表裏の左腕
恋人の姿を見たリンドは、いてもたってもいられなくなりその場に機体をしゃがませ掌を差し出す。その拍子に、スカートアーマーの内側から板金が一枚、ガシャンと音を立てて膝に当たって地面に刺さる。
ショートボブの彼女が大きな鋼鉄製の、ボロボロの掌によじ登ったのを確認すると、彼はボタンを押して自動でコックピットハッチの前まで手を移動させる。
ハッチを開くと、彼女の姿がうっすらと逆光に照らされ、見惚れている内に彼女は中に入ってきて微笑んだ。
「リニィ」
「セレーン……」
間違いない、どこからどう見てもセレーンその人だった。なんだかまるで数か月は会っていない様な、そんな長い時間が経ったと錯覚するほどの長い時間に感じられた、彼女と最後に会ってから。
ヘルメットを取った彼は無意識のうちに操縦桿を両脇にどけて両手を広げ、恋人を迎える姿勢を見せると、セレーンはふらつきながらも寝床を跨いでシートに座ったままの彼に抱きしめられる。
「ああ、ああ!生きてた!最高だ……」
ハッチも閉め忘れたまま、彼は恋人の体を抱きしめる。抱きしめてすぐ、よれてあちこちに焦げ跡の付いた、戦時急造品のD型軍服の安っぽい生地に包まれた、程よい肉付きをしていた筈の彼女の体が、幾分か骨ばっていることに気が付いた。気のせいなどではない、確かに痩せてしまっている。
「セレーンは痩せてしまったな」
「忙しいからね」
激務というのもあるが、それだけではなく食事があまりいきわたっていないことと、止むことのない銃声と爆発音、どこを見ても転がっている死体、死臭と火薬の匂いに気丈だったはずの彼女でも、流石にこの状況下では精神的にかなり参ってきていた。無理もない。この状態で神経を衰弱させるなというほうが酷というもの。
「また出ていかなきゃいけないのか?」
「ううん、二日はここにいられるみたい。それからまた今度は後方に負傷者の移送があるみたい」
「そうか、でも明後日まではいられるってことだろ」
「厳密にはえーっと……明後日の夜出発。夜じゃないと敵に見つかっちゃうから」
シェーゲンツァート帝国は完全に本土上空の制空権を失っているため、部隊の移動や物資輸送などは基本的に夜に行われるようになった。ALや戦車なんかは暗視装置や地形データのお陰で無灯火でも進むことが出来るが、トラックのようなシンプルな車両にはあまり搭載されていないため、遠くからは視認しづらい特殊な光源を使ったライトで進むか、電気を一切点けずに爆撃によって出来たでこぼこの道を進まねばならなかった。その特殊ライトも暗く、遠くまで見通せるわけではないので、事故は絶えなかった。
彼女もドライバーをしているため、無灯火による事故はよく起こしていたが、ベテランドライバーでもそんな状態ではよく穴にハマったり岩にぶつけて前輪がもげたりなども起こしていたので、彼女が特別下手くそというわけではなかった。寧ろ輸送トラックの扱いに関しては上手い方であった。
「ああ、よかった。じゃあまだいられるってわけだ」
「……そろそろいかないと。戦闘中だしね」
「あ、ああ、そうだったな。それじゃあ」
「ご武運を、中尉」
わざとらしくかしこまって敬礼をする彼女の笑顔は、とても疲れているようで、記憶にある笑顔よりもずっと萎れているように見えた。彼は再び彼女を広げたマニピュレータの上に乗せると、もう片方の手で彼女を包み込んで守り、地面に降ろす。
「また夜に!食堂で!」
〈わかった〉
スピーカーで返答した彼の声は、既に兵士のそれになっていた。レーアルツァスの四種類のカメラが壁の向こうの敵を見つめており、突撃銃を拾い上げるとセレーンが安全な距離にまで離れたことを確認し、立ち上がる。関節が軋み、膝に付着した土がバケツをひっくり返した水の様に一斉に地面に落ちる。狂った高度計が高度二千ミラスを表示し、右足の第十八シリンダーが破断してオイル漏れをしたのは既にシステムが停止させている。
「よし」
セレーンが地下壕に入ったのを見届けた彼は、元の位置に戻る前に少しだけ工兵の戦いというものを見学していた。
いつもならば彼らは作業用ALで、要塞内に転がっている敵味方のALをどかして、使えるものと使えないものに分けて運んでしまうのだが、今回は少し違った。あからさまに修理が出来そうにない、再利用が見込めないALに関しては、何故か敵に開けられた要塞の壁に集め始めていた。
敵弾が飛んでくる中、それを次々と積み重ねていき、端から大型のAL用高速硬化セメントを隙間に注入し始めた。
(まさか建材にするってのか?マジかよ……ハハハ)
つい彼らの力業には感心してしまう。正規の修理をするには、敵が近すぎたため、呑気に足場を組んだりする余裕は与えられていない。その為体積があり非常に硬い兵器を穴に詰め込んでしまえばいいと判断したわけだ。
完成までは彼は見届けることはできなかったものの、彼が去った後暫くして完成した応急処置は、壁からALの手足が生えている非常に禍々しくおぞましい壁と化していた。あの中にはまだ敵兵のパイロットがいるはずだが、生死確認もしていない。どうせ敵だ、生き埋めにしたところで構うまい、ということだろうか。
中の人間ごと壁に埋め込むとは、あまりにも蛮族のやることだがそもそも戦争だって人類における野蛮の極みであるのだから、肉壁を建設した程度で今更かもしれない。
今現在、敵はせっかく多大なる犠牲を払ってようやく要塞内に突入したのに、それを一瞬にして追い出されて、これまた大きな損失を被ったことで戦意を挫かれたらしく、一旦後退を始めた。後退する背中を、当然容赦なくシェーゲンツァート軍は追撃する。
「第一小隊、今がボーナスステージだ。撃てる奴は撃っておけ」
〈ですが隊長〉
とピュループ上等兵。恐る恐る尋ねた彼は装甲車にデサントして後退していく敵歩兵の姿を照準に収めたまま、トリガーに指をかけることもできない。
「どうしたケプルーム一等兵」
〈あ、ピュループ上等兵であります〉
「悪い。なんだピュループ」
〈逃げる敵を撃つのってなんだか……〉
「卑怯か?」
〈あ、はい……兵士としての精神に欠けるのではないか、と。すみません……〉
「ふうん……まあそういう考えもあるだろうが」
ここでリンドは敵の方に上半身を向けると、ピュループが狙っていた敵に向かって突撃銃を三点射し、彼が見ている前で敵兵士たちを木端微塵の肉片に変えた。
「やっとかねえとお前の親兄弟を殺しに来るぞ。勿論お前もだ。皆殺せ」
〈は、はい……了解であります〉
若き兵士は、歳もそう変わらない隊長の冷血さを目の当たりにし、恐怖に震える。彼の言う通りなのかもしれないが、ピュループにとってはまだそこまでの非情さをもって戦う決心が出来ずにいた。彼が兵士としての決断ができるようになるまでに、彼が生きていられるのだろうか……




