再会
「ああ……まずい、かなりまずいわ。遅刻なんてしたらロゼットに叱られる。いいえ、それよりお兄様の嫌味が飛んでくるわ」
もうすでに日が明け、町の人々も活動しはじめた早朝の町中をリースは走った。
城を出てから早三日。
今日はグラニアス皇帝の下へと向かう日で、本当ならとっくに城に帰っていなければならない時間だというのに、大遅刻であった。
「夜中まで酔っぱらい達と騒ぎ過ぎた」
しばらく会えないからと少し調子に乗ってしまった。
リースは一見すると虫も殺せないような儚げで優しげな面立ち。室内で刺繍をしている姿が似合うような深窓の姫君風であったが、その中身はおしとやかとは真逆。
活発で行動的、おてんばで、室内でお人形遊びよりも外で乗馬や剣を振り回して遊んでいるのが好きな子供だった。
兵に混じって訓練を行ったりして、手や腕には王女にあるまじき傷跡がたくさんあり、傷を負う度に侍女達を泣かせていたがリースは気にしない。
父王は女の子なのだからと嗜めることはあったが、リースは勉学においてもきちんと成果を出していたばかりでなく、一緒に訓練することで兵達とも信頼関係を作ったりと、王族として必要なことはしていたので父親としても王としてもあまり口出しができなかった。
そんなリースの楽しみが、城から抜け出し町にお忍びで出掛けること。
庶民が着る服と軽い変装で忍ぶのだ。
そこでは王女という地位などなく、ただの一人の人間として扱われる。そんな町の雰囲気とそこに暮らす人々との接触がとても好きだった。
社交的なリースは町でもすぐに顔見知りができ、気安く接することができる人がたくさんできた。
それは城では経験できないことだった。
しかし、誰にも王女だとはバレていないと思っていたのだが、町の人達が実は気付いていたと知ったのはしばらく経ってからだった。
それでも気付かないふりをしてくれる。そんな心優しい町の人達を愛おしく思う。
しかし、グラニアスに行けばそんな人達ともしばらく会えなくなるからと、残りの三日間をリースは町で過ごすこととしたのだ。
親しい人達はどこから話が漏れたのか、すでにリースがグラニアスに行くことを知っており、そこから送別会だと言った誰かの一言から大騒ぎに。
人が人を呼び、次から次へと人が入れ替わり立ち替わり、馴染みの酒場を貸し切りにして飲んでは騒ぎ、眠って起きては騒ぎ酒を飲みとし続け……。
酔っぱらい達が死屍累々となっている酒場の中、目を覚ましたリースは寝ぼけまなこで、今日何日だっけと考えて、次の瞬間一気に覚醒した。
「遅刻! まずい、皆起きてー!」
大慌てで酔っぱらい達を叩き起こし、ゆっくりと挨拶できないまま簡単に別れの挨拶をして酒場を飛び出した。
そうして猛ダッシュで城に帰還したリースは、何とか間に合ったことにほっとしていると、後ろから聞こえてきたロゼットの声にびくりとする。
「姫様!」
「わっ、ごめんなさい、ロゼット! ……ん?」
振り返ったリースはロゼットに謝ると同時に、そのロゼットの姿に目を丸くする。
「どうしたの、ロゼット? その格好」
ロゼットは普段着ている侍女の制服ではなく、王族が普段来ているような質の良いドレスを着ていた。
「姫様にはこちらを」
そう言って渡されたのは普段ロゼットが着ている侍女の制服。
何故自分にこれを渡すのかと首を傾げる。
「この件に関しまして、王太子殿下からお話しがあるそうですので、すぐに執務室へお願いします」
「お兄様が? 何かしら」
***
会談が行われてから三日後。
グラニアスの拠点の皇帝のために建てられた天幕の中。グラニアス皇帝ユリウスは朝から椅子に座ったり立ったり歩いたり、そわそわと落ち着きがない。
朝から……いや、昨晩からあの姫のことを思い浮かべては何故か心がはやる。
そしてそんな自分に気付いては己に活を入れるのだが、それも上手くいかない。
もうすぐあの姫が来る。自分の妃として……。
何をこんなに落ち着かないのか、これまでたくさんの美姫を前にしてもこんな気分になったことはなかったのに。
何なのだろうかこの気持ちは。
あの姫に会えることが待ち遠しくてしかたがない。
冷酷非情と言われた自分がこんなに心乱れるなど。
「陛下、フィーリアの王太子一行が到着しましたよ」
天幕に入ってきたアルウィンにそんな気持ちを悟らせないように表情を取り繕い、ドキドキとしている心の内は決して見せないようにしたが、柄にもなくちょっと緊張してきた。
会ったら最初に何と声をかけようか。
向こうはきっと自分の悪評も知っていることだろう。
怖がらせないように印象を良くするにはどうすれば……。
眉間にしわを寄せるユリウスの姿から、そんな心の内を察することができる者がいなかったのは幸いだろう。
でなければ普段からは想像もできないユリウスに、明日は槍が降るのではないかと心配する者が続出したはずだ。
色んな事をぐるぐると考えながら天幕から出て、フィーリア一行を迎えに向かう。
三日ぶりに会った王太子のライアンは相変わらず柔和な笑みを浮かべているが、すでにユリウスの中では油断できない相手として認識されていた。
そんなライアンの一歩後ろには厚いベールで顔を隠したドレスの女性がいる。
服装からして彼女がリース姫だろうと判断したユリウスは、あまりそちらを見ないようにしつつも意識がそちらに行ってしまうのを防ぐことができなかった。
それでも、気にしてると思われるのは嫌なので、姫以外へと視線を向けていると、ある人物を見つけてピタリと視線が止まった。
あまりにも注視していたので、ライアンの視線もそちらへ向かうと、ふっと口角を上げてその人物を紹介した。
「ああ、この子はリースの侍女のロゼットです。リースと共に貴国へ向かうことになっていて……」
その言葉にユリウスはふざけるなという思いがわき上がってくる。
「何を言っている! その者がリース姫ではないのか!?」
侍女の服を着て、リースと思っていたベールの女性の後ろにひっそりと控える蜂蜜色の髪の女性は、間違いなく戦場で出会ったあの女性で間違いなかった。
ユリウスに強い印象を与えたあの紫紺の瞳を間違えたりはしない。
「この子はリースの侍女ですよ」
「何を言っているんだ。俺はその者が戦場でリース姫と呼ばれたのを確かに聞いている!」
責めるようにユリウスが追求すると、ライアンは少し困ったような表情を浮かべる。
その様子すら何か芝居かがっていて、不信感しかない。
「何度も言いますが、この子は侍女のロゼットです」
「だがっ……」
「大国との戦です。ただでさえ戦意の低い兵達の士気を上げるには、王族が旗頭となって戦場に立つのが一番効果が高い。そこでリースを戦場に立たせたわけです。しかし、以前にもお話しした通り貴殿は狙われている。いつ何があるか分からず、巻き添えを食う可能性もある。兄として妹が心配なので、そこで影武者を作ることにしたのですよ」
「影武者……」
「そう、影武者です」
「では、リース姫はリース姫ではないと?」
「その通りです」
がっかり。
その言葉が一番相応しかった。
自分に対しても臆することなく見つめる、あの眼差しを持った姫を妃にできると思っていた。
しかし、そう思っていた女性は、ユリウスを前にしてその瞳でこちらを見ることなく軽く頭を下げ視線を下に向けている。
侍女ならば当然だ。
侍女の身分で皇帝をじっと見つめるなど不敬になる。
「…………」
何だか急にどうでもよくなった。
先ほどまでそわそわと落ち着きなく、姫が来るのを待ち望んでいたのに、一気にリースという姫への興味が失せていく。
「そうか、そういうことなら理解した」
「ご理解いただきありがとうございます。リースのことはくれぐれもよろしくお願いしますよ。我が国にとっても、ラヴィニールにとっても大事な大事な姫ですので」
「あい分かった」
どこか投げやりに返事をするユリウス。
あの時の女性でないのなら、ラヴィニールという後ろ盾を持った厄介な者を掴まされたという気持ちしか浮かんでこなかった。
「では、これにて失礼する」
とっとと話を終わらせて出発しようとするユリウスだったが、ライアンがそれを遮る。
「少しお待ちを。例のあなたへ力の使い方を教える者も紹介しておきたい」
この同盟を決めた大事なことだ。
「ロゼット」
ライアンがそう呼ぶと、先ほどユリウスがリースと思っていた侍女が前に出てくる。
「この者が力の使い方を教えます」
「よろしくお願いいたします、陛下」
綺麗な礼をとって頭を下げた。
そして頭を上げた侍女と目が合った。ユリウスを見て微笑んだその瞬間、ユリウスの心臓がドクンと跳ねるのを感じた。
「この子はフィーリアでもトップクラスの力を持つ加護持ちです。あなたが暴走したとしても抑える力を持っているので、安心して下さい」
「彼女が……?」
「ええ。分からないことがあれば色々と聞いて下さい。リース、ロゼット、あちらへ行ってもよくやるんだよ」
「かしこまりました」
「承知しました」
リース姫と、侍女のロゼットは揃って返事をした。