最後の英雄時代 英雄のいない時代がしあわせです
第二次世界大戦の時代は、数百年後には、最後の英雄時代と定義されているかもしれない、ということについて書いた文章です。
04.9.4記
別のタイトルで、第二次世界大戦は、どんな理由があるにしろあるべきではなかった、と書いた。
しかし、この第二次世界大戦も歴史の一齣として見てしまえる時代。原爆も、ユダヤ人の虐殺も、冷静に客観的に「悲劇であった」と論述されてしまう時代。
具体的には、今から数百年後の世界。
その時代からみたら、第二次世界大戦はあるいは、最後の英雄時代であった、と定義されているかもしれない。
むろん、きわめて広義に解釈した英雄だが。
短絡的な見方かもしれないが、近代の世界史を代表する国家は、アメリカ、ソ連・ロシア、中国、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、そして日本の8国であると思う。
この8国の歴史を描けば、相当な時代まで遡って、世界史の主要事項が網羅できる。
そして第二次世界大戦の時代は、この8国全てに、その国を代表するに足る人物がいた。
アメリカ:ルーズベルト。
ソ連:スターリン。
中国:蒋介石及び毛沢東。
イギリス:チャーチル。
フランス:ドゴール。
ドイツ:ヒトラー。
イタリア:ムッソリーニ。
さて、日本にはいたのか。
東条英機ではこれらの人物に比べてスケールが小さすぎる(残されたご遺族に関しての著作を読んだことがあり、東条英機は、誠実で、職務に忠実な人物であったのだと思う。
極めて優秀な実務者であり、英雄でも独裁者でもなく、国家戦略を構想するべき人物ではなかったと思う)。
日本にもいたと思う。
上記の人物に比べれば、異質な人物であるが、同時代の国民に与えた影響力は上記の人物達に勝るとも劣らない。
天皇裕仁だ。
毛沢東、スターリン、ヒトラーは、その影響によりどれだけの人間が犠牲になったかという意味で、二十世紀における三大大量殺人者であるということも銘記されねばならないこと、と思います。