行く手を阻むのは
一夜明け、リースとユリウスは洞窟から出る。
警戒するユリウスとは真逆に、リースは大きく伸びをして早朝の澄んだ森の空気を大きく吸い込んで吐いた。
「はあ、せっかく数日ぶりにベッドで寝られると思いましたのに、結局数時間も寝られず洞窟の中で一夜を明かすことになりましたね」
「いや、確かにベッドでぐっすりとはならなかったが、洞窟で一夜を過ごすには十分すぎると思うんだが……」
と、ユリウスは洞窟の中を見て呆れた顔をする。
洞窟には、リースが作ったお風呂と、植物で作ったハンモックがある。
どう考えても普通の野宿ではない。
朝風呂もして、服も綺麗にして、すっきりさっぱりしている。
快適と言ってもいいが、これでもまだリースは不満であった。
本当ならもっと快適な仕様にしたかったが、夜明けも近く、快適さより睡眠時間を多く取る方を選んだ結果だ。
これぐらいが限界だと思われたくはない。
「またの機会があれば、もう洞窟から出たくないと思えるぐらい改装しますから期待していてください」
「できればこんな逃げ惑う状況には陥りたくないんだがな……」
ユリウスのもっともな意見は黙殺された。
そして、リースは精霊の案内を頼りに先を進むと、その日のうちに森を脱出することができた。
街道が通っており、いくつもの轍が確認できる。
「この先をずっと行けば帝国の領土に入りますよ」
「ずいぶんと近道したのではないか?」
「ですね。森を突っ切ってきましたから」
普通の人間なら迷子になっていただろう。
「アルウィン達と合流できればいいが……」
「問題ありません。なにかあった場合、待ち合わせ場所を決めているので」
そう、リースが平然と答えれば、ユリウスは眉根を寄せる。
「お前は……いや、フィーリアはこうなることを予期していたのか?」
誰よりも早く奇襲に気がつき、まるで示し合わせたかのように対応していたフィーリアの者達のことを、ユリウスは今さら思い出したのだろう。
「どう思います?」
リースは明言を避け、にっこりと微笑んだ。
「質問に質問で返すものではないな」
「確かにそうですね。ですが、あなたが自分の目で見て確認しなくてはなりません。それが目を背けたいことでもです」
「どういう意味だ」
リースは今度こそなにも答えることなく、歩き出した。
聞いても無駄だと判断したユリウスは、静かに後についていく。
そうして一時間ほど歩いていると、ガタガタと音が聞こえてきた。
それは乗合馬車のようだった。
リースはすぐに手を挙げて馬車を止める。
「この馬車はどちらまで行かれるんですか?」
「帝国だよ」
「乗せてくれますか?」
「お金はあるのかい?」
荷物一つ持っていないリースとユリウス見て、馬車を引く男性が問う。
「お金はありませんが、代わりにこれでいかがですか?」
リースはワンピースの袖のボタンを引きちぎり御者に渡す。
「金でできたものです」
「ふむ、細工も綺麗だな。まあ、これでもいいだろ。早く乗んな、お二人さん」
「ありがとうございます」
リースはユリウスを手招きする。
「ほら、ユーリ様乗ってください」
「あ、ああ」
荷台となる場所には親子連れも含めて数名乗っている。
「ずいぶん手慣れていないか?」
ユリウスは乗合馬車など当然ながら乗った経験はない。
しかし、リースは慣れた様子で馴染んでいる。
「母国でも、町にはよく行きますからね。いかに交渉して安く手に入れるかが腕の見せどころです」
リースは得意げに胸を張る。
ここでは誰に聞かれているとも分からないので『フィーリア』ではなく『母国』と表現した。
「職務的にどうなんだそれは?」
王族の侍女が町で値段交渉して安く買い叩いているのは評判を悪くしないのかと言いたいようだ。
「誰も文句言いませんから大丈夫ですよ」
本当は誰もではなく、ロゼットからはしっかり叱られているし、ロイドからも叱られないまでも、あまりいい顔はされない。
それでもやめないのは、国民と話をするのが純粋に楽しいからだ。
市場価格を確認するためでもあるので、文句を言わせない理由もちゃんと用意しているところがリースらしい。
***
その後、何事もなく数日をかけて帝国との国境にやって来た。
しかし、後もう少しというところで、リースは異変を察知する。
「あと少しだっていうのに……」
馬車の揺れでの疲れもあって、げんなりとするリースは、御者に声をかける。
「すみません、ここで下ります」
「え、いいのかい? もうすぐで国境の砦だよ?」
「はい、ちょっと野暮用で。返金は必要ありませんので下ろしてください」
「そうかい?」
御者としても、返金が必要ないなら止める理由もない。
さっと軽やかに下りて、去って行く馬車を見送ると、街道から外れた森へ向かう。
この間、ユリウス一言も口をきかなかつた。
リースの行動には必ずなにかしらの理由があるとさすがに気がついているからだろう。
だが、それでもその理由がなにかは知っておきたいと思うのは当然だ。
リースもそれはちゃんと分かっている。だからこそ、隠すような真似はしない。
「街道から離れて森を進みます。きっとユーリ様にとっては悲しい結果となるかもしれません」
「だが、俺が向き合わねばならぬことなのだろう?」
迷いのない眼差しは覚悟を決めた者の目だった。
一国の責任を背負うユリウスには愚問だったようで、リースはその強さに羨ましさすら感じる。
「では、行きましょうか」
「ああ」
できることならユリウスの心に傷がつかないでいてほしい。
そんな風に思うようになった自分にリースは驚いた。
「うーん、ほだされちゃいましたかね……」
幸いにもその言葉はユリウスには聞かれなかった。
そうしてしばらく歩き、国境の砦が見えてくるだろうところで、リースとユリウスは足を止めた。
そこにはずらりとグラニアスの軍が待っていたのだ。
全員ではなく、一個部隊程度の少数だ。
とはいえ、グラニアスの一つの部隊はそれなりの人数がいる。
そして、その中には、リースもユリウスも見知ったアグニの姿があった。
「アグニか。アルウィンや他の兵士は無事なのか?」
ほっと安堵したようにアグニに向かって歩いて行くユリウスに、なんとアグニを始めとしたグラニアス兵士が弓矢を構えた。
ピタリと足を止めたユリウスは、目つきを鋭くする。
「なんのつもりだ、アグニ」
「なんのつもりもなにも、あなたを殺そうとしているのですよ」
アグニが挙げた手を前に振ると、一斉に放たれた矢がユリウスを襲ってくる。
しかし、矢はことごとくユリウスを避けて地面に刺さっていく。
リースにはちゃんと、ユリウスを守らんとする精霊達の姿が見えていた。
この精霊の守りの中でユリウスを害そうなどできるはずがない。
そんなことができるのは、同じ加護持ちのリースぐらいなものだろう。
「無意味ですね……」
リースは冷え冷えとした眼差しで傍観する。
けれどユリウスの方はさすがに冷静ではいられないようで、その表情は驚愕に彩られている。
「何故……」
唖然とするユリウスは、アグニが弓引く理由が分からないのだろう。
普段からユリウスには心酔している様子を見せていたのでなおのこと。
その場面はリースも確認している。
それなのに何故と、思うのは当然生まれてくる疑問である。
信じられない様子のユリウスを前に、アグニは鼻で笑う。
「ははっ、不思議ですか? 俺があなたに武器を向けるのが。人の命をなんとも思わないあなたが、裏切られたと悲しむんですか?」
アグニの笑みはひどく歪んでおり、とても醜悪だ。
「なら、あなたが谷から落ちた時の奇襲も、俺が裏で手を引いていたなど思いもしていないのでしょうね」
「なんだと!?」
驚き、そして怒りもにじませるユリウスの反応に、アグニは満足そうな顔をしている。
「そうです。その顔が見たかった。あなたはいつもアルウィン、アルウィンと、俺のことを見ようとしない! 俺は一隊長で収まるような器ではないというのに、あなたは何度俺が進言しても俺を昇格させようとしなかった!」
「……俺が認めなかった。それが理由か?」
「他になにがあります?」
ユリウスはぐっと歯噛みする。
その様子だけで、ユリウスがアグニを信頼する臣下の一人に置いていることは明らかであるというのに、どうやらその思いは伝わっていなかったようだ。
「やはりあなたは皇帝の器ではない。真なる皇帝ならば、ちゃんとすべてを見通せているはずだ。俺はあなたを買いかぶりすぎたらしい。皇帝の資質はない」
陶酔するよう自分語りをして、不平不満を突きつける。
それのなんとおかしなことか。
クスクスクスと、リースの笑い声が周囲に響いた。
無視できないアグニはギッとリースを睨みつける。
「なにがおかしい! そもそも、お前が現れてから余計に陛下はおかしくなられた! もっと冷酷で非情なる孤高の存在でなくてはならないのに――」
「それはあなたの勝手な願望でしょう?」
リースはそれ以上を言わせまいとするように言葉を被せた。
「自分を認めない? 見ようとしない? まるで嫉妬する恋人のようね。おかしいのは陛下じゃなくてあなたではない? どこの世界に主人に焼きもちを焼いて反逆を企てる臣下がいるの? そんなだから信頼されず一隊長でしかないと、主観できない己を恥じなさいな」
「な、なんだと!」
「男の嫉妬は見苦しいですよ。するならするで、もっとかわいらしく嫉妬すべきね。アイシャに弟子入りしてらっしゃい」
リースは思わず妹のアイシャの名前を出す。
アイシャはライアンに溺愛されているがために、政治には関わらせてもらえていない。
本当はリースのようにライアンの役に立ちたいと思いつつも、自分では役立たずなのだと、ライアンを補佐するリースには焼きもちを焼いたりするが、その嫉妬の仕方のかわいらしいことといったらない。
アイシャ自身は怒っているつもりだが、思わずぎゅーっと抱きしめたくなるほどに愛らしい。
アグニも嫉妬するならするで、ユリウスにはかわいいと言ってもらえる焼きもちの焼き方をすればいいのだ。
「世界がアイシャばかりだったら平和だと思うんですよ。ね?」
「いや……。ね? と問われても意味が分からなくて困るのだが……」
言葉通りユリウスが心底困惑した顔をしている。
「まあ、とりあえずアイシャのかわいさは後々には置いておくとして……。アグニ、あなたは誰にそそのかされたのかしら?」
にっこりと微笑みかければ、アグニがわずかに動揺したのが分かる。
「なんのことだ。今言ったのがすべてだ」
「ふーん。声が震えているけれど?」
「そんなことはない!」
否定すれば否定するほど怪しさが増す。
「今ならまだ引き返せると思うのだけど?」
「……そんな時期はとうの昔に過ぎ去った」
そう言ってアグニは剣を鞘から抜く。
先程の動揺はどこかへ消え、そこには決意をした者だけが持つ強い眼差しがあった。
他の兵士もアグニに続く。
じりじりと近づいてくるアグニと兵士達。
「俺はあなたを殺す。殺さなければならない」
ユリウスに剣を向けながら、その言葉はまるで自分に言い聞かせているように感じる。
「アグニ……」
ユリウスもなにかを感じとったのか、逃げることなく真っ向から対面した。
「お覚悟を!」
剣を振り上げ向かってくるアグニを、ユリウスは丸腰のまま応戦する。
そして、他の兵士も参戦してくるため、ユリウス一人では裁ききれない。
このままでは確実にユリウスが死ぬことになるだろう。
それはリースの望むところではなく、リースは両の手のひらを向かい合わせしてその他の中に火球を作り出すと、それを天高く放り投げる。
まるで自分はここにいるぞと教えるように、直後、天に届かんばかりに火柱が上がった。
リースの作り出した火柱は、ユリウスのものと違い、周囲の木々に引火することはない。
きちんと加護の力を制御できているからこそなせる技だ。
火柱が消えると、リースも戦いに加わり、兵士を戦闘不能にしていく。
あくまで戦闘不能だ。
決して殺しはしない。
彼らにはまだこの後に尋問して背後関係を調べる必要があるのだから。
そうして応戦していくも、武器のないユリウスは次第に疲弊していく。
それを見たリースは今にも舌打ちせんばかりに苛立ちを見せる。
「まだ……」
「これで終わりです!」
アグニが振り上げた剣が、別の兵士と戦っていたユリウスの背後から襲いかかる。
危険を察したユリウスが対応しようとするが間に合わない。
しかしその時、アグニの腕を短剣が貫き、血が舞う。
「ぐあぁぁ!」
剣を落としたアグニを蹴り飛ばして動けなくしたのは、ロイドである。
「遅いわよ!」
リースから先に出たのはそんな叱責の言葉だった。
「申し訳ございません。場所を探すのに手間取りました」
すぐに膝をついて謝るロイドの後ろから、アルウィンを始めとしたグラニアスの兵士が馬に乗って駆けてくる。
「陛下、ご無事ですか?」
なんとも陽気にやって来たアルウィンのヘラヘラとした笑みに、ユリウスは思わず手近にあった矢を投げつける。
「うわっ、危なっ! なにするんですかぁ!」
「お前の話し方を聞いていると無性に矢を突き刺したくなっただけだ」
「そういうサイコパス発言やめてくれます? ただでさえ陛下は好感度低いんですから~」
アルウィンの登場で一気に緊張感をなくした場は、あっという間に制圧される。
そして、グラニアスの近衛の兵士によって、反逆を企てた兵士達が拘束されていった。
顔見知りも多いことだろう。
複雑な表情をしなが従事している者がほとんどだ。
「ふう、とりあえずは決着ですかね」
「決着などついていない。お前はなにを知っている?」
真剣な眼差しがリースを射貫く。
さすがにユリウスもアグニから発せられた理由がすべてとは思っていない。
けれど、まだ時ではなかった。
「近いうちに分かるでしょう。彼らが話してくれるのが一番なのですけどね」
リースの視線がアグニへと向けられる。
すでに戦意を失っている彼の表情がどことなくほっと安堵しているように見えるのは気のせいであろうか。
真実は彼の中にある。




