本国
シェーゲンツァート帝国首都トルムカンデールにある国立トルムカンデール病院の八〇二号室のベッドに、リンドは横たわっていた。体の各所に包帯を巻き、折れた右腕は手術でボルトが埋め込まれ固定されいた。右脚も同様に折れてはいたが、こちらは腕に比べると程度は軽かったため、吊る程度で済んでいた。それだけでなく、リンドはあの墜落の影響で指を四本骨折、両肩の脱臼、むち打ち、内臓の損傷、打ち身擦り傷切り傷、文字通り満身創痍の状態で救出されたのだった。
彼の帰還は軍によって戦意高揚のためのプロパガンダとして用いられ、本国のパレサー国際空港飛行場に降り立った輸送機から降ろされる担架と、包帯でぐるぐる巻きにされた彼の姿は国営放送他にて生中継され、敵中をたった一人で舞い戻った若き英雄として祭り上げられていた。その流れで、リンドは伍長から軍曹への昇格が与えられた。
彼のその映像のおかげで戦時国債の売り上げは増し、志願兵の数も微増したのでこのプロパガンダには意味があったようだ。当の本人は、自分がそんなふうな扱いを受けているということを知ったのは帰国して二週間後の絶対安静面会謝絶が解禁されてからだった。彼は自分がそこまで大したことをしたような記憶はなかったのだが、これも現在の戦局の表れということなのかもしれなかった。
彼が久方ぶりに家族と再会したのは、それからであった。面会が可能になったとわかるや否や、家族は病院まですっ飛んできてくれたらしい。顔を泣きはらした母や姉がベッドに縋って安堵の言葉をかけた。
「もう、あなたが行方不明になったって聞いたときは本当に本当にゾッとして……お父さんみたいにあなたまで戦争で失うなんてことがあったら私はもう正気じゃいられなかったのよ」
「ははは……」
姉のリリーレンが口を開く。
「リンド、生きててよかったよ……あんたがAL乗りになったって聞いてからはもう毎日あんたが死んだって知らせが届くんじゃないかとおびえてたんだからさ……」
「大丈夫だって」
「大丈夫じゃなかったじゃない!バカー!」
と、リリーレンは語気を荒げたが、さすがに叩くような真似はしなかった。
「バレイオたちは学校があるから連れてこれなかったけどね……でも皆あなたが生きてるって知ってからはすっごく喜んでたのよ」
リンドは六人兄弟の二番目でオーセス家の長男であった。二つ上の姉リリーレンは今首都の更に東にある工業都市で事務をして働いている。次男のバレイオは水産学校で船乗りになるための勉強を、三男のファーライと次女のラゥは上級学校(※1)の二年生と三年生だ。末っ子で四男のクレテはまだ五歳で幼育園に通っている。母は漁港で魚の加工の仕事をしている、父は海軍所属であったが、五年前の開戦から一か月目に起きた最初の大規模海戦ダープ海海戦において乗艦していた駆逐艦が沈没、帰らぬ人ととなった。一家を悲劇が襲ったころ、母のお腹にはクレテがもうすぐ生まれようとしていた。家族を養っていた父を失ったオーセス家は、一気に貧しくなり国学院(※2)に進もうとしていた姉はそれを断念、就職して実家に仕送りを始めた。軍からの遺族年金もあったが元々から裕福ではなかったためにそれでも家は貧しく、そこに新しい家族が増えたものだから貧しさは増していった。母の給料もあまりよくは無く、加えて母の体も丈夫ではない。遺族年金も戦局の悪化で減っていく一方で、リンドはどうにかしなければいけないと思い立ち、思い切って軍人の道へと進んだ。
リンドが敢えて危険な空挺部隊に進んだのも、危険手当をもらうためであった。
「リンドのおかげでうちはすっごく助かってる。あなたの仕送りのおかげでバレイオも水産学校に通えたんだから。あの子もそのことがわかってるから毎日頑張っててね、こないだは学年で五番の成績をとったんだよ」
「そりゃすげえや」
バレイオはまじめな奴で、兄弟の中では姉に次いで頭がいい。リンドは残念ながらあまり良くはなかったが、ALに乗る能力だけはもらえたことが幸運であった。
「今度お休みがもらえたら一回帰っておいでね?あなたの大好きなものたっくさん作って待ってるから」
「うん、帰れたら帰るよ」
そうは言ったものの、確証はなかった。いつ何時出撃になるかわからず、空挺部隊という特性上休暇がもらえても本国に滞在中である確率は極めて低い。
家族が帰ると、今度は第四小隊のスライ、ヴィレルラル、ジュードルの三人が病室を訪れた。キリルム中尉の姿は無く、三人の表情は幾分か暗い。
「生きててよかったぜ」
スライが、見舞いのアダルト雑誌を彼の上に放り投げながらつぶやいた。その声にいつもの力は感じられず、ただ無力感が支配してしまっているようだった。ジュードルもヴィレルラルも同様に落ち込んでおりヴィレルラルなど特にもしかすると一カ月以上は言葉を発していないんじゃないかと疑うほどに沈黙をしているように見えた。
「ヴィルも最初の二週間は言葉をまったく喋んなくてよ……」
ジュードルの言葉に、リンドは少しほほ笑んだ。
「お前と隊長がやられてからは俺たち探そうと進んだんだけどよ、どんどん敵が前進してきてどうしようもなくてよ……すまねえ……二カ月もお前をほっぽっちまって!」
涙をこらえながら言葉を絞り出すスライに、リンドは慌てて
「曹長、そんな、そんなことありませんよ!仕方のなかったことなんでありますから……」
上手く言葉を作れない。全身に走る痛みが彼の思考を妨げる。
殿になったのも重ヴァル乗りの宿命だ。それにこちらは隊長が後退の判断を下しただけマシである。命令通り死守を実行した部隊はいったいどうなってしまったのか、想像するに易い。
ジュードルが気になっていたことを彼に思い切って尋ねてみた。それは他の二人も知りたくてしようのなかったことであった。
「なあ、リンド。お前収容所で隊長と一緒じゃなかったのか?」
彼の言葉に、リンドは目を伏せると否定した。
「いいえ、お会いしてはいません。ただあの収容所にいるとは聞きました」
彼はトルトーとの会話を思い出す。自分でもすっかりそのことを忘れてしまっていたことに驚いたと同時に失望していた。どうして隊長を一緒に連れ出すことが出来なかったのだろうか。いくらでも会うチャンスはあったはずである。
「そうか……」
それを聞いた三人は落胆した。
リンドも申し訳ない気持ちでいっぱいであった。が、ふと違和感を覚えた。おかしい、あの収容所の宿舎は一カ所に全て集められていた。捕虜は皆二手に分かれはしていたがそれでもまず毎朝最初に一度合流していたのだ。何十日もそこにいたのだ、数も千人そこらであっただろう。それで気づかないはずがない。
「おかしいです」
「どうした」
「同じ収容所の人間は皆一度は顔を見たことがあります。一か所に宿舎が集められていたからです。なのに自分は中尉らしき人物を見た覚えがありません」
「するとなんだ、収容所にいるって話は嘘だったってことか?」
かもしれん、とリンド。トルトーとなんちゃらという軍医が嘘をついていた可能性は十分にある。捕虜に本当のことをいう義務などないのだから。
「あいつら、嘘つきやがったのか……」
怒りにリンドの眼が燃え上がる。オースノーツへの復讐心が彼の中で再び芽生えると、それは騙されたという恨みの栄養を与えられ一瞬にして伸びあがった。
「隊長が生きている可能性が……」
「あるかもしれないであります……」
※1 上級学校:シェーゲンツァート帝国の教育制度の一つ。十一歳から十五歳までの子供が通う。六歳から十歳までが初級学校。
※2 国学院:十六歳以降の子供が通う国立の学校。




