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見つけた農村


 数日森を歩いてようやく、リースとユリウスは小さな農村を発見した。



「やっとか……」



 ずっと人の気配のない森の中を歩いてきたので、さすがのユリウスにも疲労が見える。

 しかし、森の中を進んできたわりにまったく汚れている気配がないのはリースのおかげだ。

 道もない森を歩けば必然と服も汚れ、汗をかき、泥も撥ねる。


 ユリウスはこれまでにも幾度となく遠征しているので、野宿も貧相な食事にも文句一つ零さず歩き詰めだったが、リースは我慢できなかった。

 食事は仕方ないにしても、汗をかいたならお風呂に入りたいし、服は洗濯したい。


 そう訴えるリースに、時と場所を考えろと叱るユリウスの前で、リースは土の力で風呂と目隠しの塀を作り、水と火を使ってほどよいお湯を張ったのである。


 さらには疲労回復効果のある薬草を精霊達に採ってこさせて風呂に入れていた。

 森の中にありながら優雅にお風呂に使ってその日の疲れを癒していたので、汗臭いどころか薬草やハーブのいい香りがしているという、本来あるはずの緊張感をどこかに忘れてきたような数日間だった。


 そんなリースは疲労が見えるユリウスと違って元気そのもの。

 体力ならばユリウスの方が間違いなくあるはずなのだが、細身のリースはユリウスよりも先に先にと進み、ついていくのがやっとだった。


 もちろん、ユリウスのブライドの高さから、疲れたなど弱音を吐くことはなかったし、これ以上にひどく厳しい行軍をしたこともある。

 それでもやはり見知らぬ土地でアルウィン達と離れ離れになった現状に、普通なら不安と心配を覚えそうなものだが、不思議と心は穏やかだった。


 それはリースがまったく緊張感なく明るい様子を崩さなかったことが大きいだろう。

 実際に、リースは不安など感じる必要がなかったのでいつも通りだっただけだ。



「村には一応人の気配があるみたいですね。とりあえず行ってみましょうか」


「そうだな。アルウィン達と早く合流したい。無事だといいが……」


「大丈夫ですよ。ロイドがいる限り負けることはありませんから」



 ロイドが負けるはずがないと確信を持って告げる。

 リースにはあのロイドが負けている姿を想像するのが難しかった。

 フィーリアでも、ロイドに勝つことができるのは加護持ちを除きごくごく限られた人だけなのだ。

 そんなロイドへの絶対的な信頼感を見せるリースに、ユリウスはムッとする。



「お前は、ロイドが好きなのか?」


「好きですよ」



 一瞬の迷いもなく返したリースの答えに、ユリウスは分かりやすく衝撃を受けている。



「ロイドは私にとって兄のような存在ですから」



 本当の兄より兄らしいというのはいろいろと問題な気もするが、ライアンは兄の前に王太子である。

 どうしても甘えるという対象ではなく、支える対象として見てしまう。

 その点ロイドは長く仕えてくれた大事な護衛なので、リースとしても気兼ねなく甘えられる数少ない相手であった。


 そんな背景を知らない人間にとったら、リースとロイドは近しい間柄に見えてしまうのは仕方ないと思っている。

 実際に、ロイドとの間に結婚の話が出たこともあるぐらいだ。

 リースだけでなくロイドも大反対してその話は流れたが、可能性は大いにあった。

 そこをユリウスに説明する必要は今はないだろう。



「陛下、今から私達の設定を伝えるので頭に叩き込んでくださいね」


「は? 設定?」



 突然のリースの発言にユリウスはついていけず疑問符を浮かべている。



「突然皇帝ですって言って村を訪ねるつもりですか? そんなわけにはいかないでしょう?」


「あ、ああ。そういうことか」



 すぐさま納得したが、どこか抜けていると感じるのはリースの気のせいなのだろうか。

 あまりにロイドからの報告と違いすぎて、自分のように影武者なのではないかと心配になってきたが、精霊が見られる時点で皇帝本人であることに間違いはない。



「いいですか、設定はこうです。私達は野党に襲われて命からがら逃げてきた商人の夫婦、ですよ」


「ふ夫婦!?」



 ユリウスが声を裏返して驚く。



「それが一番無難ですからね。その豪華な上の服も脱いでください。さすがに今のままでは皇帝とは思われなくとも貴族には見られますから。はい、脱いで脱いで」


「ちょっと待て」


「待ってられませんから早く」



 リースは追いはぎのごとく強制的にユリウスからマントを剥ぎ、上着や装飾品も奪っていく。

 リース自身もエプロンを脱げばただのワンピースだ。

 質がいいのは隠しようがないが、少なくとも貴族には見られないだろう。


 続いて、脱いだ服を、作り出した穴に放り込んで土をかぶせて埋める。

 最後はユリウスに地面から掴んだ土をなすりつけて、自分も同様に汚せば完成だ。



「汚す必要はあったか?」


「私も嫌ですけどいたし方ありません。森を抜けておいて綺麗だったら疑問に思われてしまいかもしれませんから。後ですぐに洗濯しますけどね」


「お前は侍女のくせに綺麗好きすぎないか? 普通はいくら王族付きの侍女といえど、毎日風呂には入らないだろうに」



 お風呂に入るにかかなり時間と労力がかかる。

 お湯を沸かし、大きな木桶で湯船に湯を張っていくのだ。

 湯の入った木桶は重い上に何往復もしないと湯船はいっぱいにならないので、使用人が嫌がる重労働の一つだ。


 毎日風呂に入る贅沢ができるのは王族や貴族、もしくは使用人をたくさん抱えている裕福な家の者ぐらいのもの。

 ただし、リースにとっては風呂に入ることはなんら重労働ではない。

 姫だから使用人が準備してくれるからではなく、加護持ちだからである。



「私は普段から普通に毎日入っていますよ。なにせ、加護の力を使えば一瞬で浴槽をお湯でいっぱいにできますから」


「お前と会ってから加護の力というものの印象がガラガラと崩れて塗り替えられていっているな……」



 ユリウスにとって、持っている力は危険なものでしかなかったのだろう。

 リースのように生活を過ごしやすくするために使うなど考えもしていない。

 これまで培ってきたユリウスの常識は、フィーリアでは大きな差異がある。

 精霊への態度を見ても、フィーリアでなら処罰ものだ。



「帝国へ行って本格的に知ることが増えればもっと崩れていきますよ」


 それはユリウスだけでなく、周囲の者の意識も塗り替えていくことになるだろう。



「さあ、夜が近くなってきましたし、暗くなる前に行きましょう」


「ああ」



 二人は急ぎ村の敷地に足を踏み入れた。

 そこは本当に小さな村で、王都のように高い塀で区切られているわけでも、警備兵が常駐しているわけでもない。

 荒事とは無縁そうな穏やかな村だった。

 リースは手近な民家の戸を叩く。



「すみません、どなたかいらっしゃいませんか?」



 先に声をかけたのはリースだ。

 女性の声ならば警戒心も薄れるだろうと思ってのこと。

 そして案の定すぐに戸は開き、中年の男性と、その後ろから同じぐらいの中年の女性が顔を覗かせている。

 リースは精一杯瞳をうるませて弱々しさを印象づける。



「どうしたんだい、お嬢ちゃん?」


「突然申し訳ありません。私どもは帝国へ荷を運んでいる途中に野党に襲われてしまい、命からがら逃げだしてきました。荷物を持ち出す余裕もなく……。小屋でもかまいませんので、どうか今晩だけでも泊めていただけないでしょうか?」



 悲壮感をしっかり出しながら訴える。

 リースの泥だらけの姿を確認した中年の夫婦は顏を見合わせて頷くと、中年の女性の方が優しく微笑んだ。



「それは大変だったろう。さあ、あがりな。あったかいスープはいるかい?」


「ありがとうございます!」



 表情を明るくして家に入ろうとすると、中年の男性の方がユリウスに目を留めた。



「そっちの若いのはどういう関係だ?」


「こっちは夫のユーリと申します」


「お、夫!? ……ぐえっ」



 あらかじめ伝えていたにもかかわらず過剰に反応するユリウスの腹に肘鉄を入れる。

 苦悶の声を上げるが、おかげで静かになった。

 リースはなにごともないように、ニコニコと笑みを崩さない。



「最近結婚したばかりなんです。そのせいでまだ夫婦って言葉に照れるみたいで」



 そうリースが無理やり理由をつけて困ったように頬に手を当てれば、中年の夫婦も穏やかな顔になる。



「そうかいそうかい。それはまたおめでたい。……あ、いや、こんなことになったんだからめでたいはおかしいね。ごめんよ」


「いいえ、命が助かっただけ運がよかったですから。それに、こうしてご親切な方に巡り会えたんです。運が悪いなどとても言えませんよ」



 リースがほのぼのと笑みを浮かべれば、もともと人がいい人達なのだろう。

 同じように穏やかに微笑んだ。

 リースとユリウスは親切な夫婦に迎え入れられ、一夜の宿ばかりか、温かい食事まで与えられた。



 お腹を満たすと、小屋でもいいと遠慮するリースに、「お客人をそんな小屋に寝かせるわけにはいかない」と、二階の一室を貸してくれた。

 どうやらつい最近まで夫婦の娘が暮らしていたようだが、嫁いだために今は使っていないらしい。

 それでも大事な娘の部屋だったからか、掃除がしっかりとされ、一晩寝る分にはなんら問題がないのはありがたいことだった。


 しかし、問題が一つ。

 ユリウスはその問題のベッドをじーっと見つめている。

 ここに住んでいたのが娘一人だったので、一人サイズのベッドが一つあるだけだった。

 他に寝られるソファーもない。


 躊躇いを見せるユリウスとは違い、リースは迷わずベッドに乗った。



「よっこいせ」



 リースはベッドに潜り込むと端に寄り、空いた隣とトントンと叩く。



「ほら、ユーリ様。さっさと寝ますよ」


「は?」



 ユリウスは理解するのにしばしの時間を要した。

 リースの言っている意味が分からない――いや、分かりたくなかった。

 身動きせずに固まっているユリウスを、リースは訝しげに見る。



「なにをしてらっしゃるんですか? 明日は早く出る予定ですから早く寝ましょう」


「いやいや、ちょっと待て! 一緒に!? そのベッドで!?」


「そう言っているじゃありませんか。ああ、身分が下なんだから床で寝ろだなんて紳士的でないことを言ったりしませんよね?」



 だとしたら戦だと言わんばかりの圧がリースから発せられる。



「ち、違う。それなら俺が床で寝る」


「なにを言っているんです。数日ぶりのまともな寝床なのですから、今のうちに体力回復させておくべきです」


「寝られるか!」



 頑ななユリウスの様子にリースはムッとする。



「侍女となど寝られないと?」


「そういうことではなく、未婚の女が男と一つのベッドで寝るなど、お前の名誉に傷がつくだろう」


「私達は夫婦なので問題ありませんよ」



 リースはそう、けろっと答える。

 実際、輿入れのために帝国へ向かっているリースは特に抵抗感もない。

 だが、リースを侍女のロゼットと思っているユリウスはそうもいかないようだ。



「問題大ありだろ」


「ありませんよ。ほらほらユーリ様、眠いので早くしてください。駄々をこねるなら強制的にベッドに縛りつけますよ」



 さすがにそれは嫌だと思ったのか、しぶしぶベッドに入って一つのベッドを共有する。

 ユリウスは、狭いベッドの中で、リースに触れないように気を遣っていた。



「そもそも、そのユーリ様というのはなんだ?」


「本名を言うわけにはいかないでしょう? どこに敵の目や耳があるか分からないのですから」


「加護持ちならそれぐらい気づけるんじゃないのか?」


「念のためです。それに、そういうのはうちの王太子殿下が得意なんですよねぇ」



 ライアンは他人を内緒事をこっそりのぞき見るのが得意だ。

 なんとも性格の悪いライアンらしい力の使い方だ。


 だが、そのおかげで王位を狙っていた叔父の計画や、今回の計画も筒抜けだった。

 ユリウス暗殺の一件も先んじて手を打てたのは、ライアンの力があればこそなのがなんとも悔しい。



「加護持ちにも得手不得手がありますから」


「前にそう言っていたな」


「ええ。ちゃんと覚えていて偉いですね。頭でも撫でてさしあげましょうか?」


「必要ない……」



 拒否しつつも、その顔はただ嫌だというより、恥ずかしいから嫌だというように見える。



「それより、ユーリ様は嫌ですか?」



 リースは隣に寝るユリウスをじっと見つめて問いかける。

 目が合ったユリウスはかっと頬を染める。



「……嫌ではない」



 たっぷりと時間をかけてから呟いたのはそんな言葉。

 リースはクスリと笑う。



「ではこれからはユーリ様と呼ばせていただきますね」


「好きにしろ」



 言葉だけだと素っ気なく感じるが、その声色はとても穏やかだった。

 リースは再度小さく笑みを浮かべ、目を瞑った。



「おやすみなさい、ユーリ様」


「……ああ、おやすみ」



 ユリウスの声は不思議と落ち着くなと感じながら、リースは眠りについた。





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