オレンジピール
次期主力飛行ALとなる仮称NFの試験機体であるグライフは、各所に実験的な装備が施されており、試験ごとにその装備を変更し最適な飛行型ALの装備を追求するための機体であった。この機体が建造されて半年は実戦には出ずもっぱらオースノーツ国内の試験場にて度重なる試験が行われてきたのだ。半年の間にグライフは複数機が建造され、パイロットは計十一人にも及ぶ。半年のテストが終了後、グライフは実戦試験を行うために戦闘用に調整され武装化された。その実戦パイロットの一人が彼女、ヴィエイナ・ヴァルソー特務中尉その人であった。
あの夏の日、ホーカム=アリーヤ国のクラーム平原にてテストとして同盟軍を襲った彼女らオースノーツ軍は、空からその優位と圧倒的物量で敵を一掃するはずであった。作戦は当初想定通りに進み、損害も最大限抑えられつつ敵を圧倒し焼き尽そうとしていた。しかしそこに不協和音が生じる。
シェーゲンツァート軍の部隊の反抗によりALと爆撃機が撃墜され始める。その上一機のALによってあろうことか、オースノーツ軍でも有数の腕を持つALパイロットヴァルソー特務中尉の乗る試験機グライフが中破せしめられたのだ。そのAL自体も彼女によって大破させられていたのだが、それでも一機の量産型ALよりも一機の次期主力飛行型AL試験機の損害は大きいのである。これによりオースノーツの次期飛行型ALの開発が一カ月も遅延したと言えば、この出来事の重大さがわかるだろう。
フレームごと歪められたグライフは、機体の六十パーセントを交換せねばならず、実質別個体といっても過言ではなかった。勿論システム上にも少なからずダメージを負っており、今までの実戦データを学習、記録してきたコンピュータが幾分か失われたほどであった。無論、この出撃の直前までのデータは既に別にフィードバックを行ってはいたが、やはり蓄積されていた母体の損害は手痛いものであった。
自分の経歴、腕、技術、そして機体。それらを一瞬にして傷つけられたヴィエイナは、殊の外あの重ALを憎んでいた。
車は飛行場を離れ、既に建設済みの基地へと帰投する。車両がせわしなく行きかう道の両脇にはいくつものハンガーが立ち並んでおり、それらには航空機やAL、それらの整備場から倉庫までである。
「中尉」
後ろの座席から話しかけたのは作業服の男である。彼は少し身を乗り出しながら助手席の彼女に今日の行程についてを説明する。
「本日はグライフの飛行エンジンをT96-スデム式に換装して高機動試験を行っていただきます。やることは前にやったのと同じです。派手に飛び回ってください」
「了解した、ベレ少尉」
グライフの専任技師クオァン・ベレ少尉は、軽く微笑むと座席に戻って空を見上げ始めた。
少尉に任せておけば、グライフは常に完璧に保たれる。彼無くして、グライフは翼をもたない。それほどに彼はグライフのことを誰よりも熟知していた、機体の塗装の剥がれ具合から、癖まで、全て。
今日の試験はヴィエイナの少し好きな内容であったため、彼女は少しだけ口角を上げると誰にも見られないように腕に顔を持っていき下半分が見えないように努める。飛ぶのは好きだ、特に激しく上下も重力も関係無しに飛ぶのが。激しい機動はその分神経を使い、疲労する。だがそうしている間は全てのイライラも過去の記憶も気にしないで済む。
「今日は空が……」
十三番格納庫から、トレーラーに乗せられて一機のALが白日の下へと曝け出される。その機体は以前甚大な損傷を受けてから急ピッチで修復が進められどうにか稼働までに持ってこられた。これはその修復から五回目の飛行である。その時は全体が真っ白だった機体も、現在は翼についた四機のエンジンは以前のように白くはなく、そこだけがオレンジに白の線がところどころ入った目立つ構成となっていた。他にも脚部や胴体など各所が異なっており装甲も塗装が施されておらず、錆止めの塗料が機体の美しさに似合わず現実を映し出していた。
そんなちぐはぐな乗機の姿にも意に介する様子も無く、彼女は操縦席に沈黙していた。
機体は既にアイドリング状態にあり、いつでも本起動が可能な状態である。この状態でも搭載されているAIチューフは喋ることもできたが、それは彼女がスイッチを切って黙らせていた。この時間を、短い静かな時間で、機体に近づきたかったからだ。
〈中尉〉
いつの間にか随分と時間が経過していたらしい。今格納庫を出たばかりだと思っていたが、いつの間にか飛行場の上に機体は立たされていた。
「……すまない。開始だな」
〈ええ。それでは三十秒後より試験を開始します。チューフを起動してくださいね〉
「了解」
彼女はため息をつくと、耳障りなAIの電源を入れた。すると入れた途端にチューフは言葉を発し始め、彼女の気分を害させた。
〈ヴィエイナ様、本日も気持ちよく飛びましょう。おや、不機嫌なようですね。あれはまだのはずですが〉
「黙れ!!」
デリカシーも何もないAIに怒ると、彼女は座席に力いっぱい拳を振り下ろした。
いくら何でもこれはセクハラどころじゃない。AI担当のプルーストン教授を事故に見せかけ殺してやろうか、と激しく怒りを露わにするヴィエイナは、ベレ少尉の0のコールと共に、最大限スロットルを入れた。
〈ヴィエイナ様!それは負荷がかかります!〉
チューフの悲鳴を他所に、彼女の怒りに任せグライフは地面から急加速して空へと急上昇した。噴射の反動で近くにあった無人のトラックが一台転がった。
「ありゃあ怒ってんなあ」
安全な場所からその様子を見ていたジェリクは、おおよそを予想しながら機体が引く雲を追った。
「どうしてです」
と、ザーレ。それにジェリクはあきれ気味に彼女にこう言った。
「俺ぁ時々あんたがほんとに中尉と同じ女なのか疑わしく思うぜ」
どういう意味ですか、と怒りを込めた声で彼の足を踏みつける彼女と、叫び声を上げて飛び跳ねるジェリクの姿は実に滑稽であった。




