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朝チュン!

朝チュン:目覚めたときチュンチュンと雀が鳴くのどかさを表現。総じて、そののどかさと対比するように致した記憶がないのにあり得ない相手とどう見ても致していてパニクる危機的状況を指す。


 いたたたた。

 チュンチュンと雀が鳴く声に浮上した意識は、同時に頭痛という不快感をもたらした。

 どうやら昨日の合コンは飲みすぎたらしい。

 頭もいたいが、喉も乾いた。

 億劫な気持ちを叱咤して、私は体を起こす。

 何だか布団の肌触りに、ん?となったけど、頭痛と喉の乾きの前に、そんな些細な違和感など些末なことだ。

 重いまぶたを無理矢理こじ開けて、私は立とうとした。


 けど、広がる見たことのない室内に、私の二日酔いでダメダメな思考もさすがに止まる。

 どこだここ?

 うちではなく、どこかのホテルというわけでもなく、誰かの家だろうということだけは間違いないが、問題はこの家の中に見覚えなどなく、昨日は合コンだった、という事実と、さっき些末だと思った布団の肌触りの違和感が、どうも素肌に触れている感覚でどうやら私は何も着ていないらしい、という事実にぶち当たり、私は固まる。

 さっきまで感じていたそこはかとない頭痛と喉の乾きなど、どこかに行ってしまった。


 恐る恐る自分の体に視線を下げると、胸元にはこれでもかとキスマーク。

 ぴきりと固まると、視界の端で何かがもぞりと動いた。…ええっと、…これは…このキスマークを付けた相手…ですよねぇ。

 合コンに来ていたメンバーを思い出しつつ、一体誰に持ち帰られてしまったんだろうとギギギ、と首を横に動かす。

 私の目に入ったのは、真っ黒な髪の後頭部と、細い肩と、布団から出ていたすらっとした白い腕。


 …あれ、あのメンバーに、髪染めてない人っていたっけ?

 動きそうもない頭を刺激して、記憶を呼び起こそうと思うけど、昨日のメンバーの中にこんなに純粋真っ黒な黒髪の人はいなかったように思う。

 …それに、こんな華奢な感じじゃなかった…。だって、あのメンバー、ボート部だって言ってたし。こんなに細い肩とすらっとした白い腕なわけがない。

 …一体私は誰に持ち帰られたんだろう。


 恐る恐る、私は自分の腕をベッドにつくと、その黒髪の主の顔を覗き込む。

 まだ規則正しい呼吸を刻むその主は、瞼を閉じていても、あどけないことがわかる。

 はい、アウト!

 これ絶対未成年! どう見たって中学生…いや、幼い高校生だ! せめて高校生ってことにしよう! 私だってまだ十代だけど、来月には二十歳だからね!


 あわわわわ、と動揺した声が漏れたのか、その男の子が身じろぎして、長い睫がついた瞼を開けた。

 勿論覗き込んでいた私とばっちり目が合う。

 無言で男の子を見つめていた私に、その男の子はあろうことか顔を赤らめて恥ずかしそうに笑った。

 …何て天使な笑顔!


「おはようございます。」

「…おはようございます。」


 つられるように挨拶を返してから、ハッと我に返る。


「えーっと、ごめんね。実は私記憶がなくて。」


 私の言葉に恥ずかしそうだった男の子がショックを受けたように目を伏せる。


「そんな…。お姉さんが僕のこと好きだって言うから…。」


 そのかわいらしいと言える口から出てきた言葉に、私もショックを受ける。

 …おう。私は持ち帰られたんじゃなくて、男の子を持ち帰ったわけだね。いくら酒に飲まれて前後不覚になっても、男の子を持ち帰った記憶などあるわけもなく、自分がしてしまった失態に、どーんと沈み込んだ。でも、視線を落として目に入った肌に残るキスマーク達に、私はほのかな疑問を持つ。

 例え無理やり私が致してしまったとしても、こんなにキスマークをつけられるものだろうか。


「…でも、同意だよね? こんなにキスマークついてるわけだし。」


 一応同意ってことで許してほしい。

 すると男の子はその体を起こすと、その視線を部屋の真ん中に鎮座するローテーブルに向けた。そのローテーブルには、チューハイらしい缶がいくつか転がっていて、どうやらこの部屋にたどり着いてから飲んだものと思われた。


「お姉さんが僕にお酒を飲めって言うんで…僕も酔っていたんで…。それでついそんなにつけちゃったんだと思います。ごめんなさい。」


 そう謝られて、私は本日二度目のアウト! を自分の頭に叩きつけた。

 …明らかな未成年にお酒すすめるとか…駄目だろ私。私は来月20歳だから、と自分に免罪符を与えて飲んじゃったけど、流石に…それは…。

 明らかに問題がある、と結論付けると、ふと、他のことを思い出す。

 …あれ、そう言えば私まだ自分が未成年だって思ってたけど、この間18歳で成人になるとかいう法律が通ったんじゃなかったっけ? えーっと、もしかしてこの致しちゃったのって、青少年なんちゃら条例に引っかかったりする?!


「たぶん…そうなるんだと思います。」


 私の心の声が漏れていたらしい。男の子が申し訳なさそうな顔で私を見ていた。


「…ごめんね。…悪気はなかったんだよ。」


 とりあえず、私は謝るしかない。しかも裸を隠すためにまだ布団の中にもぐっている行儀の悪い格好でも。そもそも記憶すらない。あー! 昨日の私に言いたい! 酒に酔うのは勝手だけど、青少年を巻き込んじゃいけない!

 男の子は眉を下げてその謝罪をコクンと受け取ると、あ、と声をあげる。


「お姉さんが僕と付き合えば、その条例の範囲外になるんじゃないでしょうか。お互いに同意してるわけですし。」

「え…そんな抜け道あるの?」

「だって…普通に女子高生と付き合ってる大学生っていますよね? 今回はたまたま逆だっただけじゃないですか。」


 そうか、そう言う抜け道はあるのか、と思う。確かに女子高生と付き合ってる大学生はいくらでもいるし、それでいちいち逮捕されてたら、確かに大変だ。

 それと、その話の内容から、男の子が高校生だと言うことはわかった。ヨシ、とりあえず中学生じゃなかったってことは一安心だ。でも今見ても、中学生って言われれば信じちゃいそうな…幼い感じだ。


「でも、それって私にとって都合のいい話になるだけで…君はいいの?」


 私の問いかけに、男の子は顔を赤らめながらコクンと頷く。


「嫌だと思う人に初めてはあげません。」


 アウト! 私は3度目になるコールを、頭の中に響かせた。スリーアウトだ。

 …完全にこれ、悪い大人に食べられちゃった純粋な子供って感じになってる…。

 ああ、酔っぱらった私よ。いくらいくら酔ってたとは言え、やっていいこととやっちゃいけないことがあるんだよ!


「じゃあ、私と付き合ってくれる?」


 申し訳なさ100%で、私は男の子に問いかける。


「はい。よろしくお願いします。」


 頷く男の子に、カレカノって、こんな感じで始めちゃっていいんだろうか? と疑問が頭の中をめぐる。


「あの、僕は田平圭司けいしって言います。お姉さんの名前は?」


 私がぐるぐると頭を動かそうとしていると、名前を名乗られた。


三上環たまき。環でいいよ。えーっと、圭司くん? …圭くんでいい?」

「はい! 僕は環さんって呼んでいいですか?」


 そう私の名前を呼んで顔を赤らめる天使に、私は誠心誠意付き合っていくことを決める。

 うん。この天使を泣かせちゃいけない。

 たとえ始まりがどんな始まりでも、こうやって笑顔で名前を呼ばれるとキュンとするのだ。それだけでも付き合う理由には十分だろう。

 そもそも酔っぱらって抑制が効かないうちに持ち帰ろうとしただけあって、圭くんの顔のつくりは幼さはあるが美しく、造形学部に通う自分の美的センサーがこの顔に反応したのだろうと言うことは嫌でもわかる。美しいって素晴らしい。


「えーっと、体がベタベタだと思うので、環さんシャワー浴びてください。部屋を出て右手にトイレとお風呂がありますから。」


 なぜベタベタしているのか、深くは考えまい。


「あー…ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて…。」


 起き上がろうとして、自分が裸なのを思い出して躊躇する。


「…バスタオル取ってきますね?」


 天使の圭くんがベッドから立ち上がる。ひょろっと細いけど、手足が長くて、これから身長が伸びるのかもしれないな、と思う。

 ヌードデッサンなんかで男性の裸も見ることはあるので、後姿だけであれば、それほど焦ることはない。うん、圭くん美尻。

 一旦部屋を出た圭くんは、Tシャツに短パンをはいて戻ってきて、それはそれでホッとした。


「はい。」

「ありがとう。」


 渡されたバスタオルを布団の中で巻き巻きすると、私はようやく立ち上がる。


「環さん、服は洗濯するので、僕の貸しますね?」

「えーっと、大丈夫。」

「…たぶん、ドロドロだと思うので…。」


 昨日あったことを匂わせる内容に、私は慌てて頷く。


「お願いできる?」

「はい!」


 ものすごくいい笑顔で、圭くんが返事をした。


「あの…ついでに水をもらえると嬉しいんだけど。」

「あ、喉が渇いてるんですね。ちょっと待ってください!」


 慌てた様子の圭くんが冷蔵庫からミネラルウォーターの500mlのペットボトルを取り出して、私にくれる。


「ありがとう。」


 私はペットボトルの封を切ると、ゴクゴクと水を飲む。

 半分くらい飲み干すと、生き返った心地で息をつく。


「圭くんも飲んだほうがいいよ? 昨日、お酒飲んじゃってるんだし。」


 私が残った水を圭くんに差し出すと、圭くんは恐る恐る私の持っているペットボトルをつかんで、コクコクと飲み始める。

 上下する喉仏を見てると、圭くんが女の子じゃなくて男の子なんだって実感する。

 …まあ、致してるわけだから、間違えようもなく男の子なんだけど。

 急に恥ずかしい気分になって、私はシャワーに向かうことにする。


「じゃあ、お風呂借りるね。」


 そそくさとお風呂場に向かいながら、圭くんちがどうやら一人暮らし仕様だけど、どう考えても私のアパートより豪華だという事実に少々打ちのめされる。

 …圭くんって、箱入り息子?


 

 シャワーで自分の体に刻まれた跡を確認して、昨夜一体どれだけ盛り上がったのかと愕然としつつ、あんな顔をしてて童貞なのに、圭くんは結構…なんてことを思っていた。

 …勿論、シャワーを浴びながらの反省会だ!


 そしてシャワーを浴びた後には、あのお酒の缶が乱雑に置かれていたローテーブルは片付いていて、テーブルの上にはおいしそうな朝食が並んでいた。

 圭くん、天使の上にスペックも高い!


「環さん、髪の毛乾いてないですよ?」


 そのまま座ろうとした私に、圭くんが近寄ってくる。


「え? いいよいいよ。」


 私の伸びっぱなしの髪は、いつも扱いがぞんざいで、たいていくくってるから気にもしてない。


「駄目です! ドライヤーかけますから、こっちに来てください!」


 圭くんに手を引かれて、洗面所に戻る。そう、この家洗面台が独立してる! …家賃一体いくらなんだろう…。

 圭くんと私は同じくらいの身長で、私はちょっとかがんで圭くんにドライヤーをかけてもらう。私が女子としてはちょっと高めの168センチだから圭くんが小さすぎるわけじゃないと思う。

…圭くん、世話好きなんだなー、と一生懸命に私の髪と格闘している圭くんを鏡越しに見ながら、私は一生懸命な圭くんに、ちょっとキュンとする。

 …天使なうえに世話好きとか、半端ない!


「圭くんっていくつなの?」


 まつげが長いな、と鏡越しに思いつつ、私は重要事項を尋ねる。


「16です。W高校の1年です。」


 マジで。

 私は自分の通学路の途中にあるW高校を思い出す。あの高校は都内のみならず全国でも名前を出せば分かってもらえるくらいに有名な超超進学校だ。

 …天使な上に世話焼きで家事もできて勉強もできる。圭くんに…死角などあるだろうか。


「…えーっと…。」


 本当に私でいいのか、と問い直したくなったけど、問い直して嫌だと言われた場合に、私はお縄になるのだろうかと思うと、少々戸惑われた。


「環さんはいくつなんですか?」


 戸惑う私を気づきもしないで、圭くんは朗らかにこの犯罪者スレスレの私ににこやかに話しかけてくる。


「もうすぐ二十歳になる。A芸術大学の二年だよ。」


 来月には年齢差が四歳になるのか、と益々犯罪じみてきた自分に凹む。


「もうすぐっていつが誕生日なんですか?」

「来月だけど。」


 私の答えを聞いた圭くんは、とたんにしょげた。


「どうしたの?」


 やっぱり年齢差がはっきりしてダメだった? と聞きたいけれど聞けはしない。


「僕、明日から三ヶ月間短期留学に行くんです。…だから、環さんの誕生日祝えないんです!」


 鏡の中の圭くんの瞳が潤んでいる。その顔とものすごくかわいらしい理由にきゅんとする。この子ダメだ。私を悶え殺す気だ。

 私が高一のとき、こんなにかわいらしい反応してただろうか。もっと世の中斜めに見て尖ってたと思う。

 …こんな純粋培養されたみたいな子、少女漫画の中だけじゃなくて実在するんだな。男の子だけど。


「…電話くらいできるんでしょ?」


 そう提案をすれば、しょげていた圭くんがパッと顔を輝かす。


「電話してもいいんですか?!」


 まるで考えてなかった提案をされたみたいに圭くんがはしゃぐ。


「だって彼氏でしょ?」


 私の言葉に、圭くんの顔がほんのり赤らむ。


「…彼氏…だから、いいんですね。」


 あー、何だかかわいいな、と思う。


「毎日電話してもいいんだよ? LINEなら無料でできると思うし。」


 私がもうひとつ提案すると、圭くんは小さく首をふった。


「折角英語勉強に行くのに毎日日本語話してたら勉強にならないんで、誕生日だけにします。」


 圭くんの真面目さに感動しつつ、私はふと思い付いたことを提案する。


「お互いに何も知らないわけだから、好きなものとか嫌いなものとか、三ヶ月間毎日一つずつ教えあいっこしない? それならあんまり難しくない英語だし、私でもできそうなんだけど。」


 残念ながら私の英語力はセンターを乗りきるためだけに発揮されたもので、実用性には乏しい。


「いいですね!」


 声が弾んだ圭くんに、私は我ながらいい提案をしたものだと自画自賛した。


 圭くんは実家から通うと遠いことと、元々が父子家庭で家事能力を鍛えていたこともあって、あっさりと一人暮らしを許されたんだという。ただ、手放しに一人暮らしさせるわけにもいかないと、セキュリティがばっちりのマンションを探したらここになって、こんな豪勢な部屋になったんだと言っていた。…まあ、都内で23区内で、こんな立派なマンションが借りられるんだから、まあ、箱入り息子というのもあながち間違ってないだろう。

 …まさか、そんなセキュリティばっちりなところで、お姉さんから絡まれて童貞を奪われることがあるだろうとは、お父さんも思ってはいなかっただろうけど。…反省。

 あと、圭くんには口酸っぱくもう合コンに出ないことと、飲み会で飲みすぎないことを約束させられた。それは本当に守ります。


 そんなこんなで少々お互いのことを知りつつ、その日は乾燥機で乾いた服を着なおして、健全にお別れした。

 別れ際ものすごくウルウルした目で見つめられてキュンとしたので、つい顔を近づけたら、圭くんが目を閉じたので、何だか我に返って、おでこにチュッとしたら、戸惑った様子で圭くんに見られたけど、私はそれで手を振って別れた。

 …セーフ、と思ったけど、既に致してしまっている以上、私はアウトなわけだけど。



 その翌日から始まったプチ遠恋生活は、それなりに楽しかった。

 まあ、1日に1往復だけのメールのやり取りで、それで相手の何がわかるか、と言われてみれば、そうなんだけど、毎日のちょっとしたやり取りは、生活に潤いをもたらしたような気がする。


 大学へ行く道すがら、私は必ず寄り道するところがあって、今日もまた寄り道した。

 そこに住んでる猫たちをスケッチするのがある意味、私の日課だ。

 誕生日にまで寄り道しなくても。と自分でも思わなくもないけど、まあ、特に何かがあるわけでもないし、圭くんとのメールのやり取りはいつも夜の11時くらいだから、電話がかかってくるのもそれくらいだろうと思うし、特にいつもと変わった予定を組む必要もない。

 いつものように寄ってくる猫をなでなでしつつ、私はスケッチをする。

 造形学部でこのスケッチがどう役に立つのか、と問われれば、さあ? としか言えそうにもないけど、大学に行く途中に猫があつまるこの場所を見つけて、何の気なしに毎日立ち寄るようになって、スケッチでこの猫たちを残したくなった。

 何しろペット禁のアパート暮らしの私にとっては、こうやって猫をなでなでできる場所は癒しの空間なのだ。

 もふもふ、と一番お気に入りの猫を触っている時、スマホが鳴った。

 何々? と思ってスマホを見れば、圭くんからの電話だった。えーっと、むこう今頃何時なんだろう?


「もしもし?」

『あ、出てくれた!』


 嬉しそうな圭くんの声に、私も嬉しくなる。


「久しぶり。元気そうだね。」

『はい。お久しぶりです。それから、環さん、お誕生日おめでとうございます!』

「はい。ありがとうございます。」


 少々堅苦しい挨拶に、私はクスリと笑う。


『今、何してましたか?』


 何をしてたか?

 私はまだ片手でモフモフを続けていた猫を見て、口を開く。


「癒されてた。」


 正しく今は癒しの時間だ。


『…えーっと、どこにいるんですか?』

「圭くんの学校と駅の間に坂があるのわかる?」

『あ、ええ、わかります。』

「その坂を上っていくとさ、神社があるの知ってる?」

『神社…確かありますね。』

「その神社の境内に、猫が住み着いてるんだよね。それをモフモフしてる最中。」

『…あ、それで癒されてるってことなんですね。』

「そうなの。猫好きなんだけど、今住んでるアパート動物禁止で。ほぼ毎日ここに立ち寄ってるくらい。」

『そっか。…いいなぁ、猫。』

「圭くんも猫好きなの?」


 私の問いかけに、圭くんがクスリと笑う。


『違います。僕も環さんになでなでしてほしいな、と思って。』


 これをもし女子が言おうもんなら、あざといな! と思うけど、これを圭くんが言うからキュンとするんだよねぇ。

 …私も相当圭くんびいきになってるなぁ。


「そっち大変?」


 なでなでされたいってことは、きっと疲れてるんだろうな、と思って尋ねる。


『それなりに大変ですけど、そこまで大変じゃないですよ? 僕が言ってるのは、環さんとイチャイチャしたいってことです!』


 おおう。お姉さんはキュンキュンしちゃったよ!


「そっか。…帰ってきたら、イチャイチャしようね?」


 たぶん、私の顔は赤くなってるだろうなぁ。でも、そんな言葉がすんなり出るくらいには、圭くんにほだされてるし、圭くんがイチャイチャしたいって言うなら、お姉さんが何とかしてみせよう! って気分にはなる。


『本当ですか!?』

「…だって、私たち付き合ってるんでしょ?」

『はい!』


 素直でよろしい。何だかその返事に花丸つけてあげたくなった。


「私、圭くんのこと結構好きだよ。」

『結構、ですか?』


 不安そうな声に、可愛そうなことしちゃったな、と思う。でも、それは事実だ。


「だって、私たちまだ知り合って1か月しか経たないし…徐々にお互いを知って行ってるわけでしょ? 今ものすごく好きって言ったら…それは嘘だと思う。それとも圭くんは嘘でも“大好き”だって言われたい?」

『…いえ。本気でそれは言われたいです。』

「でしょう?」

『でも僕は…もう環さんのこと大好きなのに。嘘じゃないですし!』


 ドキュン! と拳銃で心臓を撃ち抜かれたような気持ちになる。

 何なのこの子! 私のこと撃ち殺したいの!?


『…僕の気持ち、疑ってますか?』


 不安そうに言葉を重ねる圭くんに、私は見えもしないのに首をブンブンと横に振る。


「ううん。圭くんの気持ちは疑ってないよ。…ただ、私の気持ちがまだ…そこには追いついてないの。ごめんね。」

『謝らないでください。…環さんも僕を好きになってくれてる最中なんですよね?』

「うん。初めて会ったときより、今の方が圭くんのこと好きだよ。」


 電話の向こうでふーと息をつく声がする。


『…知り合ってまだ1か月しか経たないんですよね。…僕がそっちに居たら、もっと好きになってもらえたのかな。』

「それはわからないよね。一緒にずっといたら嫌なところも見えてくるだろうし。…圭くんも私の一部分しか見てないから好きって気持ちだけが膨らんでるのかもしれないよ?」


 そもそも私たちのやり取りは、1日1回のお互いの好きなもの、嫌いなものだけのやり取りだけだ。


『そんなことないです! 僕は…僕は環さんがどんな人だって好きになる自信があります!』


 いやだこの子。お姉さんをどれだけキュンキュンさせれば気が済むのかしら。


「ありがとう。」


 会った初日に泥酔して童貞を奪ってしまった私と天使な天使な圭くん。…こんなへんてこなカップルを作るなんて神様は悪戯が好きらしい。


『…環さんに会いたい。』


 絞り出されたような声に、私の心が揺さぶられる。


「私も…会いたいよ。でも、圭くんは勉強のためにそっちに行ってるんでしょ? だから頑張って。」


 あー大人ぶっちゃって、と自分でも思わなくもない。でも、4つも上の立場なんだから、フワフワした恋の気持ちで何かを犠牲にするとかしちゃいけないって教えることもまた、私の役目だと思うのだ。


『違います。…今すぐ環さんにキスしたいだけです。』


 ぼぼぼ、と顔が赤くなるのがわかる。

 …本当にこの子、純粋なくせして人の気持ち振り回すとか、将来が心配になるんだけど。これで高1とか…。

 


 ものすごくキュンキュンさせられた電話での声を聞いたきり、私と圭くんのやり取りは1日1往復のメールのみだった。

 帰国する前日の圭くんのメールは『I LOVE YOU.』で、私も『I LOVE YOU.』と返した。

 たった1回しか会ってなくて、3か月のメールのやり取りと、1回だけの電話のやり取りだけで、人を好きになれるんだな、と我ながら感心した。


 帰国したばかりで疲れてるだろうに、圭くんは帰国した翌日に会いたいと言ってくれた。お姉さんである私としては、疲れてるだろうから今度でいいよ、と言ったのだけど、圭くんに「環さんは会いたくないんですか」って聞かれて「会いたい」と答えてしまった。

 …年上の余裕がもっと欲しい。


 待ち合わせ場所はなぜか圭くんち&圭くんの学校の最寄り駅だった。…いやいや、別に私たちが3か月ぶりの逢瀬にさかっているとか、そう言うわけではない。

 今日は平日で、私も圭くんも学校はあって、その後に会おうとしたら夜になるし、高校生である圭くんを夜の街に連れ出すわけにもいかないから、私の家か圭くんの家という選択肢しかない。…明日が土曜日だとかは…特に考えたわけではなく完全にたまたまです!

 勿論居心地のいい圭くんちが第一選択肢ではあるけど、生々しい記憶がある圭くんちにまた行くことに躊躇がなかったかと言われれば、嘘になる。…たとえ泥酔して圭くんの童貞を奪った身だとしても、慎みがないわけではないのだ。

 だけど、圭くんが「まだ疲れが取れてないんでうちでいいですか?」って聞いてくるから、それにはYesしか答えはないわけで。

 で、疲れてるなら私が家に向かうよ、と言ったのだけど、なぜか圭くんが最寄り駅を指定してきたのだ。

 ので、私は大きいとは言えない小さな駅の構内で、圭くんが来るのを待っている。

 待っている間、あの造形美を体現したような幼い美しい顔を思い浮かべて、私は笑みがこぼれる。…別にいやらしい意味じゃない。純粋に会いたくて会えると思うと笑みがこぼれてくるのだ!


 視界の端に、大きな花束を持った身長の高い男性が目に入って、私はそちらに視線を向ける。…別に圭くんサイズが嫌なわけではない。ただ、その男性が目立つのだ。

 しかも美形っぽい。その美形の長身の男性が大きな花束を持って歩いていれば、そりゃ目立つ。行き交う人…特に女性が目を奪われているのがわかる。

 彼女にプロポーズにでも行くのかな、とのんきにその男性を見やる。それくらいの余裕があるくらいには、私と圭くんもラブラブ…のつもりだ。


 が、その男性が私を目指して歩いてきているような気がして、ちょっと気持ちが落ち着かなくなる。…だって、目が合っている。

 気のせいだよね、と左右を見渡しても、誰もいない。どうもあの男性の視界には、私しか入っていないように見える。

 混乱に陥っている間に、その男性が私の目の前に立った。


「環さん、遅れましたけど、誕生日おめでとうございます。」


 間近に見るその顔は、遠目で見るイメージよりもずいぶん若いことが分かるし、にっこり笑う顔は確かに圭くんの名残を沢山残していて、その声はかすれてはいるけれど、2か月前に聞いたその声によく似ていた。


「…え?」


 この目の前にいるこの年若い男性が、よもや圭くんだとは信じられない。けれど、どう考えても圭くんでしかない。


「びっくりしましたか? 僕もあっちでぐんぐん身長が伸びて、びっくりしたんですよ。」


 ニッコリ笑う圭くんが、私を驚かせた種明かしをしてくれる。


「…声もちょっと変わった?」

「そうみたいです。まだ完全に変わってないので、聞き苦しいかもしれないですけど…。」

「ううん。そんなことないよ。」


 むしろそのかすれ方にドキリとするなんて、答えちゃいけいないのは流石に分かる。

 …何なのこの成長っぷり! ほんの3か月前まで幼いと思っていたその顔は、もうどこにもない。むしろ…色気が出た? 本当にこの子高1?!


「…この花、大げさすぎましたか?」


 私が花束を手に取らないのを気にしたのか、圭くんが私の顔を覗き込んでくる。


「ううん。嬉しい。ありがとう。」


 圭くんのあまりの変貌ぶりにあっけに取られていたけど、こんな花束をもらったのは初めてだし、純粋に嬉しい。それが…好きな人からもらったんなら、なおさら。

 私たちは、既に致しているというのに、初めて手を繋いで圭くんの家に向かう。圭くんは学校があったというのに誕生日祝いのためにご飯を作ってくれたのだという。

 お酒は抜きで、と言われた。圭くんのその目に浮かぶものが何か、知らないというほど私もうぶではない。ほわほわ天使から美形天使に衣替えした好きな人に、きちんと記憶に残してほしいからと言われて、断る人間が居たら…見てみたい。



「環さん、好きです。」


 家に着くと、それまで我慢してたのを吐き出すようにそう告げた圭くんの熱のこもった視線に、もう圭くんが幼いだなんて思うことはない。


「私も好き。」


 答えた私の顔に、圭くんの手がそっと触れる。


「最後のメール、あれ、本当ですか?」


 恐る恐る尋ねてくる圭くんは、まだ自信はないのかもしれない。


「本当。私も…こんなに離れててちょっとしかやり取りしてないのに、こんなに好きになるとは思わなかった。」


 圭くんが見つめ返す私の目に、本気だという気持ちはきちんと乗っているだろうか。


「…嬉しい。」


 ちょっと涙ぐむ圭くんに、3か月前の名残を見たような気がして、笑みがこぼれる。

 見た目は変わったかもしれないけど、3か月でその人となりが大きく変わるわけもないのだ。


「私も、圭くんが好きになってくれて嬉しい。」


 圭くんの顔が近づいてきて、私はそっと目を閉じた。

 最初はそっと触れるだけだった唇が、何度目かについばまれた時に、するっと圭くんの舌が私の唇をなぞった。

 その舌を受け入れるように少しだけ唇を開けると、圭くんの舌がおずおずと私の舌に触れた。

 そのおずおずとした感じに、ついからかいたくなって、私は圭くんの舌をざらりとなぞった。

 私の肩をつかむ手に力がこもって、圭くんの舌が私の口の中を丁寧になぞりだした。

 ん、と私の声と飲み切れない唾液が、口の端からこぼれていく。

 離れていく熱に、私はすがるように圭くんの目を見る。


「ごめんなさい環さん。…我慢ができません。」


 愛しい人にそう言われて、我慢して、って言える人は、相当精神力が強い人だと思う。

 それに、私の気持ちも圭くんと同じだから、私は素直に頷いた。


「相手が僕だって、きちんと覚えておいてくださいね。」

「忘れさせないで。」


 そう言ってしまった私が、後悔するのは、言葉の通り後のこと。

 

 


 よもや声をあげすぎてかすれた声が「痛い」と悲鳴を上げることになるとか、私がまだ処女で圭くんがまだ童貞だったとか、あの情事の痕が酔っていようと酔ってなかろうと無関係だとか、私が知ることになるまで、あと…何十分?


 そして、初日にローテーブルに並んでた缶が酒を求める私を圭くんがなだめてつかませたノンアルコールのチューハイだったとか、酔ってふらつく私を見つけて危ないですよ、と圭くんの家に誘導されて行ったとか、境内で猫をモフモフする私を圭くんが学校の窓からよく見ていたことだとかは、私が知ることはない。



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