雨の帳(2)
四日目の午後、第三・第四小隊のALはぬかるんだ道を進み続けていた。もうおとといの夜から降り始めた雨の途切れた時を知らぬほど、雨は降り続いており、勢力は弱まりはすれどそれでも土砂降りと言っていいほどの規模で、水はけのよいとは言えぬ地面は水をふんだんに含んで完全に沼と化していた。
小動物でも埋まってしまうような地面で、百ガトンを超すような重量物がまともに機能できるはずもなく、進行の速度は十分の一以下にまで落ち込んでしまっており計画は完全に破綻していたのだった。
豪雨の音に紛れて前方でジュードル機が足を取られて前のめりに地面に臥すが、ぬかるんだ地面が皮肉にもクッションとなりパイロットにけがはなかった。
〈はあ……頼むわリンド……〉
もう慣れっこだとため息をつきながらリンドに救援を要請するジュードル。間隔を広げて進む部隊に倒れた仲間を助け起こす余裕はないため、彼らを助け起こすのが後方を行く重ヴァル及び砲ヴァルの役目であった。丁度リンドは彼の後方に位置していたため、リンドは立ち止まってスイッチ類を操作すると頭部横にあるアンカーを射出した。撃ちだされたアンカーは磁力でジュードル機の背中に力強く吸着しそれを確認すると、ワイヤーを巻き上げ始めた。キュルキュルと雑音を立てながら一本の太いワイヤーで引き起こされると、顔を上げたジュードル機は前面が完全に泥に埋もれており部隊章や識別のマーキングすら判別不能になっていたものの、そんなこと既に昨日の内に見えなくなっていたので今更気にすることは無かった。それにこれくらいの泥は気にせずとも雨が流してくれる。
ジュードルはボタンを押すと、アルグヴァルの頭部、カメラの上側に空いている穴から温水が勢いよくカメラに吹き付けられ泥を急速に落としていく。
〈あんがとよ……〉
「いえ」
彼を救出する間部隊は進撃を止めてはいなかったが、止めなくとも引き離してしまうような速度は出ていないため問題は無かったのである。
〈点呼だ、スライ〉
ボルトラロールが全員がはぐれずについてきているかを確認するための一時間に一度の点呼が行われる。レーダーで味方識別信号を捉えているため必要性は薄いのだが、レーダーの故障が起きる可能性も十分にあるので、異国の地の戦地においてこの視界の悪い中はぐれることは死にも直結し、また、作戦遂行にも影響を及ぼすのでこの点呼が行われているのである。指示されたスライも、はじめは小言をのたまっていたが今となってはそんな気すら起こらず黙って命令を受け入れていた。
〈ジュードル〉
〈……っす〉
〈ヴィル〉
〈ハイ〉
〈リンドォ〉
〈います〉
気だるげな点呼はそそくさと済まされた。そしてまた陰鬱な時間が過ぎていく。
外も雰囲気も湿っぽいもののコックピットの中はそれに反してよく空調が効いており、適切な湿度で快適であったのは、運が良かったと彼は考える。もし装甲車の搭乗員や歩兵であったらこんな場所きっと耐え切れないだろうから。それに、人間がこの一mを超す泥をかき分けて行動できるはずもない。確実に多くの兵士が泥に沈み、やがて雨期が去るころには地中で大地の養分と化していただろうから。
ようやくリンドも、何故この地域に敵がいないのかを理解し始めていた。いくら二重の陽動が効いたとはいえ、四日間で敵中にも関わらず敵と一度も遭遇せずに済むはずがないのだ。ここは敵地、つまり敵に地の利があるということだ。敵はいずれ来る雨期にはこの地がどうなるか知っていたためにここに兵力をあまり割いていないのだろう。だとしたらすべてが納得いく話であった。
「ここで襲われたらひとたまりもないぞ……」
全員が鬱屈としている中、ボルトラロールは常に戦闘を頭に入れていた。こんな場所では敵に万が一襲われた場合散開も逃走もままならず、一方的に見えない敵から撃破されてしまうだろう。よしんば切り返せても、追撃できる速度など出せるわけもなく。おまけに機体の中に泥が大量に詰まり常にどこかがエラーを出している。流石の彼も、今度ばかりは作戦を放り出したくなるほどに呆れてしまっていた。
「そもそもこんな突貫の作戦自体杜撰なんだ……」
彼は怒りの炎を静かに燃やす。本来補給部隊救援の後彼らはひとまず基地に帰還し次の出撃に備えるはずであったのだ。それが、元々この作戦を請け負うはずであった部隊が全滅したために丁度手の空いていた彼らの隊が代わりに割り当てられたのであった。確かに、元の部隊も彼ら同様空挺部隊であったが彼らはこの地域について入念に学んでいたのに対し、こちらはなんの準備もなしにひょいと地形データなどを渡されただけで全体の把握も出来ていないのだ。それゆえに進むべきルートを取り違えただけでなく進撃の行程を見誤ってしまいその結果部隊は想定外の雨期に掴まり作戦は完全に停滞してしまった。その上隊員たちの士気はどん底に落ちてしまっている。
彼が今まで経験した中でも一、二を争うほどの杜撰な計画に、やり場のない怒りをどうすべきか迷ってしまっていた。
五日目、ようやく最も泥化の酷かった地区を脱出した二つの小隊の面々は、今までの遅れを取り返すかのように、未だぬかるむ地面をがむしゃらに走り始めた。ぬかるんでいるとはいえ、前日までの悪夢に比べたら天と地ほどの差があった。十機のアルグヴァルは、雨で存分に汚れを掻き落としながら進んでいく。途中、森が止み、やがて彼らは人口のある地域へと突入する。とは言ってもとっくに住民は疎開してしまっていたため、ここにいるのはならず者たちや不法移民、そして連合軍の兵士たちだけであった。少しとは言え、敵の兵士がいるとわかっている場所を通るわけにもいかないため、彼らは出来るだけ街を避け小高い山や丘の乱立する不安定な場所をかき分けていった。
〈人の住む場所じゃねえなこの国は!〉
ジュードルがこの国の酷い地形に辟易して悪態をつく。
〈まったくだ!〉
「ハハハ」
などと文句大会でも始まるのかと思っていた矢先、指揮官型と砲撃型のレーダーに好ましくない識別反応が出てしまった。反応は四つ、方角は真正面距離は十km。このままでは敵と戦闘に持ち込むこととなてしまう。今回はこちらのレーダーの長い機体が敵を見つけることが出来たが、敵がこちらに気づいていないとは限らない。向こうもレーダーの性能がいい可能性もあり、その場合こちらの発するレーダーの音波がキャッチされている可能性もある。そうでないことを祈りつつ、彼らは進撃ルートを大きくそれ、一同街に向かって進んでいった。そこにどれだけの敵部隊が配置されているかはわからないが、反対側にいることを願うほかない。街に入りこんだら機体を隠し火を落としてやり過ごすほかない。
先頭をスライ機と三小隊の副隊長オルルカン機が務めつつ彼らは街に入った。町は荒れ果てており、表に並ぶ店はどの店も一つ残らずショーウインドウが叩き割られ品物は皆略奪されているようだ。彼らは時折モニターの端に動くものを捉えていたが、映像を再生するとどれも非戦闘員の民間人であることがわかったため、追わずに無視することとした。
〈こっちにいけますよ〉
オルルカン軍曹が廃墟となったショッピングモールを示す。なるほど、そこなら大きなビルや駐車場があるので大きなALも姿を隠すことが出来るはずだ。彼らはそれぞれ建物側と駐車場側にわかれて身を隠す。リンドやヴィレルラルら大荷物のあるものはモール側へ、他の機体は駐車場へと向かう。
リンドは一部が崩壊した部分に機体を背中から収めると、動力を落とし息をひそめる。機体がモールに接したときにぶつけたことによる瓦礫が装甲を打つ。斜め向かいに三小隊の重ヴァルが横向きに三分の二ほど機体を収めているのを見たリンドは、思わず吹き出してしまった。
すべての機体が隠れたのを確認すると、彼らはただ静かに敵が通り過ぎるのを待った。ここに駐在する敵が来ないことを祈って。




