加護持ちの素質
「まずは少し確認をしたいので触れてもよろしいですか?」
「は?」
「失礼しまーす」
ぽかんとするユリウスに構わず、リースは席を立ちユリウスの両頬に手を添えた。
触れていいかと質問しておいて、返事を聞く前に触ってしまっている。
それはもうがっししりと。
普通ならば不敬罪確定だろうその行為も、だからなにか? と言わんばかりにリースはお構いなしだ。
なんとなくこれぐらいのことならばユリウスは怒りはしないだろうという謎の確信を持っていた。
予想通りユリウスは怒りはしないが、その代わりにあたふたと分かりやすく動揺している。
「ちょっと待て! なんだ!」
「はいはい、じっとしててくださいね~」
ユリウスの動揺も切り捨てて、顔を寄せた。
それに焦りに焦りまくるユリウスの反応が逆に楽しくなっているリース。
「近い、近い!」
「近づいてるんですから当然です」
ユリウスは耳を赤くし、うろたえまくっている。
必死で離れようとするユリウスをそれ以上の力で抑え込み、リースは顏を近づけていく。
「なんでこんなに力が強いんだ!」
「加護持ちの力……ですかね?」
「そこが疑問形なのはなんでだっ!」
「ふふっ」
まるでおかしなことを言ったというようにほわほわとした微笑みを浮かべるリースは、答えるつもりはないようだ。
「ほんと、ツッコミがお上手でいらっしゃいますね。どなたかに弟子入りして喜劇に出演なさってみてはどうです? 第二の人生を舞台人として始めるのも楽しいかもしれませんよ? そうしたら絶対に見に行きますね」
「来なくていい! じゃなくて、なるわけがないだろ! 皇帝が舞台なぞ立ってたまるかっ」
打てば響くように返してくるユリウスの反応が面白くてからかってみたものの、さすがに長い抵抗に疲れてきたので、力を使うことにした。
地面からポコッと芽吹いた植物から蔦がシュルシュルと伸び、ユリウスの両腕と一緒に胴体を椅子に縛りつける。
ぎょっとするユリウスがさらなる抵抗を見せるも、蔦は鋼でできているかのようにびくともしない。
「くっ」
顔を歪めるユリウスが身動き取れなくなっている隙を突いて、ユリウスの額にリースは己の額を当てた。
もう少し近づけば唇が触れそうになるほどそばにあるリースの顔にユリウスは顔を赤くする。
けれどリースは顔色一つ変えることなく額をくっつけたまま、そっと目を閉じた。
そしてユリウスの中にある加護の力を感じ取っるべく集中する。
それは時間にしてほんのわずかな間だけで、リースが離れると何事もなかったように蔦も地面へと戻っていった。
ほっとした顔をするユリウス。
「ふむふむ」
リースはなにか考えるように顎に手を当てている。
「いったいなにがしたかったんだ……?」
疲れ切ったように椅子の背もたれに体を預けるユリウスに、リースは小さく笑いながら先程確認した内容を教える。
「陛下の力の素質を確認していたのですよ」
「素質?」
「ええ。同じ加護持ちでも、得手不得手があるんです。どの性質の力が合っているのか、力の制御を教える前に確認をしておきたかったので」
「それならそうと先に言っておいてほしいんだが?」
ユリウスは恨めしげにリース見る。
けれどその程度の視線でリースがひるむはずもない。
あいかわらず穏やかな笑みを浮かべていた。
「言いましたよ。触れますねって」
「そんな確定情報ではなく質問形式だったはずだ。俺の答えを聞く前に触っただろ」
「細かいことを気にしていたら加護持ちの力をしっかり制御できませんよ。精霊は非常識の塊ですから」
「非常識人に非常識呼ばわりされる精霊とはいったい……」
「失礼な」
ロゼットやロイドと似たような発言をするユリウスに、リースはむっとする。
「逆に聞くが、常識人だとでも思ってるのか?」
「当然ではありませんか」
リースはなんの迷いもなく胸を張って答えたが、ユリウスには深いため息を吐かれた。
不服なリースは一つ二つどころではない文句が浮かんだが、ここは自分が大人になろうと言葉を呑み込む。
恐らくロゼットやロイドがいたなら冷ややかな眼差しが投げかけられただろうが、あいにくとここにはいない。
「……話を戻しますね」
「ぜひそうしてくれ」
「いちいち引っかかりますね。まあ、いいでしょう」
気を取り直してリースは椅子に座り、ちょうどよく蒸らされたお茶をカップに注いで一つをユリウスの前に置いた。
「冷めないうちに、どうぞ」
「あ、ああ」
素直に受け取ってお茶を飲むユリウスを見ながらリースも一口飲み、リースは口を開く。
「陛下の力を見たところ、どうやら火の力が飛び抜けて強いようですね。心当たりはありますか?」
「ああ。最初に使った力も火だった。それに生まれてからは俺がいる部屋でたびたびボヤ騒ぎが起きていた」
「あらあら、それは大変でしたねぇ」
クスクスと笑うリースに、ユリウスは眼差しを鋭くする。
「笑いごとではない。そのせいで不気味がられ、俺の世話を率先してしようとする者はほとんどいなかったんだからな」
「ほとんどということは、何人かはいたということでしょう? それはつまり、信頼できる人選が容易くなってよかったではありませんか」
「そ、れは……そうだが……」
複雑な顔をするユリウスには、そんな言葉だけでは片付けられない感情があったのだろう。
こればかりはリースではどうにもできないが、一つだけユリウスの心を軽くする話がある。
「私は水と風の力が強かったので、赤子の頃は夜泣きするたびに部屋中水浸しにしていましたし、さらにはつむじ風を起こして家具をめちゃくちゃにして財務官を泣かせていたようです」
そのせいか財務官からはいまだに恨み言を言われている。
しかし、フィーリアにおいては、加護持ちは制御を覚えるまで力を暴走させるのは当たり前という考えなので、本気で恨まれているわけではない。
リースの話を聞いて、はっとユリウスの表情が変わる。
「ライアン殿下はもっとひどいですよ。陛下と同じく火の力が特に強いのですが、ボヤ騒ぎどころではない大火事を城内で起こしたそうです。城から火柱が立ち上り、王都の城から離れた地区からでも見えたと今でも語り草にされるほどです。しかし、本人は話題になるたびに、悪びれるどころか、それだけ大きな力を持った加護持ちが王になるのだから嬉しいだろうと、感謝の押し売りをされています」
事実なので文句を言う官吏もぐうの音も出ないのだ。
ニヤニヤとそれ見るライアンの性格の悪いことといったらない。
「国の中枢である城からそんな火柱が立てば国民は混乱したのではないか?」
「いえ、今日はまた一段と元気でいらっしゃると、食事の際のネタに大笑いされていたそうです」
「それはまたずいぶんとおおらかな国民性だな。うちなら大混乱に陥るぞ」
さすがのユリウスも呆れ顔だ。
だが、リースはそんな国民が大好きだった。
「加護持ちへの考え方の違いでしょうね。もし陛下が我が国でお生まれになっていたら、ボヤどころじゃ火力が足りん! もっと盛大にやれ! と、別の意味で叱られたはずですよ」
「それはそれでどうなんだ?」
ようやくユリウスから暗い影が消える。
それ以上の衝撃的な話を聞いたからかもしれない。
実際フィーリアでなら、ユリウスの話は右から左に流されるほど些細なできごとなのだ。
歴代の強い加護持ちのやらかしはとんでもないのである。
ただ、それによって城内の修繕や備品の買い換えが必要になったりするので、財務を担当している者の胃はキリキリするだろうが、加護持ちの力はそれを補ってあまりある利益を国にもたらすので、国民からも貴族からもほとんど文句は出ない。
「まあ、そんな風に笑い話にできるのも、加護持ちが暴走しても抑えられる者が別にいるからなんですけどね。安全だと分かっていて騒ぐことなどないでしょう?」
「そうだな……」
ユリウスの目が寂しげに揺れたような気がした。
「安心してください。これからはあなたが力を暴走させたとしても私がいます」
リースは優しく微笑みかけると、ユリウスはわずかに目を見開いた。
「ちゃんとあなたが力の制御を覚えるように導くのが私に任せられた役目ですから」
「役目……。そう、そうだな……」
ユリウスは何故だか残念そうにする。
「心配なことがあれば気軽にご相談ください」
「ああ、助かる」
そう感謝を述べつつ、どこか不満そうなユリウスは、じっとリースを見つめた。
「なんです?」
リースは首をかしげる。
「ずいぶんロイドと仲がよさそうだったが、付き合っているのか? まさか婚約者ということは……」
きょとんとするリースは、次の瞬間に吹き出して笑った。
クスクスと笑いが収まらないリースに、ユリウスは今さらになって自分の発言に恥ずかしそうにしている。
「なにを笑っている!」
「いえ、あまりにも予想外の質問をされたので、すみません」
謝りつつもまだおかしくてならない。
「ロイドとは幼馴染みのようなものなので、気安く感じるだけですよ。それ以上でもそれ以下でもありません」
ロイドとは幼い頃から一緒に育ってきた兄のような存在。
護衛でもあるが、家族のようでもある。
特別というなら特別ではあるが、そこに恋愛感情が含まれたことはこれまで一切ない。
「そ、そうか」
一瞬ほっとした顔をしたのをユリウス本人が気づいているかは定かではない。
まさかリースが本当の自分の妃だとは思ってもいないのだろう。
これは正体を明かした時が楽しみでならない。
「さて、おしゃべりはここまでにして、本題に入りましょうか」
「今さらな気がしてならないがな」
散々話が明後日の方向を向いてしまっていたので、方向修正する。
「先程も申しました通り、陛下は火の力が大きく、私は水と風の力が大きいです。力同士にも相性があり、火の力は水の力に対して弱いので、万が一陛下が暴走しても私がきちんと止められますのでご安心ください」
真剣な顔で頷くユリウスから質問が飛ぶ。
「火の力以外は使えるのか?」
「ええ。あくまで得意なのが火というだけなので、きちんと使い方を学べば火だけではない他の力も使えるようになります」
「それはいいことを聞いた」
「ただし、やはり一番性質が合っている火ですら制御できないようでは、他の力を使わせるの早計です。まずは火の制御を覚えましょう」
加護持ちだからといって万能というわけではないのだ。
手順を踏まなければ間違った力の使い方を覚えてしまう。
それが今のユリウスだ。
「具体的にはなにをすればいい?」
「先程も言ったように、精霊との対話が第一段階です。精霊と交流を持たずに力を使うと、精霊が陛下の意図をくみ取らずに好き放題してしまいますからね。きちんとこちらの意思を伝え、時には抑制しなければなりません」
途端に難しい顔をするユリウスに、リースはしょうがないなと言いたげな笑みを浮かべる。
「精霊がお嫌いですか?」
「……そうだな」
それは今のユリウスの正直な感想だった。
「これまで他人には見えない不可思議な存在が俺にだけ見えた。誰に言っても信じてはもらえず、唯一アルウィンだけは信じようとしてくれていたが、信じ切れてはいなかった。俺を皇帝として認める兵士達ですら見えざる者達の存在には懐疑的で、ただ俺の目や耳がおかしいだけなのではないかと思っていた」
「仕方ありません。見えないものを信じるのは難しいですから」
「それがまさかこんなにあっさりと覆されるとは思いもしなかったがな」
くっと笑うユリウスは楽しそうにというよりは嬉しそうにリースを見つめていた。
「俺の常識が一気に塗り替えられた気分だ。いや、俺だけでなく、アルウィンや他の兵士もだろう」
大勢が同じものを実際に目にすれば、嫌でも精霊という存在を認めざるを得ない。
今日、この場にいた兵士で、ユリウスを疑う者はいなくなっただろう。
「感謝する」
ずいぶんと上から目線のお礼の言葉だが、リースは微笑みでもって返した。