第五話 罪と罰
村人に石を投げられ蔑まれながらスラム街でごみ漁りをする自分。
それが少年の最初の記憶だ。
マトモな人生とはとても呼べず、間違いなく不幸と呼んで良い人生。
だが、少年の一番の不幸はこんな生活を送っている事ではない。
こんな生活を送るのを当然と思い、この生活が惨めなものなのだと知らない事である。
そう、少年は普通の生活を一切知らなかった。
少年は気づいた時からずっと孤児だった。
親がいないのは、魔物に襲われたとか、親が早くに逝ってしまったとかそういった悲しいものではない。
単純に、捨てられたからだ。
だからこそ少年は親の愛というものを知らない。
少年に悲しいや辛いという感情は一切なく、見知らぬ人達に罵られ、時に殴られるような事があっても気にせず、ただただ惰性でその日暮らしを生きていた。
少年の人生に意味はなく、その感情は虚無そのものだった。
だからだろう。
村が大量の魔物が入り込んでも…。
ほとんどの者が死に絶えても…。
目の前で化け物が斧を振りかざしていても、少年は何の感情も見出す事が出来なかった。
――あ。終わった。
少年がそう思いながら、じっと豚の魔物を見ていた。
命乞いをすることもなく、また特にすることもなく他に見るものがない為少年はその魔物をただじっと見ていた。
そんな少年が次に見たのは、豚の魔物が吹き飛ばされる光景だった。
「大丈夫か!?」
青年……というよりは中年に近い見た目の男性は綺麗な剣を持ちながら、自分にそう尋ねてきた。
少年はその男をじっと見つめていた。
助けられたのだろうという事はわかるが、そこに何の感情も見いだせない。
その為、男を見る以外どうしたら良いのか少年にはわからず、ただじっと男の方を何の感情も籠っていない瞳で見ていた。
結局、村は滅んだ。
生き残ったのは自分を除いて十分程度。
また少年は知らない事だが、村がスラム街を故意に発生され人身売買を国に隠れて行っていた。
そんな村の再生は叶うわけもなく、生き残った十人は全員そう言った場所に送られ罪を調べられる事に決まった。
そしてスラム街で唯一生き残った少年の処遇だが――。
「やあ。今日から俺が君のお父さんだ! 父上でもパパでもパピーでも好きに呼んでくれたまえ!」
あの時の男が腰に手を当て、胸を張って自慢げにそう叫びだした。
そんな奇行を見ても、少年は何も言わなかった。
自分の面倒見てくれるという事は理解したが、少年にとってそんな事どうでも良く、何と反応したら良いのかわからなかった。
男の名前はロードゼクス。
勇者という世界で唯一の存在らしい。
民を救う為に冒険をしているそうだ。
おそらく、少年から尊敬を得たかったのだろうそんな事を得意げに話すゼクス。
残念ながら、少年はそんな事に関心は全くなかった。
だけど、少年は一つだけ気がかりな事が出来た。
『自分のような存在は沢山見てきたはずなのに、どうして僕だけ連れていく事にしたのだろうか』
そんな疑問を思い浮かべたが、少年はどうでも良く、問い尋ねる事もせず黙ってゼクスに付いて歩いた。
ゼクスは少年に名前を付けた。
「今日から君の名前はクロスだ! 俺の息子だからな、俺の名前から取って付けた!」
そう笑顔でゼクスは言った。
少年はゼクスから名前という物を貰った。
ゴミと暴力以外で誰かに何かを貰うなんて、少年には初めての事だった。
そこから少年はゼクスに山ほどの物を貰った。
食べ物から衣服に武具、そして生きる知恵と剣術。
本当にたくさんの物を貰って、少年は初めて、今までの人生が惨めだった事に気が付いた。
そして、色々と知る事が出来た少年はゼクスに恨みを持った。
『全部持ってる男が同情で自分を連れて歩いているんだ。僕なんかどうでも良い存在なんだ』
少年は愛を知らなかった為、そう思った。
同時に、それは少年にとって一種の防衛反応でもあった。
ゼクスに捨てられたら、今度こそ自分は苦しくて壊れてしまう。
だから自分がゼクスを嫌いになろう。
そう、少年は考えてしまった。
その日から、少年はゼクスに冷たい態度を取り続けた。
寂しそうな、切なそうな顔をするゼクスを見る度に、少年の心に棘が刺さったような痛みが走る。
それでも少年はゼクスから距離を取り続け……ある時、ゼクスの元から逃げ出した。
少年は一人になった。
山の中に逃げ隠れた少年は、夜になって心細くなり座り込んで震えだした。
お腹が空いた、ひもじい、寂しい。
こんな事、以前は良くあった事で何にも感じなかったのに、今はとても辛い。
悲しくて、涙が出てきた――。
「はいクロス見っけ」
そう言ってゼクスは震えて泣いている少年の前に姿を見せた。
行先など告げてない上に、夜の山の中。
周囲は茂みに溢れ普通は見つけられないような位置だ。
――どうしてここが……。
少年は一瞬だけそう考えたが、その理由はすぐに理解出来た。
ゼクスの全身には草や枝が付き、体中が傷だらけになっている。
その上靴は底がすり減り、革がめくれあがり靴の体を成しておらず、足からだくだくと血を流していた。
ゼクスはここを見つけたわけではない。
ここら一帯全てを探し回っただけである。
「……クロスは今まで嫌な事を何一つ言わない良い子だったからね。どうしたら良いのかわからなかったよ。ごめん」
ゼクスの言葉に少年は腹が立った。
悪い事をしていないのに謝られたら何も言えなくなってしまう。
そんな自分勝手な事で怒っている自分が、少年は無性に情けなかった。
「何が嫌だったか、教えて欲しい。旅をするのが辛かった?」
少年は歯を食いしばり、ゼクスを睨みつけた。
「どうせ捨てる癖に優しくするな!」
少年は、初めてゼクスに口答えをした。
「――家族を捨てるわけないじゃないか」
「血の繋がりなんてないじゃないか……それに、僕は血の繋がった親に捨てられたんだ!」
今のが失言だった事に気づいたゼクスは顔をしかめ、そして微笑みながら諭すように話しかけた。
「俺はお前を絶対に見捨てない。お前は俺の大切な息子だ!」
はっきり言いきられ、少年は切なくて、悲しくて、嬉しくて涙を流した。
「でも、ゼクスは勇者じゃないか。僕みたいなの沢山見て来たし、僕なんか特別じゃないでしょ」
それが少年の本心。
怖かった。
自分みたいな存在、山ほど見てきたはずである。
つまり、ゼクスにとって自分はは特別なんかじゃないないという事だ。
少年には、その事実が一番恐ろしかった。
そう言葉にした少年の横にゼクスは座り、少年の頭を撫でた。
「確かに悲しい目にあった少年少女を俺はたくさん見てきた。悲しい瞳、辛い表情――沢山見てきた」
「だったら――」
「だけど! だけどな、クロスのような空虚な瞳、俺は見た事がなかったよ。全てを諦めたようなあんな表情、俺は知らなかったんだ。だからさ、俺は運命だと思ったよ。この子を幸せにするのが俺の使命なんだってな」
少年は小さく笑った。
「勇者だもんね」
そんな少年の言葉に、ゼクスは首を横に振った。
「いんや。勇者の前に、俺は人の親なんだ。クロス。お前は俺の息子だよ。誰が何と言おうと、俺がそう決めて、そう思ってるからな」
そう言いながら、ゼクスは少年の頭を自分の方に寄せ抱きしめた。
温かかった。
その温もりから、少年は大切な物を受け取った。
『勇者の前に親である』
その言葉こそ、自分が一番欲しかった物だったと気づいた少年は、涙を流し父親に縋りついた。
その日から少年の様子はガラリと変わった。
勇者である父親の恥にならないよう、まっすぐ一生懸命に生きようと決めたからだ。
父親の言う事は何でも素直に受け入れた。
剣の練習も真面目に受けた。
食べ物も好き嫌いをしなくなった。
人助けをする楽しさも知った。
自分は勇者の息子なんだという自負が、心地よかった。
たった一つ『父』と呼ぶのが恥ずかしくて言えなかった事以外は、少年は全てが思い通りな人生だった。
だが、そんな生活は長くは続かなかった。
とある村に立ち寄った時、突然魔物に襲われた。
きっとゼクス一人なら問題なかっただろう。
だが、ゼクスは一人ではなく、そこに少年がいた。
魔物は柔らかい肉であろう少年を襲う。
そして当然、ゼクスは少年を庇い、傷つきながら魔物と対峙した。
「あ……あ……」
少年は血に染まるゼクスを見て、言葉を失った。
ゼクスは魔物を斬り伏せた。
だけど、ゼクスの体は――。
少年は、ごめんなさいも、ありがとうも、何も言葉に出来ずにいた。
「クロス。無事だったね」
そう呟いた後、ゼクスは地面に崩れ落ち、二度と目を覚ます事はなかった。
その村で、ゼクスの墓が建てられる事となった。
村人は誰一人、少年を責めなかった。
それどころか、少年をここに住まわせようという声やクロスの親になりたいという声が後を絶たなかった。
それは勇者の功績、ゼクスの偉業、そして少年の日頃の立ち振る舞いの成果である。
だが、少年は首を横に振った。
きっとこの村に住めば幸せな生活が出来るだろう。
優しい村人に囲まれ、ゼクスの事を想い、安らかな生涯を送れると少年は思った。
だからこそ、少年はそんな平穏な幸せを拒絶した。
――そんな事、許されるわけないじゃないか。
少年は己の罪を受け入れ、咎人として生きる事を決意した。
村人はゼクスの墓を建てた。
村人達は当初、勇者の持つ剣を墓標にしようと計画していた。
偉大な勇者を示すのにこれほど相応しい物はないからだ。
だが、勇者の剣に振れると信じられないような激痛に苛まれた為誰一人持つ事が出来なかった。
少年は勇者の遺物を全て村人に差し出した。
相当量の金銭や優れた武具。
それは、少年の為に残したものであろう事は誰もが理解出来た。
愛しい息子が一人残された事を、ゼクスは常に考えていた。
だが、少年はそれらを全て受け取らずに拒絶し、村人に差し出した。
少年が受け取った物はたった一つ、寒がりだったゼクスが良く身に着けていたマフラー。
それだけを少年は引き取り、自分の顔にしっかりときつく巻いた。
その温かさと、己の所業を二度と忘れないよう……。
何より、最愛の父親を二度と忘れない為に――。
少年は三つの罪を自覚していた。
一つは勇者という偉大な存在を自分の所為で死なせてしまった事だ。
それは勇者を殺したと同じ意味になるだろう。
一つはゼクスという男の存在を勇者として死なせてしまった事だ。
その所為で、ロードゼクスという男の事を考える者はおらず『孤児を護る為に身を捧げた勇者』としか世間に認識されなくなった。
勇者ではなく、ロードゼクスという男が偉大だったと知っているのは、もう少年一人になった。
そして三つ目、最大の罪であり、最大の後悔。
少年は、一度もゼクスを『父親』と呼べなかった事だ。
呼んで欲しかったのも知っていた。
だけど、恥ずかしかった。
言い辛かった。
呼んで良いのか不安だった。
そんな下らない自分の感傷の所為で、父親であるゼクスにお父さんと呼ぶ事が出来なかった。
少年は、何も返せなかった恩知らずの自分を一生涯許すつもりはなかった。
だからこそ、少年は決意した。
孤児として生き、勇者の息子として幸せな日々を経験し、勇者を殺した咎人となった自分がすべき贖罪。
ロードゼクスが死ななかった場合の未来を自分の手で成し遂げる。
ロードゼクスこそが真の勇者で、世界で一番偉大な男だったと世間に知らしめる事。
その日から咎人である勇者の息子は死に、勇者の代行者である『少年』となった。
少年はゼクスの持っていた剣に手を伸ばし、掴んだ。
その瞬間、腕全体に人間ではとても堪える事の出来ない激痛が走る。
だが、少年はそれを手放さなかった。
勇者にとって最も大切な物がこの聖剣だと知っていたからだ。
少年は理解していた。
この剣を長時間持っていると、腕は腐り落ち、最後には死ぬであろう事を――。
他の誰でもない、ゼクスにそう聞いていたからだ。
――だからどうした。
少年は自分の体などどうでも良かった。
右手が使えなくなったら左手を使う。
それでも無理なら足を使う。
足も無理なら口で咥える。
それだけの覚悟を、少年は持ってしまっていた。
少年は冒険を始めた。
偽者の勇者として馬鹿にされ石を投げられ貶され続ける旅路。
剣の与える痛みは気がふれそうな程であり、腕の痛みは体中に蟲が沸くような幻視をするほどに酷い。
控えめに言って地獄である。
だが、己の罪に苦しみ続ける少年には、そんな苦痛を抱えている時の方が心地よいくらいだった。
しかし、そんな旅をどれだけ長く続けても、どれだけ苦しんでも、少年は自分を許す事だけはなかった。
ありがとうございました。