月海原の神話
船団はこうして難を乗り越えたかに思えた。だが輸送船の群れを狙う鮫はまだほかにも潜んでいたのだった。
それはヘリから投下されたソナーが教えてくれた。船団の後方から高速で近づく物体があり、速度は約六十ノット、魚雷ならばそれなりの速度ではあったが船団を恐怖に陥れたのはその大きさであった。実に三十九mもの巨大な物体が海中を魚雷並みの速度で進んでいるのだ。前代未聞の遭遇に、手練れの海軍もパニックに陥っていた。
〈俺が行きます!〉
いてもたってもいられなくなった一機のヨッターが潜航を開始する。他のヨッターは既に回収作業に入っており、現在収容待ちのこの一機のみしか対応ができない状況にあった。バラストタンクに急速注水し、大量の気泡が機の周りに沸く。
〈何を言ってる軍曹!危険だ、何者かもわかっていないというのに!〉
ヨッターの母艦の艦長の制止を振り切り、ヨッターは再び夜の海へとダイヴした。正面に二基と頭頂部に一基備え付けられた巨大なサーチライトが辺りを照らすが、三十mも見えやしない。その分頭に詰まったいくつものセンサー群が目の役目を果たすのだ。パイロットは下唇を噛んで目を皿のようにしてモニターの向こうをくまなく探す。ソナーモニターには機体の正面から確かに魚雷のような速度で突っ込んでくる巨大な物体があった。
(セッケだったら……)
彼の頭には、ある魚の姿があった。それは最大で五mにもなる大型の回遊魚で、六十ノット前後で海中を疾走する魚である。パリオーサでも食べられている魚で彼にも親しみのある食用魚でもあった。ソナーに引っかかったのがそれだったらどれだけいいか。だが、モニターはおよそ四十mもあることを示しており、望みは薄い。
ソナーに一瞬小さな点が映った、それは接近する大型反応から伸びて、別方向へと逸れていった。ソナーの故障かあるいは誤反応かと思ったが、次の瞬間にその正体が判明した。
「うおっ!」
爆音が水を伝ってヨッターのコックピット内に反響した。これは明らかに水上で艦船に魚雷が命中した音である。
(一隻喰われた!)
このまま正体不明の敵に好き勝手やらせるわけにはいかない。
通信機からは一等輸送船ケメス号が被雷したということを伝えていた。
「チキショウめ!」
機首を回して反応へと向かう。一人でも立ち向かう、家族を守るために。それがパリオーサの男の掟。手を震わせながら軍曹は進む。再び爆発音。今度はパリオーサの外洋巡洋艦ペーペが一瞬で沈められたらしい。ソナーに巨大な艦体が海底に向かって沈んでいくのが映っている。ペーペの轟沈を知った軍曹は激高した。ペーペには幼馴染が機関士として乗艦していたのだ。
「野郎ぶっ殺してやる!」
涙を眼に湛える。力いっぱいに操縦桿を握りしめいつでもビッグブレードを展開できるように備える。
一時は艦隊から距離を取ろうとしていた敵は反転し再びこちらに接近していた。恐らく次は自分の背後にいる輸送船を沈めるつもりだろう。ヒススト号にはシェーゲンツァート陸軍の主力歩兵部隊が何千と乗船しているのだ、これを沈められるわけにはいかない。スロットルを上げ、下から抉りこむように敵に迫る。
「くたばれ!」
肩に配されている高速短魚雷を二発放つ。魚雷はまっすぐ巨大な敵のどてっぱらへと伸び、そして
爆発音は無かった。代わりに激しい衝撃と機体が悲鳴を上げるのを彼は味わう。
「あああ!!」
勢いよく体を進行方向とは別に引っ張られる感覚と、その直後に思いっきり機体ごと壁に叩きつけられた。シートベルトはしていたが、そこかしこをぶつけ痛みに呻いている彼の眼に映ったのは、あまりにも巨大なロボットであった。
「あ、ああ……まさか……」
巨大な黒いALが、ヨッターを片手のこれまた巨大なアームでわしづかみにし、ともに駆逐艦の横腹にめり込んでいた。駆逐艦は大きく傾き、復元しきれずにいた。
「チュワレル……」
お伽話の海の怪物の名が口からついて出た。




