フィーリアの王女
当初の予想を覆し、大国グラニアス帝国を退けたフィーリアの城内ではちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
だが、まだグラニアス軍を退けただけであり、完勝したわけではない。
グラニアス軍は王都からさほど遠くない場所に作られた拠点にまだ在中している。
国の上層部の者達は勝ったからといって楽観視してはいなかった。
ここからどうやってグラニアス軍を国へと帰すか、その会議が行われていた。
そんな会議の中に堂々と女性が入ってきた。
少女というには成熟しており、大人というには少し若い、少女と大人の中間のような年頃の女性。
蜂蜜色の髪を綺麗に結いあげ、シンプルなドレスを身につけている。
戦争の最中なので華美な物を避けたというのもあるが、だたたんに彼女がシンプルな物を普段から好んでいるというのもある。
女性は会議室の中央にある円卓の空いた席に座ると、女性より幾分年上の青年へと声を掛けた。
「お兄様、ただいま戻りました」
「お疲れ様、助かったよ」
青年はにっこりと笑って女性を迎え入れた。
青年の名はライアン・ラル・フィーリア。
このフィーリアの王太子だ。
そして彼をお兄様と言った女性はリースと言い、このフィーリアの第二王女である。
会議は王ではなく、王太子であるライアン主導で行われていた。
何故こんな大事な場に王がいないのかは、とある理由があったからだった。
そしてそれを知らないばかりにグラニアスはフィーリアが皇帝を暗殺しようとしたと誤解していた。
リースが空いた席に座ると会議が再開。
国を左右するこの大事な場に年若い姫であるリースが出席することに誰も否を言わない。
それはリースが普段から兄の王太子を手伝い、時には兄を諫め、意見し、政治に深く関わっているからだ。
他国の中には女性が政治に口を出すことに嫌悪を示す所もあるが、フィーリアではこれが普通だった。
それにリースは国民からの人気が高いだけでなく、頭も良く上層部からの評判も良い。
そしてこの度、グラニアス軍を負かしたフィーリア軍を指揮していたのが、他ならぬリースであった。
それ故この大事な話し合いの場にリースが出席するのは当然という認識を誰もがしていた。
まず最初に戦争に参加した自軍の被害状況が話し合われた。
確かにグラニアス軍を退けることはできた。
向こうもこちらをなめてかかっていたのか、兵の数も思ったより少なかった。
だが、戦いに馴れたグラニアス兵を相手に無傷とはいかなかった。
「グラニアス軍の方はどうだった、リース?」
「そうですね、撤退が早かったのであちら側も大きな被害はないと思います。さすが無敗を誇る皇帝といったところでしょうか。不利と見るや即座に逃げる判断をしました。これが無駄にプライドの高い人間だったらもっと被害が大きくなっていたでしょう。無敗でいられるのは加護の力だけでなく将としても優れているのだと思います」
「そうか。予定通り進んだならそれでいい。……いや、しかし残念だ」
「何がです?」
「どうせなら皇帝を捕らえて存分にいたぶってやりたかったのに。皇帝はかなりの美形だと聞く。その表情が歪みどんな風に鳴くのだろうか、一度見てみたかった。んふふふふ」
ライアンのドS発言に一同ドン引きである。
このライアン、リースと同じ蜂蜜色の髪に、青い瞳。
線が細く柔和で優しげな風貌。
まるでお伽噺から出て来たかのような理想的な王子様といった容姿だが、その中身は全くの逆。
人をいたぶるのがたいそう大好きな加虐趣味の変態であった。
プライドの高い人間を虐めるのが特に大好きなのである。
何故こんな変態が兄なのか、何度感じたか分からない疑問にリースは頭が痛くなる。
だが、治世者としては有能なのだ。
じゃなかったらとっくに王太子の地位から引きずり下ろしているところだ。
「駄目ですよ、お兄様。せっかく双方悔恨が残らぬよう被害を最小限に抑えるように戦ったのに、皇帝を捕らえて拷問なんかしてしまったらこの後同盟を結ぶことができなくなるではありませんか」
「分かっている。分かっている……が、残念でならない」
ふうと愁いを帯びた表情で息を吐く姿は麗しい王子様にしか見えないが、こんなのが次の王でいいのか、フィーリアの未来が不安になった瞬間だった。
と、そこで、先ほどのリースの言葉が気になった一人が話を本題に戻す。
「ライアン様とリース様はグラニアスと同盟を結ぶおつもりで?」
ライアンの発言に呆れかえっていた一同は、はっとしたようにライアンに視線を向ける。
「ああ、その通りだ。こんな小国に負けてあの皇帝も少しは頭が冷えただろう。皇帝の命を狙ったなど事実無根だと話し合いの場を設けるには今しかない。ついでに今後攻めてこないように同盟を結ぶようにもっていくつもりだ」
今回は退けられたが、グラニアスが全軍で来て全面戦争にでもなれば、フィーリアとしても被害は甚大になる。
だがそれでも負けるとは思っていないのが全員の見解だった。
小国でしかないフィーリアだが、グラニアスに勝てるだけの奥の手がまだ存在していたからだ。
今回の戦いでは過剰防衛になるからと出撃は見合わされていたが、その奥の手を出せば十二分に戦える。
けれど、フィーリアの総意としては、できるだけ戦争は回避したかった。
「同盟を結べるなら願ってもないことですが、そう上手くいきますかね?」
あちら側は皇帝を狙ったと信じて止まない。
そんな者と果たして同盟を結べるのか疑問を感じている者は少なくなかった。
しかし、ライアンとリースは絶対的な自信があった。
「大丈夫だ。そうだな、リース」
「はい。ロイドからの報告によると、皇帝は強い加護持ち。けれどそれを制御できていないようです。実際に戦ってみてそう見えました。誰にも力の制御を教わらなかったために使い方が分からないのでしょう。精霊を疎んでいるという報告も受けています」
複数の人間が呆れたような表情を浮かべる。
「精霊を疎んでいては制御などできるはずがないだろうに」
「へたに暴走させるだけだぞ」
発言した者の言葉に幾人もがうんうん同意する。
さらにリースが続ける。
「加護持ちがたくさん出る我が国と違って、他国では一般的ではありませんからね。とある国では力を持つ者を気狂いと判断して外に出さないよう生涯幽閉する所もあるようです。グラニアスでもあまり精霊の存在は周知されていないようで、皇帝も昔はかなり風当たりが強かったと報告にあります」
「なるほどなぁ、我が国ではむしろ喜ばれるというのに、国が違えば扱いも違うものだ」
「ほんとですな。力を持つどころか加護を与えられた誉れを気狂いなどと、罰当たりにもほどがある。そんな国があるとは嘆かわしい」
リースからもたらされる皇帝の情報に各々感心したようにしている。
そして段々とそんな扱いをする国への愚痴に発展してきたところで、ライアンが話を元に戻す。
「それでだ、皇帝は加護持ちでありながらその力の制御の仕方を知らない。忌避するばかりで習ってこなかったからだ。それを同盟を結ぶための手札にする」
「なるほど、同盟を結ぶ代わりに力の制御方法を教えるというのですな」
「そうだ。ロイドからの情報によると、皇帝は力が制御できないことでかなり苦労していると聞く。絶対に食いついてくるはずだ」
教えることに関して特にフィーリアに不利益があるわけでもないので、一同否やはないようだ。
だが、話はそこで終わらなかった。
「だが、それだけで同盟できるかは怪しい。そこで同盟の証として、リースを皇帝に嫁がせる」
この爆弾発言には、リース以外の全員がぎょっとする。
リースが落ち着いていたのは、リースも兄と同じくそれが最良と判断していたからに他ならない。
「いや、しかしですな」
「それはなんというか……」
「反対か?」
誰の顔もあまり芳しくない。反対していることが見て取れる。
「ええ、まあ。はっきり申し上げますと」
「同盟の証に婚姻をという考えは分かります。ですが、リース様でなくとも……」
リースには任せられている仕事もたくさんある。
同盟と引き換えとは半ば人質のようなものだ。リースは国民からの人気も高く、そんな人質同然の所へやっては国民からの反発もあるかもしれない。
それ以上にリースは国にとって貴重な存在。加護持ちという換えのきかぬ力を持つ者だった。
それも加護持ちの中でも特に強い力を持っている。
外にやるなどもったいなさ過ぎる。
「アイシャ様では駄目なのですか?」
アイシャは第三王女で、フィーリア王家の末の姫だ。
末の姫らしく皆に可愛がられて育ち、純粋培養の結果、天使のように無垢で人に優しく純粋な少女ができあった。
皇帝は26歳でアイシャは13歳。少し年が離れているがリースを取られるよりは良いと会議に参加している者達は考えた。
ちなみにリースは18歳になる。
しかし、ライアンは……。
「アイシャは駄目だ!」
はっきりと断言した。
「何故でございますか? こう言ってはなんですが、リース様を他国に取られるよりはずっと……」
「アイシャは絶対に駄目だ。皇帝にはたくさんの側室がいて、日々皇帝の寵を競って争っていると聞く。そんな所に純粋で優しいアイシャをやったら他の側室達に虐められるかもしれない。いや、絶対そうだ。何せあんなに可愛いんだからな。そんなことは許せん!」
末の姫として皆に可愛がられたアイシャだが、一番にアイシャを可愛がっていたのは長子であるライアンだった。
リースも妹なのでライアンには可愛がられてはいるのだろうが、政務を手伝ったりしているため、妹として可愛がるというより同志や右腕という位置づけなのか、甘やかされるということがあまりない。
そのことについての不満や、アイシャを嫉妬したりということはあまりない。それだけ信頼されているということだから。
それにリースとしても、ライアンよりアイシャの方が可愛いので、気持ちは同じだ。
「いやいや、殿下。そんなこと言ってる場合では」
「あんな魑魅魍魎が跋扈するような所は、同じように性格が悪く図太い者じゃなければやっていけない」
ぴくりとリースが反応する。
「お兄様、それは遠回しに私をディスってらっしゃるのかしら?」
「なんだ、本当のことだろう」
「お兄様にだけは言われたくありません。鬼畜のド変態などには」
「ほう……」
兄と妹はにっこりと笑みを浮かべながら無言で見つめ合い火花を散らす。
まあまあまあ、と周りが止めに入り事なきを得る。
「まあ、冗談はさておき、一番の理由は今のフィーリアにリースが邪魔だからだ」
フィーリア国内では今、王位継承問題が勃発していた。
次の王として名前が挙がっているのが王太子であるライアンと唯一正妃の子であるリース。
ライアンは長子ではあるが側室の子だった。
後継者にリースの名は挙がっているが、リースはライアンが王になれば良いと思っているので兄弟仲は良好、兄弟で王位を狙う最悪の状況は回避できているが、周囲はそうではない。
リースを推す者とライアンを推す者が水面下で争い合っているのは周知の事実。
なら、原因となるリースを外に出せば良いというのはライアンの、そしてリースの考えだ。
「私がいなければ国内を統治するは容易いでしょう? お兄様ならば」
「当然だ」
変な性癖さえ出さなければ、兄としても統治者としても信頼している。
ライアンの手腕ならば、リースがいなければ早急に国内を安定させることができるだろう。
この場にいたのは皆ライアンを推す者やリースの意思を尊重している者達ばかり。
リースの意思を無視してリースを推す貴族達にはほとほと迷惑していたので、その話を出されては反対したくてもできなかった。
そうしてライアンは、最終的な決定を告げる。
「ではグラニアス皇帝に使者を送り、同盟を結ぶ話し合いをする」
「話し合いには誰が?」
「あちらは皇帝なのだ、王太子である私が行くべきだろう。後は宰相も連れていく」
「かしこまりました」
一人の中年の男性が立ち上がり一礼する。
「お兄様、そろそろあちらにいるロイドを返していただいてよろしいですか?」
「ああ、そうだな。もう必要ないだろう」
「それは良かったです。ロゼットも喜びます」