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朝チュン! アブストラクト

アブストラクト=論文の概要

 結婚を前提に改めて付き合い出して、初めてのデートは、俺に任せてもらった。

 でも、電車の駅で降り立った時には、環はどこに行くのか予想がついたみたいで笑っていた。


「すごく久しぶりに来た。」


 神社の境内に入ると、環は嬉しそうに周りを見回した。


「…何年ぶり?」

「7年ぶりかな。」

「え?」


 予想外の答えに、俺は驚く。環がここで猫たちに癒されるのを好んでいたのは知っていたからだ。

確かに環は今では職場に近いところに引っ越してはいたけど、就職して2年ほどはまだ大学時代からのアパートに住み続けていたはずだったからだ。


「…初めてのデートがここだから…。」


 言いにくそうに目を潤ませる環に、俺は本当に申し訳ない気分になる。


「ごめん。環、ごめん。」


 俺が抱きしめると、腕の中で環が首を振る。


「謝るのは、私の方。私の方が圭司を傷つけたんだから、圭司が謝る必要なんてないの。」

「いや、謝んなきゃいけないのは、俺の方だから。」


 ここに来たのは、覚悟を決めたから。

 環に、俺の本当の姿を見せると決めたから。

 それで、環に嫌われたとしたら、それは単なる自業自得だ。


「環、あそこに窓があるの、見える?」


 俺は、環から体を離すと、木々の向こう側にある窓を指さす。


「窓?」


 環が俺の指をさす先を見る。


「うん。校舎の窓。」 

「校舎の?」


 不思議そうな表情で、環が俺を見る。


「あれ、俺の高校の校舎で、あそこから、この境内が見えるんだ。…だから、高校生の俺は、あそこからここで猫と戯れる環を見て、ずっと憧れてた。」

「え?」


 目を見開く環に、俺は一番言わなきゃいけない言葉を言うために口を開いた。


「環が俺と初めて会ったと思ってる日は、俺が、酔っぱらった環を見つけて、好きだって気持ちが抑えられなくて部屋に連れ込んだんだ。だから、俺にとってはあの日初めて環に会ったわけじゃない。酔っぱらった環に会ったのは偶然だったけど、あんな風になったのは、環のせいじゃなくて、完全に俺のせい。」


 俺は怖くて環の顔が見れなくて、俯いた。


「だけど、環に罪悪感を植え付けたら俺と付き合ってくれるかもって思って、そう思わせるようにした。…だから、環が持ってた罪悪感は、本当は持たなくていい罪悪感だったんだよ。本当にごめん。」


 言わないままでいる、っていう選択肢もあった。

 でも、環の隣にようやくいられるってなって、環の寝顔を見て嬉しくて涙が止まらなくて泣いたあと、俺は環に本当のことを言うことに決めた。

 環は別れてからもずっと、俺に幸せでいて欲しいと願ってくれていた。そんな純粋な環に、ずっと俺は罪悪感を抱かせていた。きっとその罪悪感は、今でも環の心にとげになっているはずだ。…7年前、俺に気持ちを残したまま俺のためにって別れを選んだくらいなんだから。

 それをそのままにしとくことなんて、できないと思った。

 それが、一度結婚をOKしてくれて喜んでくれた環をもっと哀しい気持ちにするんだって、それも理解している。


 俺は、間違えてしまったんだ。

 本当は、最初に謝っておけばよかったんだ。

 でも、謝ったら、もう二度と環の隣にいられないって、そう思ったから。

 だから、その真実を隠して、プロポーズして、その真実をなかったことにしようとした。

 環がまだ俺を好きでいてくれる、そのことだけに縋りたかったから。

 本当は、謝って、怒られて、それからまた、環との関係を作り上げるように頑張ればよかったのに。

 もしかしたら、それが環と二度と交わることのない別れになるのかもしれない。

 それでも、環が俺に抱いた罪悪感を消すことができるのなら。…最初からそれを選ぶべきだったんだ。


「…何で、そんなことしたの?」


 その声にはっとして顔を上げれば、環はうつむいている。…案の定、環の声は哀しそうに震えている。

 でも、その環を抱きしめる資格が俺にあるのかがわからなくて、どうにもできない。


「環のことが好きで好きで、でも、きっとそんなことでもしないと、環は俺のことなんて小さい子供だって相手にもしてくれないって、だから、環が勘違いするのわかってて、誤解を誤解のままにした。…俺、自分が良ければいいって、そう思ってた。…謝る前にプロポーズしたのだって、そうだ。俺、どうしようもないガキなんだよ。ごめん。本当にごめん。」


 俺にできることなんて、正直に言って謝ることだけだ。…それも、自己満足なのかもしれない。それでも、俺にできることは、他になかった。


「どうしてあの時引き留めてくれなかったの?!」


 顔を上げた環のその責めるような口調に、俺は後悔しかない。


「ごめん。」

「あんなひどいこと、口にしたくなかったのに!」


 環の目から涙がボロボロとこぼれていく。


「ごめん。環、ごめん。あんなひどい嘘つかせてごめん。」

「本当に本当に圭司のことが好きだから、だから、私の罪悪感に付き合わせちゃいけないって、圭司が私のこと見限るようにって、つきたくもない嘘ついたの。」


 環の視線が俺に刺さる。


「知ってた。ごめん。」


 俺は、環の視線を受け止めるしかない。


「知ってて否定しないとか、ひどいよ!」

「うん。ごめん。」

「あの時引き留めなかったのに、ずっと私に会いにも来てくれなかったのに、どうして今更私の前に現れたの?!」


 環が顔を両手で覆う。その震える肩を抱きしめてあげたいのに、俺にはその資格がない。


「…環の結婚相手として認めてもらえる資格がなきゃ、環の前に出ていくのが怖かった。中途半端な状態で環の前に出て行って、環に拒否されるのが怖かった。だから、環が結婚相手として考えられる立場になってから会おうって決めてた。」

「そんなの! 私がずっと圭司を好きでいるかなんて、そんなことわからないじゃない!」


 環が首を横に振る。確かにそうだ。でも、俺はそれすらもコントロールしようとしてた。


「凜さんとか会社の人とかに協力してもらって、環が誰を好きなのか定期的に教えてもらってたし、俺のこと忘れないように、俺の名前出してもらうようにしてた。…ごめん、狡いことしてごめん。」

「え?」


 唖然としたような環に、俺は申し訳ない気持ちだけがあふれて、俯いた。


「ごめん。俺、本当に狡いんだよ。この間プロポーズしたカフェに友達とかと環が来るときには、俺は2階の店から環をずっと見てた。俺は6年間ずっと環のこと見てた。…ごめん。気持ち悪いよな。…本当に俺、どうしようもないバカだ。」


 自嘲する言葉しか、俺からは出てこない。


「ひどい!」


 環の言葉がぐさりと胸に突き刺さる。でも、それは当然の報いだ。

 でも、泣きながらそう叫ぶ環の気持ちを思うと、我慢しようと思っていた涙が滲んでくる。


「ごめん。わかってる。…環が俺のことまだ好きでいるって知ってて、本当のこと話さずに、プロポーズしてぬか喜びさせて、環をもっと傷つけた。謝るだけじゃ許されないってわかってる。」

「分かってるって、どうするの?!」


 その言葉に、俺は咄嗟に言葉が出ない。でも、涙を浮かべながら俺を見上げる環に、本当に覚悟を決めなきゃいけないと自分に言い聞かせる。


「もう環のこと傷つけるのは、これで最後にするから。傷つけてばっかりいて、ごめん。婚約したことは有効だと思うから、慰謝料とかそういうのも、請求してくれていいから。」


 すん、と鼻をならした環が、視線を落とす。


「…それが、圭司の答え?」

「…だって、俺、これ以上環のこと傷つけたくないから。…俺の気持ちだけを押し付けるなんて、できないよ。」

「圭司をずっと好きだった私の気持ちは、どうしたらいいの?」


 まっすぐに俺を見上げる環の顔に、俺の目から涙がこぼれる。


「だって俺、馬鹿だよ。意気地がなくて、環のこと傷つけて。今だってまた、環のこと傷つけた。…環から別れの言葉を言われるのが怖くて、自分を守りたくて。慰謝料とか言って、環ならそれを拒否するんじゃないかって望むような、そんな卑怯な奴だよ。」


 覚悟を決めたと思いながら、結局自分の都合のいいようにならないかって、どこかで考えてる。


「そんな子だってわかっても、好きだって、側にいたいって思ってる私は、どうしたらいいの?」


 環の目が優しくて、俺は次から次からこぼれてくる涙を止められない。


「…環、本当にごめん。ずっと待たせてごめん。こんなバカな俺だけど、環の隣にずっと居たいんだ。だから、俺と結婚してくれますか?」

「はい。」


 ボロボロとこぼれていく俺の涙を、環が親指でぬぐう。


「私のこと、6年分も大切にしてくれなきゃ、許さないんだからね。」

「ニャー。」


 タイミングを読んだように、環の足元にすり寄る黒猫に、俺たちはぷ、と笑いあう。


「大切にします。」


 俺の涙をぬぐっていた環の指を取ると、その指先にキスをする。

 目を合わせた環の髪に手を差し入れると、その唇にキスを落とした。

 それはとても軽いキスで、触れ合ったのは少しだけだったのに、心がものすごく満たされるキスだった。



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