今日も私は斧を振り下ろす
「あ、あの……私は今どこにいるんですか?」
今日も、死体はやってくる。
「ここは、君のような人間が来るところだよ。まあ、君は身動きできないと思うから、わからないだろうけどね」
「私は、何を――っ」
何かを思い出したかのように、苦悶の表情を死体は浮かべた。
「どうしたんだい? ほら、言ってみなよ。何を思い出したのか」
「私は、私は……ああ」
死体は、ただうめき声を上げるだけで、答えようとしない。
「ほら、早く。私も、暇じゃないんだよ。君のことを、聞かせてよ」
「は……い」
死体はぽつり、ぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「私は、ある辺境の村に生まれました。小さい頃から、私は醜く、そして異常な力を持っていたらしいんです」
「ほう、それで?」
作業着を着た男は、淡々と興味なさげに続きを促した。
「それで、私はずっと、悪魔の子って呼ばれていたんです。この醜い姿、力、どう考えても化物ですからね」
「辺境の村は閉鎖的だから、なおさら、と」
「そうです。そんな中で私を守ってくれていたのは、教会のシスターだけでした。シスターは私のことを身を呈して、何度も守ってくれました」
「では、そのシスターがいなくなったら、大惨事が起こるだろうね」
男の無感情な顔から出される言葉に、死体は苦い顔をし、そしてまた言葉を紡いだ。
「っ……はい。シスターはある日、倒れ、そしてそのまま死んでしまいました。おそらく、過労だったのでしょう。私を守ってくれていたのは、シスター。そのシスターが死んでしまい、私は途方に暮れました」
「それで、奴隷……ということかな」
「そのとおりです。村の人たちは、私を守る存在がいなくなった今、奴隷商に売ってしまえば……と話し合っていたのです。それを聞いた私は、走りました。走って、走って。」
「逃げなければならない理由でもあったのかい?」
男は声だけは心底不思議そうに問いかけた。死体は驚きの声を上げた。
「奴隷になんて、誰でもなりたくないと思いますよ」
「さあ、私には倫理観が欠けているようで」
「奴隷になれば、もうもとには戻れないとシスターから強く言い聞かされていたからです。私が逃げた先には、ある町がありました。私の姿を見た町人は、何も見なかった、という風に視線をそらしました」
「貴女が醜かったからかな?」
通常であれば悪意の存在するであろう質問を、まったくの無表情で男は聞いた。
「そ、そこまで言うものですかね……確かに、その要因もありました。ただ、それだけではないとも思います。私は自分の持つ異常な力を持ってして、辺境の村から脱走する際に遭遇した獣をすべてなぎ倒して来ました」
「なるほど、獣の血や、その他諸々が貴女の顔と合わさって、というわけだね」
死体は微妙な表情で、男へ苦情を投げかけた。
「そこまで言わなくてもいいじゃないですか。確かに私がどんな顔をしているのかは自覚していますよ。ええ。でも言いすぎじゃないですか?」
「はあ、そうかな。私にはまったく興味がないもので」
男は私はあくまでも相槌を打つだけの聞き手なのだ、と答えた。
「そ、そうですか。まあこれからは気にしないことにします」
「それがいいだろうね」
「私はとにかく、教会へと急いだんです。シスターの所属していた教会ならばもしかして、と」
「しかしそれは貴女の希望であり、それは打ち砕かれたんだね」
「そういうことです。私は悪魔だと罵られ、教会に捕らえられました。そこで私は、見世物にされました。これが悪魔なのだ、と。私は必死に人間であると訴えました」
「貴女の姿と教会の言葉の前には、為すすべがなかったんだね」
「はい。周りは全員、そうですね……貴方のような目で私のことを見つめて来ました」
男はどこか無機物でも見るかのような目で、死体を見つめていた。斧を片手に、作業着を着て。
「では、話を戻して……と。私はこのままでは殺されてしまう、と無理やり体を動かし、拘束を引きちぎりました。全力で走って逃げました。最初に村から出るときよりも、辛かったです。周りには、石を投げつけ、悪魔だ死ねだと罵ってくるんですから」
「拘束を引きちぎったことも、そう言われる原因になったのでは?」
男の言葉に、死体はしばらく無言でいた。そして少しして、口を開いた。
「……確かにそうかもしれませんね。でも、それならどうすればよかったんですか?」
死体はここで一度言葉を切ると、男へ問いかけた。
「私は、逃げ出さず、諦めて奴隷になるべきだったのでしょうか」
「さあ、私にはなんとも。続きを早く」
男は、意味のない会話はしないのだ、と急かした。
「そうですか……私は、町も何もない、山の中へと辿り着きました。そこならば、私のことを嫌な目で見る人間はいない、そう思いました」
「実際はどうだったんだい?」
「実際、野生のルールに従って生きていく以上、弱肉強食の世界なので平穏に暮らすことができました。私は強かったので」
「ほう」
男は雑に相槌を打った。
「そうですね、数えてませんけど……十年くらいはそうやって暮らしてきたと思います」
「ああ、貴女は異常な力を持っていたんだったね」
「そんな日を、続けていたんですけど、ある日、それも終わりました。私は、山へ狩りにやってきた男に矢で射抜かれてしまいました」
「逃げられなかったのかい?」
「いくら私が強かったとしても、心臓を貫かれればひとたまりもありませんよ。どうにかして生きていましたけれども」
「それはそれは。すごいねえ」
男は大げさに、表情のない驚き方をした。死体はそれを無視し、また言葉を続けた。
「私は獣のような悪魔のような何かとして、見世物にされることになりました。本当は、人間なんですけどね」
死体は出るはずのない涙をこらえるように、顔を歪めた。
「……ただ私が怖すぎる、ということで結局、客のいないままずっと過ごしました。たまたま通った人に助けを求めると、化物が喋ったと逃げていくんです。私は……人間だって……にん……だって……」
「そう生まれてしまったんだから、仕方ないさ」
男の言葉に死体は同意を示した。
「……そうですね。仕方ないところもあったのかもしれませんね。……それで、私は役立たずとして、食事を与えられず、逃げ出すこともできずに――ああっ」
死体は痛みに声を上げた。しかし男はそんなこと知らないと言わんばかりに問いかける。
「最後に、貴女はなんでそこまでずっと丁寧な口調で?」
「……シスターが教えてくれたことが私の全てでしたから。シスターは、私の全てでしたから」
死体は遠い目をして、感慨深げな表情をした。
「そうかい。それじゃあ、さようなら」
男は斧を振り下ろし、肉の塊が飛び散った。死体は声を上げることなく、また終わりを迎えた。
「ああ、楽な仕事だ」
すべてを吐き出し、まっさらな状態となった死体は、死を二度経た死体は転がる頭を残して、消滅した。
「ああ、次を処理しないと」
男の目はどこまで行っても無感情で、無機質で、真っ黒に濁っていた。男は新たな死体を処理しようと、動き出した。