朝チュン! アフター メイキング
「環って呼んでもいい?」
俺の寄せた声に、赤い顔でコクリと頷く環に、俺の欲は煽られる。
でも7年も我慢したのだ。あとちょっとなら我慢できる。だから、俺のもう一つの願望を口にする。
「圭司って呼んで。」
「圭司…。」
興奮してかすれた環の声で呼ばれた名前に、俺の胸は一杯になって、これまで我慢していたものが崩壊していく。
何度しても飽きそうにない口づけを環に落とすと、俺はあのときに鍵をかけたリミッターを外す。
もう、我慢なんてしない。
環が嫌だって言っても、俺は2度と譲らない。
****
「そんな幸せそうな顔して見てるんなら、本人に直接会いに行ったら?」
「まだ早い。」
卓也の呆れた声に、俺は卓也を見もせずに、不満の気持ちのまま声を出す。
「まだ早いって、もう国家試験の合格発表待つだけだろ。自己採点で合格ライン楽勝なんだし、会いに行っても大丈夫だろ。」
「うるさい、黙っとけ。」
「へーへー。」
俺は楽しみの時間を話しかけられたことで邪魔されたのでちょっと不機嫌だったけど、環さんの姿を見てたらその気持ちもちょっとずつ癒されていく。
「一歩間違えなくてもストーカーだし。6年だぜ、6年。」
ぼそりと呟く卓也の声は、聞こえないふりをした。勿論後で制裁するつもりだ。
環さんと別れて6年が経った。もう7年目に入る。環さんは隣にいないのに、なぜか卓也は大学まで一緒で腐れ縁は続いている。研修先も一緒で、まだその腐れ縁は続きそうだ。
その卓也は、最近俺がこの店に来るときには、ついて来たがる。
「あ、帰った。」
卓也に言われなくてもわかっている事実に、イラっとする。
「環さん見るなよ。」
「俺は凜さん見てるの。環さんはちょっと視界に入っただけだろ。怒るなよ。」
環さんの背中が見えなくなるまで見送ると、俺は座った目を卓也に向けた。
「げ、何でそんなに不機嫌なんですかね。」
「お前がしゃべりかけてくるから環さんを満喫できなかっただろ。」
「…いや、会いに行けよ。両想いってわかってるんだからさ。」
「…まだ早い。」
俺の言葉に、卓也がため息をつく。
「環さんが誰かと下のカフェで会う約束があれば、2Fのこの店から覗いてるのに?」
「…うるさいな。」
「しかもこの場所指定してるの、お前だし?」
「うるさいな。お前と愛しの凛さんがくっつけないようにしてやろうか。」
「それは辞めろよ。俺が頑張って凜さん口説いてるのわかってるだろ。」
「全然靡かれもしないけどな。」
はぁ、と大きなため息をついたところで、俺の斜め前の席がカタリと音を立てた。
「いかがでしたでしょうか。今日の環は十分に満喫できた?」
嫌味っぽくそう吐き出したのは、さっきまで下のカフェで環さんと直接会っていた環さんの大学の頃からの友達の凜さんだ。
「いや、こいつが昨日行った合コンの話してて気が散って仕方がなかった。」
「はぁ?! 圭司何言ってるわけ?!」
俺の復讐。
「へー。いいねぇ。若いって。医者の卵とか合コンでモテそうだもんねぇ。」
凜さんがものすごく白い目で卓也を見ている。ざまあみろ。
「違います! 合コンなんて行ってませんって! 俺は凜さん一筋なんですから!」
「へー。この間の金曜に合コン行ったのも行ってないって言うわけ?」
「いや、あれは、ゼミの先輩に騙されて!」
「ほらほら、いつ行ったかは知らないけど、合コン楽しそうでいいじゃない。」
卓也が馬鹿正直で助かる。こいつが騙されていったのは間違いないと思うけど、合コンに行ったという事実は覆らない。
「圭司…お前…人でなしだな。」
「卓也君、そんなの今更でしょ。こいつは悪魔よ!」
「…悪魔でも何でもいいですけど、環さんに変なこと言ってませんよね?」
「言ってない、言ってないから、睨むの辞めて! 圭司君が環のことを愛して愛しすぎちゃって病的なのはすごく理解してるから、環が圭司君を嫌うようなことは一切言っておりません。」
「ならいいんです。好きな人…変わってませんでしたか?」
「変わってないし。あんた、昨日も美知恵からその情報聞いたんでしょ? 昨日聞いた答えが今日変わってるとかあるわけないでしょ! 何なの毎回毎回、あんたの話題を出す私たちの身にもなってよ!」
「圭司、昨日もここに来たのか?」
呆れたような卓也に、俺は首を振る。
「もう一つのレストランが見える喫茶店に行った。」
昨日はメールで報告を受けた。というか、いつもはメールで報告を受けるのだ。今日は他に頼みたいことがあって、環さんと会った後、凛さんにここに合流してもらった。
卓也は凜さんの出番になるとついてきて、環さんと別れた後の凜さんに声を掛けに行っている。だから、この3人で会うのは、実は相当久しぶりだ。
はぁ、と卓也と凜さんがため息をつく。
「お前馬鹿だな。」
「本当よ。もう人に頼らずに、出ていけばいいじゃないの! 何なの2週に1回環に会えとか。私彼氏作ってもデートにも行けないじゃないの!」
本当は律儀に守る必要はないんだけど、凜さんは律儀に守ってくれている。…なんだかんだ言って、俺と環さんのことを応援してくれているのだ。だって、他に頼んでいる人たちは、そこまで律儀には守ってない。でも、べつにそれを責めるつもりもないし、それを責めていないのも凜さんは知っているはずだ。だけど、2週に1回は環さんとこうやってこの下のカフェで会ってくれる。
「え、凜さん彼氏できたんですか?!」
「いやこれはできてない。仮定の話だ。」
俺の言葉に卓也はホッとして、凜さんはムッとした。
「環はあんたのことをまだ好きなの。早く好きだって言ってあげなさいよ。わかってて6年も見守るとか…どんだけどSなの。」
「今はまだ。」
「何が今はまだよ! 子供だとか結婚相手だとか遊びだとか言われたのに傷ついたのかもしれないけど、あれは環の精一杯の嘘だって、自分だって言われた時に分かってたんでしょ。そんな嘘、許してあげなさいよ!」
環さんに別れを告げられた時、環さんは嘘つくときにやる癖を見せた。だから、あれが嘘だって、本当の気持ちじゃないってことはすぐに分かった。だけど、そんなことを口にさせてしまう立場だった自分に腹が立った。あの時の俺じゃ、環さんには結婚相手に見てもらえない。
「嘘はもう許してます。…俺が、環さんの隣に立つのにふさわしくないから。」
はぁ、と大げさなため息を凜さんがつく。
「何なのこの2人。お互いを思って離れ離れになるとか。早く元に戻ってよ。私らが迷惑なんだけど。もう6年になるんだけど!」
「そう言いながらも手伝ってくれてるじゃないですか。」
「…弱み握っといて何言ってるんだか。」
弱みって言っても、大したことじゃない。別に約束が反故にされたって、俺はそれをどうこうするつもりもない。けど、彼らが動いてくれるのは、たぶん、いまだに俺を好きでいてくれている環さんを応援しているからだろう。
「何のことですか?」
「見た、今の笑顔。何も知らない相手が見たら、このヒトいい人に違いないって勘違いする笑顔! もうやだ、卓也君よくこの子と友達続けてるわね!」
凛さんがその不満を隣に座る卓也にぶつけた。
「…ま、確かに腹黒天使ですけど、環さんに関してだけは純情なんですよねぇ。だから憎めないって言うか。」
「って言うか、卓也君も類友なんでしょ?! 私に気があるふりしてるけど、からかう気満々でしょ?!」
俺が純情という話は完全に凜さんにスルーされ、卓也にとばっちりが行った。卓也が睨んできたけど、俺は笑って返しておいた。
「それで、本題なんですが。」
「はいはい。次の依頼は何でしょう?」
「再来週の金曜日、国家試験の結果が出るんです。」
俺の言葉に、凜さんが大きなため息をついた。
「ようやく、環に会ってくれるのね?」
「はい。」
「ね、卓也君、何であんたの親友、こんなにバカなの? 医者の卵なのにバカって何なの?! 6年間も見守ってるなら、さっさと顔出せばいいじゃないの!」
卓也も責められて困ったように肩をすくめた。
「だって、それじゃ環さんの罪悪感はなくならないから。」
俺が本音を話せば、それを既に知っている凜さんが呆れたように声を漏らす。
「そもそも罪悪感を植え付けた本人が何言ってるんだか。」
「付き合ってる間は、それで環さんを縛り付けられるって思ってましたけど、そんなんじゃ、環さんの一生は手に入らないんだって、よくわかりましたから。」
「だったら、さっさと、あれは僕がもともと環を好きで、ずーっと狙ってたところを酔っぱらってふらふらしてた環を僕がパクリといただいちゃいましたって正直に言えばよかったじゃないの。」
俺は首を横に振る。あの時の真実は、環さんの友達である凜さんたちに責められて正直に話した。馬鹿ね、と言いながら俺の手伝いをしてくれる気になったのだから、結果オーライだろう。
「そんなこと言ったら、環さんはあっさり別れるって言いそうで怖かったんです。」
「そんなの…。」
「確かにそんなのわかりませんよ。6年経って好きでいてもらえる可能性だって、なかったかもしれない。それに、1回は別れないと、環さんはきっとずっと、罪悪感を持ち続けるから。だから、別れは俺たちには必要だったんです。でも、未練があるまま環さんは俺と別れたから、忘れられなくなった。だから、今でも好きでいてもらえるんだと思ってます。」
「…あんた本当に性格悪いわよ。…私、環をあんたに預けちゃって本当にいいのかしら。」
「預けちゃってください。環さんに対するコイツの気持ちは、間違いなく純粋ですよ。」
卓也の言葉に小さくため息をついた凜さんは、それに納得したようだった。
擁護してくれる卓也に、ありがたいと正直に思う。きっと俺が言うより、信ぴょう性は高いはずだ。
「で、再来週私が会うときにどうしたらいいわけ?」
「話が早くて助かります。環さんに、俺と結婚する意志があるかどうか聞いてください。」
「はあ?!」
呆れた顔で、凜さんが卓也を睨みつける。
「あんたの馬鹿な親友、どうにかしてくんない? 自分で聞けばいいでしょ?!」
「…いや、俺が止められる奴でもないんで。」
「やだやだ。そんなの自分で聞いてよ。」
凜さんが俺に顔を向けて、嫌そうに顔をしかめた。
「これで、結婚するつもりなんてないって環さんが言ったら、もうやめますから。」
「は?」
凜さんの動きが止まる。隣の卓也も固まっている。
「6年経っても、俺のこと結婚相手に見れないって言うなら、もうだめでしょ。単なる彼氏としての存在でいいって言うなら、俺はその立場はいらないから。」
「いや、何言ってるのよ。6年も私たちに手伝わせといて、環が結婚の意思がなかったら手を引きますって?! どうなってるのよ。」
「だって、6年前も結婚相手に見てもらえなくて、6年経っても結婚相手に見てもらえないんなら、結婚できる望みなんてないじゃないですか。」
「あー、この子、馬鹿なだけじゃなくてアホだわ! 改めて付き合うようになってから、その気にさせればいいでしょ!? あんたどんだけ人操ってるって思ってるのよ!?」
凜さんの言葉に、俺は首を横に振る。
「環さんを操ったり、もうしたくないんです。」
「…もうヤダ。」
ポツリと呟いた凛さんが、大きくため息をついた。
「分かったわよ。腹黒のくせして環に対して気弱な圭司君にお姉さんが力を貸してあげましょう。でも、一つだけ約束して。」
「何ですか?」
「たとえ環が今圭司君と結婚する意志がなかったとしても、環の前に現れて、告白して。それを約束してくれるって言わなきゃ、私は手伝わないわよ。」
「…わかりました。」
「はいはい。じゃ、契約成立ね。」
「助かります。」
俺がニッコリ笑えば、凜さんが目を見開く。
「何その笑み。嫌だ、私又騙されたの?! 何よ、環に直接聞く手間省きたかっただけなの?! 私なら環が本音言うだろうって?!」
「頭の回転が速いのも考え物ですね。でも、そんな回転の速い凜さんなら、卓也のこときっちり手のひらで転がせると思うんですよ。どうですか、卓也。」
「はぁ? 私の話スルーした上に、友達をすすめてくるとか何なのよ! もう帰る!」
凜さんが憤慨した様子で立ち上がる。
「え、凜さん待ってくださいよ!」
「あ、卓也支払いは俺が持つから、行けよ。」
まあ、俺の擁護をしてくれたお礼だ。卓也は凜さんを追いかけて店を出て行った。
俺はようやくホッとして、息をついた。
ようやく整った。
2週間後のことを思って、俺は奥歯をかみしめた。
こんなことしといて、ずっと俺は自信がなかった。環さんがまだ俺のことを好きだって言ってくれてるのが、唯一の希望だった。でも、まだ中途半端な俺が出て行って、環さんに拒絶されたらって思うと、環さんの前に姿なんて見せれるわけもなかった。
だから、結婚の資格があるだろうって言える、国家試験の合格発表まで待った。
こんなまどろっこしいことを6年もやってたのは、単に自信がないだけだ。
じゃあ、合格してたら自信が持てるかって言えば、それでも十分じゃない。
本当は研修医の身分が終わってからの方が自信が持てる。でも、そんなに待ってられない。環さんが俺のことを好きじゃないって言う日が、やってくるかもしれないから。
凜さんに環さんの結婚の意思を聞いてもらうのも、自信がないからだ。
そう、単に自信がないからこんな面倒なことやってるんだ。
俺があの時大人だったら、こんなことやる必要もなかったのに、って思うこともある。
それでも、俺が高校の窓から環さんを見かけて居なかったら、きっと環さんが酔っぱらって歩いていても気にも留めなかっただろう。
だから、仕方ないと思うしかない。
俺が環さんと未来を歩くために、必要な時間だったんだって。
…俺がもっと自分に自信を持ててたら、もっと早く環さんの前に出ていけたのかもしれない。
だけど、これが俺だから。
環さんには、今の俺も好きになってほしいから。
冷えたコーヒーを流し込むと、俺は席を立った。また2週間後、ここに座るときのことを思って。
****
「今、どんな話してるんだろうな。」
「うるさい。」
「…本当に、お前環さんだけには一生懸命だよな。…環さんのために、一生懸命いい医者になれるように勉強ばっかりしてさ、本当にお前、環さん馬鹿だよな。何だよ、医者になったらくいっぱぐれないから環さんを食わしていけるだろうって医者になるの選ぶって、高校生が考える理由かよ。」
「うるさい。」
俺は集中して環さんとその隣にいる凜さんの動きを見てるから、本気で卓也の声がうるさい。
「はいはい。静かにしてますよ。」
ようやく卓也が静かになった瞬間、凜さんが顔を上げた。
「お。」
卓也の声と同時に俺は立ち上がると、花束を持って走り出す。
今のは、環さんが結婚の意思があるってサインだから。
再開できる喜びと、環さんに俺と結婚したいって気持ちがあるって喜びで、気持ちが先を急がせる。
今、プロポーズしたら、環さんは“はい”って言ってくれるだろうか。
****
俺の横で寝息を立てる環さんをじっと見る。
布団から少し見える環さんの胸元は、俺が初めて環さんを部屋に連れ込んだ時と同じように、キスマークだらけだ。
俺の隣で安心したように眠る環さんを見ていると、それだけで幸せな気分になる。
それは、7年前にも持っていた気持ちと同じで、ずっと環さんの隣に居たいと願っていたから。
環さんの顔が滲む。
ようやく、隣にいることが許されたんだって、これから先もずっと環さんの隣にいられるんだって。
そう思ったら、環さんと別れてから今までずっと我慢していた涙がこぼれていく。
「圭司?」
ぼんやりと目を開けたらしい環さんが、俺の顔に手を伸ばしてくる。
「どこか痛いの?」
「ううん。どこも痛くないよ。」
俺の言葉に、環さんが目をつぶる。やっぱり、寝ぼけているらしい。俺の涙を見られなくて、ホッとする。
「泣いてるから、痛いんだよ。痛いの痛いの飛んでいけ。」
そう言って、環さんが俺の頬をさする。
この優しさを、俺はずっと必要としてたんだって、胸がきゅっとして、涙は止まりそうになかった。
完