墜ちぬ翼
四月中ごろ、オースノーツ共和国軍所属ヴィエイナ・ヴァルソー特務中尉はセレカニンツァ海洋上にいた。乗機グライフは頭部と胸部、腕部の装甲を一部換装して僅かながらに衣装変えをしており、チューフによって試験搭載されたエンジン四基は絶妙に調節を絶えず行われベストな出力を保ち続けていた。
機体は軽快に飛行する一方で、それを操るヴィエイナの面もちはあまり気持ちのよさそうな様子には見えないのは、ひとえに三月末に起きたシェーゲンツァート軍との戦闘のためであろう。彼女は追い求め続けていたALとようやく出会い、完膚なきまでに叩きのめした後に止めを刺そうとしたところで思わぬ横槍が入り止めを刺すことを阻まれただけでなく、この機体の頭部を破壊されてしまったのだ。自分の操縦技術に自信のある彼女は、それと乗機が傷つけられることを何より嫌うのである。機銃の一発すら食らわずに仕留められるというところで、あと一歩のところであの指揮官型のデセル(アルグヴァル)はグライフの頭部を僅か一発の発射で撃ち抜いたのだ。
それが悔しかった、機体を傷つけられたということもそうであったが、何より敵がこちらに銃口を向けているということに気づかなかった自分の浅はかさにも。そんなイライラを、今日は久々の出撃で憂さ晴らしが出来るのだから出撃しないという手は無かった。ようやく修復と改修の終わったこの機体で、これからラグラメント・デル・クラウナウピア共和国海軍を血祭りに上げるのだ。
クラウナウピア共和国は、プルーツ大陸南部に位置する民主主義国家であり自由同盟に所属している国の一つである。この星でも様々な面において見ての上位十カ国にギリギリ入ることは無かったものの、百カ国以上が存在するこの星の上においてはかなりの力を持つ国であることに間違いはない。現在、オースノーツ共和国海軍は空母機動艦隊を動かして共和国の第二〇一水雷戦隊を撃滅すべく航空機と飛行型AL、水中型ALを出撃させていた。
敵は巡洋艦五隻、駆逐艦十八隻からなる大艦隊で同国における重要な海洋における機動戦力であった。これを一隻残らず鎮めることでクラウナウピアに大きなダメージと揺さぶりを与えることを目標としているのだ。
さきほどこの出撃を望んでいたようにも書いたが、実はヴィエイナにとって今回の任務は正直なところあまり乗り気ではないというのも内情の一つにあった。何故なら今回の相手にはALが含まれていないからだ、水上を行く鈍重な艦船を相手にしたところで面白い戦いは大して望めず、スリルを味わうためには機銃の雨の中を突っ込んだり海面ギリギリを飛んでいくくらいのことをしなければならないためである。それでも、そのスリルは彼女の求めるものではない。ALと戦いたいのだ。
しかし、軍属である以上命令を遂行するのは仕方のないこと、それに軍にいなければALという力を得ることなどできなかったのだから。
眼下僅かに二百mの所を、深緑の海原が通り過ぎていく。この下に潜むは世界で最も深い海溝であるボルジュバス海溝であり、大きな口を開いて次なる餌が沈み来るのを常に待ち構えていた。その深さは一万六千mにも及ぶとされているが、実はそれは現在測りうる限界であり、それ以降は未だ調査が出来ていないため本当の深度がわかっていないのである。ここに沈めば、二度と日の目を見ることは無く永遠の寒さと、暗闇と、押しつぶす無限の海水の圧力ばかりが体にまとわりつくのだろう。きっと、もう既に多くの命が、兵器がこの底のない胃袋に……
〈現在の高度域における風速は六m/h、風向き北北西。天候は快晴。ヴィエイナ様、機体の調子は良好ですよ〉
「そう」
チューフの定期的な天候情報に対して実に素っ気無い返しをする主人に忠実なAIはあからさまがっかりして見せると、言語を用いての抗議が出来るにも関わらず敢えて映画のような電子音を鳴らしての不満を述べた。
「お前は本当にAI?」
やけに完成されているこの試作型AIに彼女は疑問を隠せない、このAIはグライフ五号機が彼女の下にやってきたのと同時に既にインストールが為されており、技術者の説明によれば機体と共に自動機体制御機能を成長していくのだと聞いていた。だのに、こいつはもう既にかなり完成されており人間と遜色ないと取れるレベルにあるのだ、普通ならこういうものは始めはプログラミングの域を出ないところから徐々に、長い時間をかけて成長し自我に目覚めるのではないだろうか、にも関わらずこのチューフというAIは初対面の時点であまり違和感を覚えない程度には人格が完成されていた気がする。こいつは本当にAIか、そういう疑問を拭えないのは仕方のないことであった。
〈もちろん〉
「そう、よね……」
そりゃそうだろうが……
かといって、そういう専門的な話をされても彼女の専門ではないのでされる必要はない。
〈あと六十kmで敵艦隊と接触予定です、準備はよろしいでしょうか?〉
準備が出来ていることくらい、自分がよくわかっているだろうに。などと反応しては無駄話に発展しそうであったため口をつぐんで改めて機器のチェックに入った。ライフルの試射、良し。スラスター出力安定、エンジン出力良し、予備弾倉、良し……問題はない。
「こちらヴァルソー、各機用意はいい?あと十分ほどで接触だ」
彼女は背後に控える三機のシュリーフェンはきっちり正確に編隊を組んだ状態を維持しながらぴったりと先頭を行く彼女の機についてきている。
〈勿論ですとも中尉殿〉
と気の抜けた声でまず最初に返事をしたのがジェリク軍曹である。最年長である彼の機にはMASR(マルチプル・アンチ・シップ・ロケットシステム)が搭載してあるが、この威力は発射されてからのお楽しみである。
〈ハイ、万事大丈夫です〉
お次の若い女性の声はザーレ准尉、インテリ系の彼女はシュリーフェンの両手に二連ライフルを抱えている。二連ライフルは交互に弾丸を撃ちだすことで銃身の冷却を調査するための試作武装である。
そして最後にチェサレザ少尉である、スポーツサングラスがトレードマークの彼はAL用の試作型ハンドトーピードガンを抱えていた。皆どれもこれも試作の武装であり大事な技術試験の一環なのである。
お気づきの人もいるかもしれないが、この三人は以前ヴィエイナと共に連合軍コリューション基地の外から捕虜収容所を眺めていた者たちである。そして、ヴィエイナの部下である彼らはつい最近バストマー連邦領内の友軍物資集積所を襲撃したシェーゲンツァート軍空挺AL部隊を一瞬にして撃滅しせしめた部隊なのである。多くが彼らの素顔からは全く想像できないほどの驚異的なALの操縦能力は今まで何機もの敵ALを血祭りに上げてきており、部隊全員がエースパイロットクラスなのである。
しかし、こんな試験部隊に何故過剰ともいえる戦力投入がされているのか、それはこの部隊の特性とヴィエイナの家系の問題にあったが、今説明する内容ではあるまい。
彼らは主力部隊の後方を進んでおり、端の方の味方の攻撃から漏れた敵艦を始末することとなっている。
〈おっ?始まったみたいだな〉
チェサレザが通信から先頭の部隊が敵と接触したことを読み取る。レーダーでも戦闘が起きていることは艦船の反応と味方機の反応が重なったことから確認でき、今頃は攻撃機部隊がありったけの対艦攻撃を仕掛けていることだろう。
〈俺たちの分はありますかねえ〉
〈大丈夫でしょう、二波でニ十隻以上が沈むとも思えませんから〉
〈生真面目だね、リフェちゃんは〉
〈ザーレ准尉と!上官ですよ!〉
〈めんごめんご〉
なんと緊張感のないチームなのだろうか、まさか自分がこんな和気あいあいもとい慣れ合っている部隊を持つことになるなど、二年前の自分では想像できなかったであろう。それでも、戦いが始まれば皆真面目に戦ってくれるのが救いではあったが。
彼女はいろいろなものが詰まったため息を一つ吐くと、スロットルを上昇させた。




