桜吹雪
まるで雪のようだ。と、その人は言った――――――。
桜の樹の下には人の死体が埋められている。だから、綺麗に咲いているのだと言い伝えられている。もし、それが本当ならば足元は、死体ばかりだ。
「ねぇ。この枝持って帰りたい」
「そうだな。これだけあるんだから折ってもバレないだろう。待ってろ。すぐ取ってやるよ」
近くにいた若い男女が花冠とつぼみがいくつか付いた枝に手を伸ばした。
その様子を黙ってじっと見ていたわたしは、顔をしかめた。
「いたっ」
「あんたの指、綺麗だな。折って持って帰っていいか?」
そんな声が聞こえてきて、片割れの男が不機嫌そうに振り返った。
「お前、人の女になにやってんだよ」
「あんたがやろうとしていたことをやっているだけだ。文句あるか?」
青年は、女の指を握りしめ関節とは逆方向に力を込めている。女は、顔を痛そうに歪め恋人を見つめていた。
男は、観念したのか伸ばしていた手を引っ込め、覚えていろよ。なんて捨てぜりふを残して去っていった。今どき、そんなことを言うやついるのだと心の片隅で思っていると、
「さてと」
目が合うはずがないのになぜだか目が合った。
「…………」
わたしは、気づかないふりをしようとしたときに風が吹き、花びらが宙を舞った。
「雪のように綺麗だな」
落ちた花冠を拾ってそう言った。
そんなことを言われたのは二度目だ。
わたしにとっての時間は、流れるようにゆっくりだが、人の時間の流れは、わたしにとってあっという間だ。
幼かった子どもは、わたしが瞬きをしている間に大人になって、いつの間にかいなくなっている。
それは、ひとり残された子どものように置いてきぼりになったような感覚と似ているだろうか。
沢山あるのだから大切にされない。それどころか落ちた花びらは、ゴミのように扱われる。ましてや、雪のように綺麗だと慈しむように口にする人などいるわけがない。
あの人以外に……。
「ねぇ」
今度は、肩を叩かれた。これでは、無視をするわけにはいかない。
「なにか用か?というか、お前わたしが見えているのか?」
わたしの姿は、普通の人には見えないはずだ。ごく稀に見える人もいると聞いたことがある。
「見えているよ。淡い紅色のワンピースを着ている女の子。髪は、ストーレトロング」
自分の腰あたりを指差している。長さを表しているのだろか。あたりだった。
「特に用はないんだけど。見えたから話し掛けてみた」
「なにもないところでひとりごとを言っていると不審者だと思われるぞ」
わたしは、鼻で笑いながら言ってやる。
「誰も僕のことなんか気にかける人なんていないよ。せいぜい、酔っぱらいと思われるだけだ」
手を広げ首をすくめながら言った。たしかにそうかもしれない。花見の時期になればみな、陽気にしているのをずっと見てきた。わたしは思わず顔を歪め笑った。
「そうしていればいいのに」
「は?」
「綺麗なんだから仏頂面で人のことを見てないで、笑っていればいいのにと思ってさ」
思ってもいないことを言われ、わたしは顔が熱くなった。だが、青年は気にする様子はなかった。
「長くそこにあるものだから、つい忘れがちになってしまうけれど、植物にももちろん命があるんだよな」
手を伸ばし、つぼみにそっと触れた。その触れ方にわたしは、くすぐったさを感じたが、不思議と嫌ではなかった。
「だから、今年も咲いてくれてありがとう。と」
「来年も来るからさ、また咲いてくれるかな?」
「…………嘘つき。また、来るからと言ってあの人は来なかった。その次の年も、また次の年も。守れない約束なんていらない。花だからどうせ忘れてしまうと。なにも感じないと思っているのだろう。わたしにだって花にだって感情はあるんだ」
わたしは、青年の襟を掴みながら言いそして、続ける。
「こんな花、咲かなければ散らなくていいのに。咲いているうちは綺麗だと言われるが、散ってしまえばどうた?まるでゴミ扱いだ。花は、要らないか?わたしたちは、わたしは、要らないものなのか?」
瞳から涙が溢れてきた。なんで、泣いているのかわたしにもわからない。
「要らなくない。咲く花に想い出があるように散り際にだって想い出がある。それを愛しく想う人だっている。僕にとって大事な人が大切にしているものを僕だって大切にしていきたいと思うよ」
青年は、手の甲でわたしの涙を救いながら言った。
「僕のひいじいさんがきみをとても大切にしていたんだ。心臓の病気でなかなか来られなかったらしいけど来てはずっと眺めていたと聞いている」
わたしは、はっとして青年の顔を見た。
遠い記憶の片隅に追いやったものが押し出されてくる。
花風が吹き桜の花びらが宙を舞い落ちていく。「まるで、雪のようだ。雪のように綺麗だ」
ぽつりとなんでもないことかのようにその人は、呟いた。
「雪なら溶けてしまえるのにな」
そうわたしは、思わず返してしまった。
しまったと思ったがもう遅い。ぽかんとした顔をする男と目が合った。
「こんにちは」
「……」
こうなったらだんまりを決め込むしかない。
「こんにちは」
肩を叩かれ視線を合わせられる。
「……こんにちは」
やけに痩せている男だと思った。
戦争が終わり人々は、その日を食べていくのにやっとだと耳にする。生きていくだけで精一杯。この男もそうなのだろうか。それならば、こんなところに来ないで働き口を見つけてくればよいものを。
男は、しばらく舞い散る花びらがをどこか愛しそうに。
そして、今にも泣き出しそうな顔で見ていた。
「っ!!」
顔を苦しそうに歪め、心臓辺りを抑えやっとの思いで、
「また、来ますよ」
そう言い残し男は去っていった。
そして、次の日。男は来なかった。
その次の日も。また、次の日も。
また、来ると言ったのだからこちらから会いに行く義理などない。そもそも、男の家など知らないしどこの誰だか知らない。たった一度、言葉を交わしただけだ。
数日経ってから他の花たちの噂で、あの男が死んだと知らされた。
たった一度、雪のようだたと言われただけ。
その、一言だけ。
交わした言葉だって、少ない。
雪なら溶けてしまえるのに。
あの男のように消えていなくなれたらいいのに。
また、来ると約束したのに。守れぬ約束などしてほしくなかった。
雪のように綺麗だと。また、来ると言った男のために咲いているんじゃない。でも、もしまた逢えるのなら散り行く花びらを雪のように綺麗だと口にしてほしい。そのためならば、わたしは――――――。
あの男に少し似たこの青年は、わたしに同じことを言うのか。守られることのなかった約束をするというのか。
守れぬ約束などいらないのに求めてしまいたくなる。その手にすがりたくなる。
わたしは、青年に手を差し出した。青年は、ためらいもなくその手を握った。
「……また、来てくれるのか?」
わたしは、青年の顔をじっと見つめた。そして。青年は、
「あぁ。何度だって約束するよ。また逢いに行く」
あの男と同じ笑顔でそう言い、わたしの花に触れた。
あいつに逢うためにわたしは、また眠りにつく。




