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1話 婚約解消

「これが婚約解消の書類だ。お(ぬし)の署名をしてくれ」


 王子の私室に呼び出された公爵家の娘は、泣きながら何度も顔を横に振る。あなたの花嫁になりたいのと。

 涙で世界がゆがんで見えていた公爵家の娘は、気づかない。

 目の前の情熱的な赤い瞳は、聞き分けのない相手へ、悲しみの感情を向けていた。


 王子は赤い目を細めて、立ち上がった。娘の後ろに周り、耳元に口を近づける。

 恐怖をあおるように、背後から低くて、ドスの聞いた声を出した。


「いいか? 俺は、お主を愛していない。王子の義務として、仕方なく婚約しただけだ。

だが、今の俺には、東国の王女との婚約話が持ち上がっている。はっきり言って、お主は邪魔なのだ。

理解したら、さっさと、署名して俺の前から失せろ。目障りだ!」


 寒い冬を思い出させる、冷たい声。

 一切の反論を許さない、凍れる王者の声。


 燃えるような赤毛の髪と情熱的な赤い瞳を持ちながら、王子は「雪の天使」と揶揄されることがあった。

 惹き付けて止まない、冷たく美しい微笑みと、絶対零度の声を持つからかもしれないと、公爵家の娘は思う。


「早くしろ。これは、国王の勅命でもある!」


 凍れる王者の声に、ビクリと公爵家の娘の体が震えた。


 独裁政治の国王からくだされる、みことのり。

 王子にも、王女にも逆らえぬ、絶対命令。


 もしも逆らえば、王家に連なる公爵家と言えども、娘の命を守れないかもしれない。

 赤毛の王子は、娘にペンを持つように命ずる。


「……ウィリアム様、確認させてください。

わたくしたちの婚約解消には、国母様の意志が入っておりますか?」


 泣いている公爵家の娘から、可憐な鈴の音のような声が紡がれる。

 涙を流しながらも、賢い娘は政治の思惑を察していた。

 賢くなければ、王宮で生き残ることも、王子の婚約者もできない。


「……ああ、側室殿の後押しがあった。

あの女ギツネの思惑は気に入らんが、お主と婚約解消したい俺には、好都合だったから受け入れた」


 ウィリアムと呼ばれた王子は、吐き捨てるように 言い放ち、窓をにらんだ。

 視線のはるか先には、王宮がある。

 王太子の母親を「女ギツネ」と言い切るくらいには、嫌っている。


「理解したら、署名してくれ 」

「……涙で見えないので、書けませんわ」


 赤毛の王子は、ため息を。背後から移動して、公爵家の娘の右隣に座った。

 伸ばされた右手は、青空色の瞳からあふれる涙を、優しくぬぐう。

 娘の手にペンを持たせると、自分の手をそえ、署名する位置まで誘導した。


「ここに署名してくれ」


 サインを要求する王子の声は、冷たくて固い。

 公爵家の娘は、今度は何も言わず署名する。


「……これで、わたくしたちの婚約は、解消いたしますのね?」

「ああ、俺たちの関係は昔に戻る」


 婚約解消。

 生涯連れ添うことを誓った相手同士から、単なる親戚同士に、二人の関係が戻ったと言うこと。


「……用事が終わったら、出ていってくれ」


 王子の声は、どこまでも冷たく、事務的だった。

 公爵家の娘はうつむいたまま、王子を見ることなく、ソファーから立ち上がる。ゆっくりした足どりで、扉へ。

 太陽の光を集めたような金髪が、王子の視界から消え、部屋の扉が閉まる音がした。


 一人ぼっちになった部屋で、王子は両手で顔を覆う。


「……兄者になら、安心して預けられる。

王太子の花嫁となって、世継ぎを生んでくれ。お主ならば、立派な国母になれるはず」


 王子の独り言は、涙声になっていく。

 大柄な肩が揺れ、情熱的な赤い瞳からは、大粒の雨が降り始めた。


 声を出さずに男泣きする王子に同調したのだろうか。

 太陽は、雨雲を思わす黒い雲の中に、姿を隠し始める。

 その夜は、一晩中、雨が降り続けた。


 ようやく雨が上がり、太陽が顔を出した頃。

 燃える太陽のような赤毛を持つ、ウィリアム王子の姿は部屋から消えていた。


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