皇帝が喉から手が出るほど欲しいもの
フィーリアとの会談の場は早急に整えられた。
当初どこで話し合いの場を設けるのかとグラニアス側は悩んだ。
命が狙われた事実がある以上、ユリウスをフィーリアの懐に入れるわけにもいかないし、向こうとて警戒してこちらの拠点には警戒して訪れないだろう。
フィーリア王都と拠点の中間地点に場所を設けるのが無難かと考えていると、フィーリアはグラニアス側の考えをあざ笑うように、グラニアスの拠点に行くと言ってきた。
しかも訪れたのは身分の高そうな青年が一人と文官と武官が一人ずつの、たった三人で敵陣に赴いてきたのだった。
これには、なめられているのか、戦う意思はないと告げているのか判断に困った。
しかも、グラニアス側の話し合いの場に立ったのは皇帝ユリウス。
ならばフィーリア側も当然王が来ているものと思っていたのだが、訪れたのは……。
「はじめまして、グラニアス皇帝。私はライアン・ラル・フィーリア。フィーリアの王太子です。他の二人は宰相と近衛の隊長です」
王ではなく王太子が来たことに、グラニアス側は難色を示す。
ユリウスも眉をひそめ、問いただす。
「王はどうした」
「諸事情がありまして」
「諸事情? こんな大事な場より優先すべきものがあると?」
「そのことに関しましてはおいおいお話ししていきます。今回のことにも繋がる話ですので」
とりあえず用意された席へユリウスとライアンが座ると、臣下達がその後ろに侍る。
穏やかな笑みを浮かべるライアンと、凍えるような眼差しをしているユリウス。その身から発せられる雰囲気は全く対照的だ。
どちらから話し出すのか、固唾をのんで臣下が見守る中、先に口を開いたのはライアンだった。
「フィーリアは今色々と忙しくてね、あまりまどろっこしいのは嫌なのでさっさと本題に入らせてもらいましょう。我が国は貴国との同盟を望んでいる」
ざわりとグラニアス側の者達がざわめいた。
ユリウスは眉尻を一瞬ピクリと動かすにとどめたが、臣下達の動揺は大きく、その内の一人が「ふざけるな!」と声を上げた。
「恐れ多くも皇帝陛下を弑そうとしておきながら同盟などと厚かましい!」
「まあ、そう思うのは仕方がない。しかし我が国はその件に一切関与していないと告げておこう」
「こちらには証拠があるんだぞ!」
興奮しているその臣下をユリウスは手を上げて制する。
我に返ったその者が頭を下げて後ろに下がったのを確認し、視線をライアンへと戻す。
「失礼した。しかしこの者の言う通り暗殺を企てたような王のいる国と同盟など結べない」
「それは戦いの前にも申し上げましたが、我が国は関与していない」
「証拠が残っている。そちらの国の王が我が国の貴族と交わした書簡が。そこには貴族と結託した私の命を狙う計画と王印が確認された」
「その書簡が交わされたのはいつのことですか?」
「半年ほど前のものだ。その貴族を捕らえ証言した」
ライアンはふーっと小さく息を吐き出す。
「ではそれは我が国の王の物ではありませんね」
口を開きかけたユリウスが話し出す前にライアンはこれまで隠されてきた事実を告げる。
「我が国の王……私の父ですが、王は二年も前に亡くなっているのですよ」
「なんだと」
「その二年前から我が国は王が不在。その書簡を送ることなどできるはずがない。この場に来られないのもそのせいです」
ここにきて初めてユリウスの顔に動揺が走った。
「嘘を吐いている……わけではないようだな」
「ええ、勿論。王が亡くなったことは一部の者以外にはずっと隠していたので疑うのは仕方ありませんが、嘘ではありませんよ」
「何故隠していた?」
「簡単に言えば継承問題のためです。父の弟と継承問題で揉めていましてたのでね。父の死を知られたら叔父が確実に何らかの行動を起こすとみて警戒していたのですよ。色々と後ろ暗いことをしていた人でしたが中々尻尾を見せなくて、その証拠集めや内乱にならないように手を回したりと。正直言って他国に目を向けられる状態ではなかった。同じように継承問題で内戦を経験した皇帝陛下なら分かっていただけると思いますが?」
それが事実ならたしかに他国に構っていられる状況ではなかっただろう。国内を平定することで手がいっぱいになる。
ユリウスも経験したことなのだよく分かる。それが本当ならば。
「なるほど、言いたいことは分かった。そちらの言う通り王はすでに亡くなったとしよう。だが、貴族とのやりとりはどう説明する。王印が間違いなく押されていたんだぞ」
「印その物を確認したわけではないでしょう。そんなものいくらでも偽造できる。我が国の王と文のやりとりがあり、王印を知っている者なら、ね」
その意味ありげな言い方と視線にユリウスも眼差しを強くする。
「誰か心当たりがありそうだな」
「あくまで心当たりが。証拠など一切ありませんのでここでの言及は止めさせてもらいましょう」
「それで納得しろと?」
ユリウスはその眼差しを一層強くするが、近しい臣下ですら震えるその冷ややかな眼差しの前にしても、ライアンは穏やかな表情を変えることはなかった。
「証拠もないのに我が国がそんなことを言ったと逆恨みされても困りますからね。で、我が国の疑いは晴れたのでしょうか?」
「それらの話も全て嘘とも言える。書簡の王印が偽物とは言い切れないのだからな。王がいないなら、王印を使えるそちらの国の何者かが王と名をかたって貴族とやりとりしたとも考えられる」
「確かにそうですね。ですがね、我が国があなたの命を狙うなら暗殺者を差し向けるなどというまどろっこしい方法をとる必要はないんですよ」
「どういうことだ」
ライアンはゆっくりと頬杖をついたかと思うと、一瞬ユリウスの後方へと視線を走らせ、再びユリウスに視線を戻すとにやりと笑った。
そして頬杖をついていない方の手を軽く上に上げる。
次の瞬間。
ひたりと冷たい感触が首に当たるのを感じ、ぞわりと総毛立った。
ユリウスの首には銀色に煌めく刃が当てられていた。
誰にも気取られることなく剣をユリウスの首に当てているのは、ユリウスからの信頼も篤い新参の近衛兵、ロイであった。
あまりにも自然で素早い動きだったので、グラニアス側の者は誰一人動くことができなかった。
彼らはフィーリアの方にのみ注意がいっていたので、味方側の者がユリウスに害意を与えると思ってもいなかった。
殺気も感じられなかったので最も側にいたアルウィンですら一歩も動けなかった。
「な、何をしている!?」
「すぐに剣を下ろせ!!」
グラニアス側の者達が顔色を悪くする中、ロイは表情を変えることなく剣を突きつけていた。
剣を引けば首が切れるその状況に、アルウィン達護衛は下手に動けない。
動揺が走る中、ユリウスだけはすぐに冷静さを取り戻し、目の前で至極楽しそうに口角を上げているライアンに鋭い視線を投げ掛ける。
「なるほど、ロイはそちらの者か」
「ふふっ、さすが冷静だね。その通り、彼はうちの者だ。ロイド、もういいよ」
ライアンがそう言うと、ロイはゆっくりとユリウスから剣を下ろし、フィーリア側へと立ち位置を変えた。
「これで理解していただけたはず。我が国はその気になればいつでもあなたを殺すことができた。わざわざ暗殺者など差し向ける必要などなくね」
「……そのようだな」
ロイはユリウスに重用されており、二人きりになることもしばしばあった。
近衛ということで王の私的な場、寝室などにも簡単に入れ、毒を盛るにも背後から剣で一刺しするにも、何度となく機会があった。
下級兵士としていたロイを近衛に無理矢理就けたのはユリウス自身。まさか他国の諜報をむざむざ身の内に招き入れるなど滑稽としか言いようがない。心の中で己を嘲笑する。
「そもそも、我が国はお礼を言われこそすれ、こんな風に戦争を仕掛けられるなんて心外でしかないんですよ。ねえ、ロイド?」
「はい、おっしゃるとおりです」
ロイド。どうやらそれがロイの本当の名前のようだ。
「どういうことだ?」
「先ほども言った通り、そちらに暗殺者を送った者に心当たりがある。けれど証拠は一つもない。何かしでかすかもしれないと、その程度だった。そこで私はロイドに、帝国に向かい皇帝を守るようにと命じたんですよ」
「俺を殺すのではなく、守っていたと?」
「信じる信じないはそちらの勝手。ですが、我が国としてはあなたに死んでもらっては困るんですよ。今この大陸はグラニアスとラヴィニールにより、小さな小競り合いはあれどバランスが取れている。ここで皇帝に死なれては、我が国とは直接的な関わりはないとしても間接的には色々な問題が生じてしまう。継承問題で揉めている今、問題ごとは御免被りたいのですよ」
ユリウスはしばしの間思案する。
確かにロイ、いやロイドはよく働いてくれた。
その生い立ちから警戒心の強いユリウスが信頼するほど献身的に。
それこそ殺す機会など掃いて捨てるほどあったが、そんな素振りなど一切見せなかった。それどころか暗殺者がユリウスを狙った時は誰よりも暗殺者を屠りユリウスを身を挺して守っていた。
ロイドがフィーリアの王太子の命令でグラニアスに来ていたのなら、確かにライアンの言う通り殺す気はなかったのかもしれない。
そもそもフィーリアがユリウスを狙うこと自体には疑問があった。
ライアンの説明は筋が通っているように感じた。
では誰がユリウスに暗殺者を仕掛けてきたのか。正直多すぎて特定できない。
ライアンは心当たりがあるようだが。
「暗殺者を仕向けてきた者の心当たりは話す気はないのか?」
「先ほども言った通り証拠はないので。しかし、その件の少し前にこちらにある話を持ちかけてきた者がおりましてね。危険だと判断したのでロイドをそちらに送ったのですよ」
「それは誰で、どんな話だ」
「我が国の王印を知る国とだけ言っておきましょう。それ以上はまだ言えません」
ユリウス暗殺のおり、グラニアスの貴族とのやりとりに使われたフィーリアの王印。
それが偽造できるのはそれなりにフィーリアと国交があり、王と書簡を交わす機会があった者のはず。
フィーリアと国交があるのはわずかな国だけ。それだけである程度絞れる。
それ以上は聞いても話しそうにないライアンにユリウスも追求は諦めた。
「分かった、そちらの言い分を信じよう」
「それは良かった。では同盟の件も了承していただいたと思ってよろしいですか?」
「それとこれとは話は別だ」
にっこりと笑ったライアンの言葉をユリウスは即座に切り捨てた。
「貴国と同盟を交わしたところで我が国に益は何もない。同盟とは対等なもの。そちらの国に我が国に差し出せるものがあるとでも?」
あるはずがない。こんな国交も少ない小国で手に入れられる物なら、大国であるグラニアスでも用意できる。
そうユリウスは自信満々に、そして少し馬鹿にするように言い放った。
「私の妹のリースをあなたの妃として差し出しましょう」
妹のリースという名を聞いて、ユリウスの心臓がどくんと激しく跳ねた。
幸いにもその鼓動の音が誰かに聞かれることはなかったが、ユリウスは内心動揺していた。
あの戦場で会った女性。姫やリース様と呼ばれていたが、王太子の妹姫だったのかと、この時になってようやく正体が判明した。
「リース……」
「ええ、十八になる自慢の妹です。美しさでもあなたの側妃方に引けを取らないと思います」
確かにあの姫は美しかった。
特にあの輝くような紫紺の強い眼差しをした瞳が、未だ脳裏から離れない。
沈黙するユリウスに焦れたのか、リースでは不服と思ったのか、ライアンの後ろに立っていた宰相がおずおずと言葉を発する。
「リース様でご不満でしたらリース様の妹姫のアイシャ様もいらっしゃいます。とても愛らしく性格も優しい方です」
その瞬間ライアンがギッと強く宰相を睨んだが、ユリウスはリースのことで頭がいっぱいで見ていなかった。
「いや、リース姫で良い」
考えるより先にそう言葉が先に口から出ていた。
言ってからはっとするが、今さら取り消せない。
「良かった、ではリースをすぐにこちらによこしましょう」
「ま、待て、確かにリース姫で良いと言ったが、それだけで同盟を結ぶわけにはいかない。同盟とは対等なもの。姫を妃に差し出すだけなら従属国と変わらない」
実際にユリウスの妃には人質同然でグラニアスにやってきた他国の王族も少なくない。
「ええ、勿論それだけではありませんよ。あなたが喉から手が出るほど欲しいものを差し上げましょう」
「そんなもの私にはない」
望めば何だって手に入れることのできる皇帝だ。
何でも口にすれば手に入る故、心の底から欲しいと思うものなど最近では全くない。
すると、ライアンは手のひらを上にしてユリウスの前に出した。
訝しげにそれを見ていると、突然手のひらから炎が吹き上がった。
「なっ!」
驚きのあまり椅子から立ち上がるユリウスに、後ろにいるグラニアスの者達もざわつく。
「炎がいきなり!」
「陛下と同じ!?」
「いや、何か仕掛けが……」
動揺する中、ゆっくりと炎は小さくなり、やがて消えていった。
驚きを隠せないものの、皇帝としての矜持を取り戻したのか何事もなく椅子に座り直すユリウスに、ライアンは不敵な笑みを浮かべる。
「言っておきますが種も仕掛けもありませんよ。あなたも持っていますよね? この、人ならざる力を」
「お前もその力を持っているのか」
「ええ、我が国ではこの力を持つ者を加護持ちと言います」
「加護持ち……」
それは初めて聞く言葉だった。
「我が国にはこういった力を持つ加護持ちが多く生まれるのですよ。知りたくはありませんか? この力がなんなのか。そしてこの力の制御の仕方を」
ユリウスはこの力がなんなのか、何故自分だけこんな力を持っているのか知らない。
他にも自分と同じ力を持った者に会ったことすらなかったので、知りようもなかった。
それを知ることができるなら、その力を使いこなすことができるなら、金をいくら積んでも惜しくはない。
「なるほど、確かに同盟を結ぶ対価としては十分魅力的だ」
ユリウスとライアンはお互い口角を上げてどちらからともなく手を差し出し握りあった。
グラニアスとフィーリアの間に同盟を結ぶことに了承した瞬間であった。
「だが、リース姫に関しては側妃として扱わせてもらう。正妃はまだ持つつもりがないのでな」
「それは構いませんよ。こちらもそこまでは求めていないので」
後にユリウスは、この時何故正妃として迎えなかったのかと後悔することになるのだが、この時はまだ知らない。
その後、ある程度の取り決めを行った両国代表は、グラニアス軍が国へと帰還する三日後に、姫の引き渡しと同盟を結ぶ書類のサインをして正式に同盟締結をすることで合意した。
話も終わり、ライアン達が帰ろうかと言う時。
「ああ、そうそう、一つ言い忘れていました。リースの母親はラヴィニール王の末の姫で、リースはラヴィニール王の孫に当たるのですが、ラヴィニール王はたいそう孫娘のリースのことを可愛がっていましてね。ラヴィニールと事を構えたくなかったら妹のことは丁重に扱うことをおすすめしますよ」
大きな爆弾を残してライアンは帰っていった。