄る辺の一端を欠いてしまう。
信心深いものは一定の割合で存在し、その存在は馬鹿にできない。
ならば。
諮問機関の一角として、こやつらには存在してもらわねばならない。
なに、こやつらなど、間違った結果を出した時に処分すればいい。
先の戦争では粛清がはかどったものだ。
軍事は武人軍人に任せておけばよいものを。
「理屈ではありませぬよ。これは天体を観測することを、その意を汲むことを、星の声を真摯に聞くことを怠り、机上の盤のみに目を向け、それでいいと思い込んだ愚か者達への、戒告の言なのです」
「わかったわかった。次の国政会議の場ではそなたよりそう皆に伝えよ」
その意味においては、目の前の男を粛清する機会は、なかなかに訪れそうにもない。
自信満々で自分以外のものを貶める態度は、癪に障らんでもない。だが当たる占いは国に有益なものである。
当たってる内は手放す理由も無い。我が権勢の維持と向上に役立ててくれようぞ。
「それにしても、そなたの名前は、こたびの件で名前が挙がった男爵家の令嬢に似ているな」
「それはそれは……陛下に名を記憶していただけるとは、そのご令嬢も幸運なこと、ね」
「ドラゴンにさらわれ無事帰還した娘だ。祭り上げれば幸運の象徴にもなろうぞ」
「ふふ、私の名が幸運の象徴に似る、ですか……それは奇縁というものかしら、ね」
「……下がってよいぞ、祭儀庁現筆頭占星術師がティア」
「は」
<ある時は女史っぽい女神、その正体は……視点>
おやおや。
第一フェイズは、無事突破といったところ?
投資はここまで、ひとまず順調。
私は、僕は、俺は……つまり私共は言ったね?
人が株なら、チートという投資でその価値が向上すれば勝ち、価値が目減りすれば負け、私はそれに一喜一憂する、それだけの存在だと。
つまり貴女、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードは、我々の介入なしでは、ろくでもない人生を送ることが決定付けられていた人物なんですよ?
売り氣配濃厚の逆ザヤでストップ安といったところでしょうか……ごめんなさい、適当ですよ? 株式用語なんて詳しく知りませんから。
ならば我々はホワイトナイトなどでもなく、馬券か舟券かを買って、あとは決着がつくまでことの推移を見守る、ただのギャンブラーに過ぎないのかもしれません。
ですがね、感謝してくださいよ?
本来、アナベルティナ・タチアナ・スカーシュゴードは、兄の暴力によって幼いうちに心破れ、縋るように愛した妹も若くして亡くし、絶望に囚われ、虚無が儘に政略結婚を受け入れ、初産で流産してしまい、出戻りをくらって……あとは転げ落ちるようにとある悲劇に巻き込まれて死ぬ……いわば悲劇のヒロイン……そのものな一生を送る女性でした。モーパッサン先生も吃驚。
悪役令嬢転生という言葉があるなら、貴女のそれは、悲劇のヒロイン転生といったところでしょうか?
『やっぱり変な人ですね。まぁその方が面白くなりそうではありますが』
悲劇のヒロインも、それはそれで物語の王道ですし、最近のサブカルチャーでは「愉悦」なる物語の楽しみ方も知られるようになっていますからね。とことん不幸になり、とことん転落し失墜し凋落して破滅していくヒロインというのも、やはりそれはそれで人の心に訴えかける「面白さ」があるモノなのでしょう。
ですが、それを改変したらどうなるのかを、「あの時ああだったならば」を追ってしまうというのも……それもまた知性あるモノのサガ。
王道の悲劇に、涙し愉悦をかまして……それからブチ壊す……そこまでしてこそ強欲な知性の在り様といふモノに御座いましょう。
ましてやそれが、何千、何万という命に紐付いた悲劇であるというなら。
傾城の美女に等しき、国を揺るがす悲劇のヒロインであるというなら。
そう。
貴女の人生は、後に国を揺るがすとある悲劇と、宿命付けられています。
何もできず、何も持たず、心破れたままの貴女は、それに飲み込まれ、潰されるだけの一生を送るはずでした。
その貴女が、サーリャという味方を得て、ミアという妹を守り通し、高等魔法まで使いこなすハーフエルフの少女アリスをその傍らに置いたのです。
素晴らしい。
だいぶ運命が変わってきましたね。よきかな、よきかな、です。
既に結末を知った悲劇は改変し、なるだけカオスに。サスペンシヴに、ぐっちゃぐっちゃに、道がミチミチと未知な未来に。「来たれ、汝甘き死の時よ」と謳う物語はカオスへ、収束しないカオスへ、終息しないカオスへ。
来たれ、汝甘き青春の時よ。混乱と混沌の日々よ。
混沌の坩堝を、王道の悲劇と対照しながら、私共は楽しむとしましょう。
でも……貴女は氣付いているのですかね、アリスの価値に。
各種高等魔法を使えて、猫に変身もできる少女です。
諜報員として、これ以上はない程のスペックですよ。
手懐けて縦横無尽に使えば、貴族同士の権力争いや暗闘に役立つこと間違いなしです。
……まぁ氣付いていないんでしょうね。
感じていたとしても、単純な、陣営の武力アップ程度の感覚かもしれません。
表に出して使えない、威にならぬ武など、貴女の望む平穏の維持には、あまり役立ちませんのに。
まぁ、小賢しさが過ぎても面白くないですからね、いいでしょう、これからもその調子で頑張ってください。それもまた青春の愚かしさの、甘さといふモノ。
さて。
序盤良好で、これは見続けるに足る顛末であると判断できたところで。
そろそろ私も、コテハンでもつけましょうか。
ここからは本氣出す!
……いえ、真面目に観戦するかしないかだけの違いですけどね。
そうですね。
メフィストフェレス……うーん、あの人……いえ悪魔?……魂ひとつと引き換えに人間の召使になるって、どんだけ欲が無いんですかね? 魂なんて、そこら辺からちょちょいってもいでくればいいだけですのに。なんか貧乏くさいのでイヤです。
ベアトリーチェ……人を導くって柄でもありませんね。ダンテ先生の純愛を汚すようでイヤですし。
もっと卑俗なものがいいです。
下品のギリギリを攻めたいですね。
行き過ぎて退かれる、その一歩手前くらいで踏ん張ってみたいです。
俺に、僕に、私に相応しい、私共にピッタリのスラング。
なるだけ、嫌われ者っぽい方が格好いいですね。
愚かしい青春、盲目的熱情を失って久しい我々としては、中二っぽいモノがいいです。
せめて名前だけは、希求する方向に向いていたいじゃないですか。
それが実態に即するかはともかく。
いいですよね、中二病。
地球でも、何百年後かに、完全なる不老不死の技術を開発したら、その暫く後には、再評価される概念となるのではないでしょうか?
生きる死ぬで悲劇喜劇してる間は、揶揄すべき対象に過ぎないのでしょうが。
大事ですよ、根拠のない万能感って。
所詮、個人の人生なんて、肉体という観測機が見ている幻想に過ぎないのですからね。
宮沢賢治も言ってますね。わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明に過ぎない……とかなんとか。……なんで青なんでしょうね? わたくしは青臭い中二病をこじらせてましたって自己紹介? 青春と修羅道?
まぁ幻想、電燈に過ぎないのなら、根拠が在ろうが無かろうが、万能感をもって過ごせばいいのです。
それがこの時点で通算百と四回、三次元に現界したことのある私が学んだ、知的生命体を楽しく生きるコツですよ。……そういえば、前回の現界で産んだ娘は、そろそろ寿命ですかねぇ。末期にくらい、会いに行ってあげましょうか。
おっ、これがいいですね。
前回、私が地球に現界した時期、地域とも多少関わりがあるようですしね。
メアリー・スー。こんなのでどうでしょうか?
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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