平和の倫理
セバ軍の兵士たちが民間人の亡骸を葬る時間は与えられた。連合国軍は戦力再編のためメチエ村の付近にある湖に集結している。だが、ヴェルケやヒエルたちがそんなことを知る由も無い。
常に死のカウントダウンはカウントされ続け、彼らの最後の時が止まることはない。ただ時期がずれるだけなのだ。増援は未だ来ず、司令部からの連絡は音沙汰もない。キサナデア側の通信機もあまり調子が良くなく、ノイズが走っていることのほうが多かった。
「二号車の修理はどうか」
ヴェルケは中破したアルカム駆逐型の元に歩み寄ると、四苦八苦しながら一号車の乗員たちが修理を行っていた。だが、整備士ではない彼らでは、応急処置にも限度があり、破孔を絨毯で覆って隠し炎上を防ぐために消火剤をかけるのが関の山であった。二号車の状態は運よく砲撃能力には支障がなかったが、やはり自力では一mmも動かすことは出来ないだろうというのが共通の見解であった。
死んでしまった装填手は、国民とともに埋葬してあり負傷で済んだ他の乗員も、車長と通信手、操縦手が軽傷で済んだために手当後すぐに復帰できたのだが、砲手は右手を失う大怪我を負っており、引き金を引くどころかこのままでは敗血症にでも罹りかねないという状態であった。
「ビンディーア、砲手をやれ」
ヒエルは二号車の操縦手に砲手を命じると、ビンディーア上等兵も黙って了承した。砲手は初めてだったがどのみち搭乗車両がこの状態では操縦手は意味を為さないのだ。
「空から来なければいいがなあ」
ヒエルは灰色に染まる空を見上げて力なく囁いた。物を燃やした煙が空を覆いつくし日差しを遮ってしまっていた。日差しがなければ作物が育たないという心配を、彼らはこの状況下でもしてしまっていた。
「そうだな、対空砲はまだ弾はあるが無限じゃない。一週間、いや五日もてばいい方だろう……」
ヘリのコンテナの隙間にありったけの武器弾薬食糧を詰め込んできたが、いくらあっても困るものではないのがそう言った物たちだ。恐らく連合国軍のほうは潤沢に兵力と物資があるのだろう。
「弾が詰まった!」
狙撃を行っていたフンジー兵長が必死にジャムったライフルから弾を排莢しようとしている。彼が身をひそめる塹壕まで歩兵の大軍がおよそ八十mというところまで接近していた。後方のヴィルトリエの砲塔機銃がゆっくりと敵兵を薙ぎ払っていくが、倒れる敵よりも押し寄せる方が断然多く、対応しきれない。
機銃陣地も頑張ってはいるが、何分不慣れな戦闘なものであまり集弾率は高くなかった。
第三波の敵が押し寄せたのは今から一時間前であった。第一波の混成陸軍、第二波のロケット爆撃機部隊も十分脅威ではあったが、今回はそれらとは比べ物にならないくらいにおぞましかった。
人の波が押し寄せたのだ。数えきれない数の波が押し寄せ、セバ軍の兵士だけでなく猛者のキサナデア軍すらそのあまりにも唐突に押し寄せた波に恐れおののいた。
「撃て!撃て!」
ヒエルは自らも車外に身を乗り出して車載機銃で果敢に敵を撃ちながら砲撃を命じている。一号車の榴弾が生身の歩兵を木っ端みじんに吹き飛ばしていくが、対戦車ロケットランチャーが歩兵から放たれ、瞬きする間もなく飛来した弾頭は、一号車の真横をすり抜けて遠くへと飛び去って行った。今のが直撃すれば、装甲の貧弱なアルカムは一撃で爆散し、乗員は全滅していたであろう。流石に肝を冷やしたヒエルはすぐさま車内に引っ込んだ。
「あの青いベザー(※1)だ、あそこにロケット砲が隠れてる!」
すぐさま砲塔が旋回し、指示された場所に榴弾を撃ち込んだ。いくら型落ちの旧式戦車の榴弾と言えど、さらに型落ちのおんぼろトラックくらい片手間で破壊できる。あっという間もなくトラックはフレームをすこしばかり残して消え去った。当然、後ろに隠れていたロケット兵の姿もまったくもって存在しなかった。
次々と倒れていく連合国軍であったが、彼らもやられてばかりではなかった。他のロケットランチャーが撃ち込まれ、機銃陣地の一つに着弾した。スクラップで作られたバリケードが彼らを守ったが、はじけ飛んだ金属片の一つが観測員のキリエの肩に傷を負わせた。
「がああ!」
倒れたキリエが肩から血を軍服に滲ませて肩を抑えている。班長が彼の手当てをしようと近づくと彼はそれを手で制して戻らせると、彼は地面を這って上着を脱ぎ棄て自分で手当てをする。
連合国軍の攻撃は実に過激で協力であったが、遮蔽物がろくにない戦場で、たった一つの鉄橋を目指していくのはあまりにも厳しかった。彼らは撤退していく。どうにか彼らを退けた同盟軍であったが、彼らも傷つき疲弊していたために、大きく喜ぶ姿を見せることはできなかった。
彼らが完全に去ってからヒエルたちは死屍累々の橋の向こう側に足を運んだ。死体はずっと向こうまで続いており、終わりは見えなかった。
「これ、見てくれ」
フルムーン軍曹はヒエルたちにある死体を見るように促した。それは他の死体と変わらぬものであったが、フルムーンにはあることが気になったらしい。
「ウッスナウ人はもっと身長がある。だがこいつらを見ろ。肌は薄く色味がかってやがるし身長も俺たちくらい低いぜ」
彼らは周囲に広がる死体を見回すと、確かにどれも大体が同じ人種で、ベッザーナン系の特徴が見られた。オースノーツ人には見えない。
「こいつらつまりウッスナウ人じゃない?」
そうだ、とフルムーン。
「こいつらは多分連合側のミスライオ人だろ。多分そうだ」
ミスライオはオースノーツィア大陸の南にあるこの星で一番小さな大陸ベジャルーにある小国ミーライアン共和国のことを指す。ミーライアンは小さく発展途上国であったが、人口だけは一人前であった。それゆえにオースノーツによってこうして前線の駒としていいように扱われているのだろう。ミスライオ人の知能は世界平均と比べると少し劣るのだ。
「可哀そうに。俺たちみたいに国で土を弄ったり魚を釣って暮らしてたんだろうぜ」
フルムーンは、首を横に振ると死体から銃と弾薬、それに僅かばかりの食料品を取り上げると、医療品を後ろで収穫用の籠を背負っているマズランダー一等兵に投げてよこした。弾薬は武器と一緒にこれまた農業用の荷車に載せていく。
「食糧はあるが医療品が全然ねえ。ほんとこいつら捨て駒だぜ」
ヴァートンが死体を弄りながらぼやいた。ヒエルもそれは感じており、医療品の類をまともに持っているミスライオ人は少数で、持っていてもせいぜい包帯一巻きが関の山であった。消毒薬は十人に一人、抗生物質なんかは数少ないウッスナウ人の下士官くらいしかもっていなかったのだ。
「ウッスナウの奴ら、本気で世界を平和にするつもりかよ。後進国の人間を動物みたいな扱いしやがって」
「だが、そのおかげで俺たちは生きてる。こいつらがウッスナウ人やケレミャウ人だったら俺たちはとうに全滅だ」
ヒエルはため息をついて銃を拾い上げる。
「まずいぜこれ」
その後ろでレーションを齧ったヴァートンが舌を突き出してレーションを見せる。独特のにおいが漂うが、死体や鉄の焼ける臭いと、火薬、そして血の匂いが辺り一面に充満しており嗅ぎ取ることはできなかった。
「ないよりマシだろ。行くぞ」
ヒエルは荷車に山ができたのを確認すると、一旦引き揚げさせる。彼らは死体を乗り越えて進んだ、すると呻き声がすぐ近くから聞こえ、彼らはすぐに立ち止まって拳銃を抜いて構える。
「どこだ……」
あたりは死体まみれでどれが生きているのか判別がつかない。
「……あ、あれか?」
とフルムーンが拳銃で一角を指すと、顔を血に濡らしたミスライオ人が倒れているのが見えた。
「動けない……ようだな」
様子からそう判断したが、念を入れてヴァートンを連れてヒエルは慎重に歩み寄る。
※1 ベザー:トラックの車種。古い。




