超高速降下
陰暦1996年3月30日、年が明けてしばらくたったこの星では相変わらず全面戦争が繰り広げられていた。年末に大怪我をして帰還したリンドは怪我も完治しリハビリと訓練を手早く済ませると再びALパイロットとして戦線へと向かっていた。
第四小隊は第三小隊とともに現在アストリアス大陸北部の山間部をジェイゲルグで飛行していた。目標は現在連合所属の国、バストマー連邦侵攻中の友軍補給部隊が敵による襲撃を受けたためにAL二個小隊が急行しているのである。時間は一刻を争うため、今回の降下は速度を殆ど減速させない高速強襲降下作戦の形態をとることとなっているが、それが初めてのリンドはおろか歴戦のスライたちですら不安げな面持ちで作戦を聞いていたために、リンドは病み上がりの体で非常に危険な作戦を行わなければならないことに不安しかなかった。
それはそうと、依然として小隊長であるキリルムが行方不明の同小隊には当然ながら新しい指揮官が着任していた。指揮官の名はベルール・シ・ボルトラロール、階級は少尉で歳はまだ若く二十九である。オールバックに撫でつけた髪形とすらりとした長身が特徴の若い士官であった。そんな彼のキザな見た目にもちろんスライたちは気に食わぬ様子で彼の着任に際し皮肉を述べたりもしていたが、彼は笑って上手く返してくるので、スライとジュードルは余計に不愉快になっていた。今にその化けの皮が剝がれると目論んでいたが、果たして。こうして始めから彼にしっかり従っていたのは、生真面目なヴィレルラルとリンドだけであった。
彼はアルグヴァル指揮官型に搭乗してジェイゲルグの中に待機していた。彼の後方にはリンドの新しい重ヴァルが積載してある。ちなみに、あれからアルグヴァルはマイナーチェンジが行われたため型番が一つ増えてFRALL-S/06_Cとなっている。改良箇所は油圧装置のオイル漏れ改善と馬力の七パーセント向上、火器管制装置が新しいものに置き換わっている。ソフトウェア面に関しては既存のアルグヴァルも順次アップグレードされていく予定であるが、ことはそううまくは運ばないのが現実というものであるだろう。
「隊長」
コックピット内でリンドはボルトラロールに話しかけた。
〈どうした?軍曹〉
彼は物腰柔らかな声で聴き返す。
「自分は病み上がりでありますので、上手く支援が出来ないかもしれません。最初にお断りしておきたくて」
リハビリからの訓練の際にはALの再訓練も受けていたが、いかんせん勘を取り戻せた自信がなかった。この一年近く握り慣れてきたはずのアルグヴァルの操縦桿が、心なしかまるで新車のハンドルを握ったようにも感じられる。車など持っていないが。
まだ十代の、少年の面影の残るリンドの不安をしかと受け止めたボルトラロールは、構わないと返して彼を安心させようとした。
「今回は危険な降下ではあるが私とスライ曹長たちがリンドを守るさ、必ずな。それに、我々の他にも第三小隊が一緒だ、君の負担はグッと下げてやろう」
「あ、ありがとうございます」
彼のその慈しみさえ持った返事に、リンドはキリルムとはまた異なった信頼感を覚えていた。新しい隊長のボルトラロール少尉はキリルムとは別のベクトルの人間ではあるが、彼には彼の良さというものを感じられていた。キリルムが剛をもって信頼を得る人物だとすれば、ボルトラロールは柔をもって周囲の信頼を勝ち取る人物であろう。こういった人柄は、スライたち典型的な荒々しい軍人からすればなよなよとした頼りない上司なのかもしれないが、少なくともまだ一人前の軍人としての精神が成熟しきっていないリンドのような若者からしてみれば、彼のように恐れを必要としない人物はこれ以上ないくらいに頼りたくなる男であった。
〈そろそろ近いぞ、軍曹準備だ。チェックは済ましたな?〉
「ハイッ!」
彼の宣言通り直後に格納庫内は赤色灯が点滅しアラームが鳴り始めた。後部ハッチがゆっくりと展開していき、リンドのすぐ後ろには一瞬にして通り過ぎていく岩肌があった。降下は斜面を下るようにして行われる。そうすれば斜面を下りながら減速ができるためだ。今回の降下は地面と非常に近い距離で行われるため、いつものパラシュートは装備されておらず代わりに高速降下用の特殊パラシュートといつもより増しましなブースターが増設されていた。足回りの調整もしっかりとより丈夫なものに交換してある。
「これ以上アルグヴァルを潰したくないな」
機体を稼働状態にまでもっていきながらそう呟く。もう既に二機のアルグヴァルを使い潰しており今乗っているもので三機目だ。それで生き残っていること自体素晴らしいことだが、あんまり消費していると白い眼で見られかねない。
〈降下まで百秒!!〉
ジェイゲルグは高度を山頂ギリギリまで下げており、少しでも姿勢を崩せば斜面に激突しかねないところを超高速で飛んでいた。墜落すれば、ALに乗っていても体の一部分も原型をとどめてはいまい。
「ふう、怖いぞ……」
本音を漏らしてしまう。しかし泣いても笑ってももう降下まで三十秒を切っていた。デジタル時計の数字が減っていくごとに体中から汗を拭きだしている気がしてならない。パイロットスーツの中はもうビチョビチョだ。早く着替えたいと思いながら彼は射出された。
〈降下!降下!〉
「うおおおおっ!!!チックショオオー!!」
赤黒い格納庫から、一気に視界は明るくなりバストマー連邦の山脈の肌がモニター一杯に映し出されていた。眼下には本当に目で追いきれないほどの速度で景色が遠のいていく。空中に放り出された重ヴァルは、すぐにカタパルトとの接続部を切り離すと変形、足の裏を斜面に平行に近い角度を付けて姿勢を制御していく。地表まですぐ近く、パラシュートが展開しリンドの体が真後ろに勢いよく引っ張られたために、彼は背骨が体を突き破っていくのではないかという錯覚すら覚えた。
パラシュートが開いたのが確認されると自動でブースターが点火、一気に減速をかける。
「あれか!!」
モニターに、山の谷あいを通る一本道を列をなして進んでいく輸送部隊が見えた。その規模は彼が想像してたよりもはるかに大規模で、ぱっと見だが五十を超す数のトラックなどの車両が見えた。それらは後方より敵の攻撃ヘリと装甲車の追撃を受けており、後尾の車両は次々と被弾をしていき食われていくものもいた。それでも車両の列は味方を救うことは無い、彼らは皆振り返ることなくひたすらに逃げ続けていた。
「護衛はいないのんんん!!?」
危うく舌を噛むところであった。地面と接触した重ヴァルは、足で斜面を削り取りながら時速数百キロで滑り降りていく。いくら頑丈なアルグヴァルとはいえこれでは足が持たないはずだが、これもあらかじめ装備してあったカバーによって守られていた。
リンドは滑走しながらも両手に構えた二丁の突撃銃を構えると、車列の後方に向かって撃った。絶え間ない激しい振動と速度によって狙いは定まらないが、味方にあてないようにさえすればいい。アルグヴァルの横をトラックが走り抜けていく。彼らは救援に駆け付けてくれた味方のALに歓喜し声を張り上げて喜んでいた。
〈オーセス軍曹!止まらずに走り続けるんだ、兎に角車列の後方に出ることを第一に考えろ!〉
ようやく地面に降り立ったボルトラロールが、同様に高速で滑り降りながら指示を出す。彼は速度を維持したままパラシュートを早めに切り捨てると、屈んで跳びあがったのだ。もとからあったスラスターと増設された減速用のブースターを応用し、彼の指揮官型アルグヴァルは大ジャンプをやってのける。ゆうに百m以上は跳躍しただろうか、降下の速度すら利用した彼はリンドの重ヴァルを飛び越えていくとうまくブースターを吹かして速度を殺しすぎないように、かつ機体に負担をかけぬよう上手く着地すると、斜面をまるでヴァグラ-ドヤマツノジカ(※1)のように軽快に走っていく。その巧みなALさばきに、リンドは全身に鳥肌を立たせて眺めていた。直後、彼は装甲車の放った三十八mm砲の直撃を胸部に受け派手に転んだ。
※1 ヴァグラードヤマツノジカ:シェーゲンツァート帝国北部の山間部、特にヴァグラードという田舎の州に多く生息する角のある地球で言う鹿のような生き物。大柄だが軽快に急斜面を走っていく姿は逞しく、陸軍旗にもその横顔のシルエットが中心に描かれているほど。性格は荒々しいものと人懐っこいものの両極端で、よくそれを見切れなかった者が襲われて命を落としている。




